新しいかたちの活動で

はり灸レンジャーイエロー清水です。

皆でコツコツ行ってきた訪問活動も今回で13回目となりました。
震災から日々が経ち、訪問先の被災地の状況も変わっていく中、
私たちはり灸レンジャーは「はり灸で応援する」という方針はそのままに、
訪問先の状況に応じて少しずつ形を変えながら支援を続けてきました。

今までは仮設住宅を中心にお訪ねし、そこに住む方達を中心にはり灸治療を行ってましたが、
今回最初に訪れた宮城県石巻市では、初の屋外ブース出店という形での治療を行いました。

出店先は、被災地障がい者センター石巻の皆さんが中心となって開催したイベント「にょっきりフェスタin石巻」。

障がい当事者と地域の方達との交流の場をつくろう、というコンセプト通り、
来場者は障がいを持つ方、そのご家族、ふらりと遊びに来られた一般の方などなど。
開催地の石巻市だけでなく、仙台市や県外の方などたくさんの方達に治療をさせていただきました。

今回も沢山の方に治療をさせていただきながらお話を伺う中、気づいたことがありました。
はり灸レンジャーの活動を始めた震災が起こった2011年から昨年頃までは、
治療を行っていると必ず震災(私たちが伺った場所の皆さんの多くは「津波」とおっしゃいます)のお話が出てきました。
これについては私たちが外部ボランティアであるからお話して下さるという部分も大きいのだと思いますが…ご自身のお身体の事、心のこと、お仕事についてなどを説明していただく際に、この大きな災害についてのエピソードは必ず登場し、この事抜きに語ることは出来ない。
それほどの衝撃であり、それまでの生活を大きく変えてしまった出来事であるという事がお話を聞くたびにひしひしと感じられました。

今回治療させていただいた方達は、家族の悩み、お仕事に関する悩みなどがお話の中心でした。
けれど、会話のなかに「あの津波」の前と後というかたちでご自身の生活の変容についての話がでてきたり、
今のお住まいはどこか、とうかがうと「みなし仮設のアパートに今も住んでいるよ」とさらりと言われたり。
分かっているつもりでお話を伺っているにもかかわらず、そういった形で当たり前のように震災についてのお話が出てくることに改めてどきっとする瞬間がありました。

あの震災から4年半。津波によって壊されたものの多くはすっかり取り除かれ、よそから来た人間がパッと見た限りでは何事もなかったように見える風景も増えてきました。
しかし、津波で町が壊れて大きく変わってしまった事実は無くならないのと同じように、震災によって起こったさまざまな爪痕はそこに住む方達に確固とした影響を今も与えているのだな…と感じました。

けれど、震災をきっかけに新しく生まれた出来事や人間関係はたくさんあります。
そして、これからもっと増えていくのでしょう。
その象徴のようなにょっきりフェスタに、今回はり灸レンジャーとして関わることが出来たことをとても嬉しく思いました。

にょっきりフェスタ実行委員の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました!

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