2011年の東日本大震災により発足した「はり灸レンジャー」ですが、このたびの熊本地震においても、支援活動を行なっていくことになりました。現地の様子を直接伺い、今後の方針を立てていくためにも、来月7月に熊本入りします。7/10(日)~7/12(火)の日程で、メンバー3人が滞在する予定です。
まずは、東北でも支援の糸口となった、被災障害者を支援する団体「ゆめ風基金」がサポートする、「被災地障害者センターくまもと」をお伺いします。東北と同じく、より支援が必要とされる人や地域に、継続して支援できるように、展開していければと考えています。
もちろん、復興半ばの東北への訪問も続けます。東北へは、予定通り9月の訪問予定です。今年は忙しくなりそうです。
(森川)
熊本大地震からもうすぐ3か月。
はり灸レンジャーもやっと今週末、熊本入りできることになりました。
被災地では全般的にボランティアが足りていないようですね。
この第1回訪問を皮切りに、継続的な支援が行なえればと思います。
【日程】
2016年7/10(日)~7/12(火)
【メンバー】
鍼灸師、鍼灸あマ師、計3名
【場所】
・被災地障がい者センターくまもと
・益城町総合体育館(12日10:00~12:00)
・御船町スポーツセンター(10日、11日)
・特別養護老人ホーム「ひろやす荘」(11日)
今回の活動の様子や、今後の活動方針など、またこちらでお知らせしていきます。
(森川)
こんにちは、はり灸レンジャーイエロー清水です。
先日、「はり灸レンジャー」のメンバーとして、被災された方への施術ボランティアを行なうため熊本へ行ってまいりました。
(今回も活動期間中はずっと雨…私の雨女疑惑は深まる一方です)
印象深かったこと今回も沢山ありますが、一番はやっぱり街の風景です。
崩れた家はもちろん、今にも崩れそうな程傾いているのになすすべもなく放置された状態の所も多い。
危ないのでは?と思いましたが、そんな場所があり過ぎて手が回らないというのが現状のようです。
また、地震の後の九州地方は雨が続いており、地盤が緩くなったり雨で建物がさらに崩れて危険が増していることも対応が遅れる原因、と施術させていただいた現地の方から伺いました。
ニュースで聞くのとは違う生々しさ。
天災とはこういうものなのだ、と突きつけられた気持ちになりました。
現地に入って被災の現状を目の当たりにした衝撃も冷めやらぬまま、さらに衝撃を受けたのは避難所でした。
施術ボランティアをするにあたり、避難生活をされている体育館の一角をお借りしたのですが、少しだけ垣間見えた生活スペース。
布一枚で区切られ、かろうじてプライベートが確保されているだけの空間で
今も200人ほどの方達が生活されていると聞き、その大変さを想像するだけでちょっとめまいがしました。
そして、実際にお体を触らせていただきお話を伺う中、多くの方に様々な形で気疲れがあらわれているな、と感じました。
「寝返り一つ打つのも気を遣う」
と話す方のお体がガチガチだったり、ストレスがめまい・耳鳴りという形で現れている方も。
震災から3ヶ月。長引く避難生活での疲労は計り知れないものがありました。
そんな中でも、活動を終えて片づけをしている時、
「(ボランティアで)外から来て下さる方と関われることで気がまぎれる。ありがとう。」
と声をかけてくださった方がいました。
自分達が大変なときに、外から来た人へのねぎらいの声をかけられる。
熊本の方たちの強さとあたたかさに触れた気がしました。
最後になりましたが、
今回の活動は、現地で活動されているボランティアグループやNPOの皆様につないでいただいたご縁で実現しました。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。
(清水)
はり灸レンジャーブルーの森川です。今回はじめての熊本訪問となりました。仮設住宅への入居が始まっているものの、まだ多くの避難者のいる「避難所」での治療が主でした。その様子を3回にわたってレポートいたします。
1日目 7/10(日)
熊本駅で合流したメンバーとともに、「被災地障害者センターくまもと」に行きます。東日本大震災で活動するきっかけ、つまりは「はり灸レンジャー」のはじまりの足掛けともなった、被災障害者支援の熊本での拠点です。
ちょうどその訪問前に、熊本市のお知らせとしてSOSチラシを4万枚?配布されたようで、SOS(支援要請)の電話が次々と入っているところでした。その慌ただしい中だったので、こちらでは挨拶と今後の支援の相談をして失礼しました。
そして、日頃からおつきあいのある「鍼灸地域支援ネットワーク」のご厚意により、施術用のベッドを借りるために「益城町(ましきまち)」に入ります。熊本市内でも傾いた家屋や、赤紙、黄紙、営業中止等の張り紙は見かけましたが、益城町に入るころには、その風景もがらっと変わります。
(道路を走っていても、今余震が来たらと、危機を感じます。)
こちらでの支援は、明日、明後日になるので、その町並みを見過ごして、今日の目的地、「御船町(みふねまち)」に向かいます。
御船町スポーツセンターという大きな体育館のある避難所で治療を行ないます。未だ200名ほどの避難者がおられるそうです。東日本大震災の直後では、福祉ボランティアとして現地入りしていたので、鍼灸ボランティアとして震災直後の「避難所」に入るのは初めてでした。
こちらでは現地NPO団体の案内で、避難者の方々に施術させて頂きました。先週、「鍼灸支援ネット」の鍼灸ボランティアが入っていたこともあり、ベッドなどの準備中からも、避難者の方より治療をお願いされました。私たちメンバー3人では対応しきれないほど希望者が来られたので、時間予約制にして、それでも当日見れない人は明日来てもらうように予約を取るほどでした。今まで東北で行なってきた仮設住宅よりは、居住スペースに近い所での治療だったり、館内放送で案内が入れられたりしたこともあってか、大盛況でした。
やはり、慣れない居住空間での生活での身体の不調をあちこちと訴えられていました。「一時的な避難のつもりだったのに…」と、度重なる余震や集中豪雨(滞在中も体験しました)による復興の遅れに対するフラストレーションも感じました。その身体的、精神的なケアが、今必要とされていると感じた初日の活動でした。
<御船町スポーツセンター>
施術人数 15人
(続く)
2日目 7/11(月)
昨日見過ごした、益城町に向かいます。付近の高齢者が避難される特別養護老人ホーム「ひろやす荘」での施術になります。
(とても立派な建物でした。)
仮設住宅への移転も決まり始め、避難者は少なくなっていましたが、その避難者と支援看護師の施術を行ないました。看護師さんも全国からボランティアとして集まられ、夜勤などもこなされていました。こういった支援者を支える支援ということも念頭に置いて活動しています。
ここでの施術が終えると、私以外のメンバーが先に向かっていた御船町スポーツセンターへ向かいます。昨日に続き、到着すると予約でびっしり詰まっている様子でした。昨日受けて楽になったと二日連続で受けられる方、その話を聞いて初めて鍼を受けられる方、いろんな避難者の方が、治療を受けに来られました。
私たちの活動の特徴は、セルフケアを推奨することです。その場限りの施術に終わらず、ローラー鍼や簡易灸をお渡しして、その後もご自身やご家族でケアしてもらえるようにしています。この日も、昨日配ったローラー鍼を片手にコロコロされている姿を見られたのは印象的でした。
こちらでの施術は、避難所を管轄されている団体ではなく、支援に入られているNPO団体の方に段取りして頂きました。二日間の活動終了後、その職員の方へ申し送りをする時間も設けて頂きました。施術を通して、気になった避難者のことなどをお伝えします。200名もの避難者がおられ、また他の避難所から最近移って来られた方もいます。全員の様子を把握することは難しいですし、入所時に全てのことを伝えられていないこともあるようです。その点、私たちのように外部から来たボランティアには話しやすいことがあったり、身体に触れられることで心を開きやすかったりと、本音を語ってくれることもあります。それらを、地元の支援者の方に伝え今後の支援に役立ててもらうことも、ボランティアの大事な役割ではないかと思います。
<特別養護老人ホームたかやす荘>
施術人数 4人
<御船町スポーツセンター>
施術人数 21人
(続く・森川)
3日目 7/12(火)
この日は、メディアでもよく取り上げられた「益城町総合体育館」での施術を行ないました。800人程おられるという避難者をはじめ、現地職員、ボランティア、報道関係者と思われる方々、多くの人を見かけました。規模が大きいこともあって、他のボランティア団体も次々と入られているようでした。
入口近くの事務所で手続きをし、避難所の通路のようなところを案内されます。そちらにベッドを広げ、施術に取り掛かります。通路ということもあって、肌が露出しないように、鍼・灸も使わず、ローラー鍼のみでの施術になりました。ここでも次から次へと施術希望者がおられたため、途中から通し番号を付けたカルテに記入してもらい、時間の許す限り、順番に施術させていただきました。そうすることで、あとどれくらいで自分の順番が回ってくるか把握でき、その待ち時間で用事を済ませて戻って来る方もおられました。施術に手一杯で、受付の対応ができないときは、効果的なアイデアでした。
ここでよく伺ったのが、「食事が偏っている」ことでした。朝はおにぎり、昼はパン、夜はお弁当。あるご高齢の女性は、お弁当の肉類は、食べられないので捨てていると言われていました。となると、ほぼ炭水化物…。短期間であれば我慢はできても、もう避難生活が3ヶ月続くと思うと、栄養面の心配が募ります。それに追加して炊き出しなどもされてはいましたが、1000人分近くともなると、それも毎回は大変です。運動もしないし、体重が増えた、HbA1cが上がったという方もおられました。
そして症状としてよく伺ったのが、「こむらがえり」です。ちなみに熊本の方言では、「からすまがり」と言うそうです。(標準語だと思って使われている方もおられました。) 運動不足、内臓の不調、栄養不足も関係していると思います。痛みやコリ、筋痙攣など、大きな病気ではなくとも、QOLを低下させます。そういった細かなトラブルに対しても、鍼灸やマッサージが今必要とされることでしょう。
(体育館前の道路。道が畝っているのがわかります。)
<益城町総合体育館>
施術人数 16人
その後、ベッドの返却や活動報告の為に各機関に立ち寄り、今回の活動が終了しました。振り返ってみると、初めての訪問なので当然ですが、今回施術をしたほぼ全員が、私たちにとって初診になります。(二日連続して訪問した所は、再診の方も数名おられます。) 初めての人に、短時間の施術で、身体の様子を察し、効果も出して、その後のセルフケアにも誘導できるようにとなると、かなりの労や勘も必要とします。でもそれは私たちボランティアにとっても良い経験で、いわば武者修行のようにも感じました。
このような機会を与えて頂いた、被災地の方々、関係者の皆さん、快く送り出してもらえた、地元の患者さん、家族にも心から感謝いたします。ありがとうございました。またこれからもしばらく熊本支援を続けていきますので、今後ともよろしくお願い致します。
(森川)
はり灸レンジャー・レッドこと舟橋です。
2016年7月10日(日)~12日(火)、3日間という短い時間ですが、熊本県の益城町と御船町でのボランティア鍼灸治療を実施しました。
私たち「はり灸レンジャー」は、2011年3月11日に発生した東日本大震災を契機に結成されました。その後、5年以上にわたり宮城県と福島県への訪問治療を続けてきたのですが、今回の熊本地震を受けて、初めて東北以外の地への訪問となりました。
きっかけは、私が鍼灸師になる以前からの知り合いである「ゆめ風基金」の八幡理事からのメールでした。
「ゆめ風基金」は震災などで被害を受けた障害者の支援に特化した基金団体で、募金の提供だけではなく、被災した福祉団体の再建支援やボランティアの派遣など多様な活動を行なっています。
そもそも東北現地に初めてうかがった際も、この八幡さん経由でした。
そんな恩義のある八幡さんから、
「お~い、熊本には来ないの?
(鍼灸治療を提供したら)喜ばれると思うけど」
とメッセージを頂いたのでした。
もとより熊本の地震が発生してからは、頭のなかでシュミレーションをしていました。レンジャーメンバーでも現地訪問について相談していたところでしたので、
「よし、行こう!」
となったのです。
今回の3日間の活動内容は森川先生が詳細に書いて下さいました。また清水先生の指摘にあるように道筋に倒壊家屋が並ぶ風景には改めて驚かされました。すでに地震発生から3ヵ月が経とうとしていた時期ですが、まだこれほどの被害が残っているのか、という感想です。
また、今回のボランティア治療は避難所で実施したのですが、東北では震災から半年ほど経過してから治療訪問を始めたので主に仮設住宅や福祉施設での治療でしたから好対照です。
私は阪神淡路大震災から被災地支援の経験があります。(その頃はまだ鍼灸師になっていなくて。福祉関係の職員としてでしたが。)その後、東北を経て、今回の熊本県が3度目になりますが、改めて避難所のもっている独特の雰囲気には圧倒されます。
今回の地震は自治体の建物が被災したり、何度も余震があったり、その他いろいろな要因で復興の足取りがかなり遅いように感じます。
3ヵ月もの間、体育館で寝泊まりする生活は誰にとっても耐え難いものでしょう。
森川先生の報告にあるように、体調不安を訴える方々の多さが目立ちました。
私が治療した方のなかに幾人か夜勤の仕事をしている方がいました。夕方、避難所から職場に行き、夜通し働き、朝がたに帰宅。でも避難所は日中ですから、ざわざわと人々の動く気配があり、なかなか熟睡できない。そんな体調のまま、また夕方が来て出勤の繰り返し。プライバシーもなく、明日がどうなっていくかも分からない。そんな日々が100日近くです・・・。
また、避難所で活動していくと、お昼の時間にもでくわし、皆さんが支給されるお弁当が思わず目に入ってしまいます。
「まだ、食事をもらっているの?」
と感じるかも知れません。でも、もともと体育館です。炊事施設が無いのです!
ここで、ふと感じました。私たちレンジャーは、鍼灸治療を行なうと共に、ローラー鍼を配布して、できるだけご自身で健康面のケアができるよう提案してきました。
また、東北でもそうなのですが、関わる団体はその現地で粘り強く復興を担っていこうとしているグループです。
つまり被災した方々自身が元気になっていくためには、手厚い支援と共に、やがて自立していく道筋を共に考えなければいけないということです。
これは、理論としては当たり前ですが、その実践は難しい。
例えば、避難所での食事に関して、屋外調理の器具を大量に用意して、週に1回、2回でも被災者自身が楽しく調理できないのだろうか?と感じます。
人間、与えられだけの立場はつらいものです。自分自身が何かができる、という自信が明日へと向かう気力に繋がるのではないでしょうか。
アイデアはあっても、実施は難しいだろうことは予想されます。
衛生面の管理は?平等に食べ物は行きわたるか?お金、食材、人材の工面は?などなど・・・。行政は「平等」という発想に縛られがちです。
数百人規模の避難所では難しいかも知れません。もう少し小さい規模の避難所ならどうでしょう??
しかし、行政としては、時間の経過と共に避難所を統廃合しています。効率面からはそうなのでしょうが・・。
困難な状況ではありますが、それぞれの地域で人々がアイデアを出し、できることを実践していく。そういった創意工夫が無数に生まれてくることが大切だと感じた訪問でした。
私たち「はり灸レンジャー」の活動もささやかでも持続して関わっていきたいと願っています。