熊本での初活動(三日目)

3日目  7/12(火)

益城町総合体育館全体

この日は、メディアでもよく取り上げられた「益城町総合体育館」での施術を行ないました。800人程おられるという避難者をはじめ、現地職員、ボランティア、報道関係者と思われる方々、多くの人を見かけました。規模が大きいこともあって、他のボランティア団体も次々と入られているようでした。

入口近くの事務所で手続きをし、避難所の通路のようなところを案内されます。そちらにベッドを広げ、施術に取り掛かります。通路ということもあって、肌が露出しないように、鍼・灸も使わず、ローラー鍼のみでの施術になりました。ここでも次から次へと施術希望者がおられたため、途中から通し番号を付けたカルテに記入してもらい、時間の許す限り、順番に施術させていただきました。そうすることで、あとどれくらいで自分の順番が回ってくるか把握でき、その待ち時間で用事を済ませて戻って来る方もおられました。施術に手一杯で、受付の対応ができないときは、効果的なアイデアでした。

ここでよく伺ったのが、「食事が偏っている」ことでした。朝はおにぎり、昼はパン、夜はお弁当。あるご高齢の女性は、お弁当の肉類は、食べられないので捨てていると言われていました。となると、ほぼ炭水化物…。短期間であれば我慢はできても、もう避難生活が3ヶ月続くと思うと、栄養面の心配が募ります。それに追加して炊き出しなどもされてはいましたが、1000人分近くともなると、それも毎回は大変です。運動もしないし、体重が増えた、HbA1cが上がったという方もおられました。

そして症状としてよく伺ったのが、「こむらがえり」です。ちなみに熊本の方言では、「からすまがり」と言うそうです。(標準語だと思って使われている方もおられました。) 運動不足、内臓の不調、栄養不足も関係していると思います。痛みやコリ、筋痙攣など、大きな病気ではなくとも、QOLを低下させます。そういった細かなトラブルに対しても、鍼灸やマッサージが今必要とされることでしょう。

益城町総合体育館
(体育館前の道路。道が畝っているのがわかります。)

<益城町総合体育館>
施術人数 16人

その後、ベッドの返却や活動報告の為に各機関に立ち寄り、今回の活動が終了しました。振り返ってみると、初めての訪問なので当然ですが、今回施術をしたほぼ全員が、私たちにとって初診になります。(二日連続して訪問した所は、再診の方も数名おられます。) 初めての人に、短時間の施術で、身体の様子を察し、効果も出して、その後のセルフケアにも誘導できるようにとなると、かなりの労や勘も必要とします。でもそれは私たちボランティアにとっても良い経験で、いわば武者修行のようにも感じました。

このような機会を与えて頂いた、被災地の方々、関係者の皆さん、快く送り出してもらえた、地元の患者さん、家族にも心から感謝いたします。ありがとうございました。またこれからもしばらく熊本支援を続けていきますので、今後ともよろしくお願い致します。

(森川)

熊本での初活動(二日目)

2日目 7/11(月)

昨日見過ごした、益城町に向かいます。付近の高齢者が避難される特別養護老人ホーム「ひろやす荘」での施術になります。

ひろやす荘
(とても立派な建物でした。)

仮設住宅への移転も決まり始め、避難者は少なくなっていましたが、その避難者と支援看護師の施術を行ないました。看護師さんも全国からボランティアとして集まられ、夜勤などもこなされていました。こういった支援者を支える支援ということも念頭に置いて活動しています。

ここでの施術が終えると、私以外のメンバーが先に向かっていた御船町スポーツセンターへ向かいます。昨日に続き、到着すると予約でびっしり詰まっている様子でした。昨日受けて楽になったと二日連続で受けられる方、その話を聞いて初めて鍼を受けられる方、いろんな避難者の方が、治療を受けに来られました。

私たちの活動の特徴は、セルフケアを推奨することです。その場限りの施術に終わらず、ローラー鍼や簡易灸をお渡しして、その後もご自身やご家族でケアしてもらえるようにしています。この日も、昨日配ったローラー鍼を片手にコロコロされている姿を見られたのは印象的でした。

こちらでの施術は、避難所を管轄されている団体ではなく、支援に入られているNPO団体の方に段取りして頂きました。二日間の活動終了後、その職員の方へ申し送りをする時間も設けて頂きました。施術を通して、気になった避難者のことなどをお伝えします。200名もの避難者がおられ、また他の避難所から最近移って来られた方もいます。全員の様子を把握することは難しいですし、入所時に全てのことを伝えられていないこともあるようです。その点、私たちのように外部から来たボランティアには話しやすいことがあったり、身体に触れられることで心を開きやすかったりと、本音を語ってくれることもあります。それらを、地元の支援者の方に伝え今後の支援に役立ててもらうことも、ボランティアの大事な役割ではないかと思います。

<特別養護老人ホームたかやす荘>
施術人数 4人

<御船町スポーツセンター>
施術人数 21人

(続く・森川)

熊本での初活動(一日目)

はり灸レンジャーブルーの森川です。今回はじめての熊本訪問となりました。仮設住宅への入居が始まっているものの、まだ多くの避難者のいる「避難所」での治療が主でした。その様子を3回にわたってレポートいたします。

1日目  7/10(日)

熊本駅で合流したメンバーとともに、「被災地障害者センターくまもと」に行きます。東日本大震災で活動するきっかけ、つまりは「はり灸レンジャー」のはじまりの足掛けともなった、被災障害者支援の熊本での拠点です。

ちょうどその訪問前に、熊本市のお知らせとしてSOSチラシを4万枚?配布されたようで、SOS(支援要請)の電話が次々と入っているところでした。その慌ただしい中だったので、こちらでは挨拶と今後の支援の相談をして失礼しました。

そして、日頃からおつきあいのある「鍼灸地域支援ネットワーク」のご厚意により、施術用のベッドを借りるために「益城町(ましきまち)」に入ります。熊本市内でも傾いた家屋や、赤紙、黄紙、営業中止等の張り紙は見かけましたが、益城町に入るころには、その風景もがらっと変わります。

益城町内道路
(道路を走っていても、今余震が来たらと、危機を感じます。)

こちらでの支援は、明日、明後日になるので、その町並みを見過ごして、今日の目的地、「御船町(みふねまち)」に向かいます。

御船町スポーツセンターという大きな体育館のある避難所で治療を行ないます。未だ200名ほどの避難者がおられるそうです。東日本大震災の直後では、福祉ボランティアとして現地入りしていたので、鍼灸ボランティアとして震災直後の「避難所」に入るのは初めてでした。

こちらでは現地NPO団体の案内で、避難者の方々に施術させて頂きました。先週、「鍼灸支援ネット」の鍼灸ボランティアが入っていたこともあり、ベッドなどの準備中からも、避難者の方より治療をお願いされました。私たちメンバー3人では対応しきれないほど希望者が来られたので、時間予約制にして、それでも当日見れない人は明日来てもらうように予約を取るほどでした。今まで東北で行なってきた仮設住宅よりは、居住スペースに近い所での治療だったり、館内放送で案内が入れられたりしたこともあってか、大盛況でした。

やはり、慣れない居住空間での生活での身体の不調をあちこちと訴えられていました。「一時的な避難のつもりだったのに…」と、度重なる余震や集中豪雨(滞在中も体験しました)による復興の遅れに対するフラストレーションも感じました。その身体的、精神的なケアが、今必要とされていると感じた初日の活動でした。

<御船町スポーツセンター>
施術人数 15人

(続く)

熊本初訪問で感じたこと

こんにちは、はり灸レンジャーイエロー清水です。
先日、「はり灸レンジャー」のメンバーとして、被災された方への施術ボランティアを行なうため熊本へ行ってまいりました。
(今回も活動期間中はずっと雨…私の雨女疑惑は深まる一方です)

印象深かったこと今回も沢山ありますが、一番はやっぱり街の風景です。

崩れた家はもちろん、今にも崩れそうな程傾いているのになすすべもなく放置された状態の所も多い。
危ないのでは?と思いましたが、そんな場所があり過ぎて手が回らないというのが現状のようです。
また、地震の後の九州地方は雨が続いており、地盤が緩くなったり雨で建物がさらに崩れて危険が増していることも対応が遅れる原因、と施術させていただいた現地の方から伺いました。

ニュースで聞くのとは違う生々しさ。
天災とはこういうものなのだ、と突きつけられた気持ちになりました。

現地に入って被災の現状を目の当たりにした衝撃も冷めやらぬまま、さらに衝撃を受けたのは避難所でした。
施術ボランティアをするにあたり、避難生活をされている体育館の一角をお借りしたのですが、少しだけ垣間見えた生活スペース。
布一枚で区切られ、かろうじてプライベートが確保されているだけの空間で
今も200人ほどの方達が生活されていると聞き、その大変さを想像するだけでちょっとめまいがしました。

そして、実際にお体を触らせていただきお話を伺う中、多くの方に様々な形で気疲れがあらわれているな、と感じました。
「寝返り一つ打つのも気を遣う」
と話す方のお体がガチガチだったり、ストレスがめまい・耳鳴りという形で現れている方も。

震災から3ヶ月。長引く避難生活での疲労は計り知れないものがありました。

そんな中でも、活動を終えて片づけをしている時、
「(ボランティアで)外から来て下さる方と関われることで気がまぎれる。ありがとう。」
と声をかけてくださった方がいました。
自分達が大変なときに、外から来た人へのねぎらいの声をかけられる。
熊本の方たちの強さとあたたかさに触れた気がしました。

最後になりましたが、
今回の活動は、現地で活動されているボランティアグループやNPOの皆様につないでいただいたご縁で実現しました。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。

第一回熊本訪問清水

(清水)

熊本第1回訪問予定

熊本大地震からもうすぐ3か月。
はり灸レンジャーもやっと今週末、熊本入りできることになりました。
被災地では全般的にボランティアが足りていないようですね。
この第1回訪問を皮切りに、継続的な支援が行なえればと思います。

【日程】
2016年7/10(日)~7/12(火)

【メンバー】
鍼灸師、鍼灸あマ師、計3名

【場所】
・被災地障がい者センターくまもと
・益城町総合体育館(12日10:00~12:00)
・御船町スポーツセンター(10日、11日)
・特別養護老人ホーム「ひろやす荘」(11日)

今回の活動の様子や、今後の活動方針など、またこちらでお知らせしていきます。

(森川)

熊本訪問へ

2011年の東日本大震災により発足した「はり灸レンジャー」ですが、このたびの熊本地震においても、支援活動を行なっていくことになりました。現地の様子を直接伺い、今後の方針を立てていくためにも、来月7月に熊本入りします。7/10(日)~7/12(火)の日程で、メンバー3人が滞在する予定です。

まずは、東北でも支援の糸口となった、被災障害者を支援する団体「ゆめ風基金」がサポートする、「被災地障害者センターくまもと」をお伺いします。東北と同じく、より支援が必要とされる人や地域に、継続して支援できるように、展開していければと考えています。

もちろん、復興半ばの東北への訪問も続けます。東北へは、予定通り9月の訪問予定です。今年は忙しくなりそうです。

(森川)

震災から5年の東北

はり灸レンジャーブルーの森川です。震災から5年、はり灸レンジャーとしては14回目、自身としては10回を超え、もう何回目かわからない東北訪問となりました。

今回の訪問先は、共に震災直後から通い続けている、宮城県の南三陸町と山元町、そして前回に引き続き、福島県の田村市です。宮城県の南三陸町と山元町は、宮城県内の人口減少第2位と3位に当たります(宮城県沿岸部の人口増減 南三陸町29.0%減、山元町26.3%減 ※H22年とH27年国勢調査比較)。 この順位は、犠牲者の多さ、住宅再建の遅れなども表しているのでしょう。

南三陸町防災総合庁舎201603
(宮城県南三陸町志津川の防災庁舎。
その後ろに見えるのが盛り土で、そこが地面になります。)

また、仮設住宅や公営住宅の立地の悪さから、仕事がない、学校へ通いにくいなどで、流出するのは若い世代が多くなります。そうすると長年暮らしてきてその土地を離れたくない高齢者が残り、高齢化率も高くなります(宮城県内の高齢化率 山元町35.7%(4位)、南三陸町32.0%(9位) ※2015年3/31現在)。 少子高齢化で、地方の将来モデルとしても、今後の復興(町づくり)が期待されています。

特に山元町では、訪問先がデイサービスということもあって、高齢化を肌で感じます。80、90歳超えの利用者さんも数多く見られます。そこで思うのが、もっと鍼灸治療を受けることができればなぁと。治療を受けられた全員の方に感じました。中には、隣町の鍼灸接骨院などに通われている方もおられましたが、近くにはないようです。運動器疾患も少なくないので、その痛みや可動域が改善されるだけで、随分過ごしやすくなるように思います。

また、山元町に限らず、職員さんもかなりの疲労や不調が、見受けられます。痛みやコリはもちろん、動悸、息切れ、高血糖など、内科的な不調が気になります。心臓の反応が強い方も多かったように思います。阪神大震災後も、心疾患、脳卒中などの血管障害などが増えたことは報告されています。なので、定期的に治療を受けてもらいたくなりますが、そういった手段は少ないようです。病院などへのアクセスの悪さは過疎地特有の事情があります。となれば、セルフケアを続けて頂きたいと切に願います。

田村市せんねん灸教室20160322
(お灸を使ったセルフケア教室の様子。)

そんな心配の中にも、復興の兆しを垣間見ることもできました。山元町では、沿岸部沿いにあったJR常磐線が、内陸に移設され、その新駅を周辺に新しい町ができようとしていました。
(山元町新市街地復興まちづくり通信)

山元町坂元新駅20160323
(山元町坂元駅の周辺。
この北側には、新しい住宅群が建設途中でした。)

新駅の周りに、道路、住宅、公園などができ、新たな町ができ始めようとしていました。そして、震災前からあった産業、イチゴ栽培も盛んになってきたようです。今回のボランティア中も、「今朝、イチゴの収穫をしてきました」とお話をお伺いしました。その方は腰が悪かったのですが、「今は、かがまなくても収穫できて助かっています」と教えてくれました。従来のように地面に栽培(土耕栽培)ではなく、立ったまま収穫できる高設栽培のようです。他にも温湿度管理、害虫管理など、最先端の栽培技術が導入され、かつてのように重労働ではなくなってきているようです。この山元町には、そういった農業で産業を興こし、雇用も生み、地域を活性化させようとしている会社もあります。
GRAアグリプラットフォーム / 農業生産法人 株式会社GRA

被災地に限らず、こういった先端技術を駆使することで、過疎化、高齢化問題を解消する糸口となればと思います。「少子高齢化だからもっと子供を!」よりも、少子高齢化でも存続できる社会を期待します。

ちなみに、この山元町では、箱いっぱいのイチゴをお土産にいただきました。(他の訪問先でも地域の名産など、いろいろお土産をいただきました。) 熟しすぎたり、形が悪かったり、大き過ぎたり、製品にならないものでしたが、味は申し分ない美味しさでした。「東北のイチゴの方が美味しいよ」と地元関西の患者さんにも言われました。傷みやすい果物だけに、現地に行ってこそ食べられる幸せを感じます。またこの時期に伺って、美味しいイチゴをいただきたいと思います!

(森川真二)

震災から5年、ゼロからプラスへ。

はり灸レンジャー、グレー鈴木です。2016年3月、第14回訪問に参加しました。今回は宮城県南三陸町、登米市、山元町、福島県田村市を訪れました。

私自身として、はり灸レンジャーの参加は2014年3月からで今回が4回目。震災直後の悲惨な状況は実際見ることはできなかったですが、2年前に訪れた時のほぼ更地だった場所が次第に変わって行く様子を知ることができています。南三陸町では海岸近くの低地部では盛り土をして土地のかさ上げ工事が進んでいます。前回の訪問時(2015年9月)より更に工事は進み、もう以前の道路や地形がわからない程になっていました。また、南三陸町では(というか多くの被災地が同じ問題を抱えているようですが、)人口の流出が大きな問題になっているようです。特にこの時期、卒業生や新入生の人数を聞くと、改めて実感するようです。個人的にはせめてJR線の復旧が決まれば、、、と願うのですが。

山元町では平地部が多く、南三陸のような盛り土などの工事は見られません。今回は新しい住宅地の整備や建設現場が目につきました。JR常磐線の駅や高架の工事現場も見ることができました。訪問先では名産のイチゴ もいただき、復興に向けての力強さを感じました。

福島県田村市では宿泊先でもお世話になりました東山さんをはじめ、ゆうとぴあのみなさんともたくさんお話しさせていただきました。やはり気になるのは放射線被害ですが、みなさんの話を聞くと”実際どのくらい影響があるのか、色も形も臭いもないのでわからない” というのが正直なところで、不安の中での生活を余儀なくされているようです。原発問題は日本でも世界中でも議論されていて、それぞれの立場でそれぞれの意見がありますが、私も今後注意深く見て行きたいと思います。

震災からちょうど5年ということで、3月11日が近づくとテレビやラジオなどでは各局特集を組んて番組を放送していました。様々なテーマが取り上げられる中、あるラジオでは被災地ボランティアのニーズの変化をレポートした番組がありました。そこではボランティアのニーズはまだまだたくさんあるとした上で、、”これまではマイナスからゼロに戻す支援だったがこれからはゼロからプラスにする支援に変化している” と言っていました。地域のコミュニティや地場産業など元通りにはならないものもあると思いますが、新しい東北がより良い場所になるように願っています。また微力でもそのお手伝いができればうれしいと思います。

今回も受け入れてくださった方々に感謝します。ありがとうございました。


(ケアステーションゆうとぴあ にて)

第14回訪問 (2)被災地現地の支えあってこその活動

はり灸レッド舟橋の報告2日目です。
2日目は、宿舎としてお借りしている「奏海の杜」のスタッフさんの治療を午前にしました。
震災から5年、ずっと突っ走ってきたメンバーさんの中には体調不良が常態化している方もいて、懸念されます。震災からこっち、待ったなしで次々と状況に合わせて活動されてきたその疲労が心身ともにピークに達していることが見て取れます。日々忙しいなか、体のケアも不十分になるでしょうから、私たちの訪問が良い機会になったのではないでしょうか。
お昼前に登米市の宿舎を出て、東北道を利用して一路南下、福島県の田村市に向かいました。2015年の秋以来ご縁ができた障がい者団体「ゆうとぴあ」の訪問です。
昨年初めてお邪魔したときは休日だったせいもあってか一部の方がたの治療のみでしたが、今回は知的障害の方など、多くの通所している皆さんの前で簡単なお灸教室を開催できました。通所している方から治療の依頼もあり、ここでも幾人かの治療ができました。
田村市と聞いてもピンとこないかも知れませんが、東へ数十キロいけば双葉町、大熊町、浪江町と福島第一原発の近くです。幸い風向きのかげんで田村市に降り注いだ放射能は比較的少ないとのことですが、生活のなかで折に触れ感じることはあろうかと思います。
昨年の訪問の際にも感じましたが、実際に現地に足を踏み入れる意味はとても大きいです。単にマスコミで報道されている福島県の事情は、「大変だ」と感じながらもどこかしら他人事、遠い地の出来事と感じるのはいなめません。しかし、その地で暮らす人々と実際に縁を結ぶと他人事ではなくなってきます。

こうして、私は一足先に「ゆうとぴあ」さんの最寄駅「船引駅」からローカル線で郡山に出て、3/22(火)夜の新幹線で帰省しました。
今回はレンジャー3人の訪問ということもあり、治療できた数は決して多くはありませんでしたが、その分、いつも以上に丁寧に皆さんの声を聞けました。今回も有意義な訪問でした。
NPOのある職員さんがこう言って下さいました。
「いつも(被災地のことを)忘れずに、こうしていらして頂き本当にありがとうございます」
ありがたい言葉であります。同時に私たちの活動はそういったNPOの皆さんの支えなしには根無し草になってしまいます。お礼を言うのはこちらの方です。遅ればせながら、今回、いろいろ現地で調整して下さった皆さん、治療を受けて下さった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。そして、また秋にお目にかかりましょう!

お灸教室

第14回訪問 (1)変わりゆく南三陸町

2016年3月のお彼岸連休を利用して、はり灸レンジャー第14回目の訪問治療を行ないました。
今回、わたし舟橋(はり灸レッド)は、往復新幹線を利用し、1泊2日のショート訪問でした。

初日、3/21(日)に宮城県の北部にある「くりこま高原」駅で他のメンバーと合流し、レンタカーでまず南三陸町に向かいました。
治療まで少し時間があったので、まずは復興工事に湧き立つ沿岸部の様子を見ることにしました。津波にかぶった沿岸部は危険区域ということで居住は許されません。この1~2年、すさまじい勢いで盛り土工事が行なわれ、道路も以前より高いところを通っているので、不思議な感覚に襲われます。
沿岸部から少し北上し、当時避難所になったベイサイドアリーナの近辺では、新しい医療センターも台湾の義捐金を原資に竣工し、また5~6階建てに見える復興住宅も建設のピークを迎えています。被災自治体のなかで、住宅再建がかなり遅れていた南三陸町もようやくゴールが見えてきたか、という感じがします。

治療は、沿岸部からかなり入った里山にある「入谷福祉型仮設」で行ないました。この福祉仮設とのおつきあいは本当に長く、2011年の秋以来、10数度の訪問になるのではないでしょうか。
以前は平屋で2棟あった福祉仮設ですが、入居者の方々も徐々に引っ越しをされ、現在は1棟しか使用していません。それもつい最近まで入居者数が5人になっていたそうですが、つい最近、他の福祉仮設から移動してきたお年寄りが3名いらっしゃり、現在は8名です。そのうちのお一人の治療を舟橋が実施しました。
新しい環境に戸惑いながらも私たちの治療を受け入れて下さり、個人的には嬉しく思いました。この方が以前に入っていた仮設住宅は、南三陸町のお隣にある登米市の南方(みなみがた)仮設です。統廃合によって南方の福祉仮設は閉鎖されたのです。そこは街中なので、接骨院もあるし、散歩もしやすい地域ですが、いま住んでいるここ入谷仮設は周囲にお店もなくさみしそうでした。なによりお年を召した方がたにとって環境の変化はこたえると思われます。今回、高台移転や道路工事など目に見えて変わりゆく町と対比され印象に残った治療でした。

ところで、この入谷福祉仮設は現在、NPO法人「奏海の杜」(かなみのもり)さんが町から委託を受けて運営しています。
奏海の杜さんとのつきあいも4年半になり、いつも登米市の事務所では宿泊のお世話になっています。震災後、小さなグループから始まった活動が、こうしてNPO法人として委託事業を受けるまでの組織になったことに応援団の一人として本当に嬉しく思います。

「奏海の杜(かなみのもり)」ブログ