4年目の東北を訪れて

はり灸レンジャー グリーンの吉村早也香です。

この度は震災から4年目の東北を訪れることができました。
その中で、今回自分なりに注目していたのが現在の”仮設住宅での暮らし”です。
今回初めて訪れた大谷中学校の仮設や、入谷仮設で被災された方の最近の暮らしぶりについてお話をお聞きすることができました。

キーワードは仮設住宅住民同士のコミュニケーションです。
仮設住宅は本来”仮”のものであって、出て行くタイミングはそれぞれになります。
新しく移り住む住宅に、この先ずっと住むつもりで移り住むのと、一時的な仮住まいとではまるで気持ちが違うと思います。
そこで生まれるコミュニケーションにも大きく関わる問題だということを考えざるを得ません。
身内や内輪でかたまってしまい、なかなか他人の入る余地がなかったり、その輪に入る元気がなかったり・・・
これは別に仮設云々という話ではなく、日常的にごくごく見られるものでもあります。
それぞれ被災されたお一人お一人抱えている問題はさまざまで、複雑に入り組んでいる様子を垣間見ることとなりました。

また、今回の活動の中で気仙沼の「防潮堤を勉強する会」の発起人でもある三浦友幸さんにお話も伺うことができました。
伺ったお話の大まかな流れが書いてある記事を見つけましたので、以下のリンクをぜひご覧ください。
http://giant-seawall.org/2013/12/24/742/

活動を終えて、東北 被災地の”復興”の意味を今一度考えてみました。
復興とは「以前の姿や勢いを取り戻す」という意味がありますが、いろんな意味で以前の姿に戻せるものとそうでないものがあります。
新しいまちづくりが難航しています。もし自分の町が同じような状況だったら、自分は何ができるのかな・・・と考えてしまいました。
しかし「防潮堤を勉強する会」のように、まずは私たちが「知る」ことから始まるのだと思います。そして知ったことを広めて形にしていくことです。
この地道な積み重ねてを丁寧にしていくことが、人々に今求められているのだと思います。

吉村早也香

10回訪問(2014年3月)の活動記録

震災より3年、はり灸レンジャーとしては節目の10回目の訪問となりました。
被災地の現状を垣間見ることができました。
またこれからも活動は続けていきます。

3月23日(日)
メンバー6人、各々の交通手段で仙台集合後、レンタカーにて気仙沼へ
大谷中学校仮設住宅 18人施術
気仙沼まちづくり支援センター三浦友幸さんよりレクチャー
気仙沼にて泊

3月24日(月)
NPO法人奏海の杜に案内いただく
入谷福祉仮設住宅 10人施術
南三陸町関係者 11人施術
メンバー4人は帰宅
ささえ愛山元(新事務所)にて泊

3月25日(火)
山元町 ささえ愛山元 15人施術
仙台市 CILたすけっと 2人施術

計56人施術

活動内容の詳細、各メンバーの感想、被災地の声などは、
また順次投稿していきます。

第10回訪問の予定

東北大震災からまもなく3年。まだまだ仮設住宅暮らしを余儀なくされ、慣れない生活に身体の不調も次々と出てくることかと思います。そんな被災者の方に、鍼灸治療とセルフケアを提供したいという思いの「はり灸レンジャー」も節目の10回目の訪問となりました。また新たなメンバーも加わって、参上いたします!

【活動期間】
2014年3月23日(日)~3月25日(火)

【参加者】
舟橋寛延 (鍼灸師・サンリ治療院 院長)
吉村早也香(鍼灸師・サンリ治療院 勤務)
吉村美陽子(看護師・保健師)
鈴木一成 (鍼灸あんまマッサージ師・十四堂鍼灸院院長)
坂口友亮 (鍼灸師予定)
森川真二 (鍼灸師・SORA鍼灸院 院長)

【活動予定】
3/23(日)
宮城県気仙沼市(大谷中学校仮設住宅)
気仙沼にて宿泊

3/24(月)
宮城県南三陸町・登米市
山元町にて宿泊

3/25(火)
宮城県山元町(ささえ愛山元)
宮城県仙台市

訪問場所等、詳細決まりましたら、また更新していきます。
春の嵐は呼びませんように…

会いにいける人のいることの喜び

こんにちは。はり灸レンジャー・ブラックの岡本です。
5月に初参加し、今回は二度目の東北行きとなりました。以下、3日間の様子をご報告いたします。

14日
最初の訪問先は、宮城県山元町の「ささえ愛山元」です。
介護事業を行っていましたが、東日本大震災による津波で事業所が全壊しています。
レンジャーの活動としてはすでに何度も訪れている場所ですが、私にとっては初めての場所でした。

仙台からレンタカーを運転し、宮城県東南端の山元町に向けて車を走らせます。
海岸に近い道路を南下していくと、海側に広がっているのは2年前に津波にさらされた地面でした。
3度目の夏が過ぎ、瓦礫や泥の灰色に染まっていた土地には無数の雑草が生え、重機が点在していました。

内陸側へと進路を変え、水田が広がる風景を眺めながら車を走らせると、小高い丘になっている土地にささえ愛山本の介護施設「愛広館」がありました。
ちょうどその日は「パラソル喫茶」というイベントが行われている日で、青く綺麗に晴れた空の下に利用者の方が集まり、料理と歌を楽しんでおられました。庭先から、何度も「リンゴの唄」が響いてきたのが印象に残っています。
戦争が終わって間もない頃に大ヒットした歌ですから、皆さんにとっては青春の歌なのでしょうか。

ここでは職員、ボランティアスタッフの方を含め、合計で22人の方を治療できました。
治療後には豚汁やおはぎをごちそうになり、デザートのケーキまで出して頂きました。
代表の中村理事長にお話を伺うことができましたが、震災以降、いろいろなご縁がつながって運営を続けてこられたのだそうです。
嬉しそうに、大きな声でお話をされる姿が印象的でした。この笑顔を取り戻すために、相当の苦労を経てこられたのでしょう。

この日は治療後、皆さんに別れを告げてから、壊滅した常磐線の山下駅を見に行きました。
駅舎はすでに撤去されており、残っているのは隣の公衆トイレだけ。
トイレの壁には「心をひとつに」「がんばろう山元町」「日本中のみんながついてる」という落書きがありました。
線路跡には雑草がびっしりと生え、青々とした草木の隙間から錆びたレールが垣間見えます。
調べてみたところ、山下駅は移設され、高架駅として生まれ変わるそうです。このレールの上を電車が走ることは、もうないのですね。

 

15日
早朝、宿泊先の登米市を出発し、気仙沼へと向かいました。車で1時間半ほどの道のりです。
海沿いを走っていると、作りかけの堤防が見えました。カーナビ上では線路と並行している道路を走っているはずなのに、周囲に線路らしきものは見当たりません。

最初の目的地は、中井小学校仮設住宅です。校庭に寄り添うように作られた、十数世帯ほどの小さな仮設住宅エリアです。
集会所のスペースをお借りして、自治会長さんご夫婦と入居者の方一人を治療しました。
自治会長さんは「病院にはかからない」とご自慢の様子で、そんな旦那さんに奥様が「そういう人がいきなりポックリいくんよ」とツッコミを入れ、仲の良さそうなご夫妻でした。

お昼休憩をはさみ、午後は旧唐桑小学校の仮設住宅へ向かいました。
入居者の方は“部外者”である私たちには色々なことが話しやすいのかもしれません。
波瀾万丈の人生を語り、「最後の最後に全部流されちゃってねぇ」と、淡々とお話しをされる方などには、どう声をかければよいのか、わからないのです。私たちが訪れることが、わずかでも生きる喜びになってくれることを祈るのみです。
ここでは10人の方を治療し、終了する頃には雨も収まっていました。

最後は、お世話になったNPO法人「森は海の恋人」の事務局の方と、その関係者の方々を治療させて頂きました。

今回、気仙沼で治療を行えることになったのは、「森は海の恋人」のSさんのご尽力のおかげです。
Sさんとは昔同じ職場で働いていました。
お互いに学生時代は中国語専攻だったこともあって、なんとなく波長が合い、ずっとお付き合いが続いています。
そのSさんが居住している唐桑町で、治療を行わせて頂くことになりましたが、仮設住宅への連絡、事前のチラシ配布、当日は看板まで出して下さり、とどこおりなくスムーズに進めることができました。

 

16日
午前中、入谷仮設にて、入居者の方と職員さんの治療を行いました。
ここは山間部にある小規模の施設で、私たちのことを覚えていて下さる方も多く、終始和やかなムードで治療が進みました。
すでに5〜6回治療を受けておられる方もいます。また、訪れることを約束して、最後の訪問場所を後にしました。

この入谷仮設ですべての日程が終了し、仙台へ戻ることになります。
帰り道は台風による暴風と豪雨に見まわれましたが、幸いにして直撃は免れたようで、大きなトラブルもなく、それぞれ無事に帰宅することができました。

はり灸レンジャーはこれまで9回の活動の中で、再訪を含む訪問場所が38カ所を数え、合わせて383人を治療してきました。
「その場で楽になっておしまい」ではなく、一人ひとりのカルテを作成し、再び治療する機会が得られた方については前回からの経過を確認しながら治療を行っています。

東北を訪れるたびに、新たな出会いがあります。
ボランティア治療から思わぬ形で交流が続くこともあり、ご縁の不思議さを感じています。
次の訪問は来年の3月になるでしょうか。今後も継続的に、会いにいければと思っています。


岡本

被災地東北の変化と新たなつながり

はり灸レンジャーブルーの森川です。今回は被災地の変化と新たなつながりを感じました。少し長くなりますが、3日間の感想とまとめを。

2013/9/14(土) [一日目]  山元町

朝、仙台駅で前回と同じ待ち合わせ場所でメンバーと合流(仙台駅前も馴染みのものです)。レンタカーを借りて、宮城県南部の山元町へ。活動当初から訪問している「ささえ愛山元」に向かいます。ただ、今回向かうのは高台へ移転した新しい事業所(デイサービス)です。

少し迷いながらも到着。当日は近隣の仮設住宅の人も集まる「パラソル喫茶」と重なり、多くの人が待ち構えておられました。治療も、施術者2人で患者さん22人と、夕方まで大盛況でした。スタッフの方をはじめ、鍼灸の常連さんもおられ、熱がこもります。

治療後に、はじめて訪れたメンバーと共に山元町を巡りました。毎回訪れるのが、写真の山下駅。海岸沿いを走る常磐線は、線路も、駅も、その回りの町ごと流されてしまいました。2年前にはじめて訪れたときは、一面見渡す限りの荒野といった感じでした。それが、次第に雑草が生えだし(塩害のため作物は土を入れ替えないと育てられません)野原が一面に広がっている感じがありました。それが今回、新築の住居や、ビニルハウスなども目立つようになりました。少しずつでもやっと復興が進んでいるんだなと思って帰ってきました。

しかし、まだまだポツンポツンとしか建っていなくて、町は戻っていませんでした。駅が無くなれば、駅前の人通りもありません。その常磐線がどうなるものかと調べてみると、次のような記事を見つけました。

河北新報ニュース
第16部・孤立(2)危険区域/再起の決意、報われず 鉄道移設、廃れるまち

記事によると、常磐線は内陸に移ることが決定しています。さらには沿岸部にある駅周辺は、危険区域というレッテルも。山下駅の前にある商店にそのような事情があったとは知らず。被災地復興の深刻さをまた知りました。

2013/9/15(日) [二日目] 気仙沼市

二日目は、今回初訪問となる、気仙沼市へ。メンバーのつながりで、NPO法人「森は海の恋人」の皆さんに終日お世話になりました。
「森は海の恋人」とは、
『自然の「環」から、人の「和」を育てよう!』をキャッチフレーズに、環境教育・森づくり・自然環境保全の3分野で活動する特定非営利活動法人です。(HPより)
豊かな海を育むには、そこに流れる川と、豊かな森も必要なのです。牡蠣の養殖のために、植林活動をも行なわれています。
苗字が「森川」、大学で農学部を専攻していた私としては、大変興味のある団体でした。(実際、お話もとても興味深いものばかりで、楽しい一日でした!)

その職員さんの紹介で、まずは中井小学校仮設住宅に訪問。20戸以下の小さな仮設住宅でしたが、元々居住者の皆さん顔見知りのような近隣の方が集まられていました。少人数でしたが、のんびりとゆっくりした雰囲気の中、治療を行なうことができました。

お昼は「森は海の恋人」の方にお世話になり、午後からは、旧唐桑小学校仮設住宅に訪問。集会場に到着するや、治療を待たれている人がすでに並ばれていました。ここからは施術者も4人に増え、またじっくり治療を行なうことができました。狭い仮設住宅暮らし、震災後の重労働(土木関係の一時的な仕事に就かれている方も多いです)など、やはり震災前後の生活の変化とこれから先の生活の不安に、大きなストレスを感じられているようでした。震災時のショックもさることながら、これから先の不安や心配は、現在進行形です。肉体的にも大きな負担が診られました。

そして、夕方はお世話になりっぱなしの「森は海の恋人」の職員や関係者の方々の治療を。被災地で頑張られている方々自身も、もちろん被災者なのです。

たった1回の治療では限界もあり、セルフケアもどこまで役立てるかは、その後次第です。また改めて、ご訪問できることを約束して、お別れしました。

2013/9/16(月) [三日目]  南三陸町

大型台風18号が日本を縦断する中、最後の三日目を迎えました。午後に東北地方に再接近し、帰りの交通機関も乱れる予測から、当初の予定を変更して午前中の活動で切り上げることにしました。

午前中訪問したのは、入谷福祉仮設。今回で7回目の訪問になり、もうお馴染みです。そして雨(嵐)も、もうお馴染みです。(この南三陸にお邪魔するときは、とにかく悪天候が多いのです…。)

もう治療が6回目の利用者さん、職員さんもおられました。そのうちの利用者Mさん。1回目も私が治療を担当しました。2年前の同じ9月でしたが、そのときは足が特別冷たかったのを覚えています。被災されて、施設に移ってきてすぐだったと思います。そのときに比べると、今回の治療では、随分足が温かくなっていると感じました。一ついい変化を感じることができた治療でした。複数回の訪問と、セルフケアが、少しは役立っていると思います。

あと、ここの職員さんはとても楽しくされています。それにつられて、利用者さんも笑顔に。職員さんも被災され、仮設住宅暮らし、つらい思いもされています。それでもこうして人を支え、そしてまた支えられ。とてもいい関係だと実感できました。そして職員さんの話では、ここも来年には新しく施設として再建されるとのこと。少し希望も感じられる今回の訪問でした。

また、南三陸ではいつもお世話になるNPO法人「奏海の杜」。こちらもいろんな困難を乗り越えながらも、再建に進んでいます。被災地では、建設ラッシュで資材や建築費の高騰などのバブルがおきています。残念なことではありますがそれが現実。まだまだ大変ですが、いちサポーターとして、何かお手伝いができたらとまたの訪問をお約束しました。

被災地が変化していく中で、私たちボランティア側もどう変化していくか?無償のボランティアが被災者の自立を妨げるとも言われますが、この被災地の状況を見れば(全てを見ているわけではありませんが)、まだそんなことは言えないと思います。まだつらい状況の中でも、懸命に頑張られています。それでもまだ先が見えない人もおられます。その苦労を少しでも分かち合えるように、まわりの協力もまだまだ必要なんだと思います。そんなこんなで、はり灸レンジャーの活動もまだ続きます。
(森川)

ホタテに感謝

先日参加した「はり灸レンジャー」の活動で、カキやホタテの養殖・加工業を営むご一家とお会いし、治療する機会がありました。
皆さん訴えるは一様に「腕が痛い!」

今は帆立貝のシーズンらしく、水揚げしたホタテの殻をひたすら開き、むき身や貝柱を取り出す作業に追われているそうです。
その量は何と数百トン単位!(もう想像もつきません…)
更に震災後、水産加工業に携わる人が激減 してしまったため、技術を必要とするこうした作業が出来る方たちは大忙しとのこと。
自分達で生産する帆立貝だけでなく他の生産者から依頼された分の加工まであり、一日中作業しても追い付かないというお話でした。
殻を外す作業だけでも腕の力がかなり必要とのことで、私が治療させていただいた女性も腕がパンパンに張って、腱鞘炎の一歩手前と言う状態。
腕だけでなく全身疲労も強かったため、内臓と筋肉を出来る限り治療しました。

はり灸レンジャーの活動では、海なし県・岐阜に住む私が知らなかった「海のお仕事」に関わる方に沢山お会いしています。
お話はもちろんですが、お体を見ることでその大変さやお仕事をされているかたの凄さを知り、本当に自分の世界が広がりました。
これからは帆立貝が食卓にのぼる度、ご一家のことを思い感謝して頂きたいと思います!

(清水)

つながりゆく東北活動

はり灸レンジャー グリーンの吉村早也香です。
私自身の東北訪問は今回で三回目となります。

今回、治療で使うセルフケアの簡単な手引の作成をお手伝いさせていただき、見やすさ、わかりやすさ、何を伝えたいかなどの見せ方について勉強になりました。
治療の最後にプリントされた図を交えながら、「あなたの場合はここをよくローラーすると良いですよ」などアドバイスでき、以前より視覚効果もセルフケアのとっかかりとしては効果的だったのではと思います。
まだまだ改善の余地はあるので、よりよい提案を今後もできたらと思います。

今回の活動は気仙沼での活動が印象的でした。
レンジャーの岡本さんがつないでくださったご縁で、NPO法人である「森は海の恋人」の方々と初顔合わせとなりました。
丸一日、総務のSさんには訪問先の仮設住宅と方々とつないでいただいたりと大変お世話になりました。
南三陸のOさんもそうですが、安心した窓口のような役目をしてくださる方々の存在がいかに大きいかを改めて考えさせられますね。
半ばこちらから勝手に押しかけているようなものなのに、丁寧に対応してくださる姿に頭が上がりません。

今回はわりとゆったり目の治療が多く、また治療に専念していたこともあり思うようなお話ができなかったなと反省しています。
しかしその中で、私も気になっていた仮設住宅の暮らしに慣れないというお声は印象的でした。
皆さんそれぞれの事情をかかえて仮設住宅で暮らされています。
仮設住宅を目にすると、まだまだ苦労されている方々がいることを目の当たりにしますが、そこを少しは慣れると大震災津波がきたという風景は当たり前ではありますが、確実に消えてっています。
ニュースでもそうですが、耳や目に入る情報が減れば減るほど薄れ、忘れていってしまうものなんだと、少し恐怖に似たような感覚を覚えました。

だからこそ、このはり灸レンジャーの活動を通して東北への思いを続けていきたいと改めて感じます。
そして、その活動を知ってもらうこともしていきたいと思います。
活動紹介のリーフレットも作っていただけたので、それをもとに知人友人に紹介したいと思います。

自分の情報収集不足も痛感しましたので、活動に参加する意義をもっともっと増やせるような土台をしっかり作った上で、次回の活動に参加できるようにしたいです。

吉村早也香

災害で見える被災地の生活

今回の「はり灸レンジャー」被災地訪問。
なんと台風18号の日本上陸とかちあってしまいました!

幸いなことに現地での活動は台風のピークを迎える前に終了することが出来たのですが、暴風が吹き荒れる中の高速道路の運転や、新幹線の運休による駅のパニックに巻き込まれるなど色々なことに遭遇しながらの帰路となりました。
台風上陸前の9月15日にお邪魔した気仙沼市や16日の訪問先の南三陸町でもかなりの量の雨が降りました。

こういった天災があると、被災地の 違う顔が見えてきます。
震災後、まだ整備が出来ていない道路のあちこちに水たまりが出来て車で通ることをためらうほどの悪路になっていたり。
仮設住宅では棟が少し違うだけで浸水してしまったお宅があったり…
(急ごしらえで造成したためか、同じ土地でも高低差が生じてしまい、少し低い場所に雨水が集中してしまったそうです)

全国ニュースにはならないかも知れないけれど、住んでいる方たちにとってとても深刻な問題がありました。
こういった部分の「復興」ももっと早く進みますように、と願う気持ちになった今回の訪問でした。

(清水)

9回目の被災地訪問予定

今日で東北大震災から2年半。ここ神戸の地元紙、神戸新聞でも特集記事が載っていました。そして、今週末、私たち「はり灸レンジャー」も参上いたします!

【活動期間】
2013年9月14日(土)~9月16日(月)

【参加者】
清水真奈美 (サンリ治療院 勤務)
吉村早也香 (サンリ治療院 勤務)
岡本悠馬 (南天はり灸院 院長)
森川真二 (SORA鍼灸院 院長)

【活動予定】
9/14(土)
宮城県山元町
・ささえ愛山元
宮城県登米市
・奏海の杜 宿泊

9/15(日)
宮城県気仙沼市
・中井小学校仮設住宅
・旧唐桑小学校仮設住宅
・水山養殖場 (「森は海の恋人」)

9/16(月・祝)
宮城県南三陸町
・入谷福祉型仮設住宅

今回は新たに、セルフケア用のパンフレット、はり灸レンジャーのパンフレットを、用意しました。さらに、配布用のローラー鍼、せんねん灸も追加購入。(今回もタフリーインターナショナルさんより、活動で使える支援物資もいただきました。)

ローラー鍼には、1本1本、軸の部分にオイルを差し(購入時のローラー鍼は、軋む音がするので)、せんねん灸は、少量ずつ箱詰めを行ないます。

準備は万端! あとは天気が荒れませんようにお祈りしています…

鍼灸ボランティアを通して東北を引き寄せる

はじめまして!このたび、はり灸レンジャー・はり灸ブラックを拝命いたしました、岡本悠馬です。
第8回のはり灸レンジャーからの参加となります。

5/2(木)大阪→仙台へ

4月12日に就航したばかりのLCC(格安航空会社)、ピーチ・アビエーションで関空から仙台へ飛びました。

東北へ行くのは初めてだったので、初日は東北大学に留学している中国人の友人に連れられて、市内を散策しました。

この友人とはもう8年近い付き合いになります。
私が中国の広州に留学していたとき、彼はその留学先の大学で日本語を専攻していました。
大学の先生の紹介で知り合い、日本語と中国語の交換学習をしていました。それ以降も日中を行き来しつつ、ずっと交流が続いています。

2011年、彼が仙台に行く直前に東日本大震災が起こりました。

周囲の反対もあったようですが、1カ月遅れで来日し、研究生を経て現在は大学院で学んでいます。友人から、当時の市内の様子などを聞かされながら、自転車で市内各所を巡りました。

5/3(金)南三陸町

ボランティア初日。

仙台駅で他のメンバーと合流し、初日の目的地である南三陸町へ向かいました。

「このあたりから津波の被害があった地域ですよ」と言われて初めてハッとしました。
がれきはあらかた撤去され、平らな地面が広がっていました。
ここが以前どんな街だったのか、わずかに残っている建物や、家屋の基礎部分などを見て、想像をふくらませるしかありません。
「ここであの大津波が起こったんだ」と、半ば自分に言い聞かせなければ想像できない、実感としてとらえきれないもどかしさがありました。

震災のむごさを思い知らせるのは、更地の真ん中にポツンと佇む防災庁舎です。
赤い鉄骨だけになった3階建ての庁舎からはパイプが垂れ下がり、風に吹かれてきしんだ音を立てていました。ねじ曲がった非常階段の手すりが、水圧の激しさを物語っています。

玄関だったところには祭壇が設けられ、献花、黙祷をする人たちが次々と訪れていました。

南三陸では、現地の職員さんのご自宅で鍼灸治療を行いました。

他のメンバーはすでに何度か訪れているということで、親戚の家にやってきたような、なごやかな雰囲気の中で治療が行われていました。

治療後はお茶とお菓子を頂き、こちらのお家が養殖しているワカメまで頂いてしまいました。

帰宅してからも味噌汁などに入れて、美味しく食べています(たくさん頂いたのでまだ残っています)。

5/4(土)登米市 南方仮設住宅

南三陸町の隣、登米市にある南方仮設住宅にて治療を行いました。350戸という、最大規模の仮設住宅です。

90歳を超えて仮設住宅で一人暮らしをされている方、ボランティア組織の職員の方など、10人近い方を治療しました。

限られた治療時間で、普段の治療とは異なる環境に慣れるのに少し時間を要しました。
もう少しお話ができたらと思ったのですが、とにかくここでは体のケアに集中することにしました。

5/5(日)南三陸町 入谷福祉型仮設

前日訪れた南方仮設は登米市の市街地近くにあります。周辺にはコンビニなどもあり、比較的便のいい場所です。
この日訪れたのは、前日とはうってかわって、山あいにある小さな仮説住宅です。風景の美しい場所でした。

舟橋先生の記事にもあるとおり、ここへの慰問やボランティア団体の訪問は皆無だということです。だからこそ、私たちのように、大がかりな設備や機器も要さない小回りの効くグループが役に立てます。

治療は午前中に10人ほど行い、本日程は終了となりました。

午後は気仙沼市へと向かいました。
5日と6日には現地に住む友人やご家族の治療を行い、地元の状況について事情をお聞かせ頂きました。
気仙沼市内にも90カ所以上の仮設住宅があり、鍼灸で役に立てることは数多くありそうです。

「大海の一滴」ではありますが、今後も息の長い活動として、参加していくつもりです。

市内で一泊して仙台に戻り、5/7(火)の夜の便で関西に戻りました。

今回の東北行き、私はゴールデンウィークの真ん中を外したので、航空券代は往復で1万2000円程度に抑えることができました。

時期によって変動しますが、片道12時間程度かかる高速バスと同程度の価格ですから、今後は関西から東北へ行くには、LCCが第一選択になるでしょう。
飛行時間も約1時間半と、ウトウトしているうちに到着してしまいました。

座席も往復ともに満席だったようで、関西にとって東北が少しでも身近になったことを嬉しく思っています。

(岡本)