第11回東北訪問

【概要】 2014年9月21日(日)~9月23日(火)

 
(山元町 ささえ愛山元 お灸教室) (南三陸町 くつろぐはうす 親子小児鍼教室)

 今回の活動からの新たな試みとして、「お灸教室」、「小児鍼教室」を実施した。被災者自ら健康づくりを実践してもらえるように、また同じ立場の人が集える場を提供することを目指した。活動終了後、現地のNPO団体より、大変好評だったという参加者からの声や、今回教室に来られなかった人からも次回こそは是非参加したいとの要望も聞いた。
 また今後も鍼灸治療と教室を軸に、鍼灸の魅力とセルフケアの重要性を伝える活動を続けていきたい。 

(森川)

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活動メンバーによる報告

第11回訪問予定

東北大震災からもうすぐ3年半。被災地の状況が変化しつつある中、我々のような外部からのボランティアの支援も変化していかねばなりません。これからは、被災地の人々による主体的な健康づくりや、同じような立場の人々が集える場づくりを提供できるように、引き続き現地のNPOなどと連携して活動を続けていきたいと考えています。
そこで今回の訪問では、従来の鍼灸治療に加え、デイサービス主催による地域の方へ向けての「お灸教室」、これからの子育て世代へ向けての「小児鍼教室」を開催します。さらに多くの人にセルフケアと鍼灸治療の良さをお伝えできればと思います。

【活動期間】
2014年9月21日(日)~9月23日(火)

【参加者】
舟橋 寛延 (鍼灸師・サンリ治療院 院長)
清水 真奈美 (鍼灸あマ師・サンリ治療院 勤務)
鈴木 一成 (鍼灸あマ師・十四堂鍼灸院 院長)
坂口 友亮 (鍼灸師)
西井 牧子 (鍼灸師・makiはり灸院 院長)
森川 真二 (鍼灸師・SORA鍼灸院 院長)

【活動予定】
9/21(日)
宮城県山元町
NPO法人ささえ愛山元
お灸教室と鍼灸治療
(登米にて宿泊)

9/22(月)
宮城県石巻市
被災地障がい者センター石巻
小児鍼教室と鍼灸治療
(登米にて宿泊)

9/23(火)
宮城県南三陸町
NPO法人奏海の杜
小児鍼教室と鍼灸治療

訪問場所等、詳細決まりましたら、更新していきます。

第11回訪問活動記録

今回は全日程、清々しい秋晴れの中での活動となりました。今回も新しいメンバーの参加や、お灸教室や小児鍼教室などの新しい試みもあり、また新たな出会いも多くありました。まずは、今回の活動記録です。

【活動記録】

9/21(日)
・宮城県山元町 NPO法人ささえ愛山元
お灸教室と鍼灸治療 12人
現地の方に山元町の復興状況を案内していただく
(登米にて宿泊)

9/22(月)
・宮城県石巻市 被災地障がい者センター石巻
小児鍼教室と鍼灸治療 7人
現地職員の方に石巻の復興状況を案内していただく
(メンバー二手に分かれ)
・「からころステーション」にて、精神科医の支援活動を伺う
・NPO法人奏海の杜スタッフ治療 5人
(登米にて宿泊)

9/23(火)
・宮城県南三陸町 くつろぐはうす
小児鍼教室と鍼灸治療 親11人+(子供9人)+スタッフ2人
現地職員の方に南三陸町の復興状況を案内していただく

治療人数
計 37人+ (子供9人)

各メンバーの感想など、また随時ご投稿いたします。

(森川)

「これから」のために出来るお手伝いを

はり灸レンジャー イエロー清水です。

はり灸レンジャーにご縁を頂いて以来、毎年少しずつ参加を続けた結果、
第11回訪問を入れて個人的には今回が6回目の訪問となりました。
震災前には全くなじみのなかった宮城県ですが、今では人生で一番多く再訪した県となっています。
(訪れるたびに食べる土地のごはんにもすっかり味をしめてしまいました。)

今まで、仮設住宅にお住まいの方を中心にはり灸治療ボランティアを行ってきたはり灸レンジャーですが、
今回は治療と一緒に新しい取り組みとして「自分でできるお灸教室」「小児はり教室」を開催しました。

その中でも「小児はり教室」は、子どもを持つ親さんを中心に考えられた企画です。

子育てをしていると必ず遭遇する「病院に行くほどではないけれど、辛そうだから何とかしてあげたい」と思うような子どもの不調の治療は、はり灸師の得意分野。
そのはり灸治療のノウハウを親さんに知ってもらい、子どもの辛さを親さんが取り除いてあげられるようになって欲しい。
また、子育てで親さん自身が疲れた時も、はり灸レンジャーでお馴染みのローラー鍼(はり)やお灸を使ってのセルフケアで元気になってもらえたら…

そんな思いを込めて、初めての「小児はり教室」は開催されました。

今回教室開催地は2ヶ所。
その内のひとつ、宮城県石巻市にある「石巻被災地障がい者センター」ははり灸レンジャーにとって2回目、私自身は初訪問の場所です。
センター職員さん達のご協力のもと、被災地障がい者センターにご縁のあるお母さん方が集まってくださいました。
(平日の午前中開催だったためお子さんは学校があり親さんのみの教室となりました。次回は親子さん一緒に参加してもらえるといいなと思います)
皆さんとても熱心にローラー鍼の効果やお灸の使い方などの説明に耳を傾けておられました。

レクチャーの後は実際に体験してもらおう!という事で皆さんにはり灸治療を。

今回参加してくださった方の多くは、障がいを持つお子さんのお母さん。
身体障がいがあるお子さんの介助等で腰や足の疲労が強く出ている方も多く、身体中に緊張と疲労がありました。
とはいえ皆さんとてもパワフルな方ばかりで、治療効果を実感してもらうと「是非子どもにやってあげたい」と言われ、お子さんの症状に合わせた治療ポイントを詳しく尋ねられたり。
そのパワーに私自身も元気をもらう形となりました。

震災から3年半。目に見える「震災被害」は無くなりつつあり、石巻市でも道路や病院が再建されて新しい人の流れや生活圏が出来上がりつつあるそうですが、それに伴う変化についていけていない…というお話もうかがいました。
失ったものの影響は計り知れません。その影響はこれからどんどん現れてくるのでしょう。
また震災をきっかけに、今まで存在していたけれどあまり目を向けられてこなかった問題に焦点が当たるようになったとも感じました。

そんな中、被害を受けたこの土地で、社会でこれからどう生きていくか?

身体はすべての資本です。
石巻のお母さんたち、そして子供たちが健やかに「これから」を生活していくお手伝いとして、ささやかながらはり灸がお役に立ちますように。
そんなことを願いました。

清水真奈美

初めての東北訪問

こんにちは。
第11回目のボランティア活動に初参加させていただきました、はり灸レンジャー パープルこと西井牧子です。

私は阪神淡路大震災の時に被災し、祖父を亡くしました。

今でも当時のことを思い出すのはとても辛く、しかし決して忘れることの出来ないこととして心の奥に封印していました。

今回東北被災地でボランティア活動に携わりたいと思ったのは、地震に加えて津波、原発事故…と、私より更にもっとお辛い思いをされていらっしゃるであろう方々の、少しでもお役に立ちたいと考えたからです。

東北地方には今まで全くご縁がなく、今回のボランティア活動で初めて訪れました。

宮城県の山元町〜石巻市〜南三陸町の3カ所で『ローラー鍼教室』『お灸教室』を現地のNPOの方のコーディネートのもと開催し、日々のセルフケアの方法をお伝えするのが今回の訪問の大きなミッションでした。

はり灸レンジャーの被災地訪問は今後も継続して行われますが、訪問時の治療だけではなかなか体調を整えることは出来ません。

ご自身でセルフケアの方法が分かれば、お子さんをはじめご家族のケアをしていただくことも可能です。

そうすると、病院に行くほどではない不快な症状(例えばお子さんの夜泣きや疳の虫など)にも対処することが出来、大変便利です。

これからの生活の中でセルフケアが活かされ、少しでも元気にお過ごしいただけることを心から祈っております。

私が今回一番心に残ったのは、震災で被災された方々が自ら被災者支援、復興に尽力されておられる姿でした。

仮設住宅に住まわれ不自由な生活を強いられる中で、地道な活動を継続されるのは本当に大変なことだと思います。

しかし、どなたも大変さを窺えないほどとても明るくお元気で、私までパワーのお裾分けをいただきました。

どの街も沿岸部は嵩上げ工事が進み、街の復興へ向けて急ピッチな工事が行われています。

しかし、津波で根こそぎもぎ取られた街は今も原っぱが広がるばかりです。

この光景を毎日目の当たりにされる地元の方々はどの様な思いなのか…

私には推しはかることしか出来ません。

今、私に出来ること。
そのことを常に考えながら日々過ごしていきたいと改めて感じ、及ばずながら継続してはり灸レンジャーの活動にも携わりたいと思いました。

お母さんがお子さんをケア

はり灸レンジャーイエロー清水です。

はり灸レンジャーが今回初めて取り組んだ「小児はり教室」。

石巻市に続き、南三陸町でも開催させていただきました。
(今回の「小児はり教室」も、仮設住宅訪問治療でお世話になっているNPO法人『奏海の杜(かなみのもり)』さんのご協力により実現しました。本当にありがとうございます。)

開場は南三陸町入谷地区にある「くつろぐハウス」というとても素敵な建物をお借りし、奏海の杜スタッフさんのお声掛けで集まってくださった南三陸町で子育てをしているお母さんとその子ども達計20人を前に、とても賑やかな「小児はり教室」となりました。
石巻のお母さん達同様、南三陸のお母さん達も初めてみるローラー鍼(はり)やせんねん灸の使い方についてのお話を興味深い様子で聞き入って下さった姿が印象的でした。

その後、お母さんと子どもたちに治療体験を。

今まで仮設住宅や集会所には何度も訪問し治療活動を行ってきましたが、そこでお会いする方たちは比較的年齢層が高かったのに比べ、今回は若いお母さん達が中心。お子さんも生後1才くらいの赤ちゃんから小学生低学年まで、様々な年齢のちびっこ達が動き回る中での治療はとても新鮮で終始明るい雰囲気に包まれていました。

お母さん方の治療をさせてもらいながら日々の子育ての大変さと楽しみについて色々お話を伺ったのですが、悩みとして多く出てきたのが「病院に通うのが大変」という声。
子どもの発熱、ケガなどのトラブルで病院に駆け込むのはよくあることですが…現在南三陸町にはいわゆる「大きな病院」がありません。
震災で壊滅的な被害を受けた、町の医療機関。
公立志津川病院(126床)は5階建ての4階まで津波の被害を受け、以前町に6つあった診療所も全て流され、医療機関は一時ゼロになりました。
現在再開されている南三陸診療所では震災前とほぼ変わらない状況での外来診療が出来ているそうですが、入院設備のある病院となると隣町の登米市までいく事になります。50㎞離れた石巻市の病院まで通っている、なんて方もおられました。
(現在、公立志津川病院と南三陸診療所は、新たな病院としての再建計画が進んでいます。
志津川の沼田地区に2015年度中の開業予定とのこと。)

子どもへのローラー鍼ケアを行うと、表情や体の状態をいつも以上に観察する時間をとることが出来ます。その時、小さな変化にいち早く気付き対処することで、大きな病院に行かなくても済むように…そんな風に子どもと向き合う機会をさらに増やすという意味でも、お母さんがお子さんをケアするという事はとても重要になるのではないかな、と改めて思いました。

「小児ケア教室」を通して出会った石巻・南三陸の親子さんから学び、感じた今回の訪問。
今私が暮らしている岐阜での生活や治療のヒントになることも沢山ありました。
これらをどう伝えていくか、どう生かしていくかをこれからもっと考えていきたいと思います。

3年半経った被災地で

はり灸レンジャー“グレー”の鈴木です。
グレーのズボンをはいているのでグレーです。深い意味はありません。

この度の訪問で個人的には2回目の訪問となりました。今回は鍼灸の治療に加え、お灸教室や小児鍼教室もあり、より幅広い活動ができたと思います。

近くに治療院がない方やなかなか一人では治療院に行けない方などはご自身でお灸やローラー鍼などされると大変良いと思います。小さな子供さんなら簡単なローラー鍼で十分効果がありますし、お母さんと一緒にご自宅で治療ができます。

震災後慣れない生活が続いてる方々にこのお灸やローラー鍼をもっと広げられると良いですね。今回のお灸教室、小児鍼教室はとても意味のあるものだったと思います。

前回訪問から半年間、以前より増して私の被災地への関心は高くなり、目を向け耳を傾けることが多くなりました。
震災後3年半を超えた今、抱えている問題はより多様化しているように思います。それぞれの地域、集落、家族、個人によってそれぞれの悩みと向き合っているようです。

今回、石巻市の「からころステーション」という被災者の精神的なケアを目的とした団体のお話を聞くことができました。被災の恐怖やその後の生活環境の変化、今後の不安などにより辛い日々を送られている方も少なくないようです。

眠れない、悪い夢を見る、絶えずお酒を飲んでしまう、気持ちが落ち込んでしまう、部屋から出たくない、人に会いたくない…など…からころステーションではこのような方々の訴えを待っているのではなく 積極的に働きかける「アウトリーチ型」の支援を続けています。

復興が進む中でこのような“傷跡”は長い間残るのかもしれません。長い目で見たケアが必要だと思います。スタッフさんは“震災後15年”を見据えて支援が必要だと話しておられました。被災地のリアルな現状を知ることができました。

今回も受け入れてくださったみなさんに感謝します。お役に立てることがあるなら是非また伺いたいと思います。本当にありがとうございました。

3年半経った被災地の風景

ブルーこと森川真二です。今回は自身としては9回目の訪問になりました。継続して訪問していると、被災地の移り変わりも感じることができます。今回の訪問では教室や治療の後、被災地の復興状況などを、各現地の方に案内していただきました。そのあたりをご紹介していきたいと思います。 (治療についてや被災者の様子は次回に)

一日目 山元町

まずは、山元町。宮城県の東南端に位置する、農村地です。ここにあるNPO法人ささえ愛山元さんには、震災当初からお世話になり、度々こうしてそのまわりの様子を案内していただいています。
写真に写っているのは中浜小学校です。このまわりの町は全て津波で流され、今もこの校舎だけがぽつんと残っています。屋根の少し下に青い看板があるのがわかるでしょうか?ここまで津波が来たという印です。
この写真には写っていませんが、この2階建て校舎の屋上には、シェルターのようなものがあり、被災時に児童はそこへ避難し、全員助けられたようです。この校舎は、海に向かって縦長に作ることで、津波の濁流は校舎の中を通り抜け受け流すような状態になり、崩壊せずに済んだようです。もしマニュアル通り近くの中学校に避難していたら、間に合わなかったでしょうということです。そのときの先生方の判断により、生徒は救われたのです。

二日目 石巻市

続いて、石巻市。宮城県内第二の人口を擁する都市で、被害の大きかった街の一つです。写真は日和山公園という、高台から街を見下ろした風景です。左に見えるのは、旧北上川。右には緑が広がって見えますが、ここには街や田畑があり、全て流されてしまいました。案内していただいた職員さんのご自宅もここにあり、通りましたが何も残っていませんでした。支援の多く入っているであろう石巻でさえ3年半経ってもこのような状態です。

三日目 南三陸町

最後に案内していただいたのが、南三陸町志津川。ここも海に面した町で、漁業が栄えていました。ここのNPO団体(奏海の杜)さんにも、活動当初からお世話になっています。ずっと訪問しているので震災後の町の経過も見ていますが、前回訪問の3月からその風景が大きく変わりました。
写真に写っている手前の道路は前回訪問時は、ありませんでした。奥にある土が、新しい地面になります。このようないわば古墳のような土盛りが、いたるところに点在していました。その高さは10mにもなり、それらが何kmもつながり、地面となるようです。その外縁には、広い台形状の防潮堤もできようとしていました。自然豊かな風景が様変わりしてしまうことを、地元の方も懸念されていました。

ご覧の通り滞在中は晴天に恵まれました。空気もきれいで(工事現場付近は土埃が舞っていますが)、青空も、夜空もきれいでした。お彼岸の度に訪問しているので、ふるさとに帰っているかのようです。人もやさしく、料理もおいしく、自然豊かな東北、また訪れたくなります。次は、また来年春のお彼岸の予定です。

お灸教室と小児鍼教室

ブルーの森川真二です。今回の訪問では、個別の鍼灸治療に加え、新たな試みとして「お灸教室」と「小児鍼教室」を実施しました。はり灸レンジャーが当初から力を入れているのが、このセルフケアです。私たち外部からのボランティアがたまに来てできることはしれています。むしろ日頃のケアであったり、つらい時に自分で対処できるということに価値があります。

一日目 ~ 宮城県 山元町 ~

まずはNPO法人「ささえ愛山元」。こちらのデイサービスの利用者さんと職員さんに向けて、お灸教室を行ないました。お灸教室では、実際に使っていただけるせんねん灸を箱詰めしたものと、今回のために用意したお灸の使い方やポイントを図示した冊子を、お配りしました。その配布物を元にメンバーがお灸の使用方法を説明しはじめると、聞いたことをメモされている様子も見られました。その後、個別に鍼灸治療も行ないました。
高齢者と介護職員ということもあって、腰や膝の痛などの不調を訴える方が多く診られました。前回も今回訪問時も、タイミング良く(?)、ぎっくり腰になったという職員さんもおられます。こういう急性期の痛みには1回の治療でもすっきり良くなることがあるので、腕の見せ所です。
二日目 ~ 宮城県 石巻市 ~

続いて、被災地障がい者センター石巻での小児鍼教室。訪問したのが平日の午前中ということもあり、今回はお母さんのみの参加となりました。まずはローラー鍼の使い方やポイントをご説明して、その後個別に治療も行ないました。鍼灸治療は皆さん初めてで、最初は少し緊張の様子でしたが、ローラー鍼やせんねん灸などからはじめて、鍼も受け入れていただけたようです。
その後、職員さんにも鍼灸治療を受けて頂きました。職員さんも地元の方で、被災されています。自らが被災され仮設住宅などで暮らされている中、あまりその苦労を見せることなく、こうして他の被災者のために働かれてもいます。
また、まわりに被災された方がいる中では、自分の話はしにくいようです。ご家族を亡くされた方、津波で家を流された方、逆にそこまで被害を受けなかった方、被災の程度や今の状況も様々です。まわりを気遣い、自分のことは後回しだったり、話し出せなかったりされています。それが私たちにはそっと伝えてくれることもあります。外部から来たボランティアだからこそ、話せることもあるようです。

三日目 ~ 宮城県 南三陸町 ~

最終日は、南三陸町にある「くつろぐはうす」での小児鍼教室です。こちらも訪問当初からお世話になっているNPO法人奏海の杜(かなみのもり)さんの呼び掛けにより、多くの親子さんに集まっていただきました。小さな集会所の様なところに5カ月の乳児から小学生までの子供たちが集まり、終始にぎやかな教室&治療室になりました。夜泣き、便秘、おねしょなど、症状は様々。子供の反応を見て、治療とセルフケア指導を行ないました。
震災直後はお子さんが一人でトイレに行けなくなったり、大声を上げられたり、不安定になられたというお話もお伺いしました。お子さんの不調もさることながら、そのご家族の苦労も多いことでしょう。ただでさえ苦労も多い子育てですが、被災地となればなおさらです。そんなお子さんやその家族が健康に安心して暮らすことができれば、被災地の未来への希望とつながるのではないかと思います。

後日、お世話になった関連団体の方より、この教室が好評だったという声を聞くことができました。またこれからも教室と鍼灸治療を軸に、鍼灸治療の魅力とセルフケアを伝える活動を続けていきたいと思います。

からころステーションに行ってきました!

こんにちは。はり灸ライトグリーンの坂口です。

今回の第11回訪問の二日目に、宮城県石巻市にある「からころステーション」を見学させていただきました。
石巻を拠点に被災者のこころのケアに取り組む「からころステーション」についてレポートします。

からころステーションとは
からころステーションでは、主に東日本大震災で被災された方のこころのケアを行っており、医師・臨床心理士やコワーカー(ケースワーカーやカウンセラー)が在籍しています。
「アウトリーチ(訪問支援活動)」「電話・来所相談」「ハローワーク相談会」をメインの活動にしており、さらにその他にも被災者を対象にした講演会やコンサートなど、外部での活動も展開しています。

カンファレンスを見学
我々はり灸レンジャーがからころステーションに到着したのは辺りが暗くなり始める頃でした。
「ステーション」という名の通り、JR石巻駅のすぐ向かいにその建物があります。
中に入るとカンファレンスの最中で、医師やケースワーカーの方が一日の活動を報告していました。
それを傍聴させていただき、被災地のメンタルヘルスを取り巻く問題の困難さに触れることが出来ました。

こころの専門家、震災直後の活動
その後はケースワーカーの高柳さんにお話を伺いました。
高柳さんは震災前、精神障害をつ方々の就労支援として仙台市内で駄菓子屋さんを営んでおり、なんと東日本大震災の前日に防災対策と避難訓練を行っていたそうです(!)。
それにより、懐中電灯の場所や避難場所の確認など、多くの方が助かったとの事でした。
震災直後からこころの専門家たちは被災した人々に接触していたそうですが、その時は「心のケアなんかいらない。こっちは生きるか死ぬかなんだ」と断られた事もあったそうです。
そこで支援物資のリストを持って訪問し、欲しいものを提供する。それに加えて何か困っている事があれば協力しますよ、というやり方にした所、「実は…」と悩みを打ち明けてくれる事が増えたそうです。
(ちなみに、このような物資を介した心のケアを「石巻モデル」と呼ぶそうです)

現在、被災地が抱える問題
そして話は被災地が現在抱える問題に移りました。
話題に上がったのが「見なし仮設(民間借り上げ住宅)※」についてです。

【※見なし仮設(民間借り上げ住宅)…東日本大震災により住居を失った人の為に国や自治体が民間の賃貸住宅を借り上げ、被災者に応急的に提供する制度。被災者が自力で賃貸住宅を見つけ入居した場合でも、賃料は国庫負担によってまかなわれる。なお、一般的に仮設住宅と言うとプレハブ住宅を指す。】

プレハブ住宅で暮らしている人からすると「見なし仮設はプレハブより住みやすくて良いよね」という気持ちがあるそうです。
一方で見なし仮設の外観は普通の住宅と同じであり、一つのマンションに被災した人とそうでない人が混在している場合もあります。
一見しただけでは被災により家を失ったのかどうかわかりません。
その為、プレハブ住宅に住んでいる人と比べて支援が行き届かない事があるそうです。

また目に見える被害の有無や大きさだけで、震災がその人に与えた影響を判断する事は出来ません。
震災による直接の被害を本人が受けていなくても、親族が被害を受けていらっしゃるケースもあり、震災による被害は想像するよりも広範に渡っていると考えられます。
このような問題に対処するために、からころステーションは「アウトリーチ(訪問支援活動)」というスタイルをとっています。
アウトリーチ(訪問支援活動)とは、震災の影響を受け孤立していたり、人とのつながりを断たれた人の元に積極的に訪問して、支援を行うスタイルの事です。
我々はり灸レンジャーも仮設住宅の集会所などを訪問して治療を行う事がありますが、そこで言われるのが「集会所に出てきている人は、困っている人の一部でしかない」という事です。
周囲にSOSを出せる人は半分助かっているとも考えられ、SOSも出せずに孤立している人は少なくないそうです。
スライドを交えてお話を伺い、被災地が抱える問題への認識を深める事が出来ました。

ちなみに、お話を伺ったケースワーカーの高柳さんは腰まで伸びた長い髪をひとつにくくっていらっしゃいました(男性です)。
その事について触れると、「願掛けで伸ばしているんですよ。でも、中々平和にならないですね」とおっしゃっていたのが印象的でした。

からころステーションの理念
からころステーションのスタッフが支援を行う際に気をつけている事があり、それが「地元中心、迷惑をかけない、自分たちのルールを通さない、怒らない、文句を言わない」だそうです。
また、この活動を少なくともあと15年は続けるとの事でした。
(ちなみに、震災の年もあと15年、翌年もあと15年、そして現在もあと15年…と年々伸びているそうですが。)
阪神淡路大震災から20年経った今なお、全ての問題が解決したわけではありません。
東日本大震災でも息の長い支援が必要になりそうです。

からころステーションのアウトリーチという積極性、それでいて地元中心で迷惑をかけないという謙虚さ。これらの一見相反する理念は、「15年は活動を続ける」という覚悟に裏うちされていると感じました。
からころステーションについて更に詳しく知りたい方は以下のリンクをご覧ください。
からころステーションのHPはこちら

最後になりましたが、快く見学を承諾して下さったスタッフの皆さま、そして丁寧にお話をして下さったケースワーカーの高柳さん、お忙しい中本当にありがとうございました。
また、からころステーション訪問の仲介の労をとっていただいた「鍼灸地域支援ネット」の日比先生にもこの場を借りてお礼を申し上げます。

(坂口)

アウトリーチという考え方

はり灸レッド舟橋です。
先日のライトグリーン坂口の投稿で、石巻市で展開しているメンタルヘルスを担う団体「からころステーション」の説明がありました。その中でアウトリーチという言葉が出てきます。
医療や福祉業界では最近よく耳にする言葉ですが、まだ一般には聞きなれないかも知れません。カタカナ言葉、外来語が蔓延するのをお嘆きの方もいるでしょう。「訪問支援ってことでしょう?」と言いたくなるかも知れません。しかし、新しい言葉が浮上するには訳があります。通常の訪問支援というと、ニーズが確立され、たとえば訪問看護師や介護ヘルパーがお宅を訪問するという解釈になります。つまり医療・福祉サービス体制のメニューにきちんと乗っているものを指します。
一方、アウトリーチという場合、いまだサービスに乗りきらないケース、極端にいうとサービス利用を拒否している方も含めて、こちらから積極的に訪れる、というニュアンスがあるのです。SOSを出せる人は半分救われています。孤立感にさいなまれている方、なんらかの障害があり行政や医療・福祉機関にアクセスできない方などは想像以上に多く存在します。従来の行政のあり方では、申請主義と言いまして、困っている本人から依頼があったら対応するというのが原則です。しかし、今回の大震災が典型ですが、ただ福祉事務所で待っているだけではらちがあかないケースが本当に多いと思われます。

アウトリーチという言葉は「おせっかい訪問」と言い換えられるかも知れません。私たちボランティア活動も実は同様だと思っています。ボランティアの語源は自発意志による行動とされています。徴兵制で召集された正規兵ではなく、戦争時における義勇兵という意味合いがあります。からころステーションの高柳さんが、運営上、行政支援を受けつつもゲリラ的に自由に活動しているのが特徴と言っていたことを思い出します。
おせっかいは時に迷惑です。そこでアウトリーチやボランティア活動が立脚すべき点が、高柳さんが提唱する活動原則に集約されるでしょう。

・地元中心。
・迷惑をかけない。
・自分たちのルールを通さない。
・怒らない。
・文句を言わない。

震災から3年半が過ぎたいま、目に見える被害の爪痕は日に日に目立たなくなっていることを訪問のたびに感じます。ボランティア活動を終え地元に戻り周囲の人々に現地の状況を伝えるとき、以前より説明が難しいのです。それはまさに現地の方々が直面している困難さとも言えます。より一層現地の声に対して謙虚に耳を傾ける姿勢が必要なのでしょう。