震災から3年になる今回の訪問は、初の女子レンジャーによる活動となりました。
慣れないスケジュール管理と移動のナビに苦戦しましたが、無事に終えることが出来ました。
お伺いしたのは御船町にある地域の食堂と、御船町の仮設団地。
どちらもお互いに気遣い合う、温かいコミュニティーが出来ているところです。
初日にお伺いしたのはご家族で経営されている食堂です。
公共の施設ではないのですが、ご家族が鍼灸を気に入って下さり、訪問の度に食堂を開放して下さっています。
自らも被災されながら震災直後から地域の方に炊き出しをされるなど、地域の為にできることを続けてこられたご家族。
「困ったときはお互いさま」
以前も今も自分の労をいとわずに地域の為にできることを模索されています。
被災されてから地域への思いが深くなったと話されます。
鍼灸は怖いもの。というイメージのある中、この食堂には驚くほど沢山の方が治療を受けに来られました。
ご家族が「はり灸レンジャーが来るから受けにおいで~。」と声を掛けて下さるお陰です。
ご家族と地域との信頼関係が伝わります。
二日目は復興住宅へ移ることになり、近く閉鎖されることになっている仮設団地です。
仮設に残っておられた9世帯が同じ復興団地へ移れると、楽しみにされていました。
初めてお伺いした頃は、元の住まいから離れて、慣れない仮設暮らしに体調を崩されている方も多くおられました。
知らない人と急にご近所になって、住まいも不便になって、将来も不安に思われる中での出発だったはずです。
今回お伺いすると、仮設暮らしで体調を崩されていた方が随分お元気になられていた事に驚き、嬉しく思いました。
体調が良い、特にストレスが無いという声も聞かれました。
お伺いした仮設では、お花見など折々の季節の行事をしたり、仮設に虎舞というの踊りの指南役がおられたので、チームを作ってお祭りに参加されたり、活気のあるコニュニティーが出来ていました。
行事に参加することで体を動かす機会が増えたり、顔を合わせる機会が増え、お互いに気遣いあう温かい雰囲気ができたのだと思います。
住環境は同じでも、人と人との繋がりや信頼関係が、心の安定や健康につながったのだろうと想像しました。
ボランティアにお伺いすると、人の温かさや熱意に心動かされます。
1人1人がお互いを思い合って、支え合って、はじめて良い環境ができるのでしょう。
良い環境にはそこに住む人の力が必要なのだと感じます。そして、普段自分の事だけ考えがちだということに気づかされます。
御船町では初の災害復興住宅が完成しましたが、最大時の4割の方が未だ仮設住宅で暮らしておられます。
熊本全体では5,676 世帯、1万6500人の方が仮設生活を続けられています。
これからも熊本にお伺いさせていただければと思います。
不慣れな女子チームの珍道中、温かく迎えて下さって本当にありがとうございました。
(森川彩子)
はり灸レンジャー熊本ボランティア訪問に参加させていただきました、重松あすみです。
ボランティア当日は、到着と同時に準備して治療が始まり、バタバタと片付けをして帰ってしまうため、いつもあまりお話ができなくて(もともと話をするのも下手ですが)、すみません。なので、こちらのメッセージに少しだけ私のことも書かせていただきますm(__)m
私の熊本訪問は今回で2回目の参加となりますが、個人的には、熊本へは今回で4度目になります。初めて行ったのは、現在勤めている福祉施設でスタッフの採用担当をしていた頃、福祉科のある熊本県立芦北高等学校の生徒さんが入職することになり、高校へそのご挨拶に行かせていただいた時でした。真っ青な空の下、新しく開通した道路をレンタカーで走った記憶があります。
長年続けていた福祉施設での事務の仕事から、私も直接ご入居者さまに関わりたいとの想いで一昨年国家資格である鍼灸師の資格をとりました。この資格でほんの少しでも私にお役に立てることがあれば、との思いで参加させていただきました。
初めてお伺いした時は、何もわからない状態な上に、鍼灸師1年目の新米で目の前の治療に必死でしたが、2回目の今回は、ボランティアで関わらせていただいた方々のお顔や症状を覚えている方もいて、やはり1回目では感じなかった、繋がりを私なりに感じることができました。そして、小さな一人一人の気持ちと行動が合わさっていくことが、温かくて力強いエネルギーを町に作り出すんだ、ということも、感じることができました。何だかしてもらうばっかりの^^;ボランティア要員ですが笑笑、このような体験をさせていただき、本当にありがたいと思いました。
〜人と人との繋がりは無限大〜
私が鍼灸師の資格を目指していた学生時代に、「資格を取ったらどんな鍼灸師になりたい?」という題の作文で、書いていた言葉を思い出しました。
是非また皆さんに会いにお伺いさせて下さい。
この度はどうもありがとうございました。
こんにちは。
はり灸レンジャーパープルの西井牧子です。
今月、熊本地震が起きてから丸3年が経ちます。
その間、はり灸レンジャーの熊本での活動も6回目、私自身は5回目の訪問でした。
そして今回は、はり灸レンジャー初の女性鍼灸師チームでの活動でした。
初めて訪問した時は街もブルーシートが目立ち、避難所で不自由な暮らしを余儀なくされていた方々が多くいらっしゃいましたが、今回の訪問時にはちょうど仮設住宅にお住まいの方々が新しく建設された災害復興住宅の竣工式に参列される日と重なり、感慨深いものがありました。
災害復興住宅に移られる、と言うことは仮設団地も解散になります。
はり灸レンジャーで毎回訪ねていた仮設団地の集会所での活動も、今回が最後になるのかと思うと胸が熱くなりました。
仮設入居時はバラバラの地域から集まられた方々で、少しギクシャクされておられましたが、今では皆で同じ災害復興住宅に移り住める事をとても喜び合われるお姿がとても印象的でした。
また、今回の活動でも毎回訪れる被災地域の食堂で施術をさせていただきました。
こちらの食堂も震災被災者でありながら、地震直後から地域の中心になって被災者支援をされ続けておられます。
復興が進む中、今は こども食堂を立ち上げられ、地域の交流の場になれば…と継続した活動をされておられますが、個人の活動では限界がある現状を知りました。
何とか、行政の協力を得て、細くても長く素晴らしい活動が続きますように…と願ってやみません。
今回の訪問を通じて、改めて人とのご縁や繋がりが大切な事を体感しました。
人は誰もがそれぞれに色々なものを背負っています。
それでも、お互いに助け合い、支え合って暮らしていけたら…と思います。
私もはり灸レンジャーの活動を必要とされる方がいらっしゃる限り、寄り添った活動を継続していきたいと思いました。
こんにちは。はり灸レンジャーイエロー清水です。
私は今回で熊本に行かせていただくのは2回目。
1回目の訪問は熊本への初訪問、震災からひと月ほど後の事でした。
あのときは地震の傷跡が町中に残っていて、ひび割れた道路や傾いた電線、そしてたくさんのお家の屋根にブルーシートがかけられている。
そんな光景で記憶が止まっていたのですが、今回の訪問ではそんな景色は消えていて。
今回の活動でもお世話になった、御船町社会福祉協議会の皆さんにご挨拶をするために立ち寄った御船町スポーツセンターは、前回訪れたときは避難所となっていた場所でした。
今回は体育館でキッズバレー大会が開かれていて、広場ではお祭りをやっていて。
2年近い時間をかけて、少しずつ、確実に生活を取り戻してこられたんだなぁ・・・と、勝手に嬉しくなってしまいました。
地元のコミュニティである地域の食堂での施術、そして、復興支援住宅へのお引っ越しを控えた旧七滝中仮設での最後の施術活動。
ここで出会った沢山の方のお話を聞いて個人的に思ったことは、この2年弱の間にはり灸レンジャーのメンバーが御船町の皆さんと、とても温かい関係を築いてこられたんだな・・・ということでした。
はり灸レンジャーメンバーは過去5回の訪問活動を通して、大変な震災初期、仮設住宅での生活、それぞれの生活を立て直していく過程の様々な場面、はり灸治療という形で、お体を通じて関わらせていただいてきました。
そして訪問後もやりとりを続けることで、一回きりの関係とは違う、訪問先に寄り添う活動をしてきました。
今回の(個人的に久しぶりの)訪問では、過去の参加メンバーは元気ですか?と聞かれたり、前回訪問時の治療がとても良かった、とお礼を言われたり、過去のカルテに話題として書かれていたことのその後を教えてもらったり・・・。
今までの参加メンバーが活動を通じて町の皆さんと温かい関係を築いてこられたこと、様々な場面で感じました。
「訪問先に寄り添う活動」。
これは東北震災の頃から変わらない、はり灸レンジャーの活動の形ですが、そうした活動がどれだけお役に立てているのか?
恥ずかしながら、今まで考えることなく活動に参加してきましたが・・・こんな形もあっていいよね、と素直に思えました。
小さなボランティアグループの、小さな小さな活動だからこそできる支援があるし築けるものがある。
久しぶりの参加だったからこそ、それを知ることができました。
今回も貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。
昨年は本当に災害の多い年でした。
全ての被災地に伺いたい気持ちもありますが、小さなグループには難しく…
ご縁のあったところへ、これからも伺います。
そして今年も3月、熊本へお伺いすることが決まりました。
3/21(木祝)13:00~ 御船町 地域の拠点
3/22(金)11:30~ 御船町 旧七滝中仮設団地
ちょうど、御船町の「みなし仮設」の交流会や、災害公営団地の落成式など、復興イベントのタイミングと重なりました。
人や町の復興の様子も伺うことができればと思います。
よろしくお願いします。
はり灸レンジャー、イエロー清水です。
個人的な記録となりますが、はり灸レンジャーの活動に参加したのがちょうど2011年の9月。震災から半年が経った頃でした。
そのため、毎年この9月頃の東北訪問は、私の中で一年の区切りとなるとても感慨深い活動です。
外から来てちょっと行くだけの人間だけど、ご縁ができた土地に通い続けているからこそ見える変化をずっと見てきました。
少しずつ町の風景が変わり、建物が増えて、被災した方たちの生活も新しい生活にすっかり馴染んでこられていて。
最初の衝撃的な景色を覚えているからこそ、あの頃出会った方たちが今穏やかに日常を送られている姿を見られるのはとても嬉しいものです。
でも、どうしても震災を機に大きく変わってしまったものはいっぱいあって。
今回訪れた福島には特にそれを感じました。
今はまだどうすることもできないそれらから派生する様々な問題を抱えつつも、そこで生きると決めてる人たちはみんな強くて優しくて逞しい。
3年ぶりの福島県田村市への訪問でしたが、変わらぬ笑顔に迎えられてお話を伺える時間は、施術ボランティアで伺う私たちにとっても楽しみな時間です。
個人的に初訪問の郡山市の皆様も、お忙しい中少し施術させていただいた時間を「ほっと息抜きできた!」といっていただけたり。
行くたびにあたたかい交流をさせてもらっていることに感謝です。
はり灸レンジャーの活動に参加していることを話すと「すごいね」といってもらえることもあるのですが、正直に告白すると、私自身は誘われたご縁でなんとなくはじめただけの人間です。
それでも、仕事や趣味とは全く違うこの活動が、今の私の価値観やあり方に大きく影響してることを感じます。
だから続けていけるし、これからもできる範囲で続けていきたいと思っています。
(清水)
震災から7年半、グループとしては17回目の東北訪問となりました。
2011年3月、東日本大震災の報道を見て衝撃を受けました。私たちに何かできることはないかと思い立ち、その5月に初めて被災地に入りしました。リーダーのつながりで「被災地障がい者センターみやぎ」を通して、被災障害者の支援ボランティアを行ないました。日常でさへ社会に対して困難を強いられる障害者の方を支援しようという活動は、今でも記憶に残っています。(第1回訪問記事)
そしてその9月、約1週間被災地に滞在し、鍼灸師グループとして初めての活動を展開しました。北は宮城県の登米市(当時 被災地障がい者センター県北支部)から、南は福島県の郡山市(当時 被災地障がい者センターふくしま)まで、鍼灸治療とセルフケアをお伝えして回りました。(第2回訪問記事)
今回の活動では、そのちょうど7年前に訪問したきりの郡山市にあるNPO団体にも訪問することができました。当時からの代表の方、今も変わらずその地域で障害者支援に関わられている方にもお会いでき、必然的に7年前、震災直後のことを思い出します。ちなみに、今回のもう一つの訪問先である田村市のNPO団体も、7年前のボランティアでご一緒したHさんのつながりで続いています。
今回訪問した田村市、郡山市は、福島県でも比較的内陸部にありますが、それでも原発の被害を感じます。お仕事や住まいを変えざるをえない方もおられました。そして今となっては、放射能のことを口にも出しにくい、そんな潜在的なストレスをずっと抱えられているようにも感じます。
7年前に郡山市に訪れたときも、他の被災地と違ったものを感じました。それは放射能による肉体的な被害ではなく、その被害による影響力の大きさを感じていたように思います。
さらに昨年の活動では、福島県の沿岸部も回りました。6年以上経っても地震直後のまま取り残された風景には愕然とし、今でもその風景は目に焼き付いています。
そんなこともあって、今回の福島県の訪問は特別でした。特別にすることは無いのかもしれませんが、私たちの活動は、「支援の行き届きにくいところへ、より支援を必要とする方へ、細く長くの支援を」です。これからもこの福島県を中心とした東北での活動は続けたいと改めて思いました。
(ブルー 森川真二)
はり灸レンジャー・レッドの舟橋寛延です。
2018年9月の東北鍼灸ボランティアは、いつもにもまして色んなことを深く考えさせられるものでした。
2011年3/11の東日本大震災をきっかけに私たち「はり灸レンジャー」は結成され、これまでかなりの回数、東北訪問治療を重ねて来ました。2011年~2015年ぐらいまでは宮城県が多く、仙台市、南三陸町、気仙沼市、石巻市、山元町など訪れた自治体も多彩です。
宮城県ではようやく災害復興住宅も完成し、仮設住宅もほぼ姿を消してきていると思います。被害にあった福祉施設も建て替えが終わったようです。
そんな中、この2~3年、私たちは福島県の障害者団体とご縁ができ、年に1回という細々とした関係ですが、途切れずに関わっています。
ところで今年2018年は本当に災害の多い年でした。大阪の地震、西日本豪雨、台風被害、そして北海道の地震と息つくひまもありません。
では、私たち「はり灸レンジャー」は、どのように行動すべきか?主だったメンバーと折に触れ相談してきました。私たちはとても小さなグループですので、心苦しいのですが、どこへでも飛んでいき支援できるわけではありません。限られた人的パワーをどこへ向けるか?ここが悩みどころです。
そして、今回、福島県への訪問を経て、自分たちの立ち位置が明確になったように思います。やはりグループ結成当初の気持ち通り、東北の応援を中心に取り組んでいこう!というのが結論です。3.11で被害の大きかった東北三県の中でも、とりわけ今後は福島訪問を軸に考えたいと思っています。岩手や宮城はもう大丈夫だ、ということではありません。それぞれの地域が固有の困難さを抱えています。しかし、福島県は何と言っても原発事故の影響が消えぬまま、重苦しい雰囲気がたれこめていると言わざるをえないのです。
災害ボランティア、とりわけ医療系ボランティアの中でも、正直に言って、鍼灸治療は即応性が必要とは言いにくい側面があります。第一次的には医師、看護師など、命にかかわる急性期の病気を見るプロが現地に入るべきでしょう。やがて避難所は閉鎖され、仮設住宅などに被災者は移ります。被災地の状況はこう着し、メディアにも取り上げられなくなってきます。被災された方々の生活は不自由なまま、落ち着かない日々が続くことでしょう。そんな時こそ、じっくりお話を聞きながら、体に直接触れる施術ができる私たち鍼灸師の出番だろうと思います。
そして、3.11からあっという間に7年半がすぎた福島県がどんな状況になっているか、マスメディアから伝わってくるものはあまりにも僅かと言わざるを得ません。更に私やメンバーの森川先生は、鍼灸業のかたわら障害者福祉に関わってきた経歴がありますので、被災した地域で奮闘する障害者やその仲間たちの傍らにいて、「皆さんのことを忘れていません」という声を実際の行動で伝えていきたいと思います。
今回、訪問したうち、田村市の「ゆうとぴあ」さんは4回目の訪問になります。私は全て参加しています。最初のうちは、お互いに遠慮があったものの、何度も顔を合わせるうちにお互い親しみを感じるようになります。
私たちが訪問するのは、敬老の日の連休明けの火曜日が多いので、「ゆうとぴあ」さんでの火曜日の流れが何となく分かって来ます。午前中に鍼灸施術を終えた後、ゆっくりとお昼を食べ、情報や意見交換もできます。また、お昼休みには訪問販売のパン屋さんも来ます。
「ああ、去年お邪魔したときも、パン屋さんが販売に来ていたな」
と眺めやりながら、逆に私たち自身が「ゆうとぴあ」さんの活動、行事の一環になっていることに気づきました。つまり私たちの存在が一つの風景になっているかのごとくです。こうして自然体で私たちを受け入れて下さる「ゆうとぴあ」さんの懐の深さに感謝すると共に、この関係性を続けていきたいと心の深いところで感じました。
これからも福島県、東北に足を運んでいきます。また会える日までお互いに元気で!
(2018年9/23 はり灸レンジャー レッド 舟橋寛延)
先週の台風21号では、我々メンバーのいる関西・東海地方も大きな被害を受けました。
広範囲で停電や断水などもあり、災害時の困難や日常のありがたさを身に沁みて感じました。
今年は全国各地で災害が続いております。
小さなボランティアグループなので、全ての被災地を訪れることはできませんが、要請やご縁のあったところへ支援活動を続けていきたいと思います。
昨年から計画していました、東北訪問の予定です。
原発被害が残る福島県での活動です。
2018年9月18日(火)
9:30 ~ 12:00 福島県 田村市 NPO法人 ケアステーションゆうとぴあ 事業所
15:00 ~ 17:00 福島県 郡山市 NPO法人 あいえるの会 事業所
活動内容などはまた後日、ご報告いたします。
よろしくお願い致します。
(森川)
はり灸レッド・舟橋寛延です。
今回、2018年3月21日~22日と二日間だけですが、熊本地震の被災地訪問に参加しました。私自身は2回目の熊本入りです。
2016年4月の熊本地震以来、2年目の春を迎える熊本では、今回、御船町と南阿蘇村に伺いました。
そのうち御船町は2016年夏の訪問以来、私個人は2回目になります。2年ほど経つと地震の表面的な爪痕は一訪問者には見つけにくいものです。今回、御船町ではいつも「はり灸レンジャー」を受け入れて下さっている街の食堂での治療でした。多彩な方々が集まる食堂で、濃密な治療と交流ができ嬉しく思います。
治療しながら聞かせてもらう皆さんの話はとても生々しいもので、仮設住宅の暮らしの難しさ、生活復興の歩みの格差などを改めて生の声から感じ取れます。
治療の後、食堂の近所を案内いただいたのですが、古い町並みは情緒にあふれています。御船川のたもとにある街道筋で、かつては物資の集積所として殷賑を極めたことが見て取れます。なまこ壁の街道を歩くと、米問屋の古い建物があり、現役の活版印刷屋があります。 この町の良さを発信していこうという皆さんの声に大きくうなずいたものです。鍼灸治療ボランティアでなくとも、また観光で是非来たい魅力あふれる町ですから。
翌日、熊本市内を北東方面に抜け、南阿蘇に向かいます。映像で皆さんご存知なように 阿蘇大橋の崩落のため国道が途中で規制されていますので、迂回して南阿蘇に入ります。被災地を訪れるたび、いつも思うのですが、こうして実際に車に乗って動き回ることで被災の規模や人々の大変さのいくらかを体で感じることができます。
南阿蘇では大きな高齢者施設での治療で、利用者であるお年寄りとスタッフさんの治療をしっかり行ないました。たとえ施設入居している高齢者でも自分らしい生活をしている姿に敬意を感じました。また、スタッフの皆さんは体調不良でもなかなか体のケアができないようで、私たちの訪問にも意味があったと思えます。
この一帯は巨大なカルデラの真ん中に五つの山々がそびえ、この五座の総称が阿蘇山とのこと。カルデラの南に位置する南阿蘇は水や空気がきれいなこともあり、移住者に人気があるところだそうです。私が治療したなかにも別の土地の出身の方もいました。また、話によると東日本大震災の際、福島第一原発の事故のため、遠くこの南阿蘇まで避難した方もいたとのこと。せっかく放射能から逃れて素晴らしい土地に来たのに、また震災が襲って苦労も多かろうと思いながら耳を傾けました。
今回、2日間の短い滞在でしたが、多くの魅力ある方々と面識を得ることができ、何にも替えがたい財産になりました。私たちボランティアは、どうして幾度も被災地を訪問するのでしょうか?義務感だけでは続かないものです。そこに行けば、日々奮闘している人びとに会えるから行くのだと思います。災害列島日本では、色々な防災計画書がいまも連綿と作り出されています。もちろん一つ一つ意義深い試みであると思いますが、結局は人と人が織りなす関係によってしか、物事は動かないと信じます。被災地で奮闘する人びとの存在こそが私たちボランティアを引き寄せるのです。