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はり灸レンジャー ~鍼灸震災ボランティア~
 

旧ブログサイトです。
グループが発足した2011年から、メンバーによる活動報告や関連団体の紹介、被災地の声、ボランティアの声を届けてきました。こちらのサイトに過去の記事も含め、移行中です。

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ボランティアへ行きませんか?

 夏休みのある学生さんの話を聞くと、うらやましく感じる社会人です。社会人になると、長期の休暇を取るのは難しく、やりたいことがあってもいろいろ制限が出てきます。そうなる前の学生さんの方へ

夏休み、被災地へ 学生ボランティアを募集 復興庁
(河北新報社 2013年07月17日)

 記事によると、東北被災地へのボランティア数が前年の半数以下に減少しているようです。決してボランティアがいらなくなってきているわけではありません。学生に限らず時間のある方、この夏、行動へ移されてみませんか?

復興庁
東北に行ったよ。~この夏も、ボランティアに行こう!~

(森川)

本当に支援を必要としている人のために

私たちは、被災地の障がい者や高齢者をサポートする現地のNPO団体と連携をとって、活動を続けています。この活動をはじめたきっかけも、被災障がい者を支援するボランティア活動への参加でした。

 はじめて被災地に入ったのは、震災直後のゴールデンウィーク。まだ津波の被害が生々しく残る中、避難所を一つ一つ巡り、被災した障がい者を探し出すことからスタートしました。当時は行政も機能しておらず、また、元々障がい者の居場所を把握できていなかった背景もあります。そのとき感じたのは、「本当に支援を必要としているのは、自ら声を上げられない人たちだ」ということです。

 自らSOSを出せる人たちは、助けられていきます(全てではないですが)。しかし、SOSを出せない人は、その存在や困っていることにすら気付いてもらえず、取り残されてしまうことになります。

 そんな東北大震災の経験を教訓に、「障がいがある方たちの災害対応のてびき」というマニュアルが作られたというニュースがありました。

障害者の備え確実に 岩手県社協が「災害対応てびき」作製
(河北新報社 2013年06月17日)

 同様のマニュアルが前回作られたときは、障害者団体などだけに配布されたそうです。今回は、県内全ての障害者宅などに郵送されるそうです。「全ての障害者宅に」というところもポイントですね。

 本当に困っている人たちは、助けてもらいたい意思があるのに、自ら声を上げられない人たちです。そんな人たちにこそ手を差し伸べられる助け合いの社会っていいですね。

 今回の震災を教訓として、考えさせられることはたくさんあります。そんなことを意識して、私たちの活動も、あまり支援の入りにくい細かな場所へのサポートを中心に、長く続けていきたいと思います。

(森川)

二年の月日

こんにちは。はり灸レンジャーピンク竹原です。

はりきゅうレンジャーの活動も8回を迎え、
東北に親戚ができたような気持ちで活動報告を見ています。
私自身はレンジャーの活動がきっかけで結婚し、今年2月に娘を授かりました。
最初の訪問から2年、あの時はいなかった娘の成長に東北が切り離せなくなっています。
たのもしい熱い隊員も増えて隊員との交流も楽しみになりました。

子育てのため、現地での活動には参加できていませんが、
メンバーから様子を聞いて、現地の方々を思います。
いつか報告もかねて家族で訪ねたいと思います。

被災地にもしあわせな変化がたくさん起こっていますように。

第18共徳丸解体決まる

こんにちは。岐阜の吉村美陽子です。

今回の活動中、現地職員さんに震災関連で見ておいたほうがよい場所についておききしたところ、気仙沼漁港から約750m内陸に打ち上げられた漁船「第18共徳丸」を見に行くことになりました。
その共徳丸が解体されることが決定したという記事が、朝日新聞(3/26 33面)にありました。

3月17日、ボランティア治療後に、気仙沼へ。
はっきりとした場所はわからなかったのですが、教えていただいた道で目的地周辺に着くと「行ったら船がどーんと見えてくる」という言葉通りすぐに見つけることができました。

南三陸町の防災庁舎のように、献花台が設けられ、手を合わせていらっしゃる方もみえました。

「震災遺構」という言葉を、私は東日本大震災で初めて知りました。
残そうという考えと、壊してほしいという考えを知りました。
そして、震災遺構に関する記事で大変印象的だったのが、昨年の河北新報の記事でした。

東北再生明日への針路
震災遺構と鎮魂/保存か解体か 揺れる住民

広島の原爆ドームについて、心の整理に50年かかったという男性は、半世紀後には残してよかったと思うだろうと語っています。

気持ちの整理に50年。
大変な葛藤があるということが想像されます。
自分の自宅を失ったり、かかわりのある人を亡くしている人にとって、震災遺構はいつまでも震災の辛い記憶を掘り起こされるものでしかない。
少なくとも、この記事の男性は50年かかっています。

第18共徳丸や、南三陸町の防災庁舎などの遺構物を実際に見た私は
「こんな高さまで津波がきたのか」「ここまでこの船がきたのか」と思いました。

その場所で、それを見ることで感じることがありました。
「感じられる」それが、震災遺構の大きな意義だと思います。
ただ、見るものに感じさせる力をもつ震災遺構は、心をえぐられるような気持ちを思い起こさせるほどの力をも持つことも事実です。

津波の爪痕は、現在宮城に行くと感じることができます。
しかしだんだんと消えていくでしょう。
そして、時間とともに、世代交代とともに、人々の記憶から消えていく。

なぜ、保存を求める声があるのか。
それは、どんなにつらい経験を思い出すものであれど、大切なものを失った人々の声をきかせてくれるものであるから。
そして、時がたっても、その姿は亡き人々の声を聞かせてくれるものだから。
震災を目の当たりにした我々が、時とともにいなくなっても残すことができるもののひとつが、震災遺構です。

震災は今まで何度も起こってきました。そして震災により人々が得た教訓がさまざまな決まりとなって実行されてきました。
2年前、震災を報道で目にした私は、震災を教訓にしてなにかをしたかといえば、防災グッズを用意したくらいですが、震災を教訓にした行動だといえます。

震災を、ただのできごとにしたくない。
たくさんの方が亡くなった震災を、遠い場所のことと思わず、自分にできることはなんだろうかと考え実行したい。
人々の命や、被災された人々の経験を無駄にしたくない、活かしたい。
被災地を思うことから、すべてがはじまると思います。

今回、共徳丸を所有する儀助漁業の社長が「後世のことより、今を生きる人たちの心境を考えて決めた」と話したというのを新聞で読みました(3.26 朝日新聞 33面)。

震災遺構がもたらす後世に生きる人々へのメッセージは、その命をつなぐ人々により絶たれようとしています。
でも、そうせざるをえない感情があることも理解する必要がある。

自然の中で生きている我々が運命を共にする自然災害。
それは、発展、発達していく世界に、私たちは自然の中で生きている、ということをよく教えてくれているように感じます。
自然から受けている様々な恩恵がある。
自然災害を過度に恐れる必要はないけれど、自然の中で生きていることをよく心得ておくことは必要でしょう。
直接被災していない人々、そして、未来に生きる人々がその心得を得るためにも、震災遺構は力を発揮するのだと思います。
震災遺構を考えることは、自然と人間との関係を考えることにもつながるなと感じました。

震災遺構は、見る者に強いメッセージを与えてくれます。
その強いメッセージ性をある存在を残したい。
なぜなら、今生きている人全てが、震災を教訓にして生きているわけではないから。
人は忘れるから。自分に関係のないことはなおさらです。震災をテレビの報道で見た人はたくさんいましたが、どれだけの人が、今、震災後の東北に関心を持ち、行動しているか。
私自身が感じたギャップを、多くの人は実感できていないだろうと思います。いえ、実感できないのだと思います。
ひとりひとりが震災を教訓とし行動したり、震災を経験していない後世に語りつぎ続けることが大切ですし、実際に様々な活動がされています。
震災遺構と、一人ひとりの行動が伴うといいけれども、震災遺構を残すことも、一人ひとりの行動も、簡単ではありません。

でも、震災を見た我々は、行動できる立場にあるということを感じます。
私にできることをやっていきたいです。
 

少しずつ変化する被災地

はり灸レンジャー・レッド舟橋です。

3月に宮城県山元町を訪問したおりのことです。
ここ山元町にある福祉法人の「ささえ愛 山元」さんと縁ができ、せっせと通っているわけですが、少しずつ変化も出てきました。

もともと地域のお年寄りのデイサービスなどを展開していたそうですが、津波で大きな被害をこうむった施設の一つです。

職員さんも亡くなっていますし、理事長の旦那さんも帰らぬ人となりました。

そんななか、「ささえ愛」さんは3.11後、いち早く活動を再開しました。
中村理事長は職員を鼓舞しつつ、地域にお年寄りが戻ってこられるようデイサービスを始めたのです。
ちょうど私たち「はり灸レンジャー」の2回目の訪問のころ、あれは2011年9月でしたか、まさにその頃にデイサービスを再開していました。

その後、私たちが何度かお邪魔しているのですが、鍼灸治療を心待ちにして下さっているのがAさんご夫婦です。
震災前から鍼灸治療をしょっちゅう受けておられ、鍼灸がもともとお好きなのですね。
(かつて通っていた鍼灸接骨院?も津波で流されたのか、営業していないようだ、とのこと)

脳血管障害により不自由のある奥さんを、これまた疾患を抱えるご主人がお世話をしています。
狭い仮設住宅のなかで、ご主人がいろいろ工夫して、奥さんが動きやすい環境を作っていたのが印象的でした。

私たちの訪問を毎回楽しみにして下さっているAさんご夫婦ですが、最近、近場で鍼灸治療を受けられるようになったそうです。
近場といっても、いまお住まいの仮設住宅はもともとの街の中心からは離れた丘にあります。
生活に便利な平地は危険区域指定があり、住めません。

幸いご主人はまだ車の運転ができるので奥さんを乗せて通院しているそうです。
「ささえ愛」の職員さんが電話して下さったところ、ちょうど私たちが訪問した日は、午前中すでに鍼灸治療を受けたよ、とのことで、またの機会にね、となりました。

Aさんに会えなかったのは残念ですが、普段の生活のなかで希望する鍼灸が受けられるようになったのは大変よろこばしいことです。
ボランティアというのは外人部隊のような存在ですから、いつも支えられる訳ではありません。
少しずつでも被災地が変わり、現地の方々にとって住みよくなっていくことを切望しています。

(2013年4月15日 記)