二年の月日

こんにちは。はり灸レンジャーピンク竹原です。

はりきゅうレンジャーの活動も8回を迎え、
東北に親戚ができたような気持ちで活動報告を見ています。
私自身はレンジャーの活動がきっかけで結婚し、今年2月に娘を授かりました。
最初の訪問から2年、あの時はいなかった娘の成長に東北が切り離せなくなっています。
たのもしい熱い隊員も増えて隊員との交流も楽しみになりました。

子育てのため、現地での活動には参加できていませんが、
メンバーから様子を聞いて、現地の方々を思います。
いつか報告もかねて家族で訪ねたいと思います。

被災地にもしあわせな変化がたくさん起こっていますように。

第18共徳丸解体決まる

こんにちは。岐阜の吉村美陽子です。

今回の活動中、現地職員さんに震災関連で見ておいたほうがよい場所についておききしたところ、気仙沼漁港から約750m内陸に打ち上げられた漁船「第18共徳丸」を見に行くことになりました。
その共徳丸が解体されることが決定したという記事が、朝日新聞(3/26 33面)にありました。

3月17日、ボランティア治療後に、気仙沼へ。
はっきりとした場所はわからなかったのですが、教えていただいた道で目的地周辺に着くと「行ったら船がどーんと見えてくる」という言葉通りすぐに見つけることができました。

南三陸町の防災庁舎のように、献花台が設けられ、手を合わせていらっしゃる方もみえました。

「震災遺構」という言葉を、私は東日本大震災で初めて知りました。
残そうという考えと、壊してほしいという考えを知りました。
そして、震災遺構に関する記事で大変印象的だったのが、昨年の河北新報の記事でした。

東北再生明日への針路
震災遺構と鎮魂/保存か解体か 揺れる住民

広島の原爆ドームについて、心の整理に50年かかったという男性は、半世紀後には残してよかったと思うだろうと語っています。

気持ちの整理に50年。
大変な葛藤があるということが想像されます。
自分の自宅を失ったり、かかわりのある人を亡くしている人にとって、震災遺構はいつまでも震災の辛い記憶を掘り起こされるものでしかない。
少なくとも、この記事の男性は50年かかっています。

第18共徳丸や、南三陸町の防災庁舎などの遺構物を実際に見た私は
「こんな高さまで津波がきたのか」「ここまでこの船がきたのか」と思いました。

その場所で、それを見ることで感じることがありました。
「感じられる」それが、震災遺構の大きな意義だと思います。
ただ、見るものに感じさせる力をもつ震災遺構は、心をえぐられるような気持ちを思い起こさせるほどの力をも持つことも事実です。

津波の爪痕は、現在宮城に行くと感じることができます。
しかしだんだんと消えていくでしょう。
そして、時間とともに、世代交代とともに、人々の記憶から消えていく。

なぜ、保存を求める声があるのか。
それは、どんなにつらい経験を思い出すものであれど、大切なものを失った人々の声をきかせてくれるものであるから。
そして、時がたっても、その姿は亡き人々の声を聞かせてくれるものだから。
震災を目の当たりにした我々が、時とともにいなくなっても残すことができるもののひとつが、震災遺構です。

震災は今まで何度も起こってきました。そして震災により人々が得た教訓がさまざまな決まりとなって実行されてきました。
2年前、震災を報道で目にした私は、震災を教訓にしてなにかをしたかといえば、防災グッズを用意したくらいですが、震災を教訓にした行動だといえます。

震災を、ただのできごとにしたくない。
たくさんの方が亡くなった震災を、遠い場所のことと思わず、自分にできることはなんだろうかと考え実行したい。
人々の命や、被災された人々の経験を無駄にしたくない、活かしたい。
被災地を思うことから、すべてがはじまると思います。

今回、共徳丸を所有する儀助漁業の社長が「後世のことより、今を生きる人たちの心境を考えて決めた」と話したというのを新聞で読みました(3.26 朝日新聞 33面)。

震災遺構がもたらす後世に生きる人々へのメッセージは、その命をつなぐ人々により絶たれようとしています。
でも、そうせざるをえない感情があることも理解する必要がある。

自然の中で生きている我々が運命を共にする自然災害。
それは、発展、発達していく世界に、私たちは自然の中で生きている、ということをよく教えてくれているように感じます。
自然から受けている様々な恩恵がある。
自然災害を過度に恐れる必要はないけれど、自然の中で生きていることをよく心得ておくことは必要でしょう。
直接被災していない人々、そして、未来に生きる人々がその心得を得るためにも、震災遺構は力を発揮するのだと思います。
震災遺構を考えることは、自然と人間との関係を考えることにもつながるなと感じました。

震災遺構は、見る者に強いメッセージを与えてくれます。
その強いメッセージ性をある存在を残したい。
なぜなら、今生きている人全てが、震災を教訓にして生きているわけではないから。
人は忘れるから。自分に関係のないことはなおさらです。震災をテレビの報道で見た人はたくさんいましたが、どれだけの人が、今、震災後の東北に関心を持ち、行動しているか。
私自身が感じたギャップを、多くの人は実感できていないだろうと思います。いえ、実感できないのだと思います。
ひとりひとりが震災を教訓とし行動したり、震災を経験していない後世に語りつぎ続けることが大切ですし、実際に様々な活動がされています。
震災遺構と、一人ひとりの行動が伴うといいけれども、震災遺構を残すことも、一人ひとりの行動も、簡単ではありません。

でも、震災を見た我々は、行動できる立場にあるということを感じます。
私にできることをやっていきたいです。
 

少しずつ変化する被災地

はり灸レンジャー・レッド舟橋です。

3月に宮城県山元町を訪問したおりのことです。
ここ山元町にある福祉法人の「ささえ愛 山元」さんと縁ができ、せっせと通っているわけですが、少しずつ変化も出てきました。

もともと地域のお年寄りのデイサービスなどを展開していたそうですが、津波で大きな被害をこうむった施設の一つです。

職員さんも亡くなっていますし、理事長の旦那さんも帰らぬ人となりました。

そんななか、「ささえ愛」さんは3.11後、いち早く活動を再開しました。
中村理事長は職員を鼓舞しつつ、地域にお年寄りが戻ってこられるようデイサービスを始めたのです。
ちょうど私たち「はり灸レンジャー」の2回目の訪問のころ、あれは2011年9月でしたか、まさにその頃にデイサービスを再開していました。

その後、私たちが何度かお邪魔しているのですが、鍼灸治療を心待ちにして下さっているのがAさんご夫婦です。
震災前から鍼灸治療をしょっちゅう受けておられ、鍼灸がもともとお好きなのですね。
(かつて通っていた鍼灸接骨院?も津波で流されたのか、営業していないようだ、とのこと)

脳血管障害により不自由のある奥さんを、これまた疾患を抱えるご主人がお世話をしています。
狭い仮設住宅のなかで、ご主人がいろいろ工夫して、奥さんが動きやすい環境を作っていたのが印象的でした。

私たちの訪問を毎回楽しみにして下さっているAさんご夫婦ですが、最近、近場で鍼灸治療を受けられるようになったそうです。
近場といっても、いまお住まいの仮設住宅はもともとの街の中心からは離れた丘にあります。
生活に便利な平地は危険区域指定があり、住めません。

幸いご主人はまだ車の運転ができるので奥さんを乗せて通院しているそうです。
「ささえ愛」の職員さんが電話して下さったところ、ちょうど私たちが訪問した日は、午前中すでに鍼灸治療を受けたよ、とのことで、またの機会にね、となりました。

Aさんに会えなかったのは残念ですが、普段の生活のなかで希望する鍼灸が受けられるようになったのは大変よろこばしいことです。
ボランティアというのは外人部隊のような存在ですから、いつも支えられる訳ではありません。
少しずつでも被災地が変わり、現地の方々にとって住みよくなっていくことを切望しています。

(2013年4月15日 記)
 

3年目

 東日本大震災から2年が経ちました。報道を見る限りでは、被災地の復興は思うように進んでいないでしょう。まだまだ皆さんの協力も必要です。

 被災地から離れた私たちができることとしては、被災地のことに想いを寄せ続け、またその教訓を活かしていくこと。そして、想うだけではなく、何か行動に移していくことです。今の自分たちにできることを。今、行なわなければ、後悔することがあることも、突然の津波に襲われた被災地の方々に教えていただきました。今を大切に感謝して生きることも、その一つです。

 はり灸レンジャーのメンバーも、この今週末、また現地へ向かいます。3年目の被災地で、何かできることを実行していきます。

(森川)

18年

 今日は、阪神大震災からちょうど18年。ここ神戸では、各地で追悼の行事が開かれています。東北大震災の被災者の方も多く参加されているようです。神戸の東遊園地では、二つの大地震の発生時刻、5時46分と、午後2時46分に黙祷がささげられました。

 あれだけ多くの人が犠牲になり大変な思いをしていながらも、時が経つと、忘れられていきます。悲しいことや、つらいことは、早く忘れたい思いもありますが、忘れられない、忘れたくない思いもあります。忘れてはいけない教訓もあります。

 あの日を思い出して、今の生活のありがたさや、防災の大切さを改めて確認していきたいです。そして知らない人に、それを伝えていけたらと思います。

(2013年1月17日 森川)

被災地の風景

昨晩は東北で大きな地震がありました。
地震速報は全国に伝わるので、遠く離れていても、被災地のことが心配になります。

今年も一年を振り返るような時期になってきました。
昨年は地震のあった年ということで、被災地の報道も多かったと思います。
年をまたいで、今年はめっきり少なくなってしまいました。

でも、被災地の復興は、まだまだ現在進行中です。
今も寒い仮設住宅での暮らしも続いています。
つらい思いをされている方も。

報道されなくなったからといって、忘れてはいけません。
津波のことも、原発のことも。

今の被災地の風景が紹介されています。
まだまだ外の人の力が必要です。
  ↓
南三陸町の風景

(森川)

支える人を支える団体を支える企業

 はり灸レンジャーは、赤い羽根の共同募金より活動費を助成いただいております。その財源は、「災害ボランティア・NPO活動サポート募金」(ボラサポ)という、全国の皆さんの支援金より成り立っています。支える人を支える募金です。

 そのボラサポを、さらに支援する企業もあります。そのひとつが、ソフトバンクの行なっている「チャリティホワイト」。ソフトバンク携帯利用者が、基本使用料に10円プラスすることで、ソフトバンクも10円プラスした計20円を、東北の子供たちへの支援活動に毎月寄付するというもの。しかもソフトバンク携帯から「*3710」にダイヤルするだけで申し込みできます。

 一人1ヶ月でたった10円ですが、チリも積もれば山となり、継続は力なりです。一人ひとりと一企業の継続した支援が、大きなものになっています。

 ソフトバンク携帯をお使いで関心のある方は是非
    ↓
 チャリティホワイト

被災地で頑張っている方に直接支援を!

私たち、はり灸レンジャーは、被災地の行政機関やNPO団体と連携して活動を行なっています。その中の一つ、被災地障がい者センター南三陸の職員の方々には、南三陸での活動においてとてもお世話になっております。

 元々、この南三陸町には、障がい者の福祉拠点はありませんでした。それがこの震災を機に、被災地障がい者センター県北支部として、登米市に今ある事務局が設立されました。そしてこれからも、地域の障がい者の自立支援をすすめていこうと、現地職員の方々が中心となって、新たな南三陸での活動拠点の建設をすすめておられます。職員さんも被災者です。つらい経験をされながらも、復興のため頑張られています。そんな南三陸地域の福祉のためにご支援してくださる方、是非ご協力お願い致します。詳しくは、下記ブログよりご確認いただけます。
  ↓
被災地障がい者センター南三陸 ブログ

 また、そこをバックアップしているNPO法人ゆめ風基金も、救援金を募集しております。阪神淡路大震災を機に自然災害の被災障がい者を支援しつづけている団体です。全国の障がい者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の方々が呼びかけ人として参加されています。

NPO法人 ゆめ風基金
障害者救援金 送り先
郵便振替口座 00980-7-40043 ゆめかぜ基金

 災害復興税の使い道が問題視されています。被災地で困っている人のために直接、支援されてはいかがでしょうか?

(森川)

東北で見つけた課題

はり灸レンジャー 吉村です。

先日はり灸レンジャーとして初参加しましたが、一人の患者さんをトータルで診るということを今回初めてさせていただきました。
はじめの問診で色んな症状を訴える方、言葉数の少ない方、いろんな方がいらっしゃいました。
短時間での治療でどれだけのことができるのか。主訴は肩であっても、明らかにこれは呼吸器からきていると思う場合は喉や肺の反応点を優先したいのですが、その説明がわかりにくい説明になってしまったり…。
しっかり自信を持って説明できているのか不安なまま治療をしている自分がいました。
自分の勉強不足さを痛感しました。なかなか一遍にはできませんが、日々の積み重ねによって知識は蓄積されていくものなので、”気になったらまず調べる癖”をつける必要性を感じました。
そして、分からないなりになにかもっとうまく表現する方法があったのではないか?と考えました。
もっとわかりやすい表現をする訓練が必要です。
もし自分が患者さんの立場だったら結構不安になるような声かけだったのではないかと反省しました。
治療で少しでも楽になってもらえるような要素は鍼灸技術だけでなく会話もとても大きなポイントを占めています。
心と身体は切り離せるものではないので、鍼灸治療をするうえでいかに今回会話も大切かということを改めて感じました。
治療をしていて感じたのは、自分のある程度得意分野な症状にはスムーズに治療ができたように感じます。
自分自身興味がある分野だと知識を入れているので患者さんの疑問にも自分なりのコメントができたり、生活指導もできたりと、リードすることができます。
こういう流れは治療において非常に大切で、このような治療ができるように今の自分に足りないのは第一に知識だと感じたので出会った患者さんの主訴、まずはイメージのしやすい疾患から頭に入れていきたいと思いました。
当たり前の話ではありますが、それを着実に積み上げることが今できることなので根気よく続けていきたいです。

数字に表れるもの

はり灸レッドこと舟橋です。

9月の第6回訪問から帰宅し、岐阜での日常業務にもどるなか、フェイスブックで知ったこの記事を読み、う~んとうなりました。
  ↓
焦点/岩手、宮城、福島3県 障害者1655人犠牲

この記事は南三陸で活動されている「被災地障がい者センター南三陸」のスタッフの方から教えていただいたのですが、簡単にいうと地震・津波による死亡率が、健常者に比べて障がい者は平均して2倍だと報告されています。

特に私たちが訪問している宮城県南三陸町では、障害手帳を持っている方は、その他の方の3.7倍の割合で亡くなっていることが分かります。
これはかなりシビアな数字です。

障害手帳を持っている方は同時に高齢者であるのが地方の特徴であるようです。
記事によると、南三陸町の場合、特別養護老人ホームが流されたとことも数字を押し上げているそうです。
しかし、125人とは・・・おそらく在宅の方々も相当数いらっしゃったのではないでしょうか?

阪神淡路大震災の時の数字で覚えているのは、日本人にくらべて外国人の死亡率が高かったことです。
国籍でいうとアメリカ人などを例外にして、のきなみ日本人より多い比率で亡くなっていて、住宅環境の差であろうと推測されていました。

数字から推測できることとして、いざという時に逃げ遅れた方がいただろうこと、施設など集住していた場合ひとたまりにもなかっただろうこと。
ソフト面、ハード面の両方から原因が考えられます。

さらにこの記事の末尾に、今後の対策に関して、
集団移転などによる新たな居住地が見通せず、「避難対策を具体的に検討できる段階でない」(南三陸町)
というコメントがあります。

南三陸町に何度も足を運んでいる者として、現状がよくわかるだけに何とも言えない思いです。

障害をもっている人が豊かに安心して暮らせる社会を志向するうえで課題は山積されています。

(はり灸レンジャー レッド 舟橋)

 

(リンクが切れると新聞記事は読めなくなりますので、下記に本文を添付します)

焦点/岩手、宮城、福島3県 障害者1655人犠牲

障害者手帳所持者の死者数と死亡率

 岩手、宮城、福島3県で障害者手帳所持者1655人が東日本大震災の犠牲となったことが、各県の調査などで分かった。障害者手帳の所持者全体に占める死亡率は1.5%で、全住民の死亡率(0.8%)の2倍近くに及んだ。災害時に障害者を社会でどう支えるのか、重い課題が浮き彫りになった。(門田一徳、西村悠里)

◎手帳所持者死亡率1.5%、全住民の2倍

<宮城最多1103人>
 3県の7日までの調査を基に集計した。障害者手帳所持者が犠牲になったのは沿岸37市町村のうち31市町村=表=。死亡率は家屋倒壊や津波など震災が直接要因となった人数から算出。福島県の全住民の死亡率は、直接死と震災関連死を合わせた人数を基にした。
 県別の手帳所持者の犠牲者数は、宮城が1103人と突出し、岩手は436人、福島は116人。死亡率は岩手が3.3%(全住民死亡率2.2%)で、宮城1.6%(同0.6%)、福島0.4%(同0.5%)だった。
 被害の大きかった宮城を障害別にみると、肢体不自由519人、聴覚障害75人、視覚障害69人など身体障害が県全体の約9割を占めた。知的障害は62人、精神障害は65人だった。
 市町村別で、犠牲者が最も多かったのは石巻市の397人。次いで気仙沼市の137人、宮城県南三陸町125人、陸前高田市123人の順だった。
 死亡率が10%を超えたのは15.6%の宮城県女川町と12.6%の南三陸町の2町。全住民の死亡率と比較すると女川町(5.7%)は2.7倍、南三陸町(3.4%)は3.7倍に達した。
 女川町は「犠牲者の多くは在宅の障害者」と推測する。南三陸町は「津波被害に遭った特別養護老人ホームで多くの高齢者が亡くなり、障害者の死亡率を押し上げた」と説明する。
 被災自治体では、集団移転などによる新たな居住地が見通せず、「避難対策を具体的に検討できる段階でない」(南三陸町)という。

<自主的に対策>
 重度の障害者を在宅介護する家族や医師の中には、自主的に防災対策を検討する動きも出ている。仙台市泉区で7日にあった「障がいのある子どもたちの防災勉強会」には、在宅介護する家族や医療、福祉関係者ら約60人が参加した。
 勉強会を呼び掛けた宮城県拓桃医療療育センター(仙台市太白区)の田中総一郎医師は、地域の避難訓練を障害者や高齢者を交え日常的に実施していた石巻市牡鹿地区で、要援護者の犠牲が少なかったことを報告した。
 その上で「地域の避難訓練に加わることで、どこにどのような障害のある人がいるのか地域に認知される。勇気が要ることかもしれないが、ぜひ参加してほしい」と呼び掛けた。

2012年09月24日月曜日 (河北新報)