先日に引き続き、報告をいたします。
7/15(日)の朝、お世話になっている登米市の地域拠点に職員さんが迎えにきて下さりました。
登米市は南三陸町と隣接していて、被災した多くの方々が仮設住宅での避難生活を余儀なくされています。
ここでお世話になったのは、
「被災地障がい者センター・南三陸」の皆さんです。
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http://blog.canpan.info/hsc_kenpoku/
三人の職員さんは、皆さん南三陸町のご出身です。
今は登米市に拠点をかまえていますが、
「いつか、きっと、みんなで南三陸に帰るぞ!」
という思いで活動をされています。
さて、職員のAさんのご案内で、南三陸町に入ります。
通いなれた風景ですが、徐々に変化もありました。
例えば、有名な志津川病院は取り壊しが始まっていました。
また、廃墟となった防災庁舎には、慰霊の方々がバスを連ねていらしています。
変わっていく風景の中で、なにを残し、新しいものをつくるか、正念場にさしかかっていることが見てとれます。
とある家庭にて鍼灸治療を実施しました。
このお宅は津波を被害をからくも逃れたのですが、震災後、70代のお母さんは脳梗塞を起こしてしまったとのこと。
マヒは改善されているのですが、足腰に痛みがあって起き上がれないのです。
前回、5月の訪問時に初めてお目にかかり、その際も
「次にまた来ますので、なんとか歩けるようになりましょうね!」
とお約束しましたので、再訪したわけです。
すぐに完全にはならなくとも、少しずつ前向きに生活ができるよう、機会を見つけてお邪魔したいと思います。
このお母さんのご主人さんや、お姑さん、ご近所の方など5名の治療を終え、日中の治療は一旦終了しました。
夕方は、南三陸復興ステーション(宮城大学)に寄り、地元のご出身でもあり新進気鋭の学者さん、山内明美さんとお話しできました。
次回に報告します。
(つづく)