はり灸レンジャー、レッド舟橋です。
7回目となる東北への鍼灸ボランティアを実施しました。
まずは概要です。
参加者、吉村早也香、吉村美陽子(看護師)、舟橋寛延の3人。
(日程)
3/16(土)
夜行バスにて名古屋を出発
3/17(日)
朝 仙台着
レンタカーで南三陸町に移動
午後 被災者のお宅を訪問し鍼灸治療(5人)
夜は登米市にあるNPO「奏海の杜」宿舎に泊まる
3/18(月)
午前 南三陸町にて関係者の治療(8人)
午後 南三陸町 入谷福祉仮設にて治療(9人)
夕方 南三陸復興ステーションにて山内明美さんより復興状況のレクチャーを受ける
夜は引き続き登米市の宿舎に泊まる
3/19(火)
朝 南三陸町を出発
午後 宮城県南部の山元町の福祉施設にて治療(8人)
夕刻 亘理町の被災沿岸部を視察
治療総人数 30名
(今までの累計した総施術数は、283回)
今回は鍼灸師の参加が2名だったこともあり、比較的こじんまりとした活動になりました。
その分、被災された方々ともじっくりお話しができたというメリットもあります。
震災から3年目に入った被災地の状況は、なかなか一口で言うのが難しいのですが、たいへん厳しいと言わざるをえません。
まず、復興住宅建設の遅れが目立ちます。
それには色々な理由があるのですが、おいおいブログに投稿していくつもりです。
一方、明るい話題もあります。
今回わたしたちがお世話になったNPO「奏海の杜」さん(南三陸町)、NPO「ささえ愛山元」さん(山元町)ともに仮りの住まいから恒久的な拠点への移転が具体的な日程にあがっています。
どちらも今年中には移転が完了するでしょう。
地域で苦闘する皆さんに心からのエールを送りたいと思います。
はり灸レンジャー グリーンの吉村 早也香です。
私は、去年の9月に初めてはり灸レンジャーの活動に参加させていただき、今回は2回目の活動参加でした。
今回の活動でレンタカーの車両担当を任命していただき、初めて東北での運転を体験しました。
はり治療に関しては、今回は鍼灸師が舟橋先生と私吉村の二人だったこともあり、ゆったりとした治療が中心となりました。
やはり治療を楽しみにしてくださっている方がいることは率直に嬉しいことですし、被災地の方々の生の声を聞ける大変貴重な場だと再確認しました。
被災地は、風景の大きな変化はありませんでしたが、防潮堤の建設も始まっており去年同様、浜の近辺はトラックがよく行き来していました。
複雑な思いもありますが、その土地に住む人の思いが反映された街づくりが願われます。
改めて東北を訪れて、東北の方々の人柄に魅力を感じました。
また行きたいと思うのは、そこにいる人々と土地の豊かさなのかもしれません。
できる範囲ではありますが、積極的に今後も活動に参加していきたいと思える訪問となりました。
こんにちは。岐阜の吉村美陽子です。
今回、震災からほぼ2年が経った宮城へ行かせていただきました。
約半年ぶりの再会を果たしてきました。
前回ほどの緊張はなく、なじみの場所に来れたという感覚でした。
宮城が自分にとって、身近な場所であると感じられました。
しかし、私自身の心は、ギャップも感じていました。自分が普段送っている日々と、あまりにも目に見える光景が違っていました。岐阜での生活を送る私が普段目にしているものが当たり前になり、宮城を想像すること、思うことが少なくなっていたからでしょう。
初日、夜行バスで仙台駅に着いた私たちは、駅からレンタカーで南三陸町に向かいました。
南三陸町で山の下のほうの木が枯れているのが見えたとき、家のない海まで広がる土地を見たとき、
悲しい気持ちになりました。この気持ちが、心をひきつけ、心をよせるきっかけになると感じました。
自然に湧き上がる気持ちが、行動の動機づけになると感じました。
ギャップで自分の至らなさを感じましたが、だからこそ、改めて被災地に心が向きました。
私の目に映るものが、ただの一面にすぎないとしても、そこから感じたものが行動へのエネルギーになりますから、直接行かせていただけることは本当にありがたいことです。
実際に被災地が抱えている問題というのは、なかなか想像できません。
関心が向かなければなおさらです。
震災をどう生かすのかが本当に大切なことだと思います。
ただの出来事にしないこと。
そして、そこに生きる人々を思う心。感じる心がすごく大事だと思います。
もっと多くの目が向いたらなと思います。そしてそのためにはまず私が発信していきたいとおもいます。
身近な人に、少しずつどんどんと。
山内さんにお会いして、防潮堤や街づくりについてお話をを聞かせていただき、ものすごく関心がわいたので、現在調べている最中です。
今感じることは、「お金の使い方」を決める人々の視野の偏りです。
防潮堤建設に関しては、費用対効果の疑問、自然環境破壊、漁業や景観への影響などの問題があるようです。
防潮堤が「最善の策」であるから建設されるのでしょうか?なにの最善なのでしょうか。
様々な分野の人が防潮堤に関しての意見をもつことで、議論が成熟していきます。
いろいろな面からみることで、形が変わっていきます。
建設がなくなることがないとしても、建設に関して生じた様々な動きは、自然の中で人間が生きているということを感じる心を育てると思います。
コンクリートの壁をつくることから、自然との付き合い方、向き合い方を考えることにシフトできたらいいなと思います。
自然とともに生きているという事実を純粋に感じる人々の力がもう少し大きくなってくると、大きなものも動かせると思いますが、その難しさも防潮堤の問題を通じてよく勉強していきたいと思います。
話をもとに戻しますが、今回私は治療を受けられている方々にローラーをするという大役をいただきました。
何名かの方にローラーをしたことで、ローラーへの愛着が湧き、自分へのローラーも以前よりやるようになりました。
舟橋先生と吉村先生の施術の様子を見ながら、次に治療を受けられる方を案内するということも任せていただいたのですが、話に聴きこんでしまい、スムーズな治療を行うためのお役にたつことができなかった部分がありました。改めて、自分の性質を実感しました。どっぷりと話に入り込むのが好きなのですね。でもそれは視野の狭さを表すので、気を付けたいと思いました。話をきくことは、話す人が気持ちを整理できたり、心の安定にも貢献できると思うので、広い視野をもちながら、話を聞くことを楽しみたいと思います。
今回お会いすることができたある方から、「喪失や悲しみから、喜びや楽しさを生み出した」姿を見せていいただくことができ、大変感動いたしました。
出来事への向き合い方は人それぞれ違いますし時間とともに変化していきますが、出来事をどう生かすかに関して、その方の姿は心にぐっときました。私自身のありたい姿だと改めて感じました。
今回も多くのことを感じさせていただいた宮城への訪問、本当にありがとうございました。
3月の訪問で、治療の際に感じたことを書きます。
今までの訪問の積み重ねがものを言ってか、鍼灸治療をすんなり受け入れて下さる方が増えました。
また再診、再再診の方も多く、中には5回目の治療の方もいらっしゃいます。
南三陸町のある患者さん。
この方は、幸い自宅が高台にあったので自宅は無事です。
とはいえ庭のすぐ目の前まで水が上がってきて、停電などインフラはダウンしました。
震災・津波後の生活に無理があったのか、脳梗塞をおこし、もとからの持病もあり半ば寝たきりの生活を余儀なくされていました。
昨年(2012年)来、4回目の訪問・治療になります。
初めてお目にかかったころからマヒは強くなく、痛みのため歩けないということでした。
「痛みなら何とかなりますよ」
とお伝えし、鍼灸治療に加え、ローラー鍼の提供を行なってきました。
この方は、もともと年齢を感じさせない元気さ、好奇心、生活の意欲をお持ちでしたので、私としてもなんとか日常生活ができるようにと、祈るような気持ちでした。
投薬や訪問リハビリも相乗効果を出したようで、3月の訪問の際は、たいへんお元気で歩行器を使いながらですが屋内を動いていらっしゃいました。
自分の親戚が元気になったようで大変嬉しく感じた次第です。
こちらのお宅では、治療が終わった後、「お茶っこ会」の饗応を受けます。
お茶や漬物、ふかしたお芋などを前に話の花が咲くのです。
なんとも言えない、楽しいひと時でした。
(舟橋)