はり灸レッド舟橋の報告2日目です。
2日目は、宿舎としてお借りしている「奏海の杜」のスタッフさんの治療を午前にしました。
震災から5年、ずっと突っ走ってきたメンバーさんの中には体調不良が常態化している方もいて、懸念されます。震災からこっち、待ったなしで次々と状況に合わせて活動されてきたその疲労が心身ともにピークに達していることが見て取れます。日々忙しいなか、体のケアも不十分になるでしょうから、私たちの訪問が良い機会になったのではないでしょうか。
お昼前に登米市の宿舎を出て、東北道を利用して一路南下、福島県の田村市に向かいました。2015年の秋以来ご縁ができた障がい者団体「ゆうとぴあ」の訪問です。
昨年初めてお邪魔したときは休日だったせいもあってか一部の方がたの治療のみでしたが、今回は知的障害の方など、多くの通所している皆さんの前で簡単なお灸教室を開催できました。通所している方から治療の依頼もあり、ここでも幾人かの治療ができました。
田村市と聞いてもピンとこないかも知れませんが、東へ数十キロいけば双葉町、大熊町、浪江町と福島第一原発の近くです。幸い風向きのかげんで田村市に降り注いだ放射能は比較的少ないとのことですが、生活のなかで折に触れ感じることはあろうかと思います。
昨年の訪問の際にも感じましたが、実際に現地に足を踏み入れる意味はとても大きいです。単にマスコミで報道されている福島県の事情は、「大変だ」と感じながらもどこかしら他人事、遠い地の出来事と感じるのはいなめません。しかし、その地で暮らす人々と実際に縁を結ぶと他人事ではなくなってきます。
こうして、私は一足先に「ゆうとぴあ」さんの最寄駅「船引駅」からローカル線で郡山に出て、3/22(火)夜の新幹線で帰省しました。
今回はレンジャー3人の訪問ということもあり、治療できた数は決して多くはありませんでしたが、その分、いつも以上に丁寧に皆さんの声を聞けました。今回も有意義な訪問でした。
NPOのある職員さんがこう言って下さいました。
「いつも(被災地のことを)忘れずに、こうしていらして頂き本当にありがとうございます」
ありがたい言葉であります。同時に私たちの活動はそういったNPOの皆さんの支えなしには根無し草になってしまいます。お礼を言うのはこちらの方です。遅ればせながら、今回、いろいろ現地で調整して下さった皆さん、治療を受けて下さった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。そして、また秋にお目にかかりましょう!
2016年3月のお彼岸連休を利用して、はり灸レンジャー第14回目の訪問治療を行ないました。
今回、わたし舟橋(はり灸レッド)は、往復新幹線を利用し、1泊2日のショート訪問でした。
初日、3/21(日)に宮城県の北部にある「くりこま高原」駅で他のメンバーと合流し、レンタカーでまず南三陸町に向かいました。
治療まで少し時間があったので、まずは復興工事に湧き立つ沿岸部の様子を見ることにしました。津波にかぶった沿岸部は危険区域ということで居住は許されません。この1~2年、すさまじい勢いで盛り土工事が行なわれ、道路も以前より高いところを通っているので、不思議な感覚に襲われます。
沿岸部から少し北上し、当時避難所になったベイサイドアリーナの近辺では、新しい医療センターも台湾の義捐金を原資に竣工し、また5~6階建てに見える復興住宅も建設のピークを迎えています。被災自治体のなかで、住宅再建がかなり遅れていた南三陸町もようやくゴールが見えてきたか、という感じがします。
治療は、沿岸部からかなり入った里山にある「入谷福祉型仮設」で行ないました。この福祉仮設とのおつきあいは本当に長く、2011年の秋以来、10数度の訪問になるのではないでしょうか。
以前は平屋で2棟あった福祉仮設ですが、入居者の方々も徐々に引っ越しをされ、現在は1棟しか使用していません。それもつい最近まで入居者数が5人になっていたそうですが、つい最近、他の福祉仮設から移動してきたお年寄りが3名いらっしゃり、現在は8名です。そのうちのお一人の治療を舟橋が実施しました。
新しい環境に戸惑いながらも私たちの治療を受け入れて下さり、個人的には嬉しく思いました。この方が以前に入っていた仮設住宅は、南三陸町のお隣にある登米市の南方(みなみがた)仮設です。統廃合によって南方の福祉仮設は閉鎖されたのです。そこは街中なので、接骨院もあるし、散歩もしやすい地域ですが、いま住んでいるここ入谷仮設は周囲にお店もなくさみしそうでした。なによりお年を召した方がたにとって環境の変化はこたえると思われます。今回、高台移転や道路工事など目に見えて変わりゆく町と対比され印象に残った治療でした。
ところで、この入谷福祉仮設は現在、NPO法人「奏海の杜」(かなみのもり)さんが町から委託を受けて運営しています。
奏海の杜さんとのつきあいも4年半になり、いつも登米市の事務所では宿泊のお世話になっています。震災後、小さなグループから始まった活動が、こうしてNPO法人として委託事業を受けるまでの組織になったことに応援団の一人として本当に嬉しく思います。
「奏海の杜(かなみのもり)」ブログ
今回はメンバーが少ないながらも、じっくり治療ができ、お話もお伺いすることができました。
セルフケアの推進として、お灸教室も開催しました。
自分で簡単にできるお灸にも興味を持って下さったようで、またこのような機会を増やしていきたいと思います。
震災から5年経た被災地の様子を目にすることもできました。
新しい道路、駅、復興住宅、そして町もできようとしていましたが、未だ仮設住宅暮らしの職員さんや、放射能の見えない恐怖におびえる方もおられました。
微々たる力ですが、はり灸レンジャーの活動も引き続き継続していきたいと思いました。
【活動概要】
3月21日(月)
午後 【宮城県 南三陸町】
入谷福祉仮設 職員、利用者に鍼灸施術(7人)
(南三陸町 入谷福祉仮設 鍼灸施術)
3月22日(火)
午前 【宮城県 登米市】
NPO法人奏海の杜 職員に鍼灸施術(3人)
午後 【福島県 田村市】
NPO法人ゆうとぴあ 職員、利用者に、お灸教室(大勢)、鍼灸施術(6人)
(田村市 ケアステーションゆうとぴあ お灸教室)
3月23日(水)
【宮城県 山元町】
NPO法人ささえ愛山元 職員・利用者に、鍼灸施術(9人)
(山元町 坂元新駅周辺 )
個々の参加メンバーの感想などは、順次投稿いたします。
東北大震災からまもなく5年。
健康への不安に少しでも役立てば幸いです。
また季節の変わり目で体調も崩しやすいお彼岸に訪問させていただきます。
<日程>
2016年3月21日(月・祝)~3月23日(水)
<メンバー>
舟橋 寛延 (鍼灸師・サンリ治療院 院長)
鈴木 一成 (鍼灸あマ師・十四堂鍼灸院 院長)
森川 真二 (鍼灸師・SORA鍼灸院 院長)
<日程>
3月21日(月)
午後 【宮城県 南三陸町】 鍼灸施術 (NPO法人奏海の杜)
3月22日(火)
午前 【宮城県 南三陸町】 鍼灸施術 (NPO法人奏海の杜)
午後 【福島県 田村市】 鍼灸施術・お灸教室 (NPO法人ゆうとぴあ)
3月23日(水)
午前 【宮城県 山元町】 鍼灸施術・お灸教室 (NPO法人ささえ愛山元)
グレー鈴木一成です。
今回の訪問では初めての復興イベント参加や、今もなお原発事故の影響に苦しむ福島県への訪問など多岐にわたる活動ができたと思います。
「にょっきりフェスタin石巻」では”はり治療体験”という形態でたくさんの人と触れ合うことができました。鍼灸治療は初めてという方も多く、鍼灸治療の効果を体感して頂けたと思います。またローラー鍼で比較的手軽に施術できたこともみなさんに喜んで頂けたと思います。石巻の人々はとても活気にあふれ、いつもこちらの方が元気をもらっているようです。
南三陸町では今も盛り土工事がさかんに行われていました。海岸近くでは防潮堤工事も。毎回思うのですが、この辺りの海岸線は本当に素晴らしい風景です。観光名所になっている所もありますが、それ以外の場所でも思わずため息が出るくらい。何とかこの風景を損なわず残してほしいものです。
福島の訪問は私自身今回が初めてでした。訪問先の障害者施設「ケアステーションゆうとぴあ」で施術後、スタッフさんに周辺の除染作業の現場や汚染土の”仮”集積場を案内して頂きました。これまでテレビやインターネットなどの報道で原発事故の被害の重さを理解していたものの、実際に訪れてみるとその現実を改めて知ることになりました。除染作業が日常生活のすぐ傍らで行われていること、一般道路の脇の農地に多数積まれた汚染土の袋・・・本当に放射能汚染の中で日常の生活があるということを目の当たりにしました。
最近のニュースでもこの汚染土の仮集積場の問題が取り上げられていました。中間処理施設の用地買収が難航しているため、当初3年の期限だった仮集積場を延長し続けているとの事。汚染土を入れている袋も徐々に劣化しつつある、という報道も・・・現場を見るとこのようなニュースも切実に感じるものです。
とはいえ、滞在中は天候にも恵まれ、初秋の爽やかな空気の中、また東北の人々の優しさに触れ、あらためてこの土地の風土のすばらしさを感じられた3日間でした。今回も受け入れてくださった方々に深く感謝します。ありがとうございました。
三日目 9/22(火・祝)
いよいよ最終日は福島県。今回は初訪問の田村市です。
福島県は大きく三つの地域に分かれます。
すわなち、内陸側から会津地方、中通り、浜通りの三地域です。
そのうち、原発事故で甚大な被害を負ったのが浜通りで、今回訪れた田村市は浜通りと中通りの間にある丘陵地に位置しています。
ちなみに原発事故の報道でしばしば聞く川内村や大熊町とも境を接しているというロケーションです。
今回、初めて訪問したのが特定非営利法人「ケアステーションゆうとぴあ」さんです。
出迎えて下さった障がい者メンバーは、どなたも地域での長い活動歴のつわものばかり。親元や施設で暮らすことを拒否し、地域での生活を選択した方々です。
脳性マヒという障害の特性もあり、治療するとお体の緊張が伝わってきます。
普通に暮らすことさえ、心身ともに苦労があろう皆さんですが、そこに福島第一原発事故の余波が襲っています。
田村市は比較的、放射能の濃度が低いとされていますが、場所によっては高い数値も検出されるそうです。
よく言われることですが、目にも見えず、味も匂いもしない放射能に包まれて生きることがどれほどのストレスであるか・・・それは実際にかの地で生活していないものには想像しにくいものです。
鍼灸治療をしながら、体を通して知る被災地のしんどさに胸を打たれたました。
治療後は、近所の食堂でお昼をごちそうになり、さらに健常者スタッフの方の運転で田村市の東側にあたる都路(みやこじ)地区へ視察の案内をしていただきました。
先日、ライトグリーン坂口先生の原稿にあったように、そこで目の当たりにする除染作業の実際や、浮遊している放射能の話、地域の裏話などは衝撃的です。
メディアを介して知る福島は、しょせん他人事のように感じてしまいます。
しかし、縁ができ、じかにおつきあいすることになった○○さん、△△さんにとっての苦悩は、胸に迫ってくるのです。
今後も是非、田村市を訪問し、末永いおつきあいをしたいと決意して今回の活動を終えました。
私は3.11の後、仲間を募り、何度も何度も東北に足を運んできました。
継続している原動力は何か?と問われれば、被災地で奮闘する人びとの姿に魅了されていると言えます。
あれだけの被害を受けながらも、家族や仲間、地域のために尽力する人びとやNPO、障害当事者。
多数派として声を上げにくい障がい者やお年寄りに寄り添い、日々の営みを構築しつつ、新たな未来へ向かって歩む人びと。
彼らに会うために私はこれから何度でも東北への道をたどるでしょう。
第13回訪問の二日目 9/21(月・祝)
続いて二日目の様子です。
午前は、いつもお世話になっているNPO「奏海の杜(かなみのもり)」の事務所にて、職員さんやその関係者の治療をしました。
皆さん、私たちの訪問を心待ちにしていて下さいます。
NPO法人「奏海の杜」は、震災後にできた障害児・者の送迎サービスや放課後デイなど、きめこまかい多様なサービスを南三陸町と隣接する登米市(とめし)で展開しています。
なんと!この10月には待ちに待った南三陸町の新拠点(事業所)のお披露目会も控え、大忙しの様子でした。
一般にNPO法人は、こじんまりした小さい組織ですから、仕事の負担が個々の職員さんにかかっているのでしょう。実際に治療しますと、無理を重ねている身体状況に気づかされます。また、忘れてはならないのが、何気なく普通に会話している方々の大半がいまだ仮設住宅住まいだということです。
午後は、南三陸町の入谷地区という里山農村地区へ。
こちらにある福祉仮設もお馴染みさんですが、少々様変わりしていました。
当初、福祉仮設を運営していた福祉法人が、ようやく新しい老人ホームを建設し、福祉仮設の運営からはずれたのです。
そして、「奏海の杜」が運営の引き受けてとなり、ボランティア活動で2011年の5月から、一貫してお付き合いのある知人が施設長さんになっていました。
また、南三陸町は平地が少なく、丘陵地帯の宅地造成に手間取っていて、全国的にも住宅再建が遅いことで有名です。
(2015年8月末時点で、工事完了率14.1%で、宮城県下の21市町のワースト2位。
宮城県のPDF資料より)
そんな中でも徐々に住宅の復興は進んでいるようですし、再建された特別養護老人ホームに移る方もいて、入谷地区の福祉仮設もずいぶん入居数が減っていました。
予定では2016年には閉鎖されるそうです。
入居者は身体の不自由を抱えている方が大半で、人数が少ない分、じっくりと治療が出来たのは幸いでした。
ある男性のお年寄りは、三味線が得意だったそうで、おどけて演奏のしぐさをして下さり、楽しいひと時をすごしたものです。
はり灸レッド、舟橋です。2015年秋の第13回訪問は、改めて深い印象を受けるものでした。
一日毎にレポートします。
一日目 9/20(日)
何故か今回眠れぬ夜行バスでした。目をこすりながら仙台駅で借りたレンタカーを一路石巻へ。
石巻の市街地を通り抜け、旧北上川の中州にある「石ノ森萬画館」に隣接する公園にて荷解きです。
この日開催されたイベント「にょっきりフェスタ」に参加、はり灸レンジャー初の屋外治療です。
実は、このお祭りの規模から言って、それほど忙しくないだろう、と思っていたのですが・・・
いやいや実際は千客万来状態で、引きも切らず皆さんが訪れて下さり、お試し感覚も含めて鍼灸治療を受けて下さったのです。
幸いなことに主催者に用意いただいたテントは申し分なく、また、治療メンバーもたくさんいましたので、充分対応できました。
治療場所は屋外です。
鍼灸治療はある程度、肌を見せる必要があるので、そぐわないかと心配でしたが杞憂でした。
イスに座ったままでもかなりの部位を治療できますし、また、治療風景を見て、
「なにしているの? へ~、鍼灸か。
痛くないの? やってみようかな」
という方もいらっしゃいました。
総勢46名もの治療ができ、はり灸レンジャーとして記録に近い数字です。
また、にょっきりフェスタは、「障害ある人もない人も楽しめる」という趣旨のお祭りです。
車イス利用の方々も複数いらしていただきましたし、健常者でも主催者がもともと準備して下さった「ごろごろスペース」に横たわって、のんびりと治療を受ける体制がとれたのは本当に良かったです。
バリアフリーという発想が、障がい者だけではなく、子どもやお年寄り、誰にとっても使い勝手の良いものを目指すということを再認識しました。
こんにちは。
はり灸レンジャーピンク、森川彩子です。
はり灸レンジャーは13回目の訪問でしたが、私自身は2012年5月以来の参加となりました。
2011年5月に初めて活動に参加してからご縁ができ、結婚し、娘を授かりました。
その娘も2歳7か月になりました。
元気に育つ娘を見るとありがたく思い、また同時に、あの日を経なければ今はなかったのだと感じます。
はり灸レンジャーは小さなグループなので、顔の見えるつながりを大切にしています。
なるべく同じ場所を訪ねて施術させていただきます。
南三陸町では、この3年半の間にご結婚された方の治療をさせていただき、
お互いの変化を少し共有させてもらう喜びも感じました。
石巻では、「にょっきりフェスタ」という、障がい者支援団体のイベントに参加させていただきました。
お祭りらしく、出し物もたくさんあり、近くの石ノ森章太郎記念館のイベントも相まって、とても賑わっていました。
一角に設けた鍼灸ブースもとても好評でした。
会場の盛り上がりや、生き生きと踊る子供たち、大人たちは、まるで光を見るようでした。
あの日を経てこられた方々の営みに感動し、感謝しました。
娘がいなければ、こんな風に感じることはなかったかもしれません。
福島では放射能の汚染にさらされている方々にもお会いしました。
今されている対策で解決などできるのでしょうか…。
すべての訪問を終えて、津波対策のこと、家や仕事、暮らしのこと、放射能のこと、
改めて解決しきれない問題を抱えているのだと感じました。
そして東北とのつながりが、私の生活にいろいろな気付きを与えてくれていると感じます。
これからもこのつながりを大切に、少しずつでも共有していければと思います。
こんにちは。はり灸ライトグリーンの坂口友亮です。今年のシルバーウィークに自身三度目となるはり灸ボランティアに行ってきました。私は大阪在住なのですが、大阪にいる時の東北の見え方と、実際に東北(宮城県・福島県)を訪れた時の東北の見え方について感じることがありました。
・どこのトウホクの話?
大阪にいる時に入ってくる東北の情報は、「避難生活が続いている」「放射能におびえている」「防潮堤問題があるらしい」といったものでした。しかし、実際に現地に行ってみるとそれらは個別の問題である事に気づきます。もちろん関連している部分もありますが、「どこが」「どの程度」関連しているかは場所によって異なる、という現実に直面します。
・田村市の除染作業風景
今回の訪問最終日に、ケアステーション職員のAさんに福島の田村市を案内していただきました。車に乗り込み、除染作業中の土地のすぐ傍を通りながらAさんの説明に耳を傾けます。しばらくすると、除染した土を道路のわきに積み上げている光景に出くわしました。そこで車から降り、風景を写真におさめている時にAさんが言いました。
「今もあなたがたの体にすごい線量、降り注いでますよ」
ハッと、いやドキッとしました。私は被災地に居ながら、放射能の問題を自分の問題としてとらえていませんでした。この不安の中で毎日生活をしている人を目の前にしている、という現実をようやく認識することが出来たのです。
・東北と大阪を行き来する事
このAさんが話してくださった事は、東北の今を代表する様な書き方をしましたが、あくまで一つの事例です。まあ私も話を聞いていた時はこんなに客観的になれませんでしたが…。
私たちのように外から被災地を訪れる人間に出来ること、それは被災地と外を往復することで互いを客観視することです。
大阪で得ている情報を、東北の現地の情報と照らし合わせる。また、東北で見聞きした事を大阪に帰って反芻する。この作業を繰り返して、情報発信をすることがボランティアを続ける目的の一つです。
最後にもう一度、被災地の外にいる人間が被災地の情報を目に、耳にした時、「それはどこの被災地の話なのか」と考えてみると、東北の今がより分かるのでは、と思います。