はり灸レンジャーブルーの森川です。震災から5年、はり灸レンジャーとしては14回目、自身としては10回を超え、もう何回目かわからない東北訪問となりました。
今回の訪問先は、共に震災直後から通い続けている、宮城県の南三陸町と山元町、そして前回に引き続き、福島県の田村市です。宮城県の南三陸町と山元町は、宮城県内の人口減少第2位と3位に当たります(宮城県沿岸部の人口増減 南三陸町29.0%減、山元町26.3%減 ※H22年とH27年国勢調査比較)。 この順位は、犠牲者の多さ、住宅再建の遅れなども表しているのでしょう。
(宮城県南三陸町志津川の防災庁舎。
その後ろに見えるのが盛り土で、そこが地面になります。)
また、仮設住宅や公営住宅の立地の悪さから、仕事がない、学校へ通いにくいなどで、流出するのは若い世代が多くなります。そうすると長年暮らしてきてその土地を離れたくない高齢者が残り、高齢化率も高くなります(宮城県内の高齢化率 山元町35.7%(4位)、南三陸町32.0%(9位) ※2015年3/31現在)。 少子高齢化で、地方の将来モデルとしても、今後の復興(町づくり)が期待されています。
特に山元町では、訪問先がデイサービスということもあって、高齢化を肌で感じます。80、90歳超えの利用者さんも数多く見られます。そこで思うのが、もっと鍼灸治療を受けることができればなぁと。治療を受けられた全員の方に感じました。中には、隣町の鍼灸接骨院などに通われている方もおられましたが、近くにはないようです。運動器疾患も少なくないので、その痛みや可動域が改善されるだけで、随分過ごしやすくなるように思います。
また、山元町に限らず、職員さんもかなりの疲労や不調が、見受けられます。痛みやコリはもちろん、動悸、息切れ、高血糖など、内科的な不調が気になります。心臓の反応が強い方も多かったように思います。阪神大震災後も、心疾患、脳卒中などの血管障害などが増えたことは報告されています。なので、定期的に治療を受けてもらいたくなりますが、そういった手段は少ないようです。病院などへのアクセスの悪さは過疎地特有の事情があります。となれば、セルフケアを続けて頂きたいと切に願います。
(お灸を使ったセルフケア教室の様子。)
そんな心配の中にも、復興の兆しを垣間見ることもできました。山元町では、沿岸部沿いにあったJR常磐線が、内陸に移設され、その新駅を周辺に新しい町ができようとしていました。
(山元町新市街地復興まちづくり通信)
(山元町坂元駅の周辺。
この北側には、新しい住宅群が建設途中でした。)
新駅の周りに、道路、住宅、公園などができ、新たな町ができ始めようとしていました。そして、震災前からあった産業、イチゴ栽培も盛んになってきたようです。今回のボランティア中も、「今朝、イチゴの収穫をしてきました」とお話をお伺いしました。その方は腰が悪かったのですが、「今は、かがまなくても収穫できて助かっています」と教えてくれました。従来のように地面に栽培(土耕栽培)ではなく、立ったまま収穫できる高設栽培のようです。他にも温湿度管理、害虫管理など、最先端の栽培技術が導入され、かつてのように重労働ではなくなってきているようです。この山元町には、そういった農業で産業を興こし、雇用も生み、地域を活性化させようとしている会社もあります。
(GRAアグリプラットフォーム / 農業生産法人 株式会社GRA)
被災地に限らず、こういった先端技術を駆使することで、過疎化、高齢化問題を解消する糸口となればと思います。「少子高齢化だからもっと子供を!」よりも、少子高齢化でも存続できる社会を期待します。
ちなみに、この山元町では、箱いっぱいのイチゴをお土産にいただきました。(他の訪問先でも地域の名産など、いろいろお土産をいただきました。) 熟しすぎたり、形が悪かったり、大き過ぎたり、製品にならないものでしたが、味は申し分ない美味しさでした。「東北のイチゴの方が美味しいよ」と地元関西の患者さんにも言われました。傷みやすい果物だけに、現地に行ってこそ食べられる幸せを感じます。またこの時期に伺って、美味しいイチゴをいただきたいと思います!
(森川真二)
はり灸レンジャー、グレー鈴木です。2016年3月、第14回訪問に参加しました。今回は宮城県南三陸町、登米市、山元町、福島県田村市を訪れました。
私自身として、はり灸レンジャーの参加は2014年3月からで今回が4回目。震災直後の悲惨な状況は実際見ることはできなかったですが、2年前に訪れた時のほぼ更地だった場所が次第に変わって行く様子を知ることができています。南三陸町では海岸近くの低地部では盛り土をして土地のかさ上げ工事が進んでいます。前回の訪問時(2015年9月)より更に工事は進み、もう以前の道路や地形がわからない程になっていました。また、南三陸町では(というか多くの被災地が同じ問題を抱えているようですが、)人口の流出が大きな問題になっているようです。特にこの時期、卒業生や新入生の人数を聞くと、改めて実感するようです。個人的にはせめてJR線の復旧が決まれば、、、と願うのですが。
山元町では平地部が多く、南三陸のような盛り土などの工事は見られません。今回は新しい住宅地の整備や建設現場が目につきました。JR常磐線の駅や高架の工事現場も見ることができました。訪問先では名産のイチゴ もいただき、復興に向けての力強さを感じました。
福島県田村市では宿泊先でもお世話になりました東山さんをはじめ、ゆうとぴあのみなさんともたくさんお話しさせていただきました。やはり気になるのは放射線被害ですが、みなさんの話を聞くと”実際どのくらい影響があるのか、色も形も臭いもないのでわからない” というのが正直なところで、不安の中での生活を余儀なくされているようです。原発問題は日本でも世界中でも議論されていて、それぞれの立場でそれぞれの意見がありますが、私も今後注意深く見て行きたいと思います。
震災からちょうど5年ということで、3月11日が近づくとテレビやラジオなどでは各局特集を組んて番組を放送していました。様々なテーマが取り上げられる中、あるラジオでは被災地ボランティアのニーズの変化をレポートした番組がありました。そこではボランティアのニーズはまだまだたくさんあるとした上で、、”これまではマイナスからゼロに戻す支援だったがこれからはゼロからプラスにする支援に変化している” と言っていました。地域のコミュニティや地場産業など元通りにはならないものもあると思いますが、新しい東北がより良い場所になるように願っています。また微力でもそのお手伝いができればうれしいと思います。
今回も受け入れてくださった方々に感謝します。ありがとうございました。
(ケアステーションゆうとぴあ にて)
はり灸レッド舟橋の報告2日目です。
2日目は、宿舎としてお借りしている「奏海の杜」のスタッフさんの治療を午前にしました。
震災から5年、ずっと突っ走ってきたメンバーさんの中には体調不良が常態化している方もいて、懸念されます。震災からこっち、待ったなしで次々と状況に合わせて活動されてきたその疲労が心身ともにピークに達していることが見て取れます。日々忙しいなか、体のケアも不十分になるでしょうから、私たちの訪問が良い機会になったのではないでしょうか。
お昼前に登米市の宿舎を出て、東北道を利用して一路南下、福島県の田村市に向かいました。2015年の秋以来ご縁ができた障がい者団体「ゆうとぴあ」の訪問です。
昨年初めてお邪魔したときは休日だったせいもあってか一部の方がたの治療のみでしたが、今回は知的障害の方など、多くの通所している皆さんの前で簡単なお灸教室を開催できました。通所している方から治療の依頼もあり、ここでも幾人かの治療ができました。
田村市と聞いてもピンとこないかも知れませんが、東へ数十キロいけば双葉町、大熊町、浪江町と福島第一原発の近くです。幸い風向きのかげんで田村市に降り注いだ放射能は比較的少ないとのことですが、生活のなかで折に触れ感じることはあろうかと思います。
昨年の訪問の際にも感じましたが、実際に現地に足を踏み入れる意味はとても大きいです。単にマスコミで報道されている福島県の事情は、「大変だ」と感じながらもどこかしら他人事、遠い地の出来事と感じるのはいなめません。しかし、その地で暮らす人々と実際に縁を結ぶと他人事ではなくなってきます。
こうして、私は一足先に「ゆうとぴあ」さんの最寄駅「船引駅」からローカル線で郡山に出て、3/22(火)夜の新幹線で帰省しました。
今回はレンジャー3人の訪問ということもあり、治療できた数は決して多くはありませんでしたが、その分、いつも以上に丁寧に皆さんの声を聞けました。今回も有意義な訪問でした。
NPOのある職員さんがこう言って下さいました。
「いつも(被災地のことを)忘れずに、こうしていらして頂き本当にありがとうございます」
ありがたい言葉であります。同時に私たちの活動はそういったNPOの皆さんの支えなしには根無し草になってしまいます。お礼を言うのはこちらの方です。遅ればせながら、今回、いろいろ現地で調整して下さった皆さん、治療を受けて下さった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。そして、また秋にお目にかかりましょう!
2016年3月のお彼岸連休を利用して、はり灸レンジャー第14回目の訪問治療を行ないました。
今回、わたし舟橋(はり灸レッド)は、往復新幹線を利用し、1泊2日のショート訪問でした。
初日、3/21(日)に宮城県の北部にある「くりこま高原」駅で他のメンバーと合流し、レンタカーでまず南三陸町に向かいました。
治療まで少し時間があったので、まずは復興工事に湧き立つ沿岸部の様子を見ることにしました。津波にかぶった沿岸部は危険区域ということで居住は許されません。この1~2年、すさまじい勢いで盛り土工事が行なわれ、道路も以前より高いところを通っているので、不思議な感覚に襲われます。
沿岸部から少し北上し、当時避難所になったベイサイドアリーナの近辺では、新しい医療センターも台湾の義捐金を原資に竣工し、また5~6階建てに見える復興住宅も建設のピークを迎えています。被災自治体のなかで、住宅再建がかなり遅れていた南三陸町もようやくゴールが見えてきたか、という感じがします。
治療は、沿岸部からかなり入った里山にある「入谷福祉型仮設」で行ないました。この福祉仮設とのおつきあいは本当に長く、2011年の秋以来、10数度の訪問になるのではないでしょうか。
以前は平屋で2棟あった福祉仮設ですが、入居者の方々も徐々に引っ越しをされ、現在は1棟しか使用していません。それもつい最近まで入居者数が5人になっていたそうですが、つい最近、他の福祉仮設から移動してきたお年寄りが3名いらっしゃり、現在は8名です。そのうちのお一人の治療を舟橋が実施しました。
新しい環境に戸惑いながらも私たちの治療を受け入れて下さり、個人的には嬉しく思いました。この方が以前に入っていた仮設住宅は、南三陸町のお隣にある登米市の南方(みなみがた)仮設です。統廃合によって南方の福祉仮設は閉鎖されたのです。そこは街中なので、接骨院もあるし、散歩もしやすい地域ですが、いま住んでいるここ入谷仮設は周囲にお店もなくさみしそうでした。なによりお年を召した方がたにとって環境の変化はこたえると思われます。今回、高台移転や道路工事など目に見えて変わりゆく町と対比され印象に残った治療でした。
ところで、この入谷福祉仮設は現在、NPO法人「奏海の杜」(かなみのもり)さんが町から委託を受けて運営しています。
奏海の杜さんとのつきあいも4年半になり、いつも登米市の事務所では宿泊のお世話になっています。震災後、小さなグループから始まった活動が、こうしてNPO法人として委託事業を受けるまでの組織になったことに応援団の一人として本当に嬉しく思います。
「奏海の杜(かなみのもり)」ブログ
今回はメンバーが少ないながらも、じっくり治療ができ、お話もお伺いすることができました。
セルフケアの推進として、お灸教室も開催しました。
自分で簡単にできるお灸にも興味を持って下さったようで、またこのような機会を増やしていきたいと思います。
震災から5年経た被災地の様子を目にすることもできました。
新しい道路、駅、復興住宅、そして町もできようとしていましたが、未だ仮設住宅暮らしの職員さんや、放射能の見えない恐怖におびえる方もおられました。
微々たる力ですが、はり灸レンジャーの活動も引き続き継続していきたいと思いました。
【活動概要】
3月21日(月)
午後 【宮城県 南三陸町】
入谷福祉仮設 職員、利用者に鍼灸施術(7人)
(南三陸町 入谷福祉仮設 鍼灸施術)
3月22日(火)
午前 【宮城県 登米市】
NPO法人奏海の杜 職員に鍼灸施術(3人)
午後 【福島県 田村市】
NPO法人ゆうとぴあ 職員、利用者に、お灸教室(大勢)、鍼灸施術(6人)
(田村市 ケアステーションゆうとぴあ お灸教室)
3月23日(水)
【宮城県 山元町】
NPO法人ささえ愛山元 職員・利用者に、鍼灸施術(9人)
(山元町 坂元新駅周辺 )
個々の参加メンバーの感想などは、順次投稿いたします。
東北大震災からまもなく5年。
健康への不安に少しでも役立てば幸いです。
また季節の変わり目で体調も崩しやすいお彼岸に訪問させていただきます。
<日程>
2016年3月21日(月・祝)~3月23日(水)
<メンバー>
舟橋 寛延 (鍼灸師・サンリ治療院 院長)
鈴木 一成 (鍼灸あマ師・十四堂鍼灸院 院長)
森川 真二 (鍼灸師・SORA鍼灸院 院長)
<日程>
3月21日(月)
午後 【宮城県 南三陸町】 鍼灸施術 (NPO法人奏海の杜)
3月22日(火)
午前 【宮城県 南三陸町】 鍼灸施術 (NPO法人奏海の杜)
午後 【福島県 田村市】 鍼灸施術・お灸教室 (NPO法人ゆうとぴあ)
3月23日(水)
午前 【宮城県 山元町】 鍼灸施術・お灸教室 (NPO法人ささえ愛山元)