地域に開かれたささえ愛山元町

はり灸レンジャー・レッド舟橋です。
第10回目の訪問では後半、森川さんと舟橋の二人で宮城県南部の山元町にお邪魔しました。
ここのNPO法人「ささえ愛山元」さんとのおつきあいも長くなったものです。
http://sasae-i.org/

昨年2013年の秋に沿岸部から高台に移転した「ささえ愛」さんの新しい事業所に着いたのは3月24日の夜でした。
中村理事長自らお迎えして下さり、ご飯や味噌汁までごちそうになってしまったのです。

お年寄りが通うデイサービスの場所なので、広い空間があり、お言葉に甘えて一泊させてもらいました。
翌日は朝から通ってくる利用者さん、ご近所の方々、職員さんに次々と治療を施していきます。
この前の日までは鍼灸師やナース6人体制で余裕があったのですが、この時はレッド(舟橋)とブルー(森川さん)の二人だけ。
汗をかきかき頑張らせてもらいました。
二人の鍼灸師で午前いっぱいかかって15人の治療が出来ました。
ここ山元町は漁業以外に豊かな土地を利用してイチゴやブドウ栽培が有名です。
そういた土地柄のせいか、ささえ愛に通ってくるお年寄りたちもみなさん土の香りのする働き者の印象です。
腰が曲がっている人がおおく、90歳をこえても何かしら農作業なりの生産活動に取り組んでいる姿に感銘を受けます。

さて、結局、二人のレンジャーは一宿一飯でどとまらず、一宿三飯のお世話になってしまいました。
「ささえ愛山元」の中村理事長はユーモアとカリスマ性のある素晴らしい方です。
知らず知らずのうちに多くの仲間を巻き込むパワーがあるように見受けます。

写真は地元紙・河北新報にちょうど掲載されたもので、移転する前の「ささえ愛山元」の拠点を開放して地域の公民館のように使ってもらっている様子です。
アイデアを出し、さまざまな趣味の会などを実施し、自宅に引きこもりがちなお年寄りとの交流サロンの場に活用しているようです。
一見豪快な中村理事長ですが、同時に繊細な感覚で集まった人びとに気配りしている様子に感嘆します。
そして、そういったパワーある理事長の脇をしっかり固めているスタッフの方々の努力には脱帽するところです。

中村理事長から尋ねられました。
「うちにも他からいろいろボランティアさんが来て下さっていて、中には震災から3周年ということで区切りをつけるグループもあるけど、はり灸レンジャーさんはどうなの?」

答えは「継続」です。

はり灸レンジャーは小さな団体ですから形式ばった総会とかありません。
中心メンバー4~6人前後で意思確認をしながら機動的に効率的に、そして無理のないように活動を続けたいと思っています。
そして、2014年春の段階で、東北通いを終了させようという気持ちにはなれません。

メディアの取材の際などによく私は語るのですが、縁ができた東北の方々は遠い親戚のように感じます。
いつもいつも気にかけているとまでは言えませんが、折にふれ思い出す。
そして、出来ることをしたい。
一方的に支援しているという感覚もさほどありません。
私たち自身が活動を通じて多くのことを学ばせてもらっています。
そして、社会学者・山内明美さんが言うように東北は今回の震災によって再びフロンティアという場に立たされてしまったのです。
今後の復興の道のりにほんの少しでも寄り添って、見届けていきたいと個人的には強く思っています。

(舟橋)

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