第5回東北訪問

【概要】 2018年3月21日(水)~3月23日(金)

 
(被災地復興イベントの一コマ)

 第5回は舟橋の単独訪問であった。連携している現地の団体の一つである「被災地障がい者センター石巻」が主催する復興イベントに参加することが一つの目的であり、また南三陸町の現地NPOとも今後の打ち合わせを行なった。この際、当初訪問したころは治療を遠慮しておられた現地職員の方々も気軽に治療を受けるようになり、より深い信頼関係が構築されつつあることを感じた。また南三陸では復興活動に取り組む研究者・山内明美さんから現状のレクチャーを受け、その後の活動の力点を絞る上での大きなヒントを得た。

(舟橋)

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活動メンバーによる報告

7/13(金)~16(月・祝) 第5回 訪問の報告 その1

はり灸レンジャー・レッドこと舟橋です。
7月の連休を利用して、単独ですが、東北へ鍼灸ボランティアに行って来ました。
簡単に報告をしたく思います。

7/13(金)
夜に仙台空港に到着、便利な空港線という電車で20分ほどで仙台駅にアクセスできます。
夜はおなじみのビジネスホテルに泊まりました。

7/14(土)
予約していたレンタカーを駆って、まず、仙台市内にある障害者団体「CILたすけっと」さんを訪問しました。
ここは震災直後に自立生活をしている障害者をはじめ、職員さんやボランティアがつめかけ、宮城県の障害者復興の一大拠点になった事務所なのです。

震災から1年と4ヶ月がすぎ、特に今年度からは平常業務に戻ってきたとのことで、事務所の雰囲気もさっぱりしたものになっていました。
当日は地域の障害者のサロンが開催されるということで、職員さんと視覚障害をお持ちの方がいらしていました。
最近の様子をお聞きして、事務所を失礼します。

私たち東日本大震災鍼灸ボランティア「はり灸レンジャー」の活動が現地で奮闘されている団体のご協力によって成立します。
お忙しい現地の方には、恐縮ですが、このように随時、顔を合わせて様子をうかがうことは、大切だと実感しています。

午後から石巻市へ移動。
被災地障がい者センター・石巻が共催するイベント「障害者プロレス」を観戦しがてら、石巻事務所のメンバーと意見交換をします。
「障害者プロレス」!?
噂には聞いていましたが、実際に見ると抱腹絶倒の面白さでした。
これに関しては別項目で紹介したく思います。

被災地障がい者センター・石巻さんのブログはこちらです

http://blog.canpan.info/hsc_ishinomaki/

夜は登米市まで移動し、同じく被災地障がい者センター・南三陸さんの事務所にて宿泊させていただきました。
いよいよ翌日が鍼灸ボランティアです。

(つづく)

7/13(金)~16(月・祝) 第5回 訪問の報告 その2

先日に引き続き、報告をいたします。

7/15(日)の朝、お世話になっている登米市の地域拠点に職員さんが迎えにきて下さりました。
登米市は南三陸町と隣接していて、被災した多くの方々が仮設住宅での避難生活を余儀なくされています。
ここでお世話になったのは、
「被災地障がい者センター・南三陸」の皆さんです。
ブログはこちら ↓
http://blog.canpan.info/hsc_kenpoku/

三人の職員さんは、皆さん南三陸町のご出身です。
今は登米市に拠点をかまえていますが、
「いつか、きっと、みんなで南三陸に帰るぞ!」
という思いで活動をされています。

さて、職員のAさんのご案内で、南三陸町に入ります。
通いなれた風景ですが、徐々に変化もありました。
例えば、有名な志津川病院は取り壊しが始まっていました。
また、廃墟となった防災庁舎には、慰霊の方々がバスを連ねていらしています。
変わっていく風景の中で、なにを残し、新しいものをつくるか、正念場にさしかかっていることが見てとれます。

とある家庭にて鍼灸治療を実施しました。
このお宅は津波を被害をからくも逃れたのですが、震災後、70代のお母さんは脳梗塞を起こしてしまったとのこと。
マヒは改善されているのですが、足腰に痛みがあって起き上がれないのです。
前回、5月の訪問時に初めてお目にかかり、その際も
「次にまた来ますので、なんとか歩けるようになりましょうね!」
とお約束しましたので、再訪したわけです。
すぐに完全にはならなくとも、少しずつ前向きに生活ができるよう、機会を見つけてお邪魔したいと思います。
このお母さんのご主人さんや、お姑さん、ご近所の方など5名の治療を終え、日中の治療は一旦終了しました。

夕方は、南三陸復興ステーション(宮城大学)に寄り、地元のご出身でもあり新進気鋭の学者さん、山内明美さんとお話しできました。
次回に報告します。

(つづく)

7/13(金)~16(月・祝) 第5回 訪問の報告 その3

連続での投稿になります。はり灸レッドこと舟橋です。

7月の訪問は私一人でしたので、たくさんの方々の治療には限界があります。
しかし、地域で奮闘するNPOの職員さんと情報交換をしたり、いまの課題を掘り下げるという視察的な位置づけもあり、そういう意味で山内明美さんとお目にかかれたのは望外の喜びでした。

「こども東北学」などの著書で、注目を集めている山内明美さんは30代の若手研究者です。
ご出身は南三陸町。それも浜辺ぞいではなく、少し内陸よりで里山のような風景が広がる地域です。

現在、山内さんは南三陸復興ステーションという現地組織に常駐しておられます。
私たち「はり灸レンジャー」が今までにも治療で訪問した入谷地区の仮設の近くにステーションはあります。
廃校になった小学校にある事務所はなんとも風情のある場所でした。

たまたま我々のボランティア活動の現地案内をして下さっているメンバーと山内さんがお知り合いということで、お目にかかることができたのです。

色々なお話をうかがいました。
新たに南三陸の入谷地区で勃興しつつある地場産業のこと、
震災後のすさまじいストレス状況下で人々がどのように生活しているか、
放射能の影響について、
希望を作り出すため、子どもワークショップを企画していることなど・・・

あっという間に1時間以上がたってしまったかと思います。
具体的なある被災者の支援をめぐる山内さんの言葉やふるまいのなかに、静かな深いやさしさを感じました。

山内さんは少し前の朝日新聞のインタビューで、
以下のようにお話しされています。

「過疎化。高齢化。少子化。貧困。格差。
どれも震災前からあり、震災で一段と深刻になりました。
さらに、原発事故でたくさんの人たちが自分の土地を追われたままです。
大量の『避難民』が発生している。
・・・ここで巻き返しができないなら、どこの社会でもできないんじゃないか。」

そして、これからの東北とは、との質問に、
「日本のフロンティア(辺境)です。
これまでも実験地だったし、これからも実験地です。
・・・自分のふるさとをこんな風に言いたくない。
でもフロンティアだからこそ、中央に対して『それでいいんですか』と問い返せる。
発想の転換を求めることができる。
そういう場所です」
と答えていらっしゃいます。

若い方が地元に根をはりつつ発信している姿にこころ打たれます。
今後も機会を見つけて、いろいろなお話をお聞きしたいものだと思いました。

南三陸復興ステーションのHPは、

http://minamisanriku.wordpress.com/

(つづく)

7/13(金)~16(月・祝) 第5回 訪問の報告 その4

はり灸レンジャー・レッド舟橋です。
先日に引き続き、7月の東北訪問の報告をいたします。
今回は、はり灸レンジャーらしく、治療のことを中心に。

7/15(日)の夕方、南三陸を引き上げ、お隣の登米市にある「被災地障がい者センターみやぎ・南三陸支部」の事務所にもどったところ、仙台のスタッフさんが用事でいらしていました。

ずいぶんお疲れのご様子でしたので、早速治療いたしました。
スタッフKさんは、仙台の事務所で復興活動の中心的役割を担ってきた方です。
八面六臂の活躍で、私たちをはじめ外部のボランティアを受け入れ、きめこまかく采配して下さっていました。
いつも温厚で、落ち着いたリーダーぶりに見惚れたものです。

そんなKさんも震災後は、1~2回過労のため倒れたとのこと。
心身ともに限界に来ていたのですね。

今回、久しぶりにお目にかかり(今年3月以来?)、お体を拝見し、ゆっくり治療とお話ができました。

責任ある立場の方の多くがそうであるように、無理に無理を重ねている様子が、ツボを触ると分ります。
首や肩こりは定番ともいえますが、その引き金にもなる咽頭粘膜、あるいは目のツボなどもしっかり施術いたしました。
東北にうかがい、鍼灸治療を展開する際、やはり筋肉痛など整形外科的なつらさが最初にあります。
しかし、仔細にお体を拝見すると、内臓の疲労もあり、目や鼻、ノドなど、ご本人も気づかない炎症反応が見つかります。
単に筋肉疲労だけではなく、身体全体の治療こそが鍼灸の面目躍如と言えましょう。

さて、以下、Kさんのお話です。
「今の被災地は、端境期(はざかいき)=課題の入れ替わりの次期かも知れません。
震災から1年ぐらいまでは、突っ走って来て、いまエアポケットのようになっています。
復興へ向けて次のステップをどう踏んでいけばいいか・・・・」

Kさんをはじめ、私たちがお世話になる宮城県のNPOは、障がい者の支援を行なっています。
そして、震災前も障がい者の生活は決して余裕があった訳ではありません。
震災をきっかけに多くの人々が出会っています。
そして、新たな街づくりの試みがあちらこちらで生まれています。
そこに障がいを持つ当事者の視点を入れていく活動が問われてるのです。

一方、Kさんは、真面目な性格もあるのでしょう、
「振り返ると、もっといろいろやれたんではないか、と思ったりします」
と小さくつぶやいていました。

Kさんの働きぶりをしっている人なら誰でも
「そんなことはないよ!Kさんは、十二分に頑張ったよ」
と言ってあげたくなることでしょう。

周囲のその言葉を何度も聞いているはずのKさんが、
「それでも、しかし・・・」
と呻吟するところに、被災地で活動する方々の苦悩の深さを感じました。

連続投稿も4回目を迎えたこの報告。
あと1回で、大よその流れは終わりです。

(つづく)

7/13(金)~16(月・祝) 第5回 訪問の報告 その5

はり灸レッド舟橋です。
何度も書いてきました、7月の東北訪問。
アッという間に8月の声を聞いています。いよいよ本日が最後になります。

7/16(月・祝)
訪問の最終日の朝、被災地障がい者センターみやぎ・南三陸の宿泊所でひとり目を覚ましました。
連日の行動でさすがに私も疲れが出たようです。昨夜は気づかないうちに眠ってしまっていたようです。

この日は、センターの職員さんや、そのお知り合いの方の治療を致しました。

職員さんは今年の5月に続いて2回目の治療で、喜んでいただけたと思います。
やはり単純な肩こりなどではなく、内臓のメンテナンスが必要であったり、頭痛、不眠傾向が見られます。
さもありなん、という感じです。

ご自身がたも不慣れな仮設住宅で暮らしながら、他の被災者の支援をしているのです。
日々の雑事に加えて、先行きの不透明な暮らしの中で、のんびりできる方がおかしいでしょう。

思い出すと、地震からこっち、地元NPO職員さんは、皆さん懸命に活動をされてきました。

昨年は、われわれ鍼灸師が、職員さんの憔悴した様子を見かねて
「治療しましょうか?」
と声をおかけしても、遠慮される場面が多かったように記憶しています。

一つには鍼灸というものが、あまり普及していない東北地方ですから、まず鍼灸への警戒心、そして、あまり素性の分らない押しかけボランティアのわれわれへの抵抗感もあったかも知れません。

しかし、それ以上に大きいのは、
「自分のことは後回しにして、もっと困っている人から治療してあげて欲しい」
という心の声でしょう。

他の方を思いやる気持ちを今にして深く感じるものです。
同時に、現地の活動も、何かにせかされるような急性期は終息しつつあり、職員さんもホッと治療を受けてみようか、という気持ちになられたのでは、とも感じます。
それは善い兆候だと思われます。

ただ・・
今しがた、急性期は終息しつつあり、と書きました。
それは復興の足取りが確かなものになった、と楽観していうのではありません。

とにかく目の前のことに懸命だった時期は過ぎ去りつつあるという意味です。
そして、前回投稿したなかで現地のKさんがつぶやいた
「端境期(はざかいき)。次へ向かってのエアポケット」
という言葉が、しんどさを表わしています。

一方で思います。
しんどい時期、エアポケットの時期こそ、1年さき、10年さき、いえ100年さきを見すえた活動のプランを大胆に描ける機会かも知れません。

さあ、登米市での治療活動を終え、レンタカーを仙台駅に返却。
空港線という鉄道で仙台空港に向かい、すっかりなじんだ東北にお別れです。

以上、5回にわたって書き連ねてきた7月の報告はいったん終了です。
お伝えしたいエピソードはたくさんありますので、また折にふれて投稿していきます。

次回の「はり灸レンジャー」の東北鍼灸ボランティアは9月の中旬を予定しています。
いままでのメンバーに加えてニューフェイスが複数参加してくれそうです、楽しみです!