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はり灸レンジャー ~鍼灸震災ボランティア~
旧ブログサイトです。
グループが発足した2011年から、メンバーによる活動報告や関連団体の紹介、被災地の声、ボランティアの声を届けてきました。こちらのサイトに過去の記事も含め、移行中です。
メール: harikyu.ranger@gmail.com
セミナーに参加してきました!
こんにちは。はり灸ライトグリーンの坂口友亮です。
先日4月6日(日)に京都で行われたはりネット主催のセミナー「被災時の鍼灸医療を考える」に参加してきました。
セミナーの内容は、はりネットのサイトに掲載されています。
https://harinet.org/category/seminer/
私がセミナーに参加して感じた事は「人と人のつながり」の重要性です。
はりネットの理事長である日比泰広さんも、石巻市で精神科医として被災地医療に携わる宮城秀晃さんも、「震災時に何が起きるか、また何が必要とされるかは予測不可能である」という事をおっしゃっていました。
もちろん、平時から震災を想定した準備や対策は欠かせません。
しかし災害時は非日常であり、マニュアル的な対応ではなく時々刻々と変化する被災地の情報を的確に把握し、迅速に対応する事が求められます。
その為には、相互に情報交換が出来るネットワークの構築が欠かせません…と書くと堅苦しいですが、「人と人のつながり」があれば的確で迅速な対応を行う事が出来る、というメッセージを今回のセミナーは発信していたように感じました。
「最近こんな活動をしているんだけど」「こんなアイデアがあるんだけど、どうすれば良いかな」など…。
まずは気軽に連絡を取り合える仲間を一人ずつ増やしていく事が、災害時の対応にもつながるのでは、と思います。
高度に通信技術が発達した現代でも、いざという時は「顔と顔、名前と名前のなじむ」関係性が頼りになるようです。
今後もこのような機会があれば参加していきたいと思います。
(坂口)
NPO法人鍼灸地域支援ネット(通称:はりネット)と連携させていただくことになりました。
はりネットとは、「鍼灸師による地域活動を応援し、活動の情報の共有を目指しています。所属する業界団体や卒業校だけでなく、個人の鍼灸師に全国のネットワークをもつことで、「地域の方々に鍼灸師として何かしてみたい」という思いを具体的にできます。また、先の震災などの被災地で貢献したいと思った場合も、何から始めたらよいのかを知ることができます。」(HPより)
私たち「はり灸レンジャー」は、同じ治療法、同じ卒業校からつながっていったメンバーで、いわば縦のつながりから始まりました。さらにこの「はりネット」のような横のつながりができることで、情報の発信や交流、問題点などを一緒に考えていき、よりよい支援の輪も拡げていくことができればと思います。
先日4/6には、「はりネット」主催のセミナー「被災時の鍼灸医療を考える」が京都であり、早速、はり灸レンジャーのメンバーも参加してきました。当日は、自らも被災されながら避難所などで積極的に医療支援を続けられている、石巻市の精神科医の宮城秀晃先生のご講演もありました。災害直後からの医療の支援の形や、現在の被災地での状況などについて教えていただきました。このような機会も与えていただき、感謝です。これからもよろしくお願いいたします。
(ブルー森川)
はり灸レッド舟橋です。
今日は東北被災地の生の声をご紹介しようと思います。
2014年3月下旬の第10回訪問では、気仙沼市の仮設住宅を訪問治療しました。
その際に橋渡しをしていただいたのが、三浦友幸さんです。
3/23(日)の夕方、治療を終えた私たちは、ご多忙な三浦さんにお願いし、気仙沼の最近の様子を教えていただきました。
要点を以下にまとめます。
(民生部門 生活・住宅)
1) 高台や盛り土など宅地造成に時間がかかっている。
あと2~3年後にようやく土地が用意されても、そこから新築住宅を建てるのに一層時間が必要。
今でも建設ラッシュでスケジュールに遅れが出ているし、東京五輪の時期が近づき更に人手不足、資材不足になるだろう。
2)公営の災害復興集団住宅は、早いところは2014年4月から入居が始まるが、全体はさらに3年ほどかかりそうだ。
3)阪神淡路大震災の復興過程の反省から、宮城県ができるだけ元の集落(コミュニティ)ごとに優先して仮設入居を進めた。
(岩手県は順番に入れたと聞く)
しかし、さまざまな理由で漏れた方々が気仙沼市から遠方の市外域(主に内陸部の岩手県一関市など)に入らざるを得なかった。
4)そんな中、仮設住宅での生活が長くなり(すでに3年!)、それなりにうまく仮設の暮らしに適応している人と、そうでない人との差が出ている。
予想されていたことだが、孤立しアルコールに溺れるひとが多い。
今回の大谷中学校仮設とは別の場所の話ではあるが、自殺の事案も出ている。
5)仮設で暮らす人々の健康が課題になり、(ストレスのせいか?)がんの進行は早いのではないか、という報告も出ているそうだ。
三浦さんのお話はまだまだ続くのですが、長くなるので今回は住宅・仮設の問題のみ抜き書きしました。
その場でメモしたものなので、誤りももあるかと思います。その責は舟橋が負うべきものです。
医療職である私たちは、たとえば、5)の問題は根拠と共にきちんと調べなければ安易に噂のように流してはいけない、と思っています。
しかし、しばし逡巡のうえ、この原稿に書いた理由は、
「たとえ、がんの進行が早い、という話が事実ではなくとも、ある現象をそのように解釈せざるを得ないぐらい厳しい環境下の置かれているのが仮設住宅での生活である」
という感じを伝えたかったからです。
(三浦さんのお話はつづきます)
「どう使われる 3.3兆円 ~検証 復興計画~」
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0309/index.html
3/9(日)NHKスペシャルは、たいへん濃い内容でした。
東日本大震災の後に作られた復興計画にほころびが出ているといいます。
東北の沿岸部の多くでは、住民が住めなくなった土地を売却し、新たに造成される土地にそれぞれ個人の力で住宅を再建することになりますが、人口流出が止まりません。
特に若い世代ほどそうです。
その結果、たとえば全額税金である国費を投入して、100戸ほどの宅地開発をしても、様々な理由で50戸しか新築住宅がたたないという現実がすぐそこまで来ています。
その背景には、お年寄りの場合、改めて住宅ローンが組めない、などの問題もあります。
自力による住宅再建をあきらめ、公営の復興住宅に入る決断をする方も多くあるとのこと。
更に若い世代ほど復興の遅れ、仕事のこと、子どもの教育のため、泣く泣く故郷を出る方がいるのです。
沿岸部の多くの自治体で2割ほど人口が減った場所が複数あります。
これは住民票ベースの数字なので、実数はもっと多いともささやかれているのです。
その結果、復興される街が極端に縮小する恐れがあります。
いえ、それは予想されていたことなのですが・・・
人口が減る → 学校をはじめ公共施設の数が減る → ますます人口が減る
というデフレスパイラルが起きています。
ただ、どうしても自治体としては震災前と同じだけの人口規模で計画を立てたいわけです。
岩手県の大槌町、宮城県の石巻市など、苦悶する様子が描かれます。
一方、こうなることをある程度予想し、コンパクトな街づくりを計画していた宮城県の女川市の復興計画は、そこそこ順調なようにも見えます。
それを保障するのが行政と住民の間での丁寧な対話と、信念をもって立ち向かう首長と行政マンたちです。
なぜこれほど復興が遅れるのか、その理由の一端をうかがいしるのに適した出色のドキュメンタリーでした。
再放送は、3/13(木) 午前0時40分~1時38分。
(注 3/12(水)の深夜)
ぜひご覧ください。
この番組で描かれる未来の街の姿は、決して被災地だけの問題ではありません。
確実な人口減社会に入った日本全体のありようを鋭くきわだたせたものなのです。
はり灸レッド 舟橋
昨年9月、はり灸レンジャーチームは宮城県気仙沼のNPO法人「森は海の恋人」の方々と初対面となりました。
レンジャーの岡本さんが繋いでくださった縁でお世話になったわけですが、その時ほんの少し畠山重篤さんにもお会いすることができました。
その後岡本さんのおすすめで、以前NHKで放送された畠山さんの特集番組を見ましたがもう圧倒されました。
NPO法人「森は海の恋人」については、こちらのHPを。
↓
http://www.mori-umi.org/
一体、畠山さんはどんな方なのか・・・興味が湧く中で畠山さん著書の本を読むことができました。
独自の視点で養殖に取り組んできた畠山さん。
この本は、帆立貝の養殖を中心にした内容で、畠山さんの幼少時代からの海との関わり方が詳細に綴られていました。
海を通して、生きていくうえで大切なことをすべてと言えばオーバーかもしれませんが、非常に多くのことを学んできた方なのだと感じます。
震災があってもそれでも海と真っ向から向き合っている姿は、初めてお目にかかった頃は「すごいなぁ・・・」と驚くばかりでした。
しかし、この本を読むことで、畠山さんの前向きさと海への愛情を知れば、その姿勢が自然と納得できました。
本全体を読んで感じたのは、本当に海(自然)は豊かだということでしょう。
私は岐阜出身からなのかあまり海に馴染みがないので、海と生きる方々の生活ぶりを知ることはとても新鮮でした。
個人的な話ですが、私も小さい頃から帆立貝が大好きで畠山さんたちから戴いた帆立を食べたときは本当に感動しました。
それは、まだ帆立の養殖が難しかった時代から本当に奮闘された畠山さんが、あの震災と津波の被害を受け、それでも海を信じて育て上げた帆立だったからこそ感じることができたのだと思います。
やはり、「人を知る」ということは良いことだなと改めて感じることができました。
遠く離れていても、帆立や牡蠣などを見ると以前より明らかに親しみがわきます。
またみなさんにお会いできる日が楽しみです。
(吉村早也香)