復興の差 (その二)

2017年 9/19(火)
【訪問場所】 福島県田村市、福島第一原発周辺

この日は朝から、福島県田村市にあるNPO団体事務所での活動でした。
こちらは震災直後に入ったボランティアでのご縁がつながり、今回が3回目の訪問になりました。

お灸教室田村市201709

まずは、集まられた皆さんに「お灸教室」と称して、お灸の使い方をレクチャーします。
その後、希望の方々に、個別の鍼灸施術と、お灸やローラー鍼を使ったセルフケア方法をお伝えしていきます。

施術風景201709

今回はじめて施術を受けられた方、
前回の施術後、また楽しみに待っておられた方、
前回はお試し程度で、今回はしっかり施術を受けられた方、
それぞれに鍼灸を体感してもらい、セルフケアの方法もお伝えしました。
実際にセルフケア用品を手に取って、熱心にポイントとやりかたを聞かれる様子が印象的でした。
一度行っただけではなく、継続して訪問することで、その良さを知ってもらえることもあるようです。

そして、他の被災地と違って、特別ここで聞こえてくるのが、放射能の話です。
放射能については、様々な意見や考えがあるかと思います。
私の知る限りでは、身体に及ばす影響はまだ分かっていないことも多いように思います。
内部被曝のこと、数世代先に影響を及ばすかもしれない将来のこと、前例とは状況も異なり比較できないこと。(病気、身体について、わかってないことも多いので当然でしょう)
見えないものですし、すぐにその影響が表れないものもあるので、見過ごされたり、忘れられてしまうものかもしれません。
かといって、そこに暮らす人々にとって、また日本中に原子力発電所がある以上、誰にとっても無関心ではいられないことです。
福島県内には、未だ帰還困難区域があり、ホットスポットがあるのも事実です。
これから先も関心を持ち続けなければいけないと思います。

内部被曝については、食品に対する不安があります。
「福島県産」と言われると、つい敬遠したくなるかもしれません。
しかし、福島県産で流通に乗るものほど放射線量は厳しくチェックされています。
意外に、その他の産地のものに放射線量が高いということもあるのです。
間違った誤解が、被災地の人を苦しめることにもなります。
他者の為を思うなら、「知る」ということも大切に思います。

私は楽観的な方で、わからない不安なことには、目を背けるところがあります。
放射能被害についても、あまり考えないようにしたり、程度の問題によると思っています。
ただその考え方の違いに、軋轢が生じることもあります。
事実、家族が離れて暮らすこともありますし、そのまま戻らないこともあるのです。
それは、単純に肉体的にどう影響があるかないかでは済まされない問題です。
施術中に聞いた、
「精神的な影響が大きいですよ」
という被災者自身の言葉が、それを物語っていました。

活動終了後に、帰還困難区域の周辺を車で回りました。
福島第一原発のある大熊町と双葉町、そして富岡町、双葉町、南相馬町を、南北に走る国道6号線があります。
車両での通行は可能なのですが、そこから東西に入る道には許可書が必要だったり、建物にもバリケードがあり自由に入ることが許されていません。

帰還困難地域201709

今まで私たちがボランティアで訪れていた地域とは、随分違う風景が広がっていました。
この状況を見ると、私たちが住む環境がいかに恵まれているか、身につまされます。

私たちのすることは本当に微々たるものです。
けど健康であることが、その人の暮らしを支えてくれます。
ほんのわずかでも健康の役に立ってもらえればと思います。
そしてそこから何か良い方向へとつながって貰えればと願います。

(森川真二)

復興の差 (その一)

震災から6年半、はり灸レンジャーとしては16回目の東北訪問でした。
今回の訪問では、いくつか復興の差を感じました。

2017年 9/18(月・祝)
【訪問場所】 宮城県山元町

今回は私たちと現地団体の都合が合わず、活動は見送り、セルフケア用品のお灸などとお手紙を届けることになりました。
その道中、周辺の復興の様子を見て回りました。

山元町は、震災直後から訪問を続けています。
はじめて訪れたとき、建物から道路や線路まで、何もかもが流されてしまい、道路は冠水、瓦礫や遺留物が積み上げられた状態でした。
そこから、更地になり、土壌の入れ替えあり、新しいビニルハウス(東北一のいちご生産高でした)の建設があり、新しい道路や線路がつながっていく経過を見てきました。
そして前回訪問時(震災から5年の東北)には、内陸に移設されたJR常磐線新駅が建設途中でした。

それが、今回の訪問では、新しい駅、新しい街が完成していて、人々の営みを感じることができました。
新坂元駅に訪れたとき、ちょうど電車が入ってきたときには、感慨に耽りました。

新坂元駅201709

山元町は、この新坂元駅、新山下駅、宮城病院周辺に、新しい街づくりが行なわれています。
公営住宅も、私の知っている神戸のマンション群と違って、平地に一戸建ての住宅街が広がっているのは特徴的でした。
マンションよりは、その人の生活が見えていいように思いました。

その一方で、ボランティアのたびに毎回訪れているのが、旧山下駅。

旧山下駅201709

この駅前には、商店街がありました。
津波で流され、その面影はもうありませんし、戻ってきていません。
(山元町は平野になっていて、町一帯が広く大きな被害を受けました。)

旧山下駅線路201709

線路も流され、ホームの一部だけが残ったままなのがわかります。
ここ数年、そこには変わらぬままの風景が残っていました。
新しい街ができる一方で、再建が難しく、人が戻って来ない地域もあるのです。

その旧山下駅前には、慰霊碑が建てられていました。
被災時の様子や犠牲者の御芳名が刻まれています。

慰霊碑山元町201709

「津波浸水高は最大で十三メートルを超え、
海岸から三・五キロメートルの内陸まで達し、
浸水面積は約二十四キロ平方メートル、
町域の四割近くにも及んだ。」

その被害の大きさを改めて知らされます。

その後、震災直後に現地の方に案内してもらったように、中浜小学校を訪れました。

中浜小学校201709

津波が2階天井まで浸水したものの、その上のシェルターのような屋上に避難することで、児童や先生全員が助かりました。

宮城県公式HP
震災を乗り越えて
山元町立中浜小学校のケース

「2011.3.11
東日本大震災
津波浸水深ここまで」
という青い看板が、その脅威を表わしています。

中浜小学校浸水深201709

こちらは、震災遺構として保存が進められているようです。

地元のニュースでも「JR常磐線開通」などの、復興の知らせが耳に入ってきます。
そして、新しい街だけを見れば、街の概観といったハード面は、やっと復興してきているようにも感じました。(それも震災から6年半です。)

ただ、実際に現地を訪れてみると、復興が進んでいない地域も見えてきます。
さらに、阪神・淡路大震災でもそうだったように、人々の暮らしといったソフト面となると、いくつもの課題があることでしょう。

私たちも、復興のニュースを聞いてや、街ができたから終わりではなく、実際の人々の様子はどうなのか?という視点を持って、これからも活動を続けていきたいと思います。

(続く)

(森川真二)

福島県に通う意味

福島県の田村市を訪問するのはこれで3回目です。今回は1か所のみの治療訪問であったため、比較的ゆったりと治療でき、また皆さんとお話を交わすこともできました。

hunahashi201709

私が治療したのは4名の方々です。そのうちお二人は「ケアステーションゆうとぴあ」の障害当事者で、お二人はヘルパーさんでした。障害があるお二人は、身体上のハンディキャップを持ちながら地域での生活を送っています。
今回、ヘルパーさんがたのお話を興味深く聞きました。
お一人は原発事故を受けて転々と避難しているうちにご家族の調子が悪くなり、家庭内で介護をすることに。それをきっかけにヘルパー研修を受けたとのことです。もとの職場は原発事故により閉鎖されています。
別の方も震災後にいまの仕事を始めたそうです。原発事故の直後、放射能を避けていった先が「ホットスポット」(放射能濃度が高い地域)だったなど。生々しいお話でした。
こういった話は、新聞・テレビなどメディア上でしばしば目にします。しかし、実際に治療をしながらお話を聞かせてもらうと粛然となります。目の前の人が実際に福島の地で生活をつづけている事実に打たれるのです。

治療後、時間に余裕があったので「はり灸レンジャー」の3人で沿岸部へ車を走らせました。郡山市や田村市は内陸部に位置し、いわゆる福島県の「中通り」です。そこから福島第一原発がある「浜通り」まで、ゆうに40キロはあり、山道のドライブです。
田村市から一路、東を目指すと突き当りが双葉町ですが、ここは現在も自由に入ることはできません。ましてや我々のように外部の者は通行許可証がありませんので。そこから南に進路を取り、大熊町を抜け、富岡町に入るとようやく規制が解除されます。そこで東に向かうと、常磐自動車道の高架をくぐり、国道6号線に合流できます。この国道6号は南北に走っていて、通行可能です。とはいえ、たとえば帰宅困難区域に指定されている双葉町に向かう枝道には進入できませんし、国道沿いのお店も閉鎖されています。放射能の濃度が高いのです。

ookumamati201709

「これが福島の現実だ」という思いを新たにします。同じ日本の中にこのような地域が依然としてあるのです。

2011年3月11日。あの地震の映像を見た多くの人々は戦慄し、言葉を失ったことでしょう。なにか被災地のために出来ることはないかと多くの方が思い、実際に行動したはずです。
私たち「はり灸レンジャー」も2011年5月の連休に初めて東北入りし、それ以来10数回にわたり鍼灸治療のボランティアを続けてきました。実際に現地に足を運ぶこと、光景を自分の目で見ること、被災者の言葉に耳を傾けること。そこでしか学べることが無いからです。
今年の9月11日で、震災発生から6年半が経ちましたが、マスコミの扱いは小さなものでした。それは時間の流れとして仕方がないことかも知れません。しかし、現地の方がたと縁を結んだ私たちは今後も東北を訪れることでしょう。
この段階になると外部からのボランティアができることは本当に限られています。被災者の力になる、なんていうのはおこがましいです。むしろ被災地の変わり様を学ぶという謙虚な立場を持つべきだと思われます。今回の福島県田村市の訪問を通じて、改めて現地訪問の大切さを感じ入りました。
私たちを受け入れて下さった「ケアステーションゆうとぴあ」の皆さんに心から感謝いたします。

(はり灸レッド 舟橋寛延)

16回目の東北訪問予定

前回の熊本訪問から、すっかりご無沙汰してしまいました。
現在、来月9月の東北訪問へ向けて準備しております。

今回は、メンバーや現地団体との都合も合わず、少人数、短期間の訪問になってしまいました。
お互い無理なく、細く長くの支援を心がけて。。。

9/18(月・祝) 宮城県 亘理郡 山元町
9/19(火)  福島県 田村市

の訪問予定です。

活動内容などはまた後日、ご報告いたします。
よろしくお願い致します。

熊本訪問

はり灸レンジャー”グレー”鈴木です。第4回熊本訪問に参加しました。個人的には昨年8月に続き、2回目の訪問となりました。今回は都合で2日間のみの参加でしたが、2日間ともたくさんの被災地の方々に鍼灸を受けていただき、とても充実した活動ができたと思います。

1日目 (3月19日 日曜日)

最初の訪問は益城町木山仮設住宅。この日はよく晴れた春らしい日で集会場の周りは人の気配も少なくとても静か。誰も来ないんじゃないかと心配しましたが、しばらくすると子供達やお母さん達が大勢来てくれました。話を伺うとお母さん達も仕事を持っている方々も多いようです。家事や子育て、仕事をこなすのも大変なのに、被災され慣れない仮設住宅での生活は大きな負担でしょう。鍼灸の施術で少しでも楽になっていただけたら嬉しいです。

次の訪問は御船町の食堂。ここでもご近所のみなさん、家族で大勢集まっていてくれました。アットホームなお店なのでみんなでワイワイと楽しくとてもいい雰囲気で過ごさせていただきました。
ただ、私は2日目で活動を終え帰ってしまったので、3日目にメンバーがいただいた食堂のお食事を逃してしまった事がとても残念です。

2日目 (3月20日 月曜日)

この日は一日南阿蘇ケアサービスにて。
現地に着く頃から雨が降り出し、お昼頃には本降りに。前回8月に来た時はよく晴れていて夏の南阿蘇のキレイな風景を楽しめたのですが、今回は少し残念でした。
こちらはグループホームやデイサービスなどの施設で、私は主に職員さんの施術を担当しました。介護職のみなさん、大変ですよね。体の負担が本当に大変です。また、近くに鍼灸やマッサージを受けられる施設がないらしく、常に疲労が溜まっている状態みたいですね。今回の訪問でも少しはお役に立てたかな、と思っています。

震災から1年が経ちました。仮設住宅には約4万人が生活しているそうです。もちろん仮設住宅には入っていなくても困難な生活を強いられている方もたくさんおられるでしょう。被災され、生活や仕事の環境が変わり、その中で復興に向けて進んでいる熊本のみなさんに少しでも協力できたら良いと思っています。特に今回は日頃の仕事で溜まった疲労やストレスに対しての治療ができた事を嬉しく思います。
今回も受け入れてくださった方々に感謝します。ありがとうございました。

御船町食堂201703

第4回熊本訪問に参加して

こんにちは、レンジャーピンク森川彩子です。
私個人としては3回目の熊本訪問となった今回は、最初の参加地である、益城町、御船町、南阿蘇への再訪でした。
前回には行けなかった南阿蘇にも伺え、懐かしい方との再会もありました。

益城町、御船町では震災後の緊急支援でサポートに入られていた団体がコーディネートをしてくださいましたが、今回からは地域の受け入れ団体と直接のやり取りでの初めての活動です。

益城町木山仮設住宅では、仮設にお住まいではない、地域の方も集会所のイベントに参加できるようになっており、活気がありました。
伺った日も地域のボランティアの方が毎週開いている子供の集いの日でした。
子供も、そのお母さんも、企画されたボランティアの方への施術もでき、充実した活動になりました。
仮設にお住まいではない、地域のボランティアの方も皆さん被災されていました。
地域の繋がりを作るために何ができるのか、皆さんが考え、お互いを支えておられました。
仮設での新しい暮らしが少しでも過ごしやすくなることはもちろん、仮設には入らなくて済んだ方も、生活の立て直しにサポートが必要なのは同じ。
仮設を拠点にして、地域ごと復興していこうという気持ちが伝わりました。

御船町では震災前からの繋がりが保たれた地域2か所での活動でした。
前回受けられた方が来られ、良かったからと声掛けもしてくださり、とても充実した活動になりました。
地域の人の明るさ、マンパワーを感じました。
地域の繋がりがあれば、一人一人の不調にも気づくことができます。
震災後に続く、体の不調についても、隣近所で把握しておられ、「大丈夫?」という声かけもできていました。
すぐ近くでなくても、近隣の住民が困っていないか、意識を向けておられる方もおられました。
人は「気遣われている」と感じるだけで心強いのだと思います。
地域の方の、その大切な心遣いが印象に残りました。

御船町の地域支え合いセンターの職員さんに伺うと、私たちが活動した御船町の2か所は、特に良い雰囲気のできた所なのだそうです。
全ての地域や仮設住宅があのようになれば良いのでしょうが。

南阿蘇では、地域の福祉を支える福祉施設での活動でした。
利用者さんとスタッフの方への施術でしたが、高齢の利用者さんよりも、スタッフの方々の疲労が気になりました。
もともと忙しい業種であるスタッフの方々も、皆さん被災されています。
トンネルが開通して山越えは無くなったものの、迂回通勤の負担も続いていました。
周囲に身体をケアする施設も少ないようで、多忙もあり、メンテナンスを受ける機会のない方が、ほとんどでした。
前回よりは環境が落ち着いたと話されていましたが、身体の疲労が際立ち、心に残る場所になりました。

今回の訪問を終えて、熊本の方々の人の温かさ、支え合う気持ちの強さが印象に残りました。
地域の方々のお陰で沢山の方に施術し、セルフケアをお伝えすることができました。
私たちのボランティアをきっかけに、鍼灸に通われたという嬉しいお話も聞けました。

まだまだ生活の不便や負担は続いています。
被災された皆さんが少しでも過ごしやすくなられるよう、これからも、私達にできることを続けていこうと思います。

木山仮設201703

第4回熊本訪問の概要

もうすぐ地震から1年を迎える被災地 熊本。
3月の祝日を利用して、4回目の鍼灸ボランティア活動を実施しました。

メンバーは、鍼灸あんまマッサージ指圧師1名、鍼灸師3名、アロマインストラクター1名の計5人。
いつもの鍼灸施術に加え、アロマハンドトリートメントも好評でした。

一日目
2017/3/19 (日)

【益城町】 木山仮設団地 13名施術

前回11月の訪問に引き続き、2回目の訪問でした。
ここは益城町で2番目に大きい仮設団地です。
集会所もいくつかあり、前回とは違う集会所の利用となりました。

住民の方への告知が十分ではなかったようですが、当日お声がけをさせて頂き、限られた時間の中では、まずまずの盛況ぶりでした。
子どもたちやボランティアの方も来られ、にぎやかになりました。
毎週子どもが集まれるイベントをされていたり、芝生を入れて温かい雰囲気をつくられたり、地域の方によっていろいろな企画もされていました。
集会所の壁に貼られていた、東北からの励ましの声も、印象的でした。

【御船町】 地域の食堂 14名施術

こちらも前回に引き続き、2回目の訪問でした。
被災されたのは、仮設住宅にいらっしゃる方だけではありません。
被害を受けながらも、自宅に住まれている方もおられます。
また、「みなし仮設」と呼ばれる民間の賃貸住宅を仮の住まいとして入居される被災者の方々もおられます。
そして、そちらの方への支援が、十分に行き届いていないという話はよく聞きます。
地域の拠点とも言えるこちらでも、そういった支援の届きにくい、孤立してしまいがちな被災者の方々のことを思われる声をお伺いしました。
また、地元に戻って、復興の為にボランティアをされている方にもお会いしました。
被災されたご自身たちが、どうやって地域を支えようか、何ができるのか、模索され、行動される姿に心動かされました。

二日目
2017/3/20 (月・祝) 

【南阿蘇村】 南阿蘇ケアサービス 31名施術

こちらは、昨年の8月以来、2回目の訪問でした。
前回の夏の暑さから一転、雨もあってか、この時期でも寒さを感じました。

こちらでは、福祉施設サービスの利用者をはじめ、スタッフの方々にも施術を行ないました。
トンネルが開通し、熊本市内から南阿蘇まで前回より20分程の短縮ができていました。
しかし、まだう回路通勤の負担は続いているようです。
ボランティアもあまり入らない地域で、レンジャーの訪問が大変喜ばれました。

介護福祉の現場は、ただでさえ人手不足、重労働です。
そんな中での被災です。
職員の方々の疲労が際立っていました。

三日目
2017/3/21 (火)

【御船町】 旧七滝中仮設団地 8名施術

こちらは、昨年に引き続き、3回目の訪問です。
1回目の訪問は、はじめて談話室が使われたような時期で、コミュニティもまだこれからという時でした。
集まる住民の方々も、どこかよそよそしい感じがしていました。
しかし今回は、外で歩かれている方を呼び込まれたりと、親しくなられている様子も見受けられました。
やや山間にある仮設ながらも、活気がありました。
しかし、東北でもありましたが、病院が遠いなど医療サービスの不便さが、気になりました。
病院に行くほどでもない程度の症状に、セルフケアが役立ってもらえればと願います。

三日間の鍼灸施術人数 66名

今回の活動は、全て訪問したことのある場所でした。
ところが、用意した新しいカルテ50枚が足りなくなるほど、初めての施術の方が中心でした。
鍼灸が初めてという方も多かったです。
もちろん、以前に施術を受けられて、今回を楽しみに待たれていた方もおられました。
しかし中には、混雑ぶりを見て、「前回受けたから」と、遠慮される方もおられました。
被災者の方が、お互いに気遣われ、支え合われている様子も、印象的でした。

また、昨年から私たちボランティアをコーディネートして下さった方とも再会することができました。
今回の全ての訪問地も、直接お会いして顔と顔のつながる関係があってこそできた活動です。
こういった、1回切りではないボランティア訪問が、活動の場を広げてくれていると感じます。

復興には長い道のりですが、私たちにもできることを、今後もサポートさせて頂きたいと思います。

木山仮設団地北集会所201703

(ブルー・森川真二)

第3回熊本訪問に参加して

こんにちは、レンジャーピンク森川彩子です。
私にとって2回目の熊本入りとなった今回は、前回繋がりのできた町に再訪問しました。
8月に続いての訪問で、あまり日も経っていないので、はり灸レンジャーを覚えていて下さる方も多く、うれしい再会もできました。

益城町では、仮設に移られてまだ3ヶ月、前回は避難所生活を送られていた方々への施術ができました。
前回の避難所の時も感じましたが、活気があり、仮設の集会所に人の集まりやすい環境ができていました。
活気のある環境づくりはなかなか難しいことなのだそうです。
前回より解体作業が進んだとはいえ、ブルーシートが多く残り、生活の立て直しにはまだ時間がかかります。
日々の仕事や、住めなくなった家の片づけにも追われる毎日です。
住民同士で相談して方針を決めたり、楽しんだり、繋がりを作ることに手が回らないのも想像ができます。
ここでの環境づくりをされた住民皆さんのご尽力と、それを支える方々のご努力の賜物なのだと感じました。

御船町では町のイベントと重なったこともあり、お伺いした仮設では施術できた方は多くありませんでした。
でも前回受けられた方が、
「顔を見に来たわ」と来られたり、
「若いもんはみんな出かけとるから、昼間は暇で仕方ない」とおしゃべりに来られる方も。
熊本の方の気さくな明るさを感じました。
また、嬉しいことに地元の食堂の方が鍼灸を気に入られて、お店を治療の場として提供してくださり、思わぬ大盛況となりました。
ご自身も被災されながら、地元を支えようと力を尽くされている方々のしなやかな対応に驚き、またとても有難く思いました。

避難所が閉鎖され、暮らしの場が仮設に移れば、コーディネートに入られていた緊急支援団体も
その役割を地元の方々に任せていかなくてはなりません。
自宅とは違う仮設住宅で迎える冬の対策や、住んでみて初めてわかる問題の対策も必要です。
住民同士で協力したり、話し合える環境がなくては、暮らしが立ち行きません。
酷なのですが、これからさらに被災された方々ご自身のパワーが必要になるだろうと感じました。

一方で熊本の方々の明るさ、しなやかさに希望を持ちました。
お話をさせて頂くと、こちらが元気になってしまうこともしばしばでした。

でも疲れが溜まっていては、身体も思うように動きません。
思うように動けなければ、思考もネガティブになりがちです。
疲れが取れて身体が元気であれば、力も湧いてきます。
鍼灸と、お伝えしているセルフケアで、少しでも身体が癒えて、毎日を過ごす力が湧いてくれればと願います。

201611森川彩子先生

熊本ボランティア~再訪して嬉しかったこと~

こんにちは。
はり灸レンジャー パープルの西井牧子です。

はり灸レンジャーとして3回目、私自身は2回目の熊本ボランティアに先月参加させていただきました。

初日は益城町、そして2日目と3日目は御船町の仮設住宅の集会所でそれぞれ施術をさせていただきました。

前回の8月の訪問でも益城町と御船町に伺いましたので、何人かの方とは嬉しい再会を果たすことができました。

そして、今回のはり灸レンジャーの訪問を心待ちにしていたとの嬉しいお声も沢山聞かせていただき、心が躍りました。

前回、避難所でお過ごしだった方々のほとんどが仮設住宅に入居され、気持ちが少し楽になったわ~とのお声も沢山伺いました。

それだけ避難所での生活は、プライバシーの守られない、精神的にも身体的にも負担の大きなものだったのだと改めて感じました。

伺った先月上旬は、朝夕と日中の気温差が大きく風邪気味の方や、仮設住宅に入居されてホッとしたのか体調を崩されておられる方もよくお見かけしました。

それでも、前回お渡しした簡易灸やローラー鍼でセルフケアをされる方が何人もいらっしゃり、
「毎日コロコロしているから、歩ける様になったよ!」
「コロコロしているから、肩こりがマシになったよ!」
などと嬉しそうに話されるご様子に胸が熱くなりました。

また今回は、被災されながらも避難所には行かれず、避難所にずっと食事を届けられていた食堂でも治療する機会がありました。

前回、「鍼は怖いからしないわ~」とおっしゃりながらも、治療された方に勧められて初めて鍼灸治療を受けられた方が、ご家族やご近所の方にはり灸レンジャーの治療を勧めてくださり、沢山の方が食堂にお越しくださいました。

中には、取り壊す事になったご自宅の整理やお仕事などでお疲れが溜まりすぎ、喘息の様な症状の方がいらっしゃったのですが、治療中から咳がぴたりと止んで、お顔の血色も別人の様に良くなられ、はり灸治療の不思議さにビックリされておられたのが印象的でした。

被害の大きかった益城町も御船町も、前回よりブルーシートが減り、家屋などの取り壊し作業が進んでいました。

それでも、パッカリとひび割れた阿蘇の山を見ると、地震の大きさに改めて恐れを抱きました。

地震がなければ伺うこともなかったかもしれない町で、沢山の方と嬉しいご縁が繋がり、町やその土地の方々がお元気になっていかれる様子を拝見出来るのは嬉しいことだなぁと思います。

短期的な支援ではなく、この先も継続してお身体やメンタルケアのお役に立てたら…と思います。

そして次回訪問までの間、お灸やローラー鍼でのセルフケアで熊本の方々がお元気になられることを少し離れた神戸から祈っております。

201611西井先生

熊本鍼灸ボランティアに参加して

2016/11/2~11/4の3日間の日程で初めて熊本ボランティアに参加させて頂きましたのでご報告いたします。今回のはり灸レンジャーチームは、1日目に益城町、2・3日目は御船町の仮設団地の集会所にて施術を行いました。殆どの方が、膝痛、腰痛、肩こりが主訴でした。期間が長引き、寒くなってきたことが症状をより辛くさせていました。

NPO法人レスキューストックヤードさんのサポートや、ボランティア活動とネットワーク作りを継続して下さった先輩方のお陰で、多くの方に鍼灸を受けて頂くことができました。また、今回は現地の食堂でも施術を行いました。食堂の皆さまの口利きですぐに人が集まりました。今後の活動の広がりの新たな基点となってくださると期待が膨らみました。

はり灸レンジャーの活動中、施術を受けて頂いた皆様から笑顔がこぼれ、体が楽になったと嬉しい言葉をたくさん聞くことができ、励みになりました。またローラー鍼(長柄が人気)についても、皆様決まってセルフケアに使いたいと手に取られておりました。再来の患者様もおられ、またこれまで一切鍼灸にご縁のなかった方々が非常に多いことを感じました。そういった方にも身体が楽になる体験を通して、鍼灸のファンになって頂けたことが大変うれしく思いました。

ただ、鍼灸未体験の方々は、会場に来られても、実際に鍼灸を受けるまでは躊躇されているケースが見られます。お話を聞くと決まって「猛烈に痛いのでは」という恐れを持たれておりました。それだけに、鍼灸適応症であるのに、実際とはかけ離れたイメージで治療を控えた方も多いのではないかと感じられました。心にも身体にも効く鍼灸の需要はもっと大きいはずですので、活動の継続が必要だと思います。また、気持ちのいい、優しい治療だという事を、より多くの方々にまず知って頂きたいです。治療を受けた方の言葉が一番興味を持たれるかもしれません。もし可能なら、治療を受けた方の感想など、アンケートを取り、承諾を受けたものを現地広報で使って頂くとより多くの方が治療を受けやすいのではないかと思います。

鍼灸は、ハイテク機材や特殊環境を整える必要もなく、鍼ともぐさがあれば場所を変えても治療が出来ます。安心、安全に治療をできるため、こうした被災地ではもっと多くの方に、施術を受けて頂き、健康の維持にお役立ていただきたいと切に願っております。

201611伊藤先生

(伊藤裕一)