3/19(月・祝)
地元の商店街で揺れを感じた話。
ボランティアの最中、震度2~3の揺れに襲われることがしばしばあります。
2011年5月、最初に仙台市内に入った日、
避難所になっているコミュニティセンターで障がい児と遊んでいたら、
震度3ぐらいのそれもかなり長い揺れを感じました。
子どもたちは「こわい!」と叫びますし、こちらも真っ青になりました。
幸い何事もなかったのですが、しばらく避難所の雰囲気はザワザワしていました。
2011年9月の際も宮城県北部の登米市というところのボランティア宿舎で眠っていた早朝、
震度2ぐらい?の揺れがあり飛び起きました。
そして今回2012年3月です。
幸い活動中は震度2以上のものは無かったようですが、
先日レポートした山元町でちょっと買い物に立ち寄ったお店で地震がありました。
しかし、私は鈍感なのか気づきませんでした。
清水さんはなんだかユラユラしているな~と感じたそうです。
お店のおじさんが、「揺れているね~」と言うので気づきました。
地元の方々はかなり敏感になられています。
それはそうですね。
NHKスペシャルで地震の特番を見ると昨年3月以降の地震の多さに驚きます。
薄気味わるいものです。
実は今回も東北に行く直前に関東で震度5の地震がありました。
コンビニの監視カメラの映像が何度も流れていましたね。
店員さんが逃げまどい、ガラス瓶が倒れる様子。
間もなく6歳になる私の息子は、初めて私の東北行きを止めました・・・
家族の心中を考えるとやるせないです。
ところでその小さなスーパーは常磐線の駅「山下駅」で線路も含めて全壊です。
その駅前のスーパーでスーパーを営んでいらっしゃいます。
問題は今後のJRの線路のつけかえだそうです。
津波の被害を想定しより内陸側につけかえようという動きがあるそうです。
そのことは私も以前新聞記事で読みました。
しかし、そういった決定が地元の方々の合意のもとか、というとそうでもないようです。
JRや行政、地権者の方々など様々な思惑もあります。
思えば1995年の阪神淡路大震災の際も直後に行政が拙速に区画整理の計画を発表し
住民の大きな反発をくらったのでした。
民主主義とは元来時間や手間ひまのかかるものです。
地元の方々が自由に発言し、再び住みやすい町になるよう願っています。
(舟橋)