会いにいける人のいることの喜び

こんにちは。はり灸レンジャー・ブラックの岡本です。
5月に初参加し、今回は二度目の東北行きとなりました。以下、3日間の様子をご報告いたします。

14日
最初の訪問先は、宮城県山元町の「ささえ愛山元」です。
介護事業を行っていましたが、東日本大震災による津波で事業所が全壊しています。
レンジャーの活動としてはすでに何度も訪れている場所ですが、私にとっては初めての場所でした。

仙台からレンタカーを運転し、宮城県東南端の山元町に向けて車を走らせます。
海岸に近い道路を南下していくと、海側に広がっているのは2年前に津波にさらされた地面でした。
3度目の夏が過ぎ、瓦礫や泥の灰色に染まっていた土地には無数の雑草が生え、重機が点在していました。

内陸側へと進路を変え、水田が広がる風景を眺めながら車を走らせると、小高い丘になっている土地にささえ愛山本の介護施設「愛広館」がありました。
ちょうどその日は「パラソル喫茶」というイベントが行われている日で、青く綺麗に晴れた空の下に利用者の方が集まり、料理と歌を楽しんでおられました。庭先から、何度も「リンゴの唄」が響いてきたのが印象に残っています。
戦争が終わって間もない頃に大ヒットした歌ですから、皆さんにとっては青春の歌なのでしょうか。

ここでは職員、ボランティアスタッフの方を含め、合計で22人の方を治療できました。
治療後には豚汁やおはぎをごちそうになり、デザートのケーキまで出して頂きました。
代表の中村理事長にお話を伺うことができましたが、震災以降、いろいろなご縁がつながって運営を続けてこられたのだそうです。
嬉しそうに、大きな声でお話をされる姿が印象的でした。この笑顔を取り戻すために、相当の苦労を経てこられたのでしょう。

この日は治療後、皆さんに別れを告げてから、壊滅した常磐線の山下駅を見に行きました。
駅舎はすでに撤去されており、残っているのは隣の公衆トイレだけ。
トイレの壁には「心をひとつに」「がんばろう山元町」「日本中のみんながついてる」という落書きがありました。
線路跡には雑草がびっしりと生え、青々とした草木の隙間から錆びたレールが垣間見えます。
調べてみたところ、山下駅は移設され、高架駅として生まれ変わるそうです。このレールの上を電車が走ることは、もうないのですね。

 

15日
早朝、宿泊先の登米市を出発し、気仙沼へと向かいました。車で1時間半ほどの道のりです。
海沿いを走っていると、作りかけの堤防が見えました。カーナビ上では線路と並行している道路を走っているはずなのに、周囲に線路らしきものは見当たりません。

最初の目的地は、中井小学校仮設住宅です。校庭に寄り添うように作られた、十数世帯ほどの小さな仮設住宅エリアです。
集会所のスペースをお借りして、自治会長さんご夫婦と入居者の方一人を治療しました。
自治会長さんは「病院にはかからない」とご自慢の様子で、そんな旦那さんに奥様が「そういう人がいきなりポックリいくんよ」とツッコミを入れ、仲の良さそうなご夫妻でした。

お昼休憩をはさみ、午後は旧唐桑小学校の仮設住宅へ向かいました。
入居者の方は“部外者”である私たちには色々なことが話しやすいのかもしれません。
波瀾万丈の人生を語り、「最後の最後に全部流されちゃってねぇ」と、淡々とお話しをされる方などには、どう声をかければよいのか、わからないのです。私たちが訪れることが、わずかでも生きる喜びになってくれることを祈るのみです。
ここでは10人の方を治療し、終了する頃には雨も収まっていました。

最後は、お世話になったNPO法人「森は海の恋人」の事務局の方と、その関係者の方々を治療させて頂きました。

今回、気仙沼で治療を行えることになったのは、「森は海の恋人」のSさんのご尽力のおかげです。
Sさんとは昔同じ職場で働いていました。
お互いに学生時代は中国語専攻だったこともあって、なんとなく波長が合い、ずっとお付き合いが続いています。
そのSさんが居住している唐桑町で、治療を行わせて頂くことになりましたが、仮設住宅への連絡、事前のチラシ配布、当日は看板まで出して下さり、とどこおりなくスムーズに進めることができました。

 

16日
午前中、入谷仮設にて、入居者の方と職員さんの治療を行いました。
ここは山間部にある小規模の施設で、私たちのことを覚えていて下さる方も多く、終始和やかなムードで治療が進みました。
すでに5〜6回治療を受けておられる方もいます。また、訪れることを約束して、最後の訪問場所を後にしました。

この入谷仮設ですべての日程が終了し、仙台へ戻ることになります。
帰り道は台風による暴風と豪雨に見まわれましたが、幸いにして直撃は免れたようで、大きなトラブルもなく、それぞれ無事に帰宅することができました。

はり灸レンジャーはこれまで9回の活動の中で、再訪を含む訪問場所が38カ所を数え、合わせて383人を治療してきました。
「その場で楽になっておしまい」ではなく、一人ひとりのカルテを作成し、再び治療する機会が得られた方については前回からの経過を確認しながら治療を行っています。

東北を訪れるたびに、新たな出会いがあります。
ボランティア治療から思わぬ形で交流が続くこともあり、ご縁の不思議さを感じています。
次の訪問は来年の3月になるでしょうか。今後も継続的に、会いにいければと思っています。


岡本

被災地東北の変化と新たなつながり

はり灸レンジャーブルーの森川です。今回は被災地の変化と新たなつながりを感じました。少し長くなりますが、3日間の感想とまとめを。

2013/9/14(土) [一日目]  山元町

朝、仙台駅で前回と同じ待ち合わせ場所でメンバーと合流(仙台駅前も馴染みのものです)。レンタカーを借りて、宮城県南部の山元町へ。活動当初から訪問している「ささえ愛山元」に向かいます。ただ、今回向かうのは高台へ移転した新しい事業所(デイサービス)です。

少し迷いながらも到着。当日は近隣の仮設住宅の人も集まる「パラソル喫茶」と重なり、多くの人が待ち構えておられました。治療も、施術者2人で患者さん22人と、夕方まで大盛況でした。スタッフの方をはじめ、鍼灸の常連さんもおられ、熱がこもります。

治療後に、はじめて訪れたメンバーと共に山元町を巡りました。毎回訪れるのが、写真の山下駅。海岸沿いを走る常磐線は、線路も、駅も、その回りの町ごと流されてしまいました。2年前にはじめて訪れたときは、一面見渡す限りの荒野といった感じでした。それが、次第に雑草が生えだし(塩害のため作物は土を入れ替えないと育てられません)野原が一面に広がっている感じがありました。それが今回、新築の住居や、ビニルハウスなども目立つようになりました。少しずつでもやっと復興が進んでいるんだなと思って帰ってきました。

しかし、まだまだポツンポツンとしか建っていなくて、町は戻っていませんでした。駅が無くなれば、駅前の人通りもありません。その常磐線がどうなるものかと調べてみると、次のような記事を見つけました。

河北新報ニュース
第16部・孤立(2)危険区域/再起の決意、報われず 鉄道移設、廃れるまち

記事によると、常磐線は内陸に移ることが決定しています。さらには沿岸部にある駅周辺は、危険区域というレッテルも。山下駅の前にある商店にそのような事情があったとは知らず。被災地復興の深刻さをまた知りました。

2013/9/15(日) [二日目] 気仙沼市

二日目は、今回初訪問となる、気仙沼市へ。メンバーのつながりで、NPO法人「森は海の恋人」の皆さんに終日お世話になりました。
「森は海の恋人」とは、
『自然の「環」から、人の「和」を育てよう!』をキャッチフレーズに、環境教育・森づくり・自然環境保全の3分野で活動する特定非営利活動法人です。(HPより)
豊かな海を育むには、そこに流れる川と、豊かな森も必要なのです。牡蠣の養殖のために、植林活動をも行なわれています。
苗字が「森川」、大学で農学部を専攻していた私としては、大変興味のある団体でした。(実際、お話もとても興味深いものばかりで、楽しい一日でした!)

その職員さんの紹介で、まずは中井小学校仮設住宅に訪問。20戸以下の小さな仮設住宅でしたが、元々居住者の皆さん顔見知りのような近隣の方が集まられていました。少人数でしたが、のんびりとゆっくりした雰囲気の中、治療を行なうことができました。

お昼は「森は海の恋人」の方にお世話になり、午後からは、旧唐桑小学校仮設住宅に訪問。集会場に到着するや、治療を待たれている人がすでに並ばれていました。ここからは施術者も4人に増え、またじっくり治療を行なうことができました。狭い仮設住宅暮らし、震災後の重労働(土木関係の一時的な仕事に就かれている方も多いです)など、やはり震災前後の生活の変化とこれから先の生活の不安に、大きなストレスを感じられているようでした。震災時のショックもさることながら、これから先の不安や心配は、現在進行形です。肉体的にも大きな負担が診られました。

そして、夕方はお世話になりっぱなしの「森は海の恋人」の職員や関係者の方々の治療を。被災地で頑張られている方々自身も、もちろん被災者なのです。

たった1回の治療では限界もあり、セルフケアもどこまで役立てるかは、その後次第です。また改めて、ご訪問できることを約束して、お別れしました。

2013/9/16(月) [三日目]  南三陸町

大型台風18号が日本を縦断する中、最後の三日目を迎えました。午後に東北地方に再接近し、帰りの交通機関も乱れる予測から、当初の予定を変更して午前中の活動で切り上げることにしました。

午前中訪問したのは、入谷福祉仮設。今回で7回目の訪問になり、もうお馴染みです。そして雨(嵐)も、もうお馴染みです。(この南三陸にお邪魔するときは、とにかく悪天候が多いのです…。)

もう治療が6回目の利用者さん、職員さんもおられました。そのうちの利用者Mさん。1回目も私が治療を担当しました。2年前の同じ9月でしたが、そのときは足が特別冷たかったのを覚えています。被災されて、施設に移ってきてすぐだったと思います。そのときに比べると、今回の治療では、随分足が温かくなっていると感じました。一ついい変化を感じることができた治療でした。複数回の訪問と、セルフケアが、少しは役立っていると思います。

あと、ここの職員さんはとても楽しくされています。それにつられて、利用者さんも笑顔に。職員さんも被災され、仮設住宅暮らし、つらい思いもされています。それでもこうして人を支え、そしてまた支えられ。とてもいい関係だと実感できました。そして職員さんの話では、ここも来年には新しく施設として再建されるとのこと。少し希望も感じられる今回の訪問でした。

また、南三陸ではいつもお世話になるNPO法人「奏海の杜」。こちらもいろんな困難を乗り越えながらも、再建に進んでいます。被災地では、建設ラッシュで資材や建築費の高騰などのバブルがおきています。残念なことではありますがそれが現実。まだまだ大変ですが、いちサポーターとして、何かお手伝いができたらとまたの訪問をお約束しました。

被災地が変化していく中で、私たちボランティア側もどう変化していくか?無償のボランティアが被災者の自立を妨げるとも言われますが、この被災地の状況を見れば(全てを見ているわけではありませんが)、まだそんなことは言えないと思います。まだつらい状況の中でも、懸命に頑張られています。それでもまだ先が見えない人もおられます。その苦労を少しでも分かち合えるように、まわりの協力もまだまだ必要なんだと思います。そんなこんなで、はり灸レンジャーの活動もまだ続きます。
(森川)

ホタテに感謝

先日参加した「はり灸レンジャー」の活動で、カキやホタテの養殖・加工業を営むご一家とお会いし、治療する機会がありました。
皆さん訴えるは一様に「腕が痛い!」

今は帆立貝のシーズンらしく、水揚げしたホタテの殻をひたすら開き、むき身や貝柱を取り出す作業に追われているそうです。
その量は何と数百トン単位!(もう想像もつきません…)
更に震災後、水産加工業に携わる人が激減 してしまったため、技術を必要とするこうした作業が出来る方たちは大忙しとのこと。
自分達で生産する帆立貝だけでなく他の生産者から依頼された分の加工まであり、一日中作業しても追い付かないというお話でした。
殻を外す作業だけでも腕の力がかなり必要とのことで、私が治療させていただいた女性も腕がパンパンに張って、腱鞘炎の一歩手前と言う状態。
腕だけでなく全身疲労も強かったため、内臓と筋肉を出来る限り治療しました。

はり灸レンジャーの活動では、海なし県・岐阜に住む私が知らなかった「海のお仕事」に関わる方に沢山お会いしています。
お話はもちろんですが、お体を見ることでその大変さやお仕事をされているかたの凄さを知り、本当に自分の世界が広がりました。
これからは帆立貝が食卓にのぼる度、ご一家のことを思い感謝して頂きたいと思います!

(清水)

つながりゆく東北活動

はり灸レンジャー グリーンの吉村早也香です。
私自身の東北訪問は今回で三回目となります。

今回、治療で使うセルフケアの簡単な手引の作成をお手伝いさせていただき、見やすさ、わかりやすさ、何を伝えたいかなどの見せ方について勉強になりました。
治療の最後にプリントされた図を交えながら、「あなたの場合はここをよくローラーすると良いですよ」などアドバイスでき、以前より視覚効果もセルフケアのとっかかりとしては効果的だったのではと思います。
まだまだ改善の余地はあるので、よりよい提案を今後もできたらと思います。

今回の活動は気仙沼での活動が印象的でした。
レンジャーの岡本さんがつないでくださったご縁で、NPO法人である「森は海の恋人」の方々と初顔合わせとなりました。
丸一日、総務のSさんには訪問先の仮設住宅と方々とつないでいただいたりと大変お世話になりました。
南三陸のOさんもそうですが、安心した窓口のような役目をしてくださる方々の存在がいかに大きいかを改めて考えさせられますね。
半ばこちらから勝手に押しかけているようなものなのに、丁寧に対応してくださる姿に頭が上がりません。

今回はわりとゆったり目の治療が多く、また治療に専念していたこともあり思うようなお話ができなかったなと反省しています。
しかしその中で、私も気になっていた仮設住宅の暮らしに慣れないというお声は印象的でした。
皆さんそれぞれの事情をかかえて仮設住宅で暮らされています。
仮設住宅を目にすると、まだまだ苦労されている方々がいることを目の当たりにしますが、そこを少しは慣れると大震災津波がきたという風景は当たり前ではありますが、確実に消えてっています。
ニュースでもそうですが、耳や目に入る情報が減れば減るほど薄れ、忘れていってしまうものなんだと、少し恐怖に似たような感覚を覚えました。

だからこそ、このはり灸レンジャーの活動を通して東北への思いを続けていきたいと改めて感じます。
そして、その活動を知ってもらうこともしていきたいと思います。
活動紹介のリーフレットも作っていただけたので、それをもとに知人友人に紹介したいと思います。

自分の情報収集不足も痛感しましたので、活動に参加する意義をもっともっと増やせるような土台をしっかり作った上で、次回の活動に参加できるようにしたいです。

吉村早也香

災害で見える被災地の生活

今回の「はり灸レンジャー」被災地訪問。
なんと台風18号の日本上陸とかちあってしまいました!

幸いなことに現地での活動は台風のピークを迎える前に終了することが出来たのですが、暴風が吹き荒れる中の高速道路の運転や、新幹線の運休による駅のパニックに巻き込まれるなど色々なことに遭遇しながらの帰路となりました。
台風上陸前の9月15日にお邪魔した気仙沼市や16日の訪問先の南三陸町でもかなりの量の雨が降りました。

こういった天災があると、被災地の 違う顔が見えてきます。
震災後、まだ整備が出来ていない道路のあちこちに水たまりが出来て車で通ることをためらうほどの悪路になっていたり。
仮設住宅では棟が少し違うだけで浸水してしまったお宅があったり…
(急ごしらえで造成したためか、同じ土地でも高低差が生じてしまい、少し低い場所に雨水が集中してしまったそうです)

全国ニュースにはならないかも知れないけれど、住んでいる方たちにとってとても深刻な問題がありました。
こういった部分の「復興」ももっと早く進みますように、と願う気持ちになった今回の訪問でした。

(清水)

9回目の被災地訪問予定

今日で東北大震災から2年半。ここ神戸の地元紙、神戸新聞でも特集記事が載っていました。そして、今週末、私たち「はり灸レンジャー」も参上いたします!

【活動期間】
2013年9月14日(土)~9月16日(月)

【参加者】
清水真奈美 (サンリ治療院 勤務)
吉村早也香 (サンリ治療院 勤務)
岡本悠馬 (南天はり灸院 院長)
森川真二 (SORA鍼灸院 院長)

【活動予定】
9/14(土)
宮城県山元町
・ささえ愛山元
宮城県登米市
・奏海の杜 宿泊

9/15(日)
宮城県気仙沼市
・中井小学校仮設住宅
・旧唐桑小学校仮設住宅
・水山養殖場 (「森は海の恋人」)

9/16(月・祝)
宮城県南三陸町
・入谷福祉型仮設住宅

今回は新たに、セルフケア用のパンフレット、はり灸レンジャーのパンフレットを、用意しました。さらに、配布用のローラー鍼、せんねん灸も追加購入。(今回もタフリーインターナショナルさんより、活動で使える支援物資もいただきました。)

ローラー鍼には、1本1本、軸の部分にオイルを差し(購入時のローラー鍼は、軋む音がするので)、せんねん灸は、少量ずつ箱詰めを行ないます。

準備は万端! あとは天気が荒れませんようにお祈りしています…