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はり灸レンジャー ~鍼灸震災ボランティア~
旧ブログサイトです。
グループが発足した2011年から、メンバーによる活動報告や関連団体の紹介、被災地の声、ボランティアの声を届けてきました。こちらのサイトに過去の記事も含め、移行中です。
メール: harikyu.ranger@gmail.com
レッドことサンリ院長舟橋です。
私ごとですがが、4歳の次男が通う保育園の保護者会役員をしています。
去る7月26日(金) 園と保護者会の共同開催の夏祭りの出し物として、震災復興を応援するバザーを実施しました。
企画の段階から役員会でも快く認めていただいたものです。
我が子がお世話になる保育園は子どもが50人ぐらいの小さいな園なのでバザー物品が集まるか心配し、個人的にも広く呼びかけました。
その結果、保育園関係者はもちろん
当院の患者さん、
大垣の高田先生、
サンリスタッフの清水先生、吉村先生、
妻の義姉などなど・・・
ほんとうに多くの方々から物品の提供をちょうだいしました。
感謝感謝です。
当日は、写真のように盛況で、会場には震災のときの新聞記事や、南三陸の障害児支援NPO「奏海の杜」さんの活動紹介のパネルも展示しました。
(「奏海の杜」HP http://blog.canpan.info/hsc_kenpoku/)
また保育園の先生がたも東北の方々のためにと財布をはたいて下さり、結果として1万円と少しの売り上げを達成しました!
ありがとうざいました。
収益金は全額、NPO「奏海の杜」さんに送金させていただきます。
単にお金を送るだけの関係ではなく、現地でどんな試みをして街づくりを進めているのかも、私の住んでいる地域でほんの少しお知らせできたかと思います。
ここ東海地方では、東日本大震災の話は風化しつつあるのが実際です。福島原発のこともほとんど話題になりません。
そんな中、小さな試みでも誰かが声を上げると答えてくださる方々がいて私自身、心強く思います。
ご協力いただいた皆様 本当に本当にありがとうございました!
今後も機会をとらえてこんな試みを続けていきたいと思います。
夏休みのある学生さんの話を聞くと、うらやましく感じる社会人です。社会人になると、長期の休暇を取るのは難しく、やりたいことがあってもいろいろ制限が出てきます。そうなる前の学生さんの方へ
夏休み、被災地へ 学生ボランティアを募集 復興庁
(河北新報社 2013年07月17日)
記事によると、東北被災地へのボランティア数が前年の半数以下に減少しているようです。決してボランティアがいらなくなってきているわけではありません。学生に限らず時間のある方、この夏、行動へ移されてみませんか?
(森川)
私たちは、被災地の障がい者や高齢者をサポートする現地のNPO団体と連携をとって、活動を続けています。この活動をはじめたきっかけも、被災障がい者を支援するボランティア活動への参加でした。
はじめて被災地に入ったのは、震災直後のゴールデンウィーク。まだ津波の被害が生々しく残る中、避難所を一つ一つ巡り、被災した障がい者を探し出すことからスタートしました。当時は行政も機能しておらず、また、元々障がい者の居場所を把握できていなかった背景もあります。そのとき感じたのは、「本当に支援を必要としているのは、自ら声を上げられない人たちだ」ということです。
自らSOSを出せる人たちは、助けられていきます(全てではないですが)。しかし、SOSを出せない人は、その存在や困っていることにすら気付いてもらえず、取り残されてしまうことになります。
そんな東北大震災の経験を教訓に、「障がいがある方たちの災害対応のてびき」というマニュアルが作られたというニュースがありました。
障害者の備え確実に 岩手県社協が「災害対応てびき」作製
(河北新報社 2013年06月17日)
同様のマニュアルが前回作られたときは、障害者団体などだけに配布されたそうです。今回は、県内全ての障害者宅などに郵送されるそうです。「全ての障害者宅に」というところもポイントですね。
本当に困っている人たちは、助けてもらいたい意思があるのに、自ら声を上げられない人たちです。そんな人たちにこそ手を差し伸べられる助け合いの社会っていいですね。
今回の震災を教訓として、考えさせられることはたくさんあります。そんなことを意識して、私たちの活動も、あまり支援の入りにくい細かな場所へのサポートを中心に、長く続けていきたいと思います。
(森川)
こんにちは。はり灸レンジャーピンク竹原です。
はりきゅうレンジャーの活動も8回を迎え、
東北に親戚ができたような気持ちで活動報告を見ています。
私自身はレンジャーの活動がきっかけで結婚し、今年2月に娘を授かりました。
最初の訪問から2年、あの時はいなかった娘の成長に東北が切り離せなくなっています。
たのもしい熱い隊員も増えて隊員との交流も楽しみになりました。
子育てのため、現地での活動には参加できていませんが、
メンバーから様子を聞いて、現地の方々を思います。
いつか報告もかねて家族で訪ねたいと思います。
被災地にもしあわせな変化がたくさん起こっていますように。
こんにちは。岐阜の吉村美陽子です。
今回の活動中、現地職員さんに震災関連で見ておいたほうがよい場所についておききしたところ、気仙沼漁港から約750m内陸に打ち上げられた漁船「第18共徳丸」を見に行くことになりました。
その共徳丸が解体されることが決定したという記事が、朝日新聞(3/26 33面)にありました。
3月17日、ボランティア治療後に、気仙沼へ。
はっきりとした場所はわからなかったのですが、教えていただいた道で目的地周辺に着くと「行ったら船がどーんと見えてくる」という言葉通りすぐに見つけることができました。
南三陸町の防災庁舎のように、献花台が設けられ、手を合わせていらっしゃる方もみえました。
「震災遺構」という言葉を、私は東日本大震災で初めて知りました。
残そうという考えと、壊してほしいという考えを知りました。
そして、震災遺構に関する記事で大変印象的だったのが、昨年の河北新報の記事でした。
↓
東北再生明日への針路
震災遺構と鎮魂/保存か解体か 揺れる住民
広島の原爆ドームについて、心の整理に50年かかったという男性は、半世紀後には残してよかったと思うだろうと語っています。
気持ちの整理に50年。
大変な葛藤があるということが想像されます。
自分の自宅を失ったり、かかわりのある人を亡くしている人にとって、震災遺構はいつまでも震災の辛い記憶を掘り起こされるものでしかない。
少なくとも、この記事の男性は50年かかっています。
第18共徳丸や、南三陸町の防災庁舎などの遺構物を実際に見た私は
「こんな高さまで津波がきたのか」「ここまでこの船がきたのか」と思いました。
その場所で、それを見ることで感じることがありました。
「感じられる」それが、震災遺構の大きな意義だと思います。
ただ、見るものに感じさせる力をもつ震災遺構は、心をえぐられるような気持ちを思い起こさせるほどの力をも持つことも事実です。
津波の爪痕は、現在宮城に行くと感じることができます。
しかしだんだんと消えていくでしょう。
そして、時間とともに、世代交代とともに、人々の記憶から消えていく。
なぜ、保存を求める声があるのか。
それは、どんなにつらい経験を思い出すものであれど、大切なものを失った人々の声をきかせてくれるものであるから。
そして、時がたっても、その姿は亡き人々の声を聞かせてくれるものだから。
震災を目の当たりにした我々が、時とともにいなくなっても残すことができるもののひとつが、震災遺構です。
震災は今まで何度も起こってきました。そして震災により人々が得た教訓がさまざまな決まりとなって実行されてきました。
2年前、震災を報道で目にした私は、震災を教訓にしてなにかをしたかといえば、防災グッズを用意したくらいですが、震災を教訓にした行動だといえます。
震災を、ただのできごとにしたくない。
たくさんの方が亡くなった震災を、遠い場所のことと思わず、自分にできることはなんだろうかと考え実行したい。
人々の命や、被災された人々の経験を無駄にしたくない、活かしたい。
被災地を思うことから、すべてがはじまると思います。
今回、共徳丸を所有する儀助漁業の社長が「後世のことより、今を生きる人たちの心境を考えて決めた」と話したというのを新聞で読みました(3.26 朝日新聞 33面)。
震災遺構がもたらす後世に生きる人々へのメッセージは、その命をつなぐ人々により絶たれようとしています。
でも、そうせざるをえない感情があることも理解する必要がある。
自然の中で生きている我々が運命を共にする自然災害。
それは、発展、発達していく世界に、私たちは自然の中で生きている、ということをよく教えてくれているように感じます。
自然から受けている様々な恩恵がある。
自然災害を過度に恐れる必要はないけれど、自然の中で生きていることをよく心得ておくことは必要でしょう。
直接被災していない人々、そして、未来に生きる人々がその心得を得るためにも、震災遺構は力を発揮するのだと思います。
震災遺構を考えることは、自然と人間との関係を考えることにもつながるなと感じました。
震災遺構は、見る者に強いメッセージを与えてくれます。
その強いメッセージ性をある存在を残したい。
なぜなら、今生きている人全てが、震災を教訓にして生きているわけではないから。
人は忘れるから。自分に関係のないことはなおさらです。震災をテレビの報道で見た人はたくさんいましたが、どれだけの人が、今、震災後の東北に関心を持ち、行動しているか。
私自身が感じたギャップを、多くの人は実感できていないだろうと思います。いえ、実感できないのだと思います。
ひとりひとりが震災を教訓とし行動したり、震災を経験していない後世に語りつぎ続けることが大切ですし、実際に様々な活動がされています。
震災遺構と、一人ひとりの行動が伴うといいけれども、震災遺構を残すことも、一人ひとりの行動も、簡単ではありません。
でも、震災を見た我々は、行動できる立場にあるということを感じます。
私にできることをやっていきたいです。