東北の巨大防潮堤を考える視点

はり灸レンジャー・レッドの舟橋です。
今回は、東北の巨大防潮堤を考えるうえでヒントになる本をご紹介します。

東北の岩手・宮城・福島の3県。
3.11の大きな被害を受けた太平洋岸で、いま巨大な防潮堤の建設が進んでいます。
今までの当ブログにも何度か投稿がありましたように、現地の各自治体や住民からはその必要性について疑義が呈せられているものもあります。

岐阜県という海なし県に住んでいる私にとって、海の怖さと、また相反する海の恵みについてなかなか実感を得られないのも事実です。
そんな時、防潮堤を考える視点の一つを与えてくれるのが次の本です。

被災地から問う この国のかたち (イースト新書) 被災地から問う この国のかたち (イースト新書)
(2013/06/03)

玄侑宗久・和合亮一・赤坂憲雄 860円+税 
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被災地に在住する方々が、鼎談という形で行なったシンポジウムを中心に編集された本です。
玄侑宗久さんは僧侶でありかつ作家、和合亮一さんは教師であり詩人です。
ともに福島県在住。

一方、「東北学」を提唱し、震災のはるか前から精力的に活動されているのが学者の赤坂憲雄さん。
赤坂さんの発言が示唆的です。

170頁の記述を要約すると・・・
● 震災後の海岸線を歩くと、至るところに潟ができている。
● 水浸しの泥の海がたくさん。以前、その下は水田。
● 陸前高田の津波に洗われたところも、もともと干潟であった。

その上で、赤坂さんは次のように発言されます。
やや長いですが引用します。

 南三陸町が壊滅的な被害を受けていますけれども、あそこも調べてみると、1611年の慶長大地震、津波から40年ぐらいして、町割をつくって、山村部にいた次男、三男がおりてきてつくった町なんですね。何度も津波を受けながら、それでも人口が増えていきますから、その圧力でどんどん海に出ていく。

 標高16メートルの高台に立って、指を差しながら教えていただいたんですけれども、実はほとんどかつてそこは海だった。その記憶がまだ生々しく残っているような新しい歴史なんです。人間たちがコンクリートで固めた境界を、自明の前提にしてはいけない。   
 つまり、3.11のときの境界が自明の前提ではない。それは人口が膨らんでいった時代の選択として、とりあえずつくられた境界なんだ。もう一度、我々が人と自然との境界というものをきちんと引き受ける、考える、そういうきっかけにしないと、同じことを繰り返すかもしれない。

 僕は潟を至るところでみていて、潟に返してやればいいじゃないか、というふうにあるとき思うようになりました。潟というのは、かつて生物多様性の宝庫で、漁業が行われ、その潟の周囲には水田が広がっていて、風光明媚な観光地として栄える、そうした場所だったのです。それを、もう一度復活というか、その風景に戻してやるという選択があり得るのだという、そんな議論をしたいなと思いました。
(171頁)

以上、引用おわります。

これは夢物語でしょうか?
開発、経済成長が当たり前と思う人々にとっては寝言に聞こえるかも知れません。
しかし、人口減社会を迎える日本、そして震災によって人口流出に悩む東北がとるべき道の一つにも感じられます。

現地に何度か足を運んでいる者の実感であります。
東北の現状は軽々しく口に出来ないことも多々ありますが、オルターナティブな視点を提示して下さっています。
引き続き東北の声に耳を傾けていきたいです。

セミナーに参加してきました!

セミナーに参加してきました!

こんにちは。はり灸ライトグリーンの坂口友亮です。
先日4月6日(日)に京都で行われたはりネット主催のセミナー「被災時の鍼灸医療を考える」に参加してきました。

セミナーの内容は、はりネットのサイトに掲載されています。
https://harinet.org/category/seminer/

私がセミナーに参加して感じた事は「人と人のつながり」の重要性です。

はりネットの理事長である日比泰広さんも、石巻市で精神科医として被災地医療に携わる宮城秀晃さんも、「震災時に何が起きるか、また何が必要とされるかは予測不可能である」という事をおっしゃっていました。

もちろん、平時から震災を想定した準備や対策は欠かせません。
しかし災害時は非日常であり、マニュアル的な対応ではなく時々刻々と変化する被災地の情報を的確に把握し、迅速に対応する事が求められます。

その為には、相互に情報交換が出来るネットワークの構築が欠かせません…と書くと堅苦しいですが、「人と人のつながり」があれば的確で迅速な対応を行う事が出来る、というメッセージを今回のセミナーは発信していたように感じました。

「最近こんな活動をしているんだけど」「こんなアイデアがあるんだけど、どうすれば良いかな」など…。
まずは気軽に連絡を取り合える仲間を一人ずつ増やしていく事が、災害時の対応にもつながるのでは、と思います。

高度に通信技術が発達した現代でも、いざという時は「顔と顔、名前と名前のなじむ」関係性が頼りになるようです。

今後もこのような機会があれば参加していきたいと思います。

(坂口)

NPO法人鍼灸地域支援ネット(通称:はりネット)との連携

はりネット

 NPO法人鍼灸地域支援ネット(通称:はりネット)と連携させていただくことになりました。

 はりネットとは、「鍼灸師による地域活動を応援し、活動の情報の共有を目指しています。所属する業界団体や卒業校だけでなく、個人の鍼灸師に全国のネットワークをもつことで、「地域の方々に鍼灸師として何かしてみたい」という思いを具体的にできます。また、先の震災などの被災地で貢献したいと思った場合も、何から始めたらよいのかを知ることができます。」(HPより)

 私たち「はり灸レンジャー」は、同じ治療法、同じ卒業校からつながっていったメンバーで、いわば縦のつながりから始まりました。さらにこの「はりネット」のような横のつながりができることで、情報の発信や交流、問題点などを一緒に考えていき、よりよい支援の輪も拡げていくことができればと思います。

 先日4/6には、「はりネット」主催のセミナー「被災時の鍼灸医療を考える」が京都であり、早速、はり灸レンジャーのメンバーも参加してきました。当日は、自らも被災されながら避難所などで積極的に医療支援を続けられている、石巻市の精神科医の宮城秀晃先生のご講演もありました。災害直後からの医療の支援の形や、現在の被災地での状況などについて教えていただきました。このような機会も与えていただき、感謝です。これからもよろしくお願いいたします。

(ブルー森川)

仮設住宅での暮らしも4年目へ

はり灸レッド舟橋です。
今日は東北被災地の生の声をご紹介しようと思います。

2014年3月下旬の第10回訪問では、気仙沼市の仮設住宅を訪問治療しました。
その際に橋渡しをしていただいたのが、三浦友幸さんです。

3/23(日)の夕方、治療を終えた私たちは、ご多忙な三浦さんにお願いし、気仙沼の最近の様子を教えていただきました。

要点を以下にまとめます。

(民生部門 生活・住宅)

1) 高台や盛り土など宅地造成に時間がかかっている。
あと2~3年後にようやく土地が用意されても、そこから新築住宅を建てるのに一層時間が必要。
今でも建設ラッシュでスケジュールに遅れが出ているし、東京五輪の時期が近づき更に人手不足、資材不足になるだろう。

2)公営の災害復興集団住宅は、早いところは2014年4月から入居が始まるが、全体はさらに3年ほどかかりそうだ。

3)阪神淡路大震災の復興過程の反省から、宮城県ができるだけ元の集落(コミュニティ)ごとに優先して仮設入居を進めた。
(岩手県は順番に入れたと聞く)
 しかし、さまざまな理由で漏れた方々が気仙沼市から遠方の市外域(主に内陸部の岩手県一関市など)に入らざるを得なかった。

4)そんな中、仮設住宅での生活が長くなり(すでに3年!)、それなりにうまく仮設の暮らしに適応している人と、そうでない人との差が出ている。
 予想されていたことだが、孤立しアルコールに溺れるひとが多い。
 今回の大谷中学校仮設とは別の場所の話ではあるが、自殺の事案も出ている。

5)仮設で暮らす人々の健康が課題になり、(ストレスのせいか?)がんの進行は早いのではないか、という報告も出ているそうだ。

三浦さんのお話はまだまだ続くのですが、長くなるので今回は住宅・仮設の問題のみ抜き書きしました。
その場でメモしたものなので、誤りももあるかと思います。その責は舟橋が負うべきものです。

医療職である私たちは、たとえば、5)の問題は根拠と共にきちんと調べなければ安易に噂のように流してはいけない、と思っています。
しかし、しばし逡巡のうえ、この原稿に書いた理由は、
「たとえ、がんの進行が早い、という話が事実ではなくとも、ある現象をそのように解釈せざるを得ないぐらい厳しい環境下の置かれているのが仮設住宅での生活である」
という感じを伝えたかったからです。

(三浦さんのお話はつづきます)

三浦友幸