三日目 9/22(火・祝)
いよいよ最終日は福島県。今回は初訪問の田村市です。
福島県は大きく三つの地域に分かれます。
すわなち、内陸側から会津地方、中通り、浜通りの三地域です。
そのうち、原発事故で甚大な被害を負ったのが浜通りで、今回訪れた田村市は浜通りと中通りの間にある丘陵地に位置しています。
ちなみに原発事故の報道でしばしば聞く川内村や大熊町とも境を接しているというロケーションです。
今回、初めて訪問したのが特定非営利法人「ケアステーションゆうとぴあ」さんです。
出迎えて下さった障がい者メンバーは、どなたも地域での長い活動歴のつわものばかり。親元や施設で暮らすことを拒否し、地域での生活を選択した方々です。
脳性マヒという障害の特性もあり、治療するとお体の緊張が伝わってきます。
普通に暮らすことさえ、心身ともに苦労があろう皆さんですが、そこに福島第一原発事故の余波が襲っています。
田村市は比較的、放射能の濃度が低いとされていますが、場所によっては高い数値も検出されるそうです。
よく言われることですが、目にも見えず、味も匂いもしない放射能に包まれて生きることがどれほどのストレスであるか・・・それは実際にかの地で生活していないものには想像しにくいものです。
鍼灸治療をしながら、体を通して知る被災地のしんどさに胸を打たれたました。
治療後は、近所の食堂でお昼をごちそうになり、さらに健常者スタッフの方の運転で田村市の東側にあたる都路(みやこじ)地区へ視察の案内をしていただきました。
先日、ライトグリーン坂口先生の原稿にあったように、そこで目の当たりにする除染作業の実際や、浮遊している放射能の話、地域の裏話などは衝撃的です。
メディアを介して知る福島は、しょせん他人事のように感じてしまいます。
しかし、縁ができ、じかにおつきあいすることになった○○さん、△△さんにとっての苦悩は、胸に迫ってくるのです。
今後も是非、田村市を訪問し、末永いおつきあいをしたいと決意して今回の活動を終えました。
私は3.11の後、仲間を募り、何度も何度も東北に足を運んできました。
継続している原動力は何か?と問われれば、被災地で奮闘する人びとの姿に魅了されていると言えます。
あれだけの被害を受けながらも、家族や仲間、地域のために尽力する人びとやNPO、障害当事者。
多数派として声を上げにくい障がい者やお年寄りに寄り添い、日々の営みを構築しつつ、新たな未来へ向かって歩む人びと。
彼らに会うために私はこれから何度でも東北への道をたどるでしょう。