こんにちは。
はり灸レンジャー、パープルの西井牧子です。
はり灸レンジャーとして6回目、私自身は4回目の輪島でのボランティア活動を無事に終えることが出来ました。
活動をサポートしてくださった関係者の方々に深く御礼申し上げます。
発災から7ヶ月が過ぎ仮設住宅への引越しも順次進み始めた9月、輪島に甚大な水害が起こりました。
報道を目にした時、まさか…と目を疑い、輪島の方々がどうかご無事でありますようと祈るばかりでした。
今回の2日間の訪問では、その水害に遭われた方々がたくさんいらっしゃる避難所で鍼灸治療をさせていただきました。
「地震に遭い、水害にも遭い、まさに踏んだり蹴ったり殴られたりだった。」
「水害は地震どころの怖さじゃなかった。」
「海女さんの仕事をしているから、水を怖いと思っていなかったが、心底恐怖を感じた。」…
などと治療中にお話しを伺うたび、言葉を失ってしまいました。
想像を絶する体験をされた方々でしたが、皆さんとても明るく、ボランティアに伺った私達を気遣う優しさに満ちあふれていて、逆に元気をいただいた気がします。
また、今回の活動では輪島での活動時に大変お世話になっているJOCA(青年海外協力協会)の方々に加えて、ピースボートの方々ともご縁をいただきました。
ピースボートの方々とお話しをさせていただくと、なんて心優しく熱い思いを持たれているのだろう…と感情が揺さぶられました。
そして、世の中には災害を自分ごととして捉え、すぐに行動にうつされる心優しい方々が、本当にたくさんいらっしゃるんだなぁと温かい気持ちになりました。
私自身、これからもはり灸レンジャーの一員として、ずっと輪島の方々のサポートをさせていただきたいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
11月3日(日)・4日(月祝)、はり灸レンジャー6回目の活動に木村は3度目の参加をしました。
前回までは、行けば復興が進んでいるように見えましたが、今回は9月の豪雨災害で新たに避難を余儀なくされた方々が生活する避難所での活動になりました。
到着前は、2度も被災した方々にどう声を掛ければ良いのか分かりませんでしたが、いざ着いてみると、地元の皆様はボランティアの訪問に慣れたご様子で温かく対応してくださり、平常心で活動する事ができました。
初日の避難所では、運営側が少人数ながら試行錯誤を繰り返し、より良い環境に改善されていているのが印象的でした。
施術させて頂いた方の中には地震前からの不調をお持ちの方がいる一方で、避難して生活が変わった為に痛みが出てきたという方もいらっしゃいました。
十分に運動できる場所がなかったり、館内の生活音が聞こえたりと様々な変化がある中で、避難所に暮らす方々が家族のように支え合う姿にはこちらが励まされました。
活動スペースに隣接する皆様にもご協力頂きありがとうございました。
二日目は、主に公民館に身を寄せている方々にご利用頂きました。
関わらせて頂く中で、豪雨被害の経験を話して下さる方もおり、怖い思いをされたのだと改めて思いました。
豪雨で大きく生活が変わり、葛藤しているご様子も伺えました。
復興作業は急ピッチで進んでいますが、個人の生活再建には時間が掛かるのがよくわかりました。
そんな中でも、また来て欲しいと言ってくださる方がみえたので嬉しかったです。
次の機会がありましたら、改めてよろしくお願い致します。
今回も、はり灸レンジャーの活動の場を設けてくださった団体様、受け入れてくださった現地の皆様、活動物資をご提供くださる企業様、支えてくれた仲間に厚く御礼申し上げます。
ラベンダー 木村
こんにちは、はり灸レンジャーイエローの中村です。
第6回目の能登訪問は、個人的に、かなりの緊張と不安を抱えて参加しました。
同じ土地が二度も大きな災害に見舞われる、しかも一度目は地震で二度目は水害というのは、
10年近くボランティアに携わってきて、初めての状況です。
半年近く続き、ようやく終わったと思ったらまた再び始まってしまった避難所生活をしている人たちに
どう声をかけたら良いのか、どう接すれば良いのか…
岐阜から金沢に向かう移動中は、そんなことを考えてました。
…が、毎回のことながら、活動が始まるとバタバタで悩みも吹き飛びます。
今回私が訪問させていただいた
1日目の鳳至小学校、二日目の河原田小学校
どちらも避難所の共有スペースの一角をお借りしての施術。
生活のお邪魔にならないように、かつ受けていただく方のプライバシーはなるべく確保できるように
施術スペースを作り、導線を確保し、治療の流れを考えて…と、
避難所の管理をされてるスタッフの方たちと相談しながら準備をしているうちに
あっという間に予定時刻となり、施術が始まります。
あらかじめ現地サポートスタッフの方が貼ってくださったチラシを見て
予約をしてくれてた方、当日興味を持って声をかけてくださる方とお話をしながら次々と施術させていただく中で、
いつも日常で関わる患者さん達と、何も変わらないことに気づきます。
どんな状況でも、目の前の問題をとにかく片付けて、毎日を精一杯生きているのは一緒で
私たちは、そんな日々の一瞬、機会を頂いて目の前のお体とその方に、できることをするだけです。
そして、今回の思い出は忘れ物を取りに行った時のこと。(忘れ物をして、翌日の朝取りに行きました…。快く対応してくださった皆様、本当にありがとうございます)
わずかな時間でしたが、はり灸治療を受けてくださった方が次々と「昨日ハリを受けてすごく楽だったよ」「体が軽くなった」「ありがとう」と
声をかけてくださったのです。
限られた時間かつ、単発の活動になりがちなボランティア活動で、
こうやって治療を受けてくださった方の生のお声を聞けることはとても貴重で、とても嬉しくなりました。
次にお会いするときまで、どうかどうかお元気で。
そんな、祈りのような気持ちが残った訪問でした。
この度初めて輪島市内避難所への鍼灸支援に関わらせて頂きました。
実際に現地に行かせていただくことで、目の当りにしたことは、地震後1年も経たない内に襲った豪雨の被害がとても大きく深刻であったことです。
豪雨の後、再び避難所生活となり、避難所で生活されている方々のほとんどが、豪雨によるものであったこと、そして支援に入らせていただいた方が語られた「胸まで水に浸かって怖かった」とのお話からは、大変痛ましい状況が伺えました。
しかしながら、そのような目に遭い、先の見えない不安な生活であるにもかかわらず、避難所の皆さんは、1つの家族のように温かく支え合いながら暮らしておられるように感じました。
施術に対して初めは躊躇されていた方も、周りの方からの「気持ちえーよ、受けてみーよ」とのお声掛けで受けて下さる方や、あまりお話にならなかったような男性の方も、施術を受けながら、これまでされていたお仕事の話など何気ないお話をたくさんして下さったり、施術を受けた後「膝楽になったで」とお声を掛けに来て下さったり…。
「皆さんに喜んでいただけるだろうか」と少しの不安を抱いていたことをすっかり忘れるくらい、和やかな雰囲気で治療をさせていただいたことは、大変ありがたく、私が元気をいただきました。
一見影響のない建物が並んでいる通りの中に、倒壊した建物がそのままであったり、標識が斜めになっているままであったり、まだまだ日常ではない風景が広がっていました。
避難所では、洗面場所やトイレが外にあり、これから迎える冬の寒さが心配されます。
支援に入らせていただきました皆様が、そして被災されている多くの方々が、1日でも早く安心した生活に戻れますよう心より願っております。
はり灸レンジャー ブラウン 重松あすみ
<日時>
11月4日(月)10:00~14:30
< 場所>
① 河原田公民館避難所(輪島市西脇町)
② 河原田小学校避難所(輪島市横地町)
<参加者>
① 鍼灸マッサージ師 1名〔木村(岐阜県)〕鍼灸師 1名〔 森川(兵庫県)〕
② 鍼灸マッサージ師1名〔中村(岐阜県)〕鍼灸師2名〔重松(兵庫県)、西井(兵庫県)〕
<受療者>
① 河原田公民館避難所 13名
② 河原田小学校避難所 16名
<対象>
避難所入居者
現地職員(支援者支援)
<活動内容>
鍼灸施術
セルフケア用品の無償配布(希望者)
地元(輪島市内)鍼灸院の紹介
<日程>
8:00 輪島市内の民宿を出発後、被災地域を視察
9:00 輪島市 河原田公民館避難所 到着
9:15 輪島市 河原田小学校避難所到着
10:00~14:30 各所で鍼灸施術・セルフケア指導
15:00 河原田小学校撤収後、河原田公民館撤収。金沢駅へ
17:00 レンタカー返却後、金沢駅で解散
<詳細>
二日目は河原田公民館避難所と河原田小学校避難所の2組に分かれての活動。
度重なる被災で大変な中、治療に来て下さる方は明るく、よく話しをして下さった事が印象に残った。
① 河原田公民館 避難所
河原田公民館は5回目の訪問。
8月に避難所が解消されたばかりだった。
13世帯、27人が避難。
地震で無事だったが、豪雨で被災された方々が入居されている。
地震で無事と言っても「台所と寝る部屋を直して住んでいた」「6月にやっと水道が通った」など再建途中だった住まいが、土砂でもう使えなくなられた。
自宅に帰れるのは2〜3世帯で、あとの方は、今回新たに仮設を申し込まれていた。
これから建設する仮設住宅の完成は3月。
雪が降れば工事が遅れることは、住人もわかっている。
年度いっぱいを避難所で過ごすことになると、住人もサポート職員も覚悟されていた。
症状は肩こり、腰痛、不眠が多い。
持病に高血圧も多いが、かかりつけはあり、施術当日も血圧が落ち着いている方が多かった。
住人もスタッフも顔見知りで、支えあう姿が印象に残る。
毎回、はり灸レンジャーの訪問を楽しみにして下さっている。
1月の地震で壊れた天窓や、廊下との間仕切りの天窓にガラスが入っておらず、冷たい風が入っていた。
「夏が猛暑だと冬に雪が沢山降る」と地元の方が話されていたことも気がかり。
② 河原田小学校 避難所
はり灸レンジャーは初めての訪問。
治療スペースをお借りしたのは体育館。
避難世帯数は未確認だが体育館内に設置してあるテント数は初日に訪問した鳳至小学校と同じ程度。
水道設備は無事で、小学校内のトイレが使えた。
こちらでは体育館の他に、教室も避難所として使用されていた。
1つの教室は食堂として使われていた。
いくつかの教室は、ペットと避難されていて、家族単位で使用されているとのこと。
避難所の運営は現地の公民館職員、ピースボートスタッフ、自治体からの派遣(金沢市の他、偶然メンバーの地元岐阜県大野町からのスタッフ)が担っておられた。
症状は、首、肩、腰、臀部などの痛み、めまいなどの自律神経症状が多い。
こちらではスタッフの方も施術を受けて下さった。
カルテに住所を書く人は少なかった。
被災した自宅、被災した仮設住宅の両方の片付けがあり、忙しいという声も聞かれた。
今回訪問したどの避難所も車がないと外出しにくい環境だった。
高齢の方は特に、避難所で過ごす時間が長くなってしまう様子だった。
東北から始まった、はり灸レンジャーの活動。
訪問した被災地が再び被災してしまうことは無かった。
「地震よりも豪雨が怖かった」という声も聞かれた。
今も大変なご苦労のなか避難所で生活をされている。
これからも心を寄せていきたい。
(森川 彩子)
<日時>
11月3日(日)13:00~18:30
<場所>
輪島市立鳳至小学校避難所(輪島市鳳至町)
<参加者>
鍼灸マッサージ師 2名〔木村(岐阜県), 中村(岐阜県)〕
鍼灸師 3名〔重松(兵庫県), 西井(兵庫県), 森川(兵庫県)〕
<受療者>
20名
<対象>
避難所の被災者
支援者
<活動内容>
鍼灸施術
セルフケア用品の無償配布(希望者)
地元(輪島市内)鍼灸院の紹介
<日程>
9:30 金沢駅 出発
12:00 輪島市 鳳至小学校避難所到着
13:00~18:30 鍼灸施術・セルフケア指導
19:00 撤収後、輪島市内で再開の飲食店で夕食
20:30 輪島市内の民宿に宿泊
<詳細>
鳳至小学校は今年1月の地震で避難所になった。
豪雨前は8世帯まで減り9月末で閉じる予定だったが、豪雨被害で閉鎖できなくなった。
前回私たちが豪雨前に訪問した宅田第2仮設からの避難者も多かった。
30世帯、52人(地震後避難 1世帯2人、豪雨後避難 29世帯50人)が入居されていた。
校舎は使用できず、体育館が生活の場となっていた。
水は体育館外の手洗い場を使用。
トイレは体育館横に停車された2台のトイレトラックを利用。
淡路島と気仙沼からの車両だった。
風呂は無く、外にシャワー室が設置されていた。
ピースボートのスタッフさんが1人でサポートされていた。
施術をするにあたり、必要な物品を臨機応変に提案、準備して下さった。
普段から住人の方と工夫しながら暮らしをつくっているのが伝わった。
信頼関係があり、雰囲気の良い避難所だった。
症状は凝りや痛み、不眠が多かった。
持病に高血圧のある方が多かったが、かかりつけがあり、施術時の血圧は低い方が多かった。
施術の後、セルフケアをお伝えし、希望者にはローラー鍼をお渡しした。
また地元で再開されている鍼灸院を紹介するチラシをお渡しした。
鍼灸を受けに来られた方々は明るく、こちらが救われる思いだった。
中には阪神淡路大震災で被災され、輪島で能登半島地震、そして9月の豪雨被害にも遭われた方がおられた。
この方はまだ避難所に入られたばかりだったが、テキパキと共用部の掃除をされていた。
凛とした姿が胸に残った。
スタッフさんによると「避難所は住居なので、沢山の外部の人間が出入りすると住人の負担になる。その配慮が必要」ということだった。
避難所内での鍼灸支援もイベント会場のようにはできないと感じた。
多くの方が仮設からの避難で、また被災した仮設に戻る予定になっている。
水害にあった宅田第2仮設の清掃工事が終わるのは12月末。
雪が降れば工事は遅れ、移動(入居)も難しいと住人も認識されていた。
ここの住人はお正月に地震で避難して、またお正月を避難所で迎えることになる。
これから寒くなるのに、手洗い場やトイレ、シャワーが外なのも大変な状況である。
「お正月を迎えるのが怖い」
「住人のメンタルが心配」
と話されていたのが心に残る。
(森川 彩子)
今回はり灸レンジャー(以下レンジャー)の第5回能登訪問に参加した石川県の藤田です。今回は9/15(日)の初日のみ参加させて頂きました(フル参加2回、半分参加2回、金沢駅で手を振ってお見送り1回)。初日の活動場所はレンジャー初訪問となる輪島市中心部にある宅田町第2仮設団地でした。この仮設団地の近くには公共施設やスーパー、ドラッグストア等があり生活の利便性が良く、またこの仮設団地の集会所は様々な催し物を行うには十分な広さ、設備がありました。初日は能登地方を中心に雨が降り、時折強く降る時間帯もありました。そして土砂災害警戒情報も出ましたが、そのような状況でも多くの方々が施術を受けに来られました。今回も睡眠に関する悩みを抱えながら生活、あるいは仕事をされている方がみられました。精神的及び肉体的に常に緊張していて力がなかなか抜けず、抗不安薬を離せない方も。患者さんとは睡眠に関する話はし易いですが、抑うつ状態などの精神的疾患の話はし難いですね。鍼灸でそれらの症状を少しでも軽減出来ればうれしい限りです。
今回もJOCAさんによる事前のチラシ配布やアナウンスメント、そして当日のサポートのおかげで活動が円滑に行われました。いつもありがとうございます!
第5回能登訪問の後、能登地方は大雨による甚大な被害を受けました。平地の少ないこの地域では仕方のないことなのですが、ほとんどの仮設住宅は洪水浸水想定区域や土砂災害警戒区域に立地しており、今回初日に訪問した宅田町第2仮設団地においてもすぐ近くを流れる河原田川が氾濫し床上浸水となりました。そのため入居者は仮設住宅から避難するという前代未聞の事態となりました。施術を受けに来られた方々の中には、仮設住宅に入居して間もない方、日常生活動作にやや難のある方、仕事をしながら頑張って生活をされている方、その他いろいろな境遇の方がいらっしゃいました。皆様のご無事を祈っております。またこれまでに訪問したことがある河原田公民館や三井公民館もすぐに避難所として再び開設されました。能登地方において数千年に一度の大地震、そして今まで経験したことのないような豪雨による災害(ハザードマップ作成時の想定し得る最大規模の降雨、つまり千年に一度の降雨を超えていた)が同じ年に発生するとは誰が想像出来たでしょうか。「盲亀浮木」の話が頭をよぎりました。
復旧が少しずつ進み、これからは復興だ!という矢先でした。再び被災された方々のこれからの生活や心情、察することは甚だ困難ではありますが、この稀にみる苦境を何とか乗り越えて頂きたいと願っております。
盲亀浮木(もうきのふぼく)
お釈迦様が語った例え話。果てしなく広がる海の底に盲目の亀がおり、その亀は百年に一度海面に浮かび上がり顔を出す。その時たまたま浮遊していた丸太の棒(浮木)に当たり、そしてその浮木にたまたま空いていた小さな穴に盲目の亀が頭を突っ込む。滅多に起こらない、極めて低い確率の偶然性を表す比喩。
はり灸レンジャーとして5回目、私個人としては4回目の活動を9月15,16日に終えました。
活動が終わり数日経って活動報告を考えていた矢先に能登豪雨。
地震で狂ってしまった日常から少しずつ復興し始めてきて、
「地震で人生めちゃくちゃにされた」
「でもなんとかやってるよ」
と、お話をされていた方の顔が浮かび、とても簡単には文字にできません。
私達にできること、
「鍼灸治療」
「身体の不調を和らげる」
「こころの中の不調を見つける」
「家庭でできるセルフケアの指導」
「施術によってゆっくり休んでもらう」
「お話の相手をする」
「地元ではり灸施術を受けられる治療院を紹介」
などでしょうか?
森川リーダーに教えられた言葉があります。
「私たちが、したいことをするのではなく」
「被災地の方々が、して欲しいことをする」
私としては、まだまだ手探りの状態で反省も多い活動ですが、
能登の皆様に少しでも寄り添った活動をしていきたいです。
森野弘高
9月15日・16日、能登で第5回目となる はり灸レンジャーの活動で、私は2度目の参加をしました。
初日の活動は初めて訪れる場所でしたが、以前、別の場所で利用した事があるという方が再びお越しになり、嬉しく思いました。継続して活動できる環境を整えて下さる現地の団体様にいつも感謝しています。
二日目の活動中、付き添いでお越し頂いた方の中に「鍼は怖い。」「鍼は痛そう。」という声がありました。それを聞いた私は『付き添いだし、無理に推さなくてもいいかな』と思ったのですが、ベテランレンジャーが「鍼は怖くないですよ。」「鍼は痛くないですよ。」とテキパキその方を案内し、スイスイと流水のように施術し、ネガティブなイメージを一新、そのスマートさに驚きました。鍼灸経験がないと『怖い』『痛そう』が一般的な印象かもしれません。ですが、せっかく来て下さった方に何ができるといえば、はり・きゅうでの施術かな〜と思い直し、私も「お灸は怖い」という方に丁寧に説明して、せんねん灸を体験して頂きましたが…良くなっていますように。手渡したローラー鍼もお役に立ちますように。
車窓からは輪島市内の瓦礫が減っている様子は伺えます。でも活動中に地元の方との何気ない会話の中で、歩道の状態が悪く歩き辛い様子や、地震後に趣味が中断している話等を聞くと、まだ日常が戻っていない事に改めて気付かされます。復興はまだ道半ばですが、より良くなるよう陰ながら応援しています。
今回も私の脱線を軌道修正してくれた先輩方、活動を支援してくださる各会社・団体、地域の皆様に厚く御礼申し上げます。
ラベンダー木村
はり灸レンジャー、イエローの中村です。
能登への訪問は3月、6月、そして今回9月で3回目。
たまたま3ヶ月に一回のペースで訪問しているからか、
『あの時寸断されてた道は補修されたんだな』
『あの場所は更地になったんだな』といった風景の変化を毎回少しずつ感じています。
(それでもまだまだ手付かずの瓦礫や、凸凹の道は多いです…。
今回訪問時のような強い雨の日や、夜は足下が危なくてとても歩けない、というお声を多く伺いました。)
今回の活動で嬉しかったことは、口コミで来てくださる方がとても多かったこと。
何度も訪問している河原田公民館の方や、活動をコーディネートしてくださるJOCAの皆様が、積極的に地域の方達にお声をかけてくださる(本当にありがたいです)はもちろんのこと、
前回訪問時に鍼灸を受けて下さった方が『良かったから』と、お友達を誘って一緒に受けに来て下さったり、
お嫁さんに勧められて〜とか、ご近所さんに勧められて〜とか、息子さんに行ってこいと言われて〜など。
おすすめしてくださることはもちろん、色んな人たちの繋がりが感じられて、こうした繋がりが震災で途切れなくて、良かったなぁ…と思いました。
その反面、失われた繋がりを思うと胸が痛みます。
自分は助かったけど、ご近所の方は亡くなってしまった。
仕事を失って、同業の仲間たちの多くが金沢へ異動になった。
自分の家は無事だったけど、周囲の家は倒壊、公費解体が決まってて誰も住んでいない…。
そんなお話も多く伺いました。
そんな中で一つ、印象的だったお話があります。
はり灸を受けに来て下さったその方は、大ベテランの海女さん。
仕事場にしていた土地の家屋は地震と津波の影響で一部損壊、水道などのインフラも改修が遅れていて、まだ仕事復帰の目処は立っていないそうなのですが。
自治体の要請で、海中の地震の影響を調べるために海に潜るたびに、地震直後は荒れていた海の中が豊かに戻ってきているのが分かるのだそうです。
『自然は強いよ。一番難儀なのは人間だね。』
という言葉をお聞きして、自然の回復力の凄さを知るのと同時に、
自然のようはいかなくても、人の土地も人のスピードで少しずつ変化している。
だから人は人の出来ることを、できる速度でやっていけばいいのかもな。とふと思いました(そしてそれは、はり灸レンジャーの活動も同じなのかも)。
はり灸レンジャーの活動を通して、本当に沢山のことを学ばせてもらってます。
今回も、ありがとうございました。