少しずつ変化する被災地

はり灸レンジャー・レッド舟橋です。

3月に宮城県山元町を訪問したおりのことです。
ここ山元町にある福祉法人の「ささえ愛 山元」さんと縁ができ、せっせと通っているわけですが、少しずつ変化も出てきました。

もともと地域のお年寄りのデイサービスなどを展開していたそうですが、津波で大きな被害をこうむった施設の一つです。

職員さんも亡くなっていますし、理事長の旦那さんも帰らぬ人となりました。

そんななか、「ささえ愛」さんは3.11後、いち早く活動を再開しました。
中村理事長は職員を鼓舞しつつ、地域にお年寄りが戻ってこられるようデイサービスを始めたのです。
ちょうど私たち「はり灸レンジャー」の2回目の訪問のころ、あれは2011年9月でしたか、まさにその頃にデイサービスを再開していました。

その後、私たちが何度かお邪魔しているのですが、鍼灸治療を心待ちにして下さっているのがAさんご夫婦です。
震災前から鍼灸治療をしょっちゅう受けておられ、鍼灸がもともとお好きなのですね。
(かつて通っていた鍼灸接骨院?も津波で流されたのか、営業していないようだ、とのこと)

脳血管障害により不自由のある奥さんを、これまた疾患を抱えるご主人がお世話をしています。
狭い仮設住宅のなかで、ご主人がいろいろ工夫して、奥さんが動きやすい環境を作っていたのが印象的でした。

私たちの訪問を毎回楽しみにして下さっているAさんご夫婦ですが、最近、近場で鍼灸治療を受けられるようになったそうです。
近場といっても、いまお住まいの仮設住宅はもともとの街の中心からは離れた丘にあります。
生活に便利な平地は危険区域指定があり、住めません。

幸いご主人はまだ車の運転ができるので奥さんを乗せて通院しているそうです。
「ささえ愛」の職員さんが電話して下さったところ、ちょうど私たちが訪問した日は、午前中すでに鍼灸治療を受けたよ、とのことで、またの機会にね、となりました。

Aさんに会えなかったのは残念ですが、普段の生活のなかで希望する鍼灸が受けられるようになったのは大変よろこばしいことです。
ボランティアというのは外人部隊のような存在ですから、いつも支えられる訳ではありません。
少しずつでも被災地が変わり、現地の方々にとって住みよくなっていくことを切望しています。

(2013年4月15日 記)
 

3年目

 東日本大震災から2年が経ちました。報道を見る限りでは、被災地の復興は思うように進んでいないでしょう。まだまだ皆さんの協力も必要です。

 被災地から離れた私たちができることとしては、被災地のことに想いを寄せ続け、またその教訓を活かしていくこと。そして、想うだけではなく、何か行動に移していくことです。今の自分たちにできることを。今、行なわなければ、後悔することがあることも、突然の津波に襲われた被災地の方々に教えていただきました。今を大切に感謝して生きることも、その一つです。

 はり灸レンジャーのメンバーも、この今週末、また現地へ向かいます。3年目の被災地で、何かできることを実行していきます。

(森川)

18年

 今日は、阪神大震災からちょうど18年。ここ神戸では、各地で追悼の行事が開かれています。東北大震災の被災者の方も多く参加されているようです。神戸の東遊園地では、二つの大地震の発生時刻、5時46分と、午後2時46分に黙祷がささげられました。

 あれだけ多くの人が犠牲になり大変な思いをしていながらも、時が経つと、忘れられていきます。悲しいことや、つらいことは、早く忘れたい思いもありますが、忘れられない、忘れたくない思いもあります。忘れてはいけない教訓もあります。

 あの日を思い出して、今の生活のありがたさや、防災の大切さを改めて確認していきたいです。そして知らない人に、それを伝えていけたらと思います。

(2013年1月17日 森川)

東北で見つけた課題

はり灸レンジャー 吉村です。

先日はり灸レンジャーとして初参加しましたが、一人の患者さんをトータルで診るということを今回初めてさせていただきました。
はじめの問診で色んな症状を訴える方、言葉数の少ない方、いろんな方がいらっしゃいました。
短時間での治療でどれだけのことができるのか。主訴は肩であっても、明らかにこれは呼吸器からきていると思う場合は喉や肺の反応点を優先したいのですが、その説明がわかりにくい説明になってしまったり…。
しっかり自信を持って説明できているのか不安なまま治療をしている自分がいました。
自分の勉強不足さを痛感しました。なかなか一遍にはできませんが、日々の積み重ねによって知識は蓄積されていくものなので、”気になったらまず調べる癖”をつける必要性を感じました。
そして、分からないなりになにかもっとうまく表現する方法があったのではないか?と考えました。
もっとわかりやすい表現をする訓練が必要です。
もし自分が患者さんの立場だったら結構不安になるような声かけだったのではないかと反省しました。
治療で少しでも楽になってもらえるような要素は鍼灸技術だけでなく会話もとても大きなポイントを占めています。
心と身体は切り離せるものではないので、鍼灸治療をするうえでいかに今回会話も大切かということを改めて感じました。
治療をしていて感じたのは、自分のある程度得意分野な症状にはスムーズに治療ができたように感じます。
自分自身興味がある分野だと知識を入れているので患者さんの疑問にも自分なりのコメントができたり、生活指導もできたりと、リードすることができます。
こういう流れは治療において非常に大切で、このような治療ができるように今の自分に足りないのは第一に知識だと感じたので出会った患者さんの主訴、まずはイメージのしやすい疾患から頭に入れていきたいと思いました。
当たり前の話ではありますが、それを着実に積み上げることが今できることなので根気よく続けていきたいです。

防災と感謝の日

 今日9/1は、関東大震災の発生した日で、防災の日ですね。個人的には、阪神淡路大震災の1/17、東北大震災の3/11のほうが、印象深いですが、備える日は何日あってもいいでしょう。

 その防災の確認をするとともに、日常生活のありがたさを確認する日でもありたいですね。毎日を無難にすごしていると、それが当たり前になってきます。そして、ちょっとした不都合に不平不満を言ってみたり、感謝する気持ちを忘れてしまったり。

 でも、被災地での生活を思うと、そんな気持ちは戒められます。ここ阪神地区も、昔は「被災地」と呼ばれていました。いつの間にかそう呼ばれなくなり、それとともに、そんな感謝の気持ちも消えてしまっていくのは残念なことです。復興はしても、その気持ちはずっと忘れないようにしていきたいです。

 日常のありがたさに感謝して、その日常が戻っていない被災地に思いを馳せたいと思います。

(森川)

支える人を支える

 今回の活動を通して強く感じたことは、「支える人を支える」です。

 被災地の方を一番身近で支えられるのは、現地の職員やスタッフです。ただ、その現地職員やスタッフの方も、被災者であることが多いです。自分の生活がままならない中、頑張らなければいけない状況にあることもあります。やること、できることがあるのはいいことですが、それにも限度があって、ときには休むことも必要です。そんなスタッフの方の苦労をねぎらい支えることも、外から来たボランティアの役目なのでしょう。

 また、老老介護や認認介護のように、介護する人も介護を必要とする場合があります。介護とまでいかなくとも、介護者を支える必要がある場面には、ボランティア中にもよく出くわしました。それは被災地に限らず、これからの高齢社会ではどこでも起こってくる問題でしょう。介護者が疲れていれば、介護される人もつらくなります。そんな介護者を支えていくことも大切です。

 被災地で頑張る人を支えれば、そのまわりの多くの被災者の方が救われるのでしょう。そこも意識して、活動を続けていきたいと思います。

(森川)

活動後に思ったこと

こんにちは。はり灸レンジャー隊員、清水です。

今年の冬一番の寒波が迫っていると聞く最近。
全国のお天気一覧などでついつい仙台のお天気に目が行き、
9月にお会いした方々の所は、雪や寒さ大丈夫かな…などと考えます。

私はボランティア初心者。
昨年行った鍼灸レンジャーの活動が、初めてのボランティア活動でした。

正直、活動中は、ついていく事が精いっぱい、
その時出会えたものや感じたことについて、深く考える余裕はありませんでした。

けれど、不思議なもので。
地元の岐阜に帰ってきてからも、ニュースで訪問した地名を聞くと耳を澄まし、
スーパーでは東北産の商品などを手に取る機会が増え、
コンビニの被災地支援募金箱になんとなくお釣りを入れる習慣がついていました。

それまでより、被災地の出来事を身近に感じるようになりました。

一回の現地活動で出来ることは僅かですが、活動の後、小さな事でも、離れた場所でも、
「被災地を思い続けること」
で出来ることがあると実感しました。

今年3月、はり灸レンジャーの活動が予定されています。
東北の冬は長いと聞きますが、
この冬を無事乗り越えた被災地の皆様と
春にお会いできることを願っています。

『鍼灸の良いところ』

こんにちは。はり灸レンジャーピンク竹原です。

9月の第二次訪問でわかったのですが、被災地では鍼灸は馴染みがなく、
まだまだ身近なものではありませんでした。
痛そう、熱そう、あやしいな。
そんなイメージも強いからでしょうか。

鍼灸は痛くない優しい刺激でもちゃんと効いてくれます。
肩こりや腰痛などの痛みに対してだけでなく、内臓の不調や自律神経症状にも効果的です。
でも残念ながらお薬のようには効きません。
お薬は急性の症状には強い味方ですが、
ターゲットの決まった強い成分ですから代謝するのも大変です。
副作用と言われる症状が出たりもします。
急は要しないけれどつらい慢性疾患には鍼灸が力になってくれます。
穏やかに効くので副作用もほとんどありません。
薄皮をはぐように生活に寄り添いながらいつの間にか癒えている。
それが鍼灸の効果です。

最近は鍼灸がメディアに取り上げられることも多くなりました。
お灸女子なんて言葉もあるようです。
ローラー針やお灸を使った簡単なケアなら自分でできるのも鍼灸のよいところです。
不調を穏やかに取りながら、体の働きを助け、育てる鍼灸がもっと広まればと思います。

いつか被災地でも鍼灸が身近なものになって、
「今日はちょっと風邪ひきそうだからお灸しとこうか」
「お父さん疲れてるからお灸しよう」
「おばあさんめまいがあるからローラーしようか」
家族や仲間やご近所同士で、お互いを思い、大切にできる時間が増えたら素敵です。

3月にはまた被災地に伺います。
少しでもお役にたてるように、鍼灸治療やセルフケアのレクチャー、頑張ります。
 

はり灸レンジャー 今こそ出番

舟橋新聞記事
P2012_0120_090415

本日1/20(金)の中日新聞、岐阜地方版にボランティア活動の記事が出ました。
題して「はり灸レンジャー 今こそ出番 心身ほぐす」。

写真入りで大きな記事です。
知り合いの記者さんが書いてくれました。
彼は3.11の夜に現地(福島)入りしていて、その惨状を目の当たりにし、被災地への思い入れの大変強い記者です。

ローラー鍼や、めまい=地震酔いのこともしっかり書いていただき単なる肩こり、腰痛とは違う施術をしていることが分かる記事です。

どうしても岐阜の地方版という紙面の関係で舟橋のことが中心ですが、幾人も鍼灸レンジャーが増えて欲しいという思いも文章にして下さいました。

この中で、私(舟橋)は、このように語りました。
「鍼灸師は災害直後の急性期はあまり役に立てない。一見穏やかな時間が流れる今こそ出番」。

鍼灸は戦時の医療ではありません。平和を構築していく時代の医療だと思っています。
被災地が平和・平穏とは程遠いなか、共に歩んでいきたいと思っています。

現在、はり灸レンジャーの色は4色です。
4人の仲間がいるのです。更に今年の3月には少し仲間が増えそうです。
まずは虹の色、7色。いずれは24色ぐらいに仲間を増やし、被災された方と共に素敵な絵を描きたいと願ってやみません。

震災から17年後

 今日で阪神大震災より17年。昨年の東北大震災もあって、今年はより感慨深くこの日を迎えました。こんな寒い時期に震災を受けたんだなと、毎年思い返します。

 当時は中学生で、芦屋市内の住んでいたマンションは全壊しました。今は同じ場所に建て替えたマンションで暮らしています。それなりに大変だったのでしょうが、それほど苦労した思い出が残っていません。そう思わないのは、回りの人が助けて支えて下さっていたからでしょう。また、歳月が癒してくれた部分もあると思います。

 震災直後はこの先どうなることか検討もつきませんでしたが、今は町も見た目はすっかり復興されました。未だに抱えている問題もありますが、何とかやってこれています。失ったものも多くありますが、得たものも多くあります。あのときがあったから、今の自分があると思っています。

 東北の方にも、いつか同じ様に思えるようになってもらいたいです。「それほどつらくなかったよ」と思ってもらえるように、これからも何かお助けできればなと思います。

(2012年1月17日 青レンジャー森川)