鍼灸ボランティアを通して東北を引き寄せる

はじめまして!このたび、はり灸レンジャー・はり灸ブラックを拝命いたしました、岡本悠馬です。
第8回のはり灸レンジャーからの参加となります。

5/2(木)大阪→仙台へ

4月12日に就航したばかりのLCC(格安航空会社)、ピーチ・アビエーションで関空から仙台へ飛びました。

東北へ行くのは初めてだったので、初日は東北大学に留学している中国人の友人に連れられて、市内を散策しました。

この友人とはもう8年近い付き合いになります。
私が中国の広州に留学していたとき、彼はその留学先の大学で日本語を専攻していました。
大学の先生の紹介で知り合い、日本語と中国語の交換学習をしていました。それ以降も日中を行き来しつつ、ずっと交流が続いています。

2011年、彼が仙台に行く直前に東日本大震災が起こりました。

周囲の反対もあったようですが、1カ月遅れで来日し、研究生を経て現在は大学院で学んでいます。友人から、当時の市内の様子などを聞かされながら、自転車で市内各所を巡りました。

5/3(金)南三陸町

ボランティア初日。

仙台駅で他のメンバーと合流し、初日の目的地である南三陸町へ向かいました。

「このあたりから津波の被害があった地域ですよ」と言われて初めてハッとしました。
がれきはあらかた撤去され、平らな地面が広がっていました。
ここが以前どんな街だったのか、わずかに残っている建物や、家屋の基礎部分などを見て、想像をふくらませるしかありません。
「ここであの大津波が起こったんだ」と、半ば自分に言い聞かせなければ想像できない、実感としてとらえきれないもどかしさがありました。

震災のむごさを思い知らせるのは、更地の真ん中にポツンと佇む防災庁舎です。
赤い鉄骨だけになった3階建ての庁舎からはパイプが垂れ下がり、風に吹かれてきしんだ音を立てていました。ねじ曲がった非常階段の手すりが、水圧の激しさを物語っています。

玄関だったところには祭壇が設けられ、献花、黙祷をする人たちが次々と訪れていました。

南三陸では、現地の職員さんのご自宅で鍼灸治療を行いました。

他のメンバーはすでに何度か訪れているということで、親戚の家にやってきたような、なごやかな雰囲気の中で治療が行われていました。

治療後はお茶とお菓子を頂き、こちらのお家が養殖しているワカメまで頂いてしまいました。

帰宅してからも味噌汁などに入れて、美味しく食べています(たくさん頂いたのでまだ残っています)。

5/4(土)登米市 南方仮設住宅

南三陸町の隣、登米市にある南方仮設住宅にて治療を行いました。350戸という、最大規模の仮設住宅です。

90歳を超えて仮設住宅で一人暮らしをされている方、ボランティア組織の職員の方など、10人近い方を治療しました。

限られた治療時間で、普段の治療とは異なる環境に慣れるのに少し時間を要しました。
もう少しお話ができたらと思ったのですが、とにかくここでは体のケアに集中することにしました。

5/5(日)南三陸町 入谷福祉型仮設

前日訪れた南方仮設は登米市の市街地近くにあります。周辺にはコンビニなどもあり、比較的便のいい場所です。
この日訪れたのは、前日とはうってかわって、山あいにある小さな仮説住宅です。風景の美しい場所でした。

舟橋先生の記事にもあるとおり、ここへの慰問やボランティア団体の訪問は皆無だということです。だからこそ、私たちのように、大がかりな設備や機器も要さない小回りの効くグループが役に立てます。

治療は午前中に10人ほど行い、本日程は終了となりました。

午後は気仙沼市へと向かいました。
5日と6日には現地に住む友人やご家族の治療を行い、地元の状況について事情をお聞かせ頂きました。
気仙沼市内にも90カ所以上の仮設住宅があり、鍼灸で役に立てることは数多くありそうです。

「大海の一滴」ではありますが、今後も息の長い活動として、参加していくつもりです。

市内で一泊して仙台に戻り、5/7(火)の夜の便で関西に戻りました。

今回の東北行き、私はゴールデンウィークの真ん中を外したので、航空券代は往復で1万2000円程度に抑えることができました。

時期によって変動しますが、片道12時間程度かかる高速バスと同程度の価格ですから、今後は関西から東北へ行くには、LCCが第一選択になるでしょう。
飛行時間も約1時間半と、ウトウトしているうちに到着してしまいました。

座席も往復ともに満席だったようで、関西にとって東北が少しでも身近になったことを嬉しく思っています。

(岡本)

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