鍼灸の役目

被災地で抱えている問題は、私たちの身の回りでも起こることです。震災によって、より浮き彫りになります。それは、身体の不調もしかり。その治療ポイントも、より明白になります。

問診にて、「一番つらいところは?」とお伺いすると、腰痛、肩こり、しびれ、膝の痛みなど、やはり痛みの症状をよく訴えられます。鍼灸治療が、そういった痛みやコリに対して効くというイメージもあるのかもしれません。痛みが生命に左右することは少ないですが、活動性や意欲の低下にもつながるので、おろそかにはできません。また、痛みの陰には、内臓の疾患や不調もあるので、注意深く診ていきます。こういった痛みのつらさに対しては、鍼灸治療に即効性もあるので、セルフケアと共に1回の治療でも価値があります。

さらに詳しくお話を伺いお身体を拝見していくと、不眠症やめまい、夜間頻尿などの症状も多く聞かれます。睡眠障害は、生命にも関わるような重大な疾患のリスクを高めることも知られているので、要注意です。慣れない仮設住宅暮らしやこの先の不安など、環境や精神的なことも大きく影響してくるでしょう。しかし、身体の不調からくるものもあります。そういった部分へのアプローチは、日頃のケアが重要になってくるので、セルフケアをお願いします。東北の人はまじめな方も多く、自己ケアをよくされて、次に訪問したときに改善されていることも聞きます。継続して治療できるのは、治療師にとっても、安心です。

振り返れば、被災地のボランティア治療は、日常の治療にもつながることです。被災地だから、治療院だから、と関係なく、どこでも誰に対しても施術が行なえる、鍼灸治療の良さや役目もまた改めて実感しました。

(森川)

6回目の東北ボランティア

こんにちわ、はり灸レンジャーブルーの森川です。

自身としては6回目の訪問になりました。短い滞在期間でしたが、今回もまた中身の濃いボランティア活動でした。

5/3(金) 仙台→南三陸
前日治療院を終えて、そのまま大阪へ。GWの渋滞もあって約14時間、高速バスにゆられて、朝仙台に到着。メンバーと合流し、レンタカーにて南三陸町を目指します。仙台の駅前も、レンタカーも、南三陸町への道中も、すっかりなじみのものになりました。
お昼過ぎに直接、被災者のお宅へ訪問。はじめての訪問から、ちょうど1年が経ちました。今回で5回目の治療になるご家族もおられます。あの津波があって、生活や環境が一変。「あの津波がなければ…」というお話は、度々聞くことですが、本当に心が痛みます。当然、ご病気やお身体の調子にも、大きく影響してきます。その生活背景というものがいかに重要かがわかります。
この日の活動は軽めに終えて、宿舎に戻ります。他の鍼灸師メンバーとの交流も、日常の治療院にいるだけでは得られない貴重な時間です。

5/4(土) 登米市
この日は、登米市にある南方仮設住宅にて、終日治療。昨年の初回訪問時は、半日で40人近くの施術でしたが、今回は一日で32人の施術。じっくり治療を行なえた印象があります。
前回も治療を受けられた人、前回来れずに今回を心待ちにしてくれていた人、お灸をご自分で用意され治療点を聞きに来られた人、たった1回の治療でも楽しみにされていることに嬉しく思います。
そして、震災以来ゆっくり休むまもなく被災者の支えとなっている現地職員の方々の治療では、その苦労が感じ取れます。からだは疲れているのに、気持ちが高ぶって眠れないということも聞きます。休まなければいけないということがわかっていても、思うように休めない。反応点の出ているのも、やはり感覚器の集まる頭部によく感じました。脳に近い不調が交感神経も活動させているのでしょう。頭部のセルフケアをお願いしました。
今回はここでメンバーと別れ、一足先に帰路につきました。帰りは仙台まで帰られる職員さんの車に便乗させていただきました。車内では、地元の風土や名産なども教えていただけました。また、被災から復興に関わる問題や悩みなども。私たちに解決できるようなことではありませんが、身体のケアから少しでもその一助となっていただければと願います。

(つづく)

印象的な言葉 (南方仮設にて)

こんにちは。はり灸レンジャーイエローの清水です。

第8回目のはり灸レンジャー東北訪問に参加させていただきました。

今回もはり灸治療を通じて、たくさんの人とお会いすることが出来ました。
また、前回の訪問時に治療させていただいた方との再会もあり、前回治療後の体調の経過やその後の生活の変化のお話などを伺うことが出来ました。(これは継続して活動をしているからこそ、出来ることですね)

今回、2回目の訪問となる登米市 南方仮設住宅でも色々なお話を伺いました。

前回訪問時は昨年の9月。そのときは(仮設住宅で)始まった新しい生活についての悩みや不安などのお話を多く伺いました。
しかし今回は、「膝が痛くて散歩ができない」と嘆いているおばあちゃんや、「ゲートボールのやり過ぎで肩を痛めた」とぼやく男性、
はたまた「母がはり灸に興味があるが、どんな治療か試しに受けてきてと頼まれた」とやって来た息子さんなど…
お体の状態や治療を受けにきた理由は様々ですが、その内容は私の地元、岐阜の治療院にやってくる患者さんとそんなに変わらないものとなっていました。
仮設住宅の近くには病院や接骨院もあるそうで、そちらをかかりつけにして体調管理のできている方も以前より多くなっている様子でした(とても喜ばしいことです!)。

元のお住まいのある南三陸町では、宅地造成のための土地整備が(限られた場所で)始まったばかりと聞きます。
南方仮設に暮らす方々の生活が本当の意味で落ち着くまでにはまだまだ時間がかかるのでしょう。

それでも、「ちゃんと生活していかなきゃね」とおっしゃった女性の言葉が、今回の訪問で一番印象的でした。

はり灸レンジャーとして活動に関わり2年あまり。沢山の方から学ぶ事ばかりです。
この活動から得たものを患者さんに、そして次の訪問でお会いする方にお返しできるようにこれからも頑張っていきたいと思います。

第8回訪問活動記録

はり灸レンジャーの第8回目の活動記録です。

今回もゴールデンウィークを利用して、4人の鍼灸師が参加しました。
初参加は岡本先生。
いま数えてみると、これまで「はり灸レンジャー」の枠で現地に同行したメンバーは10名を数えます!

【参加者】
清水真奈美 (サンリ治療院 勤務)
岡本悠馬 (南天はり灸院 院長)
森川真二 (SORA鍼灸院 院長)
舟橋寛延 (サンリ治療院 院長)

【活動日時と場所】
5/3(金)
4人のメンバーはそれぞれの仕事を工面して空路、あるいは夜行バスでまず仙台に集合。
今年の連休はどこも人出が多かったようで東北道も混んでいて夜行バスの場合、2時間遅れでした。
仙台駅にメンバー集合して、レンタカーにて、南三陸町まで北上します。
もうお馴染みになっている現地職員さんのご家庭を訪問して、鍼灸施術を実施しました。
こちらのお宅では、治療後にお茶っこ会でよもやま話に花が咲きます。
●施術数 4名(4名) 括弧内は2回目以上の治療になります。

5/4(土)
終日 登米市 南方仮設住宅にて施術。
この南方仮設は南三陸町で被災した方々が入居しています。
現地に足を運ぶとすぐ分かるのですが、南三陸町は海岸線が津波にやられ、もともと平地が少ないこともあり、仮設住宅を建設する土地が充分ではありません。そこで南三陸から西の方角にあたるお隣の登米市に350世帯という大規模仮設が建設されました。
南三陸町が管轄する仮設は全部で54か所あると聞きました。いままで閉鎖・解消もされていないのではないでしょうか。
大半は50戸以下の小規模仮設ですが、ここ南方仮設は350世帯と最大規模です。
大きな仮設ですから治療を受けるかたも比較的多人数になるため、レンジャーの数が多い時にお邪魔しています。
昨年の9月に続いて2回目の訪問では、一日かけてゆったりと治療できました。
●施術数 32人(17人)
(この日 夕方には森川さんは帰宅)

5/5(日)
午前中 南三陸町 入谷福祉型仮設住宅にて施術。
ここも訪問回数の多い仮設住宅です。様々な事情で家族と暮らせなかったり、単身の方で心身に障害のある人々がお住まいです。
職員さんも含め楽しみに待っていて下さるので、ありがたいことです。
なにしろ幹線道路から入った仮設住宅ですから、慰問やボランティア団体の訪問は皆無と聞きます。ますます我々の訪れる意義を感じる次第です。
●施術数 10人(7人)

以上で治療活動は終了し、午後からは気仙沼視察後、それぞれ用事のあるメンバーは残り、帰宅するメンバーは仙台へと別れ現地解散となりました。

今回の2泊3日の活動で46名の方々の治療を実施しました。
またあまり窮屈な日程ではなかったので、現地の方々ともじっくりお話しができ、レンジャー同士も宿舎で討論や治療練習を行なうなど有意義な活動になりました。
個々の参加者からの感想や報告は後日、また本ブログにアップしていきます。

(舟橋)

第8回訪問予定

東北大震災直後のゴールデンウィークに、ボランティアへ行ったのが、はじまりでした。あれから2年、グループとしては8回目、また新たなメンバーを加えた「はり灸レンジャー」が参上します!

【予定期間】
2013年5月3日(金)~5月5日(日)

【参加者】
舟橋寛延 (サンリ治療院 院長)
清水真奈美 (サンリ治療院 勤務)
岡本悠馬 (南天はり灸院 院長)
森川真二 (SORA鍼灸院 院長)

【活動予定】
5/3(金)
仙台駅にメンバー集結
レンタカーにて、南三陸町まで北上
現地職員、関係者の施術

5/4(土)
終日 登米市 南方仮設住宅にて施術

5/5(日)
南三陸町 入谷福祉型仮設住宅にて施術
気仙沼視察後、仙台へ

活動内容はまた後日ご報告いたします。

鍼灸治療の後は、お茶っこ会

3月の訪問で、治療の際に感じたことを書きます。

今までの訪問の積み重ねがものを言ってか、鍼灸治療をすんなり受け入れて下さる方が増えました。
また再診、再再診の方も多く、中には5回目の治療の方もいらっしゃいます。

南三陸町のある患者さん。
この方は、幸い自宅が高台にあったので自宅は無事です。
とはいえ庭のすぐ目の前まで水が上がってきて、停電などインフラはダウンしました。

震災・津波後の生活に無理があったのか、脳梗塞をおこし、もとからの持病もあり半ば寝たきりの生活を余儀なくされていました。
昨年(2012年)来、4回目の訪問・治療になります。

初めてお目にかかったころからマヒは強くなく、痛みのため歩けないということでした。
「痛みなら何とかなりますよ」
とお伝えし、鍼灸治療に加え、ローラー鍼の提供を行なってきました。
この方は、もともと年齢を感じさせない元気さ、好奇心、生活の意欲をお持ちでしたので、私としてもなんとか日常生活ができるようにと、祈るような気持ちでした。

投薬や訪問リハビリも相乗効果を出したようで、3月の訪問の際は、たいへんお元気で歩行器を使いながらですが屋内を動いていらっしゃいました。

自分の親戚が元気になったようで大変嬉しく感じた次第です。

こちらのお宅では、治療が終わった後、「お茶っこ会」の饗応を受けます。
お茶や漬物、ふかしたお芋などを前に話の花が咲くのです。
なんとも言えない、楽しいひと時でした。

(舟橋)

宮城へ

こんにちは。岐阜の吉村美陽子です。

今回、震災からほぼ2年が経った宮城へ行かせていただきました。
約半年ぶりの再会を果たしてきました。
前回ほどの緊張はなく、なじみの場所に来れたという感覚でした。
宮城が自分にとって、身近な場所であると感じられました。

しかし、私自身の心は、ギャップも感じていました。自分が普段送っている日々と、あまりにも目に見える光景が違っていました。岐阜での生活を送る私が普段目にしているものが当たり前になり、宮城を想像すること、思うことが少なくなっていたからでしょう。

初日、夜行バスで仙台駅に着いた私たちは、駅からレンタカーで南三陸町に向かいました。
南三陸町で山の下のほうの木が枯れているのが見えたとき、家のない海まで広がる土地を見たとき、
悲しい気持ちになりました。この気持ちが、心をひきつけ、心をよせるきっかけになると感じました。
自然に湧き上がる気持ちが、行動の動機づけになると感じました。

ギャップで自分の至らなさを感じましたが、だからこそ、改めて被災地に心が向きました。

私の目に映るものが、ただの一面にすぎないとしても、そこから感じたものが行動へのエネルギーになりますから、直接行かせていただけることは本当にありがたいことです。

実際に被災地が抱えている問題というのは、なかなか想像できません。
関心が向かなければなおさらです。

震災をどう生かすのかが本当に大切なことだと思います。
ただの出来事にしないこと。
そして、そこに生きる人々を思う心。感じる心がすごく大事だと思います。

もっと多くの目が向いたらなと思います。そしてそのためにはまず私が発信していきたいとおもいます。
身近な人に、少しずつどんどんと。

山内さんにお会いして、防潮堤や街づくりについてお話をを聞かせていただき、ものすごく関心がわいたので、現在調べている最中です。

今感じることは、「お金の使い方」を決める人々の視野の偏りです。

防潮堤建設に関しては、費用対効果の疑問、自然環境破壊、漁業や景観への影響などの問題があるようです。
防潮堤が「最善の策」であるから建設されるのでしょうか?なにの最善なのでしょうか。

様々な分野の人が防潮堤に関しての意見をもつことで、議論が成熟していきます。
いろいろな面からみることで、形が変わっていきます。
建設がなくなることがないとしても、建設に関して生じた様々な動きは、自然の中で人間が生きているということを感じる心を育てると思います。
コンクリートの壁をつくることから、自然との付き合い方、向き合い方を考えることにシフトできたらいいなと思います。
自然とともに生きているという事実を純粋に感じる人々の力がもう少し大きくなってくると、大きなものも動かせると思いますが、その難しさも防潮堤の問題を通じてよく勉強していきたいと思います。

話をもとに戻しますが、今回私は治療を受けられている方々にローラーをするという大役をいただきました。
何名かの方にローラーをしたことで、ローラーへの愛着が湧き、自分へのローラーも以前よりやるようになりました。

舟橋先生と吉村先生の施術の様子を見ながら、次に治療を受けられる方を案内するということも任せていただいたのですが、話に聴きこんでしまい、スムーズな治療を行うためのお役にたつことができなかった部分がありました。改めて、自分の性質を実感しました。どっぷりと話に入り込むのが好きなのですね。でもそれは視野の狭さを表すので、気を付けたいと思いました。話をきくことは、話す人が気持ちを整理できたり、心の安定にも貢献できると思うので、広い視野をもちながら、話を聞くことを楽しみたいと思います。

今回お会いすることができたある方から、「喪失や悲しみから、喜びや楽しさを生み出した」姿を見せていいただくことができ、大変感動いたしました。
出来事への向き合い方は人それぞれ違いますし時間とともに変化していきますが、出来事をどう生かすかに関して、その方の姿は心にぐっときました。私自身のありたい姿だと改めて感じました。

今回も多くのことを感じさせていただいた宮城への訪問、本当にありがとうございました。

2回目の東北

はり灸レンジャー グリーンの吉村 早也香です。

私は、去年の9月に初めてはり灸レンジャーの活動に参加させていただき、今回は2回目の活動参加でした。
今回の活動でレンタカーの車両担当を任命していただき、初めて東北での運転を体験しました。

はり治療に関しては、今回は鍼灸師が舟橋先生と私吉村の二人だったこともあり、ゆったりとした治療が中心となりました。
やはり治療を楽しみにしてくださっている方がいることは率直に嬉しいことですし、被災地の方々の生の声を聞ける大変貴重な場だと再確認しました。

被災地は、風景の大きな変化はありませんでしたが、防潮堤の建設も始まっており去年同様、浜の近辺はトラックがよく行き来していました。
複雑な思いもありますが、その土地に住む人の思いが反映された街づくりが願われます。

改めて東北を訪れて、東北の方々の人柄に魅力を感じました。
また行きたいと思うのは、そこにいる人々と土地の豊かさなのかもしれません。
できる範囲ではありますが、積極的に今後も活動に参加していきたいと思える訪問となりました。

2013年3月の活動報告

はり灸レンジャー、レッド舟橋です。
7回目となる東北への鍼灸ボランティアを実施しました。

まずは概要です。

参加者、吉村早也香、吉村美陽子(看護師)、舟橋寛延の3人。

(日程)
3/16(土)
夜行バスにて名古屋を出発

3/17(日)
朝 仙台着
レンタカーで南三陸町に移動
午後 被災者のお宅を訪問し鍼灸治療(5人)
夜は登米市にあるNPO「奏海の杜」宿舎に泊まる

3/18(月)
午前 南三陸町にて関係者の治療(8人)
午後 南三陸町 入谷福祉仮設にて治療(9人)
夕方 南三陸復興ステーションにて山内明美さんより復興状況のレクチャーを受ける
夜は引き続き登米市の宿舎に泊まる

3/19(火)
朝 南三陸町を出発
午後 宮城県南部の山元町の福祉施設にて治療(8人)
夕刻 亘理町の被災沿岸部を視察

治療総人数 30名
(今までの累計した総施術数は、283回)

今回は鍼灸師の参加が2名だったこともあり、比較的こじんまりとした活動になりました。
その分、被災された方々ともじっくりお話しができたというメリットもあります。

震災から3年目に入った被災地の状況は、なかなか一口で言うのが難しいのですが、たいへん厳しいと言わざるをえません。
まず、復興住宅建設の遅れが目立ちます。
それには色々な理由があるのですが、おいおいブログに投稿していくつもりです。

一方、明るい話題もあります。
今回わたしたちがお世話になったNPO「奏海の杜」さん(南三陸町)、NPO「ささえ愛山元」さん(山元町)ともに仮りの住まいから恒久的な拠点への移転が具体的な日程にあがっています。
どちらも今年中には移転が完了するでしょう。
地域で苦闘する皆さんに心からのエールを送りたいと思います。

身近になった東北

はり灸ブルーの森川です。今回で5回目(グループとしては6回目)の被災地ボランティア。これだけくり返し行くと、距離は遠く離れていますが、とても身近に感じるようになります。

9/16(日) 芦屋→仙台
治療院でいつも通り終日治療を済ませて、大阪に。大阪⇒仙台の高速バスに飛び乗り、あとは運転手さん任せです。準備も手馴れたもので、仕事終わりに「ちょっと東北まで」という気分です。

9/17(月) 登米市
早朝に仙台着。去年は現地で長袖を買い足すほどだったのが、こちら関西と同じく、半袖1枚で過ごせました。東北地方も、記録的な残暑が続いているようです。
朝一でレンタカーを借りて、前日仙台入りしているメンバーとも合流。わきあいあいと南三陸町へ。お世話になる被災地障がい者センター南三陸の職員さんの先導で、今回はじめての南方仮設に向かいます。
南方仮設は、登米(とめ)市というやや内陸部にあって、約300世帯、南三陸町で家を失った被災者のかたが入居されています。南三陸町と言えば沿岸部にあり、よく聞く志津川など、壊滅的な被害を受けた地域です。入居者のほとんどの方が、大切なもの、大切な人を失っています。お話を伺いして、言葉が返せないこともしばしば。ただただ、お話に耳を傾け、鍼とお灸に手を動かします。気の利いた言葉をかけれなくとも、治療後の楽になった笑顔に、ほっとします。面と向かって話しを聞くことは難しいですが、身体を触れる内に、自然と言葉が出てきます。
よく心のケアといいますが、具体的に何ができるのか? それは人にどうこうされるものではなく、自ら乗り越えていくものだと思います。
では、私たちにできることは? まずは、そこにある痛みや身体の不調をとることでしょう。身体の不調が、精神に影響することは知られています。人の心を変えることは難しいかもしれませんが、身体を変えることは私たちの得意とするところです。鍼灸治療に即効性があるところも、利点の一つです。
その後、事務所に帰って、職員さんの治療。被災者を一番身近で支えられるのも、被災者です。意識して休むようにしても、中々休まらない、疲れがとれないとも言われます。本当に問題は山積みといった感じです。まだまだ支援が必要な段階だと思いました。
よくボランティアの引き時というのを聞きますが、まだまだでしょう。無償のボランティアが、現地の同業者の邪魔をしたり、自立を妨げたりとも言いますが、鍼灸治療にいたっては、元々現地で浸透していません。はじめて鍼灸治療を受けられる方がほとんどです(被災地に限らないでしょうが)。そして、無料というのもあるかもしれませんが、その良さに大変喜ばれます。ローラー鍼、簡易灸などのセルフケアを活用すれば、自分でも、つらさを和らげることはできます。もっと鍼灸治療が広まれば、救われる人も増えることでしょう。

9/18(火) 南三陸町
午前中の活動場所は、もう4度目の訪問になる入谷福祉仮設住宅です。名前の通り、一般の仮設住宅ではなく、介助の必要な入居者さんが暮らされています。そのため、身体的にも、より重度の方もおられます。一回の鍼灸治療では限界も感じ、もどかしいところもあります。
また、ここにも被災者を支える被災職員さんがおられます。お年寄りの方は私たちのことを忘れていることも多いのですが、職員さんは覚えて下さっていて、心待ちにしている方もおられ、嬉しい限りです。
その後、ここもおなじみ南三陸さんさん商店街で、南三陸復興ステーション研究員の山内明美さんとそのお仲間の方と昼食。わずかな時間でしたが、実際の現場の方が直面している問題や苦悩を垣間見させていただきました。それは、被災地に限らず、私たちの身の回りにも言えることでした。
午後は、南三陸町の保健医療の最前線で活躍されてきた方々を治療。比較的時間にも余裕があり、じっくり治療もできました。元々健康に対する意識も高く、鍼灸治療に対しても、好意的な方が多かったです。セルフケアのポイントにも力が入ります。これをきっかけに、この鍼灸治療が、南三陸町で広く伝わらないかなんて思いもわきました。これからは、外部から来たボランティアによるものではなく、被災した人たち自身により行なわれる復興にシフトしていかねばなりません。

9/19(水) 山元町
今回最後の活動も、もうなじみの場所で、山元町のデイサービスささえ愛山元です。今までの訪問も水曜日が多く、今回も水曜で同じ顔ぶれの利用者さんたちでした。また、この鍼灸治療を楽しみにして、近くの仮設住宅から来られた方もいました。ここでも、身近に鍼灸治療を提供する場がもっとあればなと、切に思います。
この場所は、海岸に近い農村地帯で、回りのものが全てといっても過言ではないほど流されています。頑丈な建物や、それに守られた看板だけがポツンとそびえ立っているのが、よりその津波の猛威を感じさせます。都市部に比べ元々人口は少ないため、被害もそれほど知られていないように思いますが、実際に現地に行くとその報道の偏りも感じます。
そして今回も治療の後に、周辺を見て回ったのですが、線路や、道路も変わらず、そのままといったところがほとんどでした。雑草だけが、成長しているといった感じです。1年半たっても、ここまでかという思いもありましたが、ただ今までになく、トラックが行き交ってはいました。次に来るときは、変わった風景が見られるのかなという思いで、今回の活動を終えました。

被災地に行くたびに、多くの出会いや、経験をして帰ってきます。このご縁を大切に、これからも自分達にできることをずっと続けていきたいと思います。