宮城へ

こんにちは。岐阜の吉村美陽子です。

今回、震災からほぼ2年が経った宮城へ行かせていただきました。
約半年ぶりの再会を果たしてきました。
前回ほどの緊張はなく、なじみの場所に来れたという感覚でした。
宮城が自分にとって、身近な場所であると感じられました。

しかし、私自身の心は、ギャップも感じていました。自分が普段送っている日々と、あまりにも目に見える光景が違っていました。岐阜での生活を送る私が普段目にしているものが当たり前になり、宮城を想像すること、思うことが少なくなっていたからでしょう。

初日、夜行バスで仙台駅に着いた私たちは、駅からレンタカーで南三陸町に向かいました。
南三陸町で山の下のほうの木が枯れているのが見えたとき、家のない海まで広がる土地を見たとき、
悲しい気持ちになりました。この気持ちが、心をひきつけ、心をよせるきっかけになると感じました。
自然に湧き上がる気持ちが、行動の動機づけになると感じました。

ギャップで自分の至らなさを感じましたが、だからこそ、改めて被災地に心が向きました。

私の目に映るものが、ただの一面にすぎないとしても、そこから感じたものが行動へのエネルギーになりますから、直接行かせていただけることは本当にありがたいことです。

実際に被災地が抱えている問題というのは、なかなか想像できません。
関心が向かなければなおさらです。

震災をどう生かすのかが本当に大切なことだと思います。
ただの出来事にしないこと。
そして、そこに生きる人々を思う心。感じる心がすごく大事だと思います。

もっと多くの目が向いたらなと思います。そしてそのためにはまず私が発信していきたいとおもいます。
身近な人に、少しずつどんどんと。

山内さんにお会いして、防潮堤や街づくりについてお話をを聞かせていただき、ものすごく関心がわいたので、現在調べている最中です。

今感じることは、「お金の使い方」を決める人々の視野の偏りです。

防潮堤建設に関しては、費用対効果の疑問、自然環境破壊、漁業や景観への影響などの問題があるようです。
防潮堤が「最善の策」であるから建設されるのでしょうか?なにの最善なのでしょうか。

様々な分野の人が防潮堤に関しての意見をもつことで、議論が成熟していきます。
いろいろな面からみることで、形が変わっていきます。
建設がなくなることがないとしても、建設に関して生じた様々な動きは、自然の中で人間が生きているということを感じる心を育てると思います。
コンクリートの壁をつくることから、自然との付き合い方、向き合い方を考えることにシフトできたらいいなと思います。
自然とともに生きているという事実を純粋に感じる人々の力がもう少し大きくなってくると、大きなものも動かせると思いますが、その難しさも防潮堤の問題を通じてよく勉強していきたいと思います。

話をもとに戻しますが、今回私は治療を受けられている方々にローラーをするという大役をいただきました。
何名かの方にローラーをしたことで、ローラーへの愛着が湧き、自分へのローラーも以前よりやるようになりました。

舟橋先生と吉村先生の施術の様子を見ながら、次に治療を受けられる方を案内するということも任せていただいたのですが、話に聴きこんでしまい、スムーズな治療を行うためのお役にたつことができなかった部分がありました。改めて、自分の性質を実感しました。どっぷりと話に入り込むのが好きなのですね。でもそれは視野の狭さを表すので、気を付けたいと思いました。話をきくことは、話す人が気持ちを整理できたり、心の安定にも貢献できると思うので、広い視野をもちながら、話を聞くことを楽しみたいと思います。

今回お会いすることができたある方から、「喪失や悲しみから、喜びや楽しさを生み出した」姿を見せていいただくことができ、大変感動いたしました。
出来事への向き合い方は人それぞれ違いますし時間とともに変化していきますが、出来事をどう生かすかに関して、その方の姿は心にぐっときました。私自身のありたい姿だと改めて感じました。

今回も多くのことを感じさせていただいた宮城への訪問、本当にありがとうございました。

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