第6回東北訪問

【概要】 2012年9月16日(日)~9月20日(木)

 
(南三陸町 被災者宅にて)(登米市 南方仮設住宅)

 今訪問では、初めて登米市南方仮設にて訪問施術。現地で活動されているNPO職員の方々のご協力もあり、過去最高の36人の施術を行なうことができた。
 仮設住宅での生活にもやっと慣れてきたといったお話を聞く反面、深刻な疾病を抱えた方にも遭遇。先の見えない仮設住宅での暮らしに加えた闘病生活で疲れている…という状況は、もしかするとこれから増えてきてしまうのかもしれない。そんな時に、はり灸が体の手助けになることをもっと知ってもらえればと思う。

(清水)

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活動メンバーによる報告

第6回(2012/9/16~20)東北鍼灸ボランティア活動の概要

シルバーウィークを利用して、第6回目の被災地鍼灸ボランティアを行ないました。今回は短期間の訪問でしたが、施術数は今までの中でも最も多く、中身の濃い活動でした。
新しいメンバー、そして新しい場所でも、鍼灸治療を提供することができました。まだまだ被災地では、身体のケアが必要と感じました。今後も細く長くの活動を展開していきたいと思います。
まずは簡単に、活動の概況を報告致します。

【第6回訪問の実施期間】
2012年9月16日(日)~9月20日(木)

【参加者】
舟橋寛延 (サンリ治療院 院長)
清水真奈美 (サンリ治療院 勤務)
吉村早也香 (サンリ治療院 勤務)
吉村美陽子 (看護士・保健師)
木村智美 (鍼灸マッサージ師)
森川真二 (SORA鍼灸院)

【活動記録】
9/16(日)
終日 岐阜より車にて仙台まで移動
9/17(月)
午前 レンタカーとの車2台に分乗し、南三陸町まで移動
午後 登米市 南方仮設にて施術
登米市のボランティア拠点にて、現地職員に施術、宿泊
9/18(火)
午前 南三陸町 入谷福祉型仮設住宅にて施術
午後 南三陸町 現地行政職員、ご家族に施術
仙台に移動、宿泊
9/19(水)
午前 ささえ愛山元にてデイサービス利用者、職員に施術
仙台に移動、宿泊
9/20(木)
被災地障がい者センターみやぎたすけっとにて、打ち合わせ
山元町にて視察

【施術記録】
計 81人(26人)
(まるカッコ内は、再診二回目以上の治療になります)

登米市 南方仮設
計36人(0人)

南三陸町 入谷福祉仮設
計12人(11人)
内訳 現地職員 7人(6人)、入居者 5人(5人)

南三陸町 行政職員
計11人(0人)

関係者、ご家族
計11人(9人)
内訳 現地職員 4人(3人)、職員の家族 4人(3人)

山元町 ささえ愛山元
計11人(9人)
内訳 現地職員 7人(5人)、デイ利用者 2人(2人)、東田仮設 2人(2人)

活動詳細、感想などは、また随時アップしていきます。

(森川)

東北ボランティア

この度は、初めてはり灸レンジャーの活動に参加させていただきました 吉村早也香です。

私は今年の3月からサンリ治療院で勉強させていただいています。

その流れで今回活動のお誘いをいただきました。

まず、今回の活動参加を通して東北がうんと身近なものになりました。

そして印象に残ったのが東北の方々の人柄です。メディアで東北の方々の忍耐力が話題になっていましたが、今回地元の方と直接お話しする中でそれを実感できました。

人間辛いことがあって前に進んでいける生き物だと思うのですが大地震、津波…と次々に非現実的な出来事が起こったとき果たしてどんな風に人間は歩んでいくのか…。そんな被災された方々が様々なことを乗り越えながら今までの生活以上によりよいものを築きあげようと前向きに活動されている姿に感動し心打たれました。

障害者センター職員のOさんのお話を始め、仮設の方々のお話を聞く中で本当に恐ろしい経験をされたんだと改めて強く感じました。

震災が起こって間もない当時、被災はしていないものの私自身とてもつらい思いでしたが、時間が経てばその思いも薄れ日々淡々とした生活を送っている自分に気が付きました。確かにそれが普通といえば普通なのですが、それはなんだか寂しい気がしました。そんな中実際自分自身被災した現場を見て、地元の人との交流の中で”これからも東北を思い続けたい”と思いました。

東北を思い続けること、関心を持ち続けることが今回の震災を風化させない大きな力となることを信じます。

そして、私自身鍼灸師としての未熟さも痛感することができとても大切な機会となりました。

患者さんへの声かけもまだまだで、最大限の自分をもっと高めていかなければと強く思いました。

技能・知識・接し方…治療といっても色んな要素がありそれをクリアしていかなければなりません。

道のりは長いですが、着実に前に進んでいきたいと思います。

被災地に行かせていただいて

初めまして。私はサンリ治療院でスタッフとしてお世話になっている吉村の姉です。予め申し上げます。これから長文がはじまります。読みにくい箇所、わかりにくい言い回しがたくさんあります。大変失礼いたします。

今回、縁あって鍼灸レンジャーのボランティア活動に同行させていただきました。
2か月程前、はじめてお話をいただいたときは、私になにができるだろう、と不安が先走りました。
私は昨年6月まで手術室で3年と3か月看護師として働いておりましたが、手術室での業務で患者さんと関わる機会や時間は、手術に関連するものであったため、自分の看護師としての経験が今回のボランティアにどう生かせるのか想像できなかったのです。しかしせっかくいただいた機会だ、行こう!と決心しました。
そして私は、生き方をみつめなおす時間をいただくことになったのです。

17日の午前中、初めて仮設住宅に行きました。テレビのニュースでみた、仮設住宅です。住んでみえるのは震災の津波で家が流されてしまった方々です。自身の表情が硬くなるのに気づき、気持ちを切り替えて車を降りました。
準備を整えて、白衣を着て、問診票をもとにお一人ずつお話をきいていきました。はじめると同時に当初抱いていた不安は吹き飛びました。
周りの人々を笑わせるキャラクターの方、体の不調について辛そうに話をされる方、様々な方がみえました。楽しい会話に思わず笑ったり、辛そうな部分に手を触れたりしてのどがカラカラになりながら会話をしていたのですが、話の中で「流されてからは…」という言葉を聴く度に「目の前のこの人は、その周りに座っている方は、みんな津波で家を流されたんだ」と辛い気持ちになり、曇った表情を問診票をみるふりをしながら何度か隠しました。

はじめてこんな気持ちになりました。テレビで仮設の様子を見ると大変だなという気持ちが湧き上がりましたが、直接自分がそこへ行って仮設住宅に住んでみえる方とお話をするというのとでは心へのくいこみ度合いは全く違いました。そこにはリアル、現実がありました。自分と同じ、人が、そこにはいました。

岐阜に戻ってから私は、今回訪れた南三陸町、山元町の津波の映像を見ました。そこにはあの「時」がありました。恐ろしい、そして悲しいその「時」がありました。
自分の生活する場所は、人それぞれありますが、自分にとっての「大切なもの」はみんな同じです。
「突然震災で自分が生まれ育ち生活している場所が無くなったら」と想像することはできても、実際に経験した方々と真に共感することは決してできない、と強く感じました。
そこでみえたものは、自分がいかにうわべだけで震災をとらえていたか、ということです。
震災が起こったあの時、私は当時住んでいた長野県松本市で手術室にいました。ぐらぐらと揺れる手術室で「こんなに揺れてる、どこかで大変な被害がでていないだろうか」と思っていました。
約40分後、休憩室で津波が田畑を突き進んでいる中継映像が流れていました。別の中継場所の映像では粉々になった家々が巨大な水たまりの中に浮かんでいました。すでに津波が押しよせて水没している町の様子でした。「ここにいた人たちはどうなってしまったのだろう」―今までみたことのない光景を混乱した状態で見ていました。その日の夕食は外食でしたが、暗い気持ちで食べました。自分が住んでいる町はいつもと変わりなく在り、食事も普通にでてくる。昼間みた映像が頭を離れず、普通でいられる自分を申し訳なく感じていました。
自分になにができるだろう、見つけた答えは「自分の仕事をしっかりやろう、感謝のきもちとともに生活を送ろう」でした。新たな決心とともに歩み始めました。
でも、日々様々なことがあり、そうは思えない時間もありました。そして震災のことを思いだす機会もほとんど無くなりました。

そんな私が宮城県に行かせていただいていました。
現地へ行き、家の土台だけが残る南三陸町、山元町を見ました。南三陸町は、南三陸町で生まれ育ち現在は仮設住宅に住んでおられるOさんに案内していただきました。「ここにもたくさん家があったんです」「あそこに(私の)家があったんです」「ここで津波が止まったんです」…私はただただ目の前に広がるなにもない景色と過去に家々が町があったという現実を想像してそして、人々と出会いました。私は自分を振り返る機会とこれからどうありたいか考える時間をいただきました。

得た学びは、「関心から行動が生まれる」というものでした。
ある出来事・問題があるとして、それに関心がない場合は、その人にとってその出来事・問題は無いも同然。
関心があれば、遠い場所のことでもまるで自分に起きていることのように感じ、それに関して興味をもち調べるという行動をとる。
私は今回東北へ行かせていただいたことで後者の立場をとっていました。

震災に関連する様々な問題について調べ、自分の考え、意見をもとうと思います。
自分がそうあることで、自分に関わりある人にそれを伝え、関心の輪を深め広げることができると思います。
より多くの目が東北に向くことで、関連するさまざまな問題に関してより血の通った解決策が選択されるようになるのではないかと思います。

~心に残ったこと~
震災で自分の住む町が津波被害を受け、家を失い、仮設住宅で生活を送っている方々の中に、癌の療養中の方がみえました。仮設に住んでいらっしゃる方々は皆、仕事や健康など様々な問題を抱えており、そのひとつひとつに優劣などつけられるものではありませんが、非常に負担を抱えている方々がいるという事実を知りました。一人一人抱える事情は違い、平等な対応ではとても対応しきれない状況が現実にあり、より丁寧な対応が必要であると感じました。
はたからでは知りえない深刻な問題を抱える人を、いかに孤立させないようにできるか。私はその答えの一つを、今回のボランティアを通してみつけられた気がします。
鍼灸治療を受けるということは、他人に体に触れられるということですが、体に触れるというのは「外界とのつながりを感じる一つの手段」であると思います。そして言葉とは違う種類の安心感をもたらします。
病気を抱える人は、とても孤独です。苦しみは自分のものであり、どんなに身近な人が心から心配し寄り添っても、実際に苦痛を受けるのはその人だからです。癌の身体をもつのは自分自身でありその身体的苦痛は他者と分け合うことはできません。
それでも苦痛を抱えていると知ってくれている人がいるというのは苦痛の闇を照らす光となりその孤独を和らげるのではないでしょうか。
話をしましょうというとなかなか身構えてしまうのに、なぜ鍼灸治療を受ける中で自然と言葉がでてくるのか。それは体に触れられることで外界とのつながりを無意識のうちに感じながら、鍼灸治療により苦痛が軽減されたり緊張がほぐれたり気持ちがいいという経験をすることで、心の緊張がほぐれるからでしょう。鍼灸治療は、癌を抱えている精神的不安を軽減する力ももっていると感じます。

被災された方々は、自分の生活してきた場所を失い、大きな生活環境の変化を強いられました。震災前は身体の不調はなかったが震災後の環境の変化で体調を崩される方々が多くみえました。
その中で、持病を抱えてみえる方々の負担はより深刻となります。
患者の状態をわかっているのは家族などの身近な人や、治療の場である病院の医療従事者です。しかし患者を支えることができる立場のその人自身も被災者であるため、環境の変化に伴う様々な精神的負担、不安があり、患者とその家族をとりまく状況はより過酷であろうと思います。
私は母親に癌がみつかり、亡くなるまでそばで身の回りの介助をしてきました。大切な人が苦しむのをそばでみている悲しみは筆舌しがたいものでした。
家族にとっての安寧は、癌を患う家族の苦痛が和らぐこと。
鍼灸の治療により、患者本人も、その家族も、心と身体が癒されたのではないかと思います。

長くなりましたが、最後に今回東北でお世話になった皆様、出会えた皆様に心から感謝を申しあげます。
今回の経験のおかげで、心に大きな宝物をいただきました。自分の中で大切にしたいこと、これからやり続けたいことがみつけられました。遠くはなれていても、心は東北に向いています。自分が変わりここからはじまる、そんな確信で今心が満たされています。今回の経験をいかし、私は行動します。

そしてこんな自分になれたのもすべて鍼灸レンジャーのみなさんと行かせていただけたおかげです。本当に幸せです。ありがとうございました。
次回もお邪魔でなければ是非参加させてください。また会える日を楽しみに、日々自分にできることをやり続けます。

活動を通して感じた変化

はり灸レンジャ- イエロー清水です。

今回は震災からは1年半経過という節目の時期での訪問となりました。
また、個人的には初めてはり灸レンジャーに参加してから丸1年経っているという事もありいろんな変化を感じました。

ひとつはやはり被災地の皆さんの生活の変化。
一年前訪問時は仮設住宅に入居したばかりの方が多く、あまりにも変わってしまった生活に精一杯…という印象を受けました。
お体も、震災で負った怪我やその後の状況の変化によって生じた負調がまだまだ残っていた事を覚えています。

今回お会いした方たちは仮設住宅での生活にもある程度慣れてきたご様子でした。
それでも、今までと全く違う生活環境や人間関係の中にいることには変わりはなく
「動かなくなって、体が萎えてきた」
「お隣とあまりに(家が)近すぎて気疲れしてしまう」
など、現在の生活に対しての悩みや不調の訴えを多く伺いました。
また、慣れてきたからこそ「今まで意識が向かなかった体の変調や小さな疲れを感じるようになってきた」のではと思います。
まだまだ被災された方の帰還、生活の再建には時間がかかると言われています。これからも続く、仮設住宅での生活をどう乗りきっていくかが大変なのだと思います。

はり灸師は、人々の生活に密着した仕事です。
長丁場になるであろう現在の生活の中の不安や、体の不調への不安に少しでも寄り添い耳を傾けていくことが、私達はり灸レンジャーが、これからできる事ではないかと思いました。

嬉しい変化もありました。
今回はレンジャーとしては6回目の訪問。
いくつか再訪させて頂いた仮設住宅の皆様のお体を再び治療し、経過を伺うことが出来ました。
皆さん治療をスムーズに受けてくださり、「はり灸はこわくなかった」「前回受けたら体が楽だった」など
と治療後の感想を聞くことが出来ました。
また初訪問時には遠慮されていたスタッフの方達が「今回は治療楽しみにしていました」
と言って下さり、治療を行うことが出来たことも、嬉しい変化の一つです。
これも一度きりの活動ではなく、レンジャーの皆が活動を続け、今まで関係を築いてきたからこその変化ではと思っています。
『はり灸を知ってもらう、体のメンテナンスの一つとしてとして取り入れて頂くきっかけとする』
というレンジャーの活動結果を実感できた今回の訪問でした。

初めての被災地訪問

今回、はり灸レンジャーの活動に初めて同行させて頂きました木村智美と申します。
私は、9月17日(登米市)と18日(南三陸町)の活動に参加しました。

登米市では、被災地障がい者センター・南三陸の方々に大変お世話になりました。施術先へ向け車での移動中には、職員さんがご自身の体験を惜しみなく話して下さいました。被災された状況、避難所生活、自衛隊員への感謝…現仮設住宅での生活、今後の課題。
色々伺った中で、これはやっておこうと思った事があります。「もしもの場合を想定しての家族間の話し合いを、何も起きていない時から決めておいた方が良いです。」家族や親戚に、いざという時にはどこの避難所に行く…とか、その避難所が危なければこちらに行く…等、停電で連絡が途絶えてもあらかじめ把握できる為だそうです。私が住む飛騨高山では、平成16年には台風23号により一部に被害が出ました。身近に災害が発生してなお、自宅が巻き込まれる事を想定していませんでした。家族間の話し合いは難しくないと思うので、宜しければブログを読まれた方も参考にして下さい。

活動の感想ですが、ボランティアと聞くと、何だか人の役に立てるように思っていたのですが、実際に自分が活動して思ったのは、日頃の行いがそのまま出てしまうという事でした。当然だと思われるかもしれませんが、これは結構身にしみて感じました。テレビや新聞の報道と違い、施術を受けて下さる方の言葉は聞き流すことができません。自身の言動が軽率だったと反省する部分もあります。でも、実際に暮らす人々と言葉を交わせたからこそ、己の未熟さを知る事ができたのだと思います。
仮設住宅は狭く行動範囲は限られますが、地域で健康体操が実施されているようですし、個人的に近所を散歩したりと運動を心掛けている方もおり、健康への意識を垣間見る事ができました。むしろこちらの方が見習わなくては!と思う場面もありました。現地で関わらせて頂いた方々に深く御礼申し上げます。
施術は自分なりに精一杯頑張りましたが、内心、短時間で結果を出すのは難しいと思った場面では、先輩レンジャーがフォローして下さり、非常に心強かったです。有資格者として、まだまだ力不足だと痛感しました。気付いた事は今後、意識して改善に努めます。
集会所の隣にグラウンドが作られ、子供達が元気に遊ぶ姿に心が和みました。子供達の笑顔で、地域を明るく照らして欲しいと思います。

私は昨年度、反応点治療研究会の勉強会に参加していました。その時にご指導下さった舟橋寛延先生が、かつて阪神淡路大震災でボランティア活動をされたとの事でしたので、東日本大震災の直後は、活動経験のある舟橋先生に「私も何かしたい」と話していました。でも、いざはり灸レンジャーの活動が始まってみると、活動日が子供達の園行事や仕事の都合と重なり、参加を見送ってきました。
今年度は更に役が増え、反応点治療の勉強会にも行かなくなり、今更私に出番はないだろうと思っていたのですが、そんな私の気持ちを察したのでしょうか、今年7月に舟橋先生とお会いした際、どうすれば今回第6回目の活動に参加できるか、細かな助言まで頂きました。今回も子供の行事予定と重なっており、メールで情報を頂いた時は、スケジュール帳と照らし合わせて、半ば参加を諦めていたのですが、実際の会話での相手の言葉というのは背中を押してくれるものですね。その後、自分が本当にやりたい事を熱意を持って家族に打ち明け、今回ようやく家族が留守中の子供の世話を、行事も含めて引き受けてくれました。
家族を説得する際には、これまでに出会った多くの方々の言葉も私を支えてくれました。
震災から1年半が経つ中で、実際に現地に足を運んだ方から伺った被災地の現状、中にはボランティアへの心構えを説いて下さった方もいます。先輩レンジャーの活動記録も励みになりました。自分の行動を最終決定するのは自分ですが、自他共に認めるマイペースな私が動けたのは、皆様のお力添えのおかげです。本当にありがとうございました。

木村智美

身近になった東北

はり灸ブルーの森川です。今回で5回目(グループとしては6回目)の被災地ボランティア。これだけくり返し行くと、距離は遠く離れていますが、とても身近に感じるようになります。

9/16(日) 芦屋→仙台
治療院でいつも通り終日治療を済ませて、大阪に。大阪⇒仙台の高速バスに飛び乗り、あとは運転手さん任せです。準備も手馴れたもので、仕事終わりに「ちょっと東北まで」という気分です。

9/17(月) 登米市
早朝に仙台着。去年は現地で長袖を買い足すほどだったのが、こちら関西と同じく、半袖1枚で過ごせました。東北地方も、記録的な残暑が続いているようです。
朝一でレンタカーを借りて、前日仙台入りしているメンバーとも合流。わきあいあいと南三陸町へ。お世話になる被災地障がい者センター南三陸の職員さんの先導で、今回はじめての南方仮設に向かいます。
南方仮設は、登米(とめ)市というやや内陸部にあって、約300世帯、南三陸町で家を失った被災者のかたが入居されています。南三陸町と言えば沿岸部にあり、よく聞く志津川など、壊滅的な被害を受けた地域です。入居者のほとんどの方が、大切なもの、大切な人を失っています。お話を伺いして、言葉が返せないこともしばしば。ただただ、お話に耳を傾け、鍼とお灸に手を動かします。気の利いた言葉をかけれなくとも、治療後の楽になった笑顔に、ほっとします。面と向かって話しを聞くことは難しいですが、身体を触れる内に、自然と言葉が出てきます。
よく心のケアといいますが、具体的に何ができるのか? それは人にどうこうされるものではなく、自ら乗り越えていくものだと思います。
では、私たちにできることは? まずは、そこにある痛みや身体の不調をとることでしょう。身体の不調が、精神に影響することは知られています。人の心を変えることは難しいかもしれませんが、身体を変えることは私たちの得意とするところです。鍼灸治療に即効性があるところも、利点の一つです。
その後、事務所に帰って、職員さんの治療。被災者を一番身近で支えられるのも、被災者です。意識して休むようにしても、中々休まらない、疲れがとれないとも言われます。本当に問題は山積みといった感じです。まだまだ支援が必要な段階だと思いました。
よくボランティアの引き時というのを聞きますが、まだまだでしょう。無償のボランティアが、現地の同業者の邪魔をしたり、自立を妨げたりとも言いますが、鍼灸治療にいたっては、元々現地で浸透していません。はじめて鍼灸治療を受けられる方がほとんどです(被災地に限らないでしょうが)。そして、無料というのもあるかもしれませんが、その良さに大変喜ばれます。ローラー鍼、簡易灸などのセルフケアを活用すれば、自分でも、つらさを和らげることはできます。もっと鍼灸治療が広まれば、救われる人も増えることでしょう。

9/18(火) 南三陸町
午前中の活動場所は、もう4度目の訪問になる入谷福祉仮設住宅です。名前の通り、一般の仮設住宅ではなく、介助の必要な入居者さんが暮らされています。そのため、身体的にも、より重度の方もおられます。一回の鍼灸治療では限界も感じ、もどかしいところもあります。
また、ここにも被災者を支える被災職員さんがおられます。お年寄りの方は私たちのことを忘れていることも多いのですが、職員さんは覚えて下さっていて、心待ちにしている方もおられ、嬉しい限りです。
その後、ここもおなじみ南三陸さんさん商店街で、南三陸復興ステーション研究員の山内明美さんとそのお仲間の方と昼食。わずかな時間でしたが、実際の現場の方が直面している問題や苦悩を垣間見させていただきました。それは、被災地に限らず、私たちの身の回りにも言えることでした。
午後は、南三陸町の保健医療の最前線で活躍されてきた方々を治療。比較的時間にも余裕があり、じっくり治療もできました。元々健康に対する意識も高く、鍼灸治療に対しても、好意的な方が多かったです。セルフケアのポイントにも力が入ります。これをきっかけに、この鍼灸治療が、南三陸町で広く伝わらないかなんて思いもわきました。これからは、外部から来たボランティアによるものではなく、被災した人たち自身により行なわれる復興にシフトしていかねばなりません。

9/19(水) 山元町
今回最後の活動も、もうなじみの場所で、山元町のデイサービスささえ愛山元です。今までの訪問も水曜日が多く、今回も水曜で同じ顔ぶれの利用者さんたちでした。また、この鍼灸治療を楽しみにして、近くの仮設住宅から来られた方もいました。ここでも、身近に鍼灸治療を提供する場がもっとあればなと、切に思います。
この場所は、海岸に近い農村地帯で、回りのものが全てといっても過言ではないほど流されています。頑丈な建物や、それに守られた看板だけがポツンとそびえ立っているのが、よりその津波の猛威を感じさせます。都市部に比べ元々人口は少ないため、被害もそれほど知られていないように思いますが、実際に現地に行くとその報道の偏りも感じます。
そして今回も治療の後に、周辺を見て回ったのですが、線路や、道路も変わらず、そのままといったところがほとんどでした。雑草だけが、成長しているといった感じです。1年半たっても、ここまでかという思いもありましたが、ただ今までになく、トラックが行き交ってはいました。次に来るときは、変わった風景が見られるのかなという思いで、今回の活動を終えました。

被災地に行くたびに、多くの出会いや、経験をして帰ってきます。このご縁を大切に、これからも自分達にできることをずっと続けていきたいと思います。