今回、仙台市にある長町仮設と、南三陸町での鍼灸ボランティア活動に参加し、多くの方の施術を行うことができました。その中で、特に印象的だった方がいます。
その方は、鍼灸を受けたことがないため最初は治療を遠慮されていましたが、お仲間の勧めでしぶしぶベッドに上がりました。主訴は「右腕がうまく伸ばせない」。右上腕~前腕まで屈筋群の緊張が強く、腕を曲げているのが楽なため、日常的に曲げる姿勢ばかりをとっていたら伸ばせなくなったとのこと。反応は、上肢はもちろんのこと、大胸筋や僧帽筋などにも広く出ており、ローラー鍼を駆使しての施術となりました。
筋肉だけでなく、咽や気管支にも強い反応。また顔全体が浮腫み、眼瞼が赤く腫れていることが気になり、アレルギーか何かかと尋ねたところ、思いがけない答えが返ってきました。
「涙が止まらない。津波が来た直後は泣けなかったのに、最近になってふとした拍子に悲しみがこみ上げて止まらなくなる」と。
何度も泣いて。常に瞼をこすってしまうため腫れており、お顔も浮腫んでしまう。よく見れば、涙の乾いた跡がお顔に残っていました。
目、内耳、咽のリンパの反応点を、時間いっぱいかけて刺激しました。
治療後、ひとまず反応は解消。少しすっきりしたお顔になったことが、せめてもの救いでした。
震災から半年。
仮設とはいえ生活が落ち着きだした被災地の方々のなかには、地震酔いや めまいの症状に加え、精神不安定を訴える方が多くいます。(今回も愁訴として訴える方が多くいました。)そういう方たちの耳周りには、反応が顕著に表れています。様々な精神的な負担に加え、いまだ起こり続けている地震や地盤の歪みなどが内耳への悪影響に拍車をかけ、さらに心のバランスを乱しているのかもしれません。
喪われた方々への悲しみや今後の生活への不安などは、私たちにはどうすることもできません。けれど、それらを乗り越えるための体作りのお手伝いは、私たち鍼灸師にこそできることであり、反応点治療が得意とするところでもあると思います。
長丁場になるといわれている今回の被災地の復興。
微力ながら、今回お配りしたローラー鍼でのケアが被災者のみなさんの心と体の健康を支えてくれるよう、願ってやみません。
清水真奈美
被災者の健康を脅かす要因に、精神的な不安やストレス、衛生環境や栄養状態の悪化があります。これらは、身体の「免疫力の低下」を招き、どんな病気にでも罹りやすい状況を作ってしまいます。その中でも、実際に被災者の方の治療を通して、特に身体に現れ出ていた不調とそのケアについてまとめます。
【めまい・地震酔い】
多くの方に見られたのが、平衡感覚の不調です。未だ多くの余震があります。その余震の度に平衡感覚は、かき乱され、めまいを起こし、精神的にもまいります。また、被災地では、いたるところの建物や地面も未だ傾いたままです。何が真っ直ぐなのか、水平なのかわからず、視覚・深部知覚の情報も乱され、平衡感覚が補正されにくい状況も原因にあると考えられます。
治療としては、まずは心身を休められる状態に持っていくことです。全身状態が悪くても、めまいは起こりやすくなります。それに加え、平衡感覚に関わる内耳(三半規管・前庭)の環境を整えることが重要です。
【睡眠障害】
睡眠薬を服用されている方も、少なくありませんでした。不安や心配があるときに眠れないのは、誰もが経験したことがあると思います。被災者の方にとっては、「将来に対する不安」がいつまでも拭いきれません。さらに、仮設住宅での睡眠環境の悪さもあります。床が固い、雨音や隣人の物音が響いてうるさい、夏は暑く冬は寒いなど多くの訴えがありました。とてもリラックスできる睡眠環境とは言えません。また、身体的な原因として、先程の平衡感覚の不調も睡眠障害の一因に考えられます。
その対策としては、睡眠環境を整えます。治療としては、入力されてくる交感神経の活動を抑え(主に感覚器)、モルヒネ様物質の分泌を促す、いわゆるリラックスした状態に導きます。これは、鍼灸治療の得意とするところだと思います。
【呼吸器疾患】
震災直後に比べると良くなっていたように感じましたが、空気が悪いです。被災地には、がれきが積み上げられていて粉塵が舞い、津波の残した泥による砂埃もあります。仮設住宅では、布団や洗濯物が満足に干せないこともお聞きしました。室内では、カビや菌の温床とならないよう、換気するなどの対策は必要です。集団生活は、感染に要注意です。風邪の入口である呼吸器へのアプローチは、欠かせない治療ポイントであると思います。
また、この部分の炎症は、脊髄反射により、首から背中にかけての筋肉を緊張させます。首肩がパンパンの方を非常に多く見かけました。頭痛、肩こりなどの緩和もたいへん喜ばれます。
【心疾患】
阪神大震災時にも注目されました。地震の様な自然災害後や、戦争の様な人為的災害後に増加することは知られています。災害ストレスに対して、交感神経や視床下部、下垂体、副腎系などを介して、心疾患のリスク因子の憎悪を招くと考えられます。
対策は、睡眠障害と同じく、ストレスの除去で、いかにリラックスしてもらえるかでしょう。さらに、直接負担のかかる心臓へのアプローチです。
これらは、いわゆる慢性期疾患です。慢性期疾患は、日頃の生活の仕方が大きく関わってきます。震災前は、病気の自己管理、いわゆる生活の中でのセルフケアを行なっていました。それが、生活環境が一変することで、普通の生活ができなくなっています。それが、その人のセルフケア能力を低下させ、健康を悪化させることになります。これからいかに、手軽にできるローラー鍼やせんねん灸を用いたセルフケアがなされていくかがポイントだと思われます。
SORA鍼灸院 森川真二
訪問先の様子
仙台市内 あすと長町仮設住宅
ここは230戸という大きな仮設で他県からも避難されています。被害の多様性から つらさを我慢され、お互いを励ましあうこともしづらい様子でした。
今回は東北大学の若島先生の臨床心理グループの協力で治療に入ることができたのですが、鍼灸治療が突破口になりカウンセリングへの道筋がつけやすいという手ごたえを感じました。また2日間治療できたので1日目ローラーの施術をみて、または受けた感想を聞いて来られる方も増えました。種まきの重要性、ローラー鍼の効果を実感した経験でした。
南三陸町 名足仮設住宅・入谷福祉仮設住宅
まず伺った名足仮設住宅はご近所同士で入居されている施設で、もともとあったコミュニティーが保たれています。鍼灸は初めての方ばかりでしたが、和やかな雰囲気に助けられてハリやお灸に挑戦される方も出てこられた方全員に施術をすることができました。
次にお邪魔した入谷福祉型仮設はお年寄りのケア施設ですが、職員の方もみな被災者でした。職員の方に鍼灸経験者がおられたので、その宣伝もあってスムーズに施術することができました。皆さん肩こり、不眠、めまいなど慢性の症状をお持ちです。ニーズはありますが奥地の仮設のため支援は入りにくくなっています。支援の入りにくい小さな仮設にも継続したケアが必要だと感じました。
宮城県山元町 ささえ愛・山元
3日前にやっと再開されたデイケア施設のスタッフの方に施術しました。とてもパワフルな施設長がおられ笑顔のあふれる明るい雰囲気に和まされましたが、皆さんご家族や友人を亡くされ、ご自身も九死に一生を得た経験をされた方々です。見た目のパワフルさや明るさとは違い、体の疲労はとても強く、体の緊急反応でここまで頑張ってこられたのだと想像できました。
福島県郡山市 被災地障がい者センターふくしま
障害者当事者も含めスタッフの方5人への施術をしました。津波や地震被害と違い福島は街も職場も家もそのまま残っています。日常が過ごせる状況で逃げる決断ができるのか考えさせられました。見えない放射能に脅かされながらの生活。放射能対策などの質問もあるかと想像していましたが、こちらから聞かない限り放射能についての話は出ませんでした。鍼灸に対策ができるとは思っておられない様子でした。事務所では腹部への施術はできませんでしたし、とにかくストレス対策の頭部感覚器やコリ解消に集中しました。
ボランティアを終えて
東北は鍼灸の習慣はあまりなく、ローラー鍼でのケアができることが大きな突破口になりました。ローラーでの簡単な治療でもしっかり効果があります。短期の治療ではとにかくコリやストレス対策の頭部感覚器に注目すると効果を得られやすい、効果を感じれば慢性病へのアプローチに移行しやすい。種まきや下地作りの重要性も感じました。十分に治療できなくても、とにかくその方の不調やつらさに気づき、少しでも理解しようとする人間がいることを伝えることも治療になると思います。被災地にはあらゆるケアが必要です。鍼灸という良いアイテムをこれからも被災地に届けられればと願います。
今回の活動に参加できて鍼灸師としても人としても本当に多くの経験をさせてもらいました。支えてくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
彩はり灸院 竹原彩子
<目的>
被災から歳月の経過と共に「はさみ状格差」が生じるとされる。これは元気で再就職できた方などは「元気に」なっていくが、仕事につけない人、障がい者やお年寄りなどもともと困難を抱える人びとはその困難度が深まり、あたかもはさみが広がるように生活再建の曲線に差が生じることを指す。
医療職である鍼灸師は、本来、病に苦しむ人と共にある。そこで、今回の第2弾ボランティア活動は、仮設住宅を中心に、苦しみの声を挙げきれない被災者と出会い、少しでも心身の苦痛を取り除き、関連機関と連携し、継続的な支援が出来るよう計画された。
私たちの活動の特徴として、以下の点が挙げられる。
1)鍼灸の業界団体とは別ルートで、現地の組織・人々と連携し、主に障がい者・高齢者の施設・団体・仮設住宅を回る。
2)可能な限り継続性をもって、顔と顔、名前と名前のなじむ関係作りを企図する。
3)一過性の治療のみでなく、ローラー鍼やせんねん灸など簡易灸を配布し、ツボの処方を行ない、被災された方々が自己ケアできるよう提案する。
4)鍼灸治療が第一義であるが、治療を通じて聞き取った被災者の声を受け止め、福祉機関などと連携し、一種のソーシャルワーク的な活動も視野に入れる。
<行動の概要>
第二次訪問の実施期間
2011年9月18日(日)~9月24日(土)
参加者 4人すべて鍼灸師(清水先生のみ三療資格保有)
竹原彩子 「彩はり灸院」院長 (兵庫県神戸市)
森川真二 「SORA鍼灸院」院長 (兵庫県芦屋市)
清水真奈美 「サンリ治療院」勤務 (岐阜県揖斐郡池田町)
舟橋寛延 「サンリ治療院」院長 (岐阜県岐阜市)
メンバーはすべて鍼灸の「反応点治療研究会」というグループに属す。
清水先生をのぞいた3人は神戸東洋医療学院の鍼灸学科を卒業した先輩後輩関係にある。
リーダーの舟橋は、20代のころ障がい者団体で働いており、1995年の阪神淡路大震災の際、東京から神戸に派遣され、障がい者の生活再建のNPO活動に従事。今回、当時の同僚のルートをたどって被災地入りを行なった。
<活動記録>
9/18(日)
名古屋に集合し、終日車で移動、夜7時、仙台着
9/19(月)
午前 仙台市「被災地障がい者センターみやぎ」の事務所にて打ち合わせ
午後 東北大学の臨床心理士の皆さんと長町仮設住宅について打ち合わせ
9/20(火)
終日 仙台市内・長町仮設住宅にて治療 夜、登米市に移動
9/21(水)
午前 南三陸町・名足仮設にて治療
午後 南三陸町・入谷福祉仮設にて治療 夜、仙台市に移動
9/22(木)
終日 仙台市内・長町仮設住宅にて治療
9/23(金)
午前 宮城県最南部の山元町の福祉施設にて治療
午後 山元町~福島県境の被災地の案内を受ける 夕方、福島県郡山に移動
9/24(土)
午前 郡山市の障がい者団体にて治療 午後、帰路につく
ボランティア内容
5月の4~7日まで、「被災地障がい者センターみやぎ」を通して震災ボランティアに行ってきました。ここをバックアップしているのは、ゆめ風基金です。阪神淡路大震災を起に設立されたNPO法人で、自然災害による被災障がい者を支援し続けています。
今回の活動内容は、宮城県内の避難所や仮設住宅、それを統括する役場を回って、障がいを持ってお困りの方がおられないかの調査と、実際の支援です。
被災地で目にした光景
テレビなどの報道で見るのと、実際目にするのとでは、全く違っていました。テレビでは伝わらない、粉塵の舞う空気の悪さや、泥や海水やガソリンの混じったにおいから、事態の深刻さが一層感じとれました。
内陸と沿岸部でその被害は大きく違っています。津波に飲み込まれた地域での光景が、目に焼きついています。車がミニカーのように積み上げられていたり、あらぬ所に船が停まっていたり、植物も塩水を被って真っ白に枯れていました。町全体が泥を被って、色を失っていました。
津波の被害と原発の影響で、被災地域は果てしなく続いています。それでも今回目にしたのは、ほんの一部です。支援が行き届いていない、モノや人が足りていないのも納得でした。
被災地の現状
宮城県内広範囲の、多くの避難所、仮設住宅、役場を訪問してきました。
避難所では、まだまだ多くの方が不便な生活を強いられています。未だに寒い体育館の中で、うすっぺらいダンボールで仕切られただけの所や、食料も冷たいお弁当がずっと続いているところもありました。衣食住が十分確保されているとは言えません。
仮設住宅は、やっとこれから入居がはじまったという感じです。夏頃まで移れない地域も多くあるそうです。これから暑い夏、厳しい冬を迎えるにあたり、新たな問題も出てくるのでしょう。
役場には、仮設のプレハブで対応している所もありました。狭いスペースに人がごった返し、皆さんやつれた表情。役所の方も、同じように被災者です。行政の対応にも限界がありました。
被災地での障がい者支援
ただでさえ過酷な被災地での状況です。ましてや障がいによりハンデのある方は、より大変です。
視覚障がい者や聴覚障がい者の方は、情報が得られず、取り残されていることもあります。避難所でも、救援物資が行き渡らないなどの問題も出ています。
自閉症や発達障がい者の方は、自らSOSを求められなかったり、環境の変化にうまく対応できず、日常と違う生活が続くことでパニックになられる方もおられます。通院していた医療機関が被害を受ければ、必要な薬が不足し、病状が悪化することもあります。欠かせない薬は、ある程度の備蓄も必要かと思いました。
そして知的障がい者や精神障がい者の方は、見た目にはわかりません。ある避難所では特別のスペースを用意されていましたが、まわりに理解されなかったり、他の避難者と摩擦を生むこともあります。日頃からの地域との関わりや理解が必要であると感じました。
ライフラインの寸断は、生死に関わることもあります。普段何気なく使っている電気などが、いかに大切かも知らされました。「電動」という名のつくベッド、リフター、車イス、人口呼吸器などが使えなくなります。災害時に限らず、もしもの時に備えて、手動でも対応できる方法を考えておく必要があると思いました。
被災地での鍼灸治療
今回避難所や仮設住宅の被災者の方に直接治療を行うことはできませんでしたが、わずかながら、現地職員の方やボランティアスタッフの方に治療を行いました。皆さん鍼灸に対しての抵抗はありました。まずはローラー鍼や円皮鍼から始め、そして希望者の方に治療しているのを回りの方が見物することで、「私も」、「僕も」、と次につながっていきました。
スタッフの方は地震発生以来、不休で働かれている方も多くおられます。身体への負担も相当でした。その分、簡単な治療でもその効果が如実に現れ、皆さん鍼灸治療というものに驚かれていました。
被災地で感じた治療ポイント
やはり、めまいです。となれば、不眠症も伴います。関東地方でもかなり多くの方が「地震酔い」として悩まれているようです。未だに余震は続いていますし、いたる所の地面や建物が傾いているため、水平というものが感じ取りにくいこともその原因としてあるでしょう。心身共にリラックスできるようにと、平衡感覚のケアがポイントかと思います。
そして、空気が良くないです。津波の被害を受けた地域は、一面に泥が残っています。それが乾燥して、砂埃となります。黄砂が常に舞っているような状態。咳き込んでいたり、涙、鼻水を流している方も多く見かけました。呼吸器系の疾患、感染症などに注意が必要で、耳鼻咽喉科領域へのケアは重要かと思います。それに伴う首、肩こりなども、つらいでしょう。
意外に、膀胱炎なども。上の口があれば、下の口も。仮設トイレをあまり利用したくないと我慢されていたり、避難所での衛生状態も決して良くはないでしょう。
とにもかくにも、身体がゆっくり休めない状況では、免疫力が低下すれば、どんな病気にもなりやすいです。心身ともに休める環境を整えることも大事です。
今後の活動
やはり、どこでも手軽に治療できる「鍼灸師」という専門職を活かした活動が望まれます。しかし、単回の治療でどこまで多くの被災者の方のためになれるかは課題。中途半端な支援であれば、現地の人の手をわずらわせたり、不十分な治療効果で残念な結果に終わってしまうことも。
その対策としては、セルフケアを伝えることが重要かと思います。具体的には、各避難所や仮設住宅でセルフケア教室を開いたり、ローラー鍼・せんねん灸を配布したり、ケアするポイントをチラシにして配ったり、こちらの連絡先を渡して帰ってからもアドバイスし続けられる体制を作ったり…、考えればいろいろありそうです。
あと、身体以外の問題点も必ず出てくるでしょう。そのとき、行政や各団体に橋渡しできるように、知識は必要です。現地でどうするかよりも、現地に行くまでの準備も重要かと思います。
最後に
復興には気の遠くなりそうなとても長い歳月がかかると思います。全てを見てきたわけではありませんし、短期間でわかるはずもありません。ただ、被災地には、将来への不安を抱えながら、まだまだつらい状況の中で生活をされている方がおられることは事実です。
被災地を離れて生活していると、震災のことを忘れてきてしまいます。実際、阪神大震災を経験しても、月日と共に忘れてきています。しかしこの災害を決して忘れることなく、忘れても思い出して、被災地のことを思い、各々にできることを何か実行に移して頂きたいと願います。
SORA鍼灸院 森川真二
2011年5月3日~5月5日の3日間、先輩鍼灸師である舟橋先生を頼って、つながりのある被災地障害者センターみやぎを受け入れ団体とし、障害者支援のボランティアに参加させていただきました。今回は日程が短く、参加活動は少ないものでした。
1日目 仙台市内の避難所におられる発達障害のお子さんと遊ぶ。
2日目 石巻市、女川の避難所を訪問。初日の避難所を再訪し、お子さんと遊ぶ。
3日目 被災地障がい者センターみやぎの事務所での雑務、スタッフの方への簡単な治療、宿舎の掃除。
今回の活動は受入れ団体であるセンターの障がい者支援業務を主としました。障害者支援の活動は“困ったを見つける”仕事でした。その視点は鍼灸師としても大変必要で、とても参考になりました。
仙台市の避難所
発達障害のお子さんがいるご家族と、発達障害と知的障害のお子さんと、同じく知的障害が疑われる親御さんのご家族の2世帯が1つの部屋で避難生活をされていた。今回はお子さんと遊ぶことの他に鍼灸師としては親御さんと話す事がとても必要であったと感じる。なれない避難生活に加え、障がいのお子さんのケア、フォローをされているお母さんの疲労は大変なものだった。日常生活の大変さで精いっぱいで、自分の体の不調は後回し。お話をする中でやっとぽつぽつからだの不調の話も出てきた。同性であることで女性ならではのからだの不調を話しやすいということもあった。まず足を痛めておられたのでその場で簡単なツボ刺激をし、セルフケアを提案すると興味を示される。そのほかの不調もお持ちで、それにはどんなツボが効くか?という質問も出てきた。からだはつながっていることを説明し腹部内臓のケアを提案すると、横になり、腹部の反応を診せてくださった。ホルモンバランスや自律神経の安定につながるツボ刺激も提案する。
石巻市
被災された障害をお持ちのご家族を訪問。すでに何度か訪問があり、今後の提案などお話をうかがう。大阪からのボランティア17人ががれき撤去をされていた。皆で一斉に片付けが進むことでご家族の顔も明るい様子だった。ホッとされた時に疲れが出る。がれきがなくなってもすぐに住めるわけではない。今後の体のケアが心配になる。
女川
目的のご家族が外出中でお会いできなかった。避難所の方とお話をする。年輩の方はわりとご自分の話もしてくださるので体の不調も見つけやすいと感じる。簡単なセルフケアを提案する。
障がい者センターみやぎ 事務所
事務所のスタッフの方は休みなく働いておられる。ゴールデンウィークでボランティア受け入れの業務も加わっていた。疲労は大変なものであろうに、穏やかに、またにこやかにされていたのが印象的だった。スタッフや働くボランティアへのケアも必要だと強く感じる。
雑談の中でからだのコリや疲れの話になり、鍼灸に興味をもたれるが、仕事が山積みなので治療に時間がかかるのも心配な様子だった。円皮鍼を出して簡単なケアをすると、短時間だったこと、貼るだけで効くこと、自分のコリをみつけてもらえることなどに興味を示される。
他のスタッフの方の反応も診せてもらい円皮鍼やローラーで簡単な治療をする。必要なツボ刺激の提案をする。
感想
鍼灸は痛みや不調に大変有効であるが、鍼を使うこともあり、マッサージと違って気楽に受けたくなるものではありません。そして被災地は遠いために継続的なケアが難しい。鍼を使わなくてもできる簡単なセルフケアは気軽にできるし、継続的なケアになります。相手のニーズに沿っていたと感じます。これからの長い毎日のために、ささないローラー針やお灸、手でさする皮膚刺激が有効です。ご本人だけでなくお子さんやご家族に必要なケアを提案していきたいと思います。
今後鍼灸師として被災地のために何ができるのか知るために今回の活動が大切な足がかりとなりました。特に障がい者支援の“困ったを見つける“という視点、姿勢には大きなヒントをもらいました。
体の不調をとると心もすこし軽くなる。不調をとる機会を少しでも多くの方に経験してもらいたいと強く思います。
最後に、このような機会を与えてくださった舟橋さんをはじめ関係者の皆様に心から感謝いたします。ありがとうございました。
彩はり灸院 竹原彩子
(経緯)
3月11日の東日本大震災を受け、ボランティア活動をしたいという鍼灸師の声を複数聞いた舟橋が、まず鍼灸師によるボランティア・グループを結成。メーリングリストで連絡を取り合い、情報を共有。(現在7名が登録)
舟橋はかつて阪神淡路大震災の際、障がい者団体に属しながら、復興活動に従事した経験があり、今回もそのルートをたどって現地に入った。
(期間)
2011年4月28日~5月7日
(参加者)
舟橋寛延(神戸東洋医療学院 OB) 4/28~5/5
竹原彩子(神戸東洋医療学院 OG) 5/3~5/5
森川真二(神戸東洋医療学院 OB) 5/4~5/7
(地域)
宮城県仙台市に事務所と宿舎をかまえる「被災地障がい者センター・みやぎ」にお世話になり、宮城県内の仙台市内、石巻市、女川町などで活動を実施した。
(受け入れ団体)
「被災地障がい者センターみやぎ」は全国の障がい者団の支援により設立され、震災後の障がい者の生活面をあらゆる面でサポートしている。(主なバックアップ団体に大阪の「ゆめ風基金」がある。この基金は永六輔さんなどが世話人)
(実際の活動の様子)
第一次訪問は、障がい者団体に所属するボランティア活動として位置づけられた。鍼灸師としての治療活動は半ば封印し、現地の様子を知る上でも、上記「被災地障がい者センターみやぎ」の活動方針に従って行動をした。具体的には以下の項目である。
1)障がい者の安否確認や介護
2)障がい者のいる家庭の生活支援、津波の被害にあった家屋のゴミだし
3)行政などに情報をつなぐソーシャルワークなどの業務に従事した。
(活動を振り返って)
被災範囲の広範さに圧倒された。阪神淡路大震災の際のノウハウが通用しない部分がある。被災者の今後の生活支援には気の遠くなるような時間がかかるだろう。また、上で報告した障がい者の事例は、震災前からもともと困難を抱えていたものであり、地震・津波で一気に「ふたが開いてしまった」ものとも言える。
この第一次訪問では、鍼灸師としての活動は発揮できなかったが、現地をじかに その目で見たのは大きな経験であった。被災地で苦闘する人びとと直接つながる機会でもあった。
サンリ治療院 舟橋寛延