第5回熊本訪問活動概要

もうすぐ震災から2年が経過する熊本。
桜が咲いているところも多く見かけましたが、花冷えの折、寒暖差も厳しく感じました。

震災後5回目となる訪問では、住宅や店舗を再建された方もおられる一方、仮設住宅を出ていく目途が立っていない方もおられ、復興の差も感じました。

一日目 3/21(水・祝)
(甲佐 雨 最高 12.2℃ / 最低 8.6℃)

今回初参加の鍼灸師も加わったメンバー5名が、熊本駅に集合。
改装途中の駅舎に、これまで訪問してきたメンバーも違和感を感じます。

レンタカー2台に分かれ、まずは熊本市内の鍼灸院へ。
鍼灸地域支援ネットを通じてこれまでの訪問でもお世話になった先生に、今回もポータブルベッドを1台貸して頂きました。
いろんな方々のご協力ご支援を得て、この活動も成り立っています。

その後、御船町の地域の食堂へ向かいます。
こちらも震災直後に支援に入っていたレスキューストックヤード(RSY)を通じてご縁を頂いた、地域の拠点とも言える場所です。

自宅、家族、親族、職場などに震災の影響を受けられた方、またその方たちを支援する方など、何かしらご縁のある人たちが集まられました。
仮設団地のコミュニティとは違って、住居は失っていなくとも、こうして集まり合える場や機会があるというのは、地域の方々の努力があってこそだと思います。
その分、非日常の生活もあってか、お身体の不調も多数、見受けられました。
こういった方々にこそ、鍼灸は必要なのだと思います。

治療前後には、被災された町の様子、復興されていく様子、地域の魅力なども、案内して頂きました。
「震災があって、この町が好きになった」という言葉が印象的でした。

私たちも、震災があるまでは全く知らなかったこの地域のことを知り、ご縁が出来ました。
これからもこの活動を通して、またさらに知っていきたいと思います。

計 23人施術

二日目 3/22(木)
(南阿蘇 曇 最高 7.6℃ / 最低 -0.2℃)

この日も時折冷たい雨に降られ、寒さも厳しい一日でした。
しかも、この日に訪問した南阿蘇は標高の高い所にあり、山頂には雪が降り積もっていました。

この日は終日、「南阿蘇ケアサービス」での活動でした。
今回で3回目の訪問となります。
ここには施設がいくつか集まっていますので、メンバー各々が別れて、利用者さんをはじめ職員の方々に施術を行なっていきます。
お身体の様子を拝見すると、職員の皆さんの疲労度が伝わってきます。
多くの職員さんがおっしゃられていたのは、「鍼灸院が近くにあればいいのに…」。
鍼灸が初めての方も多かったですが、気に入って貰えることは、嬉しい限りです。
もっと頻繁に受けて頂けると良いのですが、そこはセルフケアの方法もしっかりお伝えしていきます。

いつも「南阿蘇」の様子を見て帰りたいと思うのですが、活動に入るとギリギリまで治療に時間をかけたくなるのが毎度のことで、止むを得ないかと思うようにもなりました。

計 34人施術

三日目 3/23(金)
(甲佐 晴 最高 15.5℃ / 最低 1.3℃)

この日から鍼灸師メンバーは3名に。
御船町にある「旧七滝中仮設団地」を訪れます。
熊本では最多の4回目の訪問となります。
こちらもRSYのご縁と、山間部にあり、ボランティアも入りにくい地域ということで、活動を続けています。

元々、戸数の少ない小規模仮設団地ですが、2年経って出て行かれる方もおられ、残った方は寂しく思われていました。
ただ、あくまで「仮設住宅」です。
東北でもそうですが、長期間暮らしていると、ハード面、ソフト面、ともに無理を感じられてきます。

こちらは平日の午前中ということもあり、来られる人はごくわずかです。
その分、施術、セルフケアの指導にも、力が入ります。
多くの人に提供することも大切ですが、ご縁でこういった支援もあるのかなと感じます。

計 7人施術

今回の訪問も、短期間でバタバタとしてしまいましたが、とても濃い活動でした。
被災地支援ではありますが、私たちも貴重な経験をさせて貰っています。
地元に戻って被災地の様子を伝えていかねばならないですし、どこで起こってもおかしくない自然災害、他人ごととは思わず支え合う気持ちを忘れずにいたいと思います。

これからも、必要とされる限り、お互いに無理のないように、ずっと訪問を続けていきたいと思います。

第5回熊本訪問
計 64人施術

(ブルー 森川真二)

第5回熊本訪問日程

東北の震災から7年が経ちました。
私たちの活動はそこから始まりました。
もう7年、まだ7年、いろんな思いが、被災地の方の知らせから伝わってきます。
次の東北への訪問は、秋頃に予定しています。
詳細はまた後日投稿します。

その前に、熊本への訪問が決まりました。(お知らせ遅くなりました。)
今回もこれまで関係を築くことのできた地域へとお伺いさせて頂きます。
よろしくお願い致します。

3月21日(水・祝) 御船町 地域の食堂
3月22日(木) 南阿蘇村 南阿蘇ケアサービス
3月23日(金) 御船町 旧七滝中仮設団地

(森川真二)

交流祭の楽しみ

毎年11月23日の祝日に大阪長居公園で開かれているイベント。
個人的には毎回遊びに出かけていましたが、今回は、はり灸レンジャーとして初めて出展しました。
会場は屋外ですし、寒さも気になりましたが、22人の方に鍼灸を体験して頂きました。

前日の雨で足元がぬかるみ、寒風の吹く中でしたので、お天気ならもう少し客足も伸びたはず?
施術のことや被災者の方との交流は他のメンバーも書かれているので、一お客さんとして楽しんだことを(笑)

このイベントのテーマは、「⇔ 双方向」です。
復興支援の一環ではありますが、一方的な支援ではなく、お互いが生活や文化を尊重しあえるようになることも、この交流祭の願いなのです。
ということで、施術の合間にしっかり楽しみました。

当日は、地元関西、そして東北や九州から50を超える団体がブースを出展していて、美味しい食べ物やご当地グッズ、手作り品など、お手頃で素敵な商品が沢山あります。

今年購入した戦利品は、毎年楽しみにしている東北「千寿(ちじゅ)の会」さんの手芸品、大阪「こさり」さんのパンとお菓子、滋賀「つるや」さんのサラダパンとラスク、そしてステンレスのお皿!

サラダパン
(滋賀で有名なご当地パン)

娘が見つけて大興奮だったお皿は一枚200円。
いろいろな種類があり、高いものでも500円。
はり灸レンジャーのメンバーも次々に買ってしまったこのお皿、我が家は2枚も購入してしまいました(笑)
購入してからというもの、毎食この状態で食卓にのぼっております。

銀の皿

娘は「このお皿大好きすぎる~」と皿を抱きしめたり、磨いたり、満喫している様子。
楽しい買い物でした。
さて、来年はどんな掘り出し物があるでしょう。
できればもう少し暖かい祝日になりますように。

(森川彩子)

交流祭に参加して思い出したもの

こんにちは、はり灸レンジャーイエロー清水です。
先日大阪長居公園で開催された『第8回 東北↔︎関西↔︎九州ポジティブ生活文化交流祭』にスタッフとして参加させていただきました。
今年は諸事情により東北、熊本での活動には参加できなかったため、今年初めてのレンジャー活動。
ドキドキでしたが、たくさんの方に喜んでもらえる治療が出来たと思います。
特に今回のようなイベントでは、普段はり灸治療とはご縁のない方も気軽に来て下さいます。

最初はこわごわ…でいらした方達の治療の後のスッキリしたお顔、ベッドから起き上がるときの動きが軽やかになっている姿をみて、東北の仮設住宅や熊本の避難所の一角をお借りして治療したときのことを思い出しました。
あの時も、はり灸治療が初めてという方たちにたくさん治療させていただいたなぁ。

スタッフとして、またお客様として交流祭に来ていた現地の方たちと再会できたのも嬉しい出来事。
お元気な姿を見るとホッとします。

はり灸レンジャーの活動は7年目。
活動を通して関わってきたたくさんの方たちとの繋がり、積み上げてきた経験、そして時間を感じられた1日でした。

参加できて良かったです!

第8回 東北↔︎関西↔︎九州ポジティブ生活文化交流祭に参加して

被災地と関西を繋ぐイベントが毎年大阪で開催されている事は知っていたものの、参加させていただくのは初めてでした。

はり灸レンジャーが、3.11以来継続してボランティアに伺っている東北の方々と再会し、お元気そうなお顔を拝見出来た事が何よりも嬉しかったです。

熊本で起きた震災以来、私は熊本へボランティアに伺う機会が多かったので、南三陸や石巻でお世話になった方々とお会いするのは久しぶりでした。

被災地の様子を伺うと、私が最後に訪れた昨年の春とは全く様変わりされた様で…
最近ではあまりマスコミの報道でも取り上げられなくなった被災地の、生の声を聞かせていただけたのは大変貴重な機会でした。

沿岸部では防波堤の嵩上げ工事も終了し、ハコモノやインフラ整備もほぼ完了し、新しく生まれ変わった街の再スタート…

でも、若い世代の人口流出は深刻な問題の様です。

ボランティア活動で関わった方々と、復興されてからも継続してお会い出来るこのポジティブ生活文化交流祭。
本当に素敵なお祭りだなぁと思いました。

また、関西地区で色々な形で障がいのある方々を支援されているNPOの方々とも新たに出会い交流出来ましたし、普段はお会いする事のない一般の方々とも治療を通じて色々なお話しをさせていただけ、大変有意義な時間でした。

来年も、また参加させていただきたいと思います。
ありがとうございました!

(西井)

はり灸レンジャーは、入口本部のすぐ横です!

いよいよ今週です!
お天気も何とか雨でない予報。
(前日が雨で少しあやしいですが…)
当日は鍼灸師が6名も集合予定!

そして、はり灸レンジャーのテントの位置がわかりました。
時計台のある入口すぐにある本部のテントのすぐ横です!
(本部のテントは赤白のストライプらしいです。)

ポジティブ交流祭2017年見取図
(見えにくいですが、水色がはり灸レンジャーです。)

お祭りを楽しんだ後に休まれるもよし、
美顔鍼で顔を整えてからお祭りを楽しむもよし、
食べ過ぎて胃腸をすっきりされに来るのもよし、
皆さんのお越しをお待ちしております!

ずーっと続けてく被災障害者支援イベント
第8回 東北⇔関西⇔九州ポジティブ生活文化交流祭

【日時】 2017年11月23日(木・祝)11:00~16:00
【場所】 大阪長居公園 自由広場

詳細は下記ホームページへ↓
http://tohoku-kansai.seesaa.net/

(森川)

第8回 東北⇔関西⇔九州ポジティブ生活文化交流祭

「はり灸レンジャー」のきっかけは、3.11 東日本大震災。
被災障害者支援団体「ゆめ風基金」が支援するボランティア活動から始まりました。
そのご縁もあって、これまで多くの障害者支援団体と関わらせて頂きました。

その団体も参加されるイベントが、毎年「関西」であります。
「東北」の被災障害者救援活動の一つとして、2011年の震災後、開催されてきました。
昨年は熊本地震を受け、「九州」も加わりました。

それが、
「東北⇔関西⇔九州ポジティブ生活文化交流祭」。
今年で8回目になります。
(2012年は2回あったので8回目)

これまではメンバーが各々参加はしていましたが、今年は「はり灸レンジャー」として出展します!

これまで多くの被災地訪問を続けてきましたが、今一度、この地元でもできる支援はないかと考えた結果、このポジティブ交流祭に参加することになりました。

被災地の避難所や仮設住宅の集会所で行なってきたように、簡易ベッドや椅子を設置し(車椅子のままでも大丈夫です)、鍼灸治療と自分でできるセルフケアの方法やポイントもお伝えしていきます。
(今回は特別『美顔鍼コース』も予定しています!)

但し、被災地では無償で行なってきましたが、今回は料金を頂きます。
セルフケア用品(ローラー鍼、せんねん灸等)も、販売いたします。
そして、その売り上げから、被災障害者の支援として使われる「ゆめ風基金」へと募金させて頂きます。

当日は他に40以上もの団体が、出展されています。
東北、熊本で、被災された団体も来られます。
グッズの販売や、食べ物の販売もあります!
子ども向けのコーナーもあります!

ご都合のつく方、是非お越しになられてください!!!

ずーっと続けてく被災障害者支援イベント
第8回 東北⇔関西⇔九州ポジティブ生活文化交流祭

【日時】 2017年11月23日(木・祝)11:00~16:00
【場所】 大阪長居公園 自由広場

詳細は下記ホームページへ↓
http://tohoku-kansai.seesaa.net/

東北関西九州ポジティブ文化交流祭2017

(森川)

福島訪問を終えて

こんにちは、レンジャーピンク森川彩子です。
震災から6年半、今回は個人的には3度目となる福島での活動でした。
お伺いした田村市は2回目の訪問です。

受け入れてくださった事業所、「ケアステーションゆうとぴあ」の皆さんは鍼灸に興味を持たれていて、積極的に治療を受けられたり、セルフケアの質問も多く、鍼灸師としてとても嬉しく思いました。
痛いイメージや、怪しいイメージがある鍼灸ですので、ボランティアの機会には ”どう受けて頂こう” と思案します。鍼灸に対するイメージが少しでも良くなっていたのなら喜ばしいことです。
でも、ゆうとぴあさんの ”よそ者を受け入れてくださる懐” に入らせて頂いた所が、大きかったように思います。
”お体のケアをして少しでも過ごしやすくなって頂く” とにかくそれだけを思って施術にあたりました。
治療後にわざわざ戻って来られてセルフケア用品を求められたり、知人に薦めるお話をされたりするひとコマもあり、お陰さまで良い活動ができました。

事業所での活動後、帰りの飛行機が仙台発でしたので、田村市から富岡町へ出て、福島第一原発のある大熊町を通る国道6号線を車で北上しました。
6年半経っても放射線量が高いために人が戻れず、そのままにされた町は、東北の復興が進む他の地域と大きく違いました。この先、手を付けられそうもないという印象でした。

原発があるということはこういう現実を招くのだと改めて感じました。
原発近くの方は少しでも被ばくを防ぐという工夫を毎日されていると思うと、いたたまれません。
現地にお伺いできたことで、ほんの一部ですが現状に触れることができました。
近くで地震があれば、少しでも被ばくを避ける工夫のいる暮らしが私達の暮らしになるのだと想像します。
他人ごとでない現実を受け入れるために、やみくもな恐怖を防ぐために、知ることが必要なのだと感じました。
そして、これから望む世界はどういうものなのか、もっとイメージしたいと思います。

ゆうとぴあ施術201709

復興の差 (その二)

2017年 9/19(火)
【訪問場所】 福島県田村市、福島第一原発周辺

この日は朝から、福島県田村市にあるNPO団体事務所での活動でした。
こちらは震災直後に入ったボランティアでのご縁がつながり、今回が3回目の訪問になりました。

お灸教室田村市201709

まずは、集まられた皆さんに「お灸教室」と称して、お灸の使い方をレクチャーします。
その後、希望の方々に、個別の鍼灸施術と、お灸やローラー鍼を使ったセルフケア方法をお伝えしていきます。

施術風景201709

今回はじめて施術を受けられた方、
前回の施術後、また楽しみに待っておられた方、
前回はお試し程度で、今回はしっかり施術を受けられた方、
それぞれに鍼灸を体感してもらい、セルフケアの方法もお伝えしました。
実際にセルフケア用品を手に取って、熱心にポイントとやりかたを聞かれる様子が印象的でした。
一度行っただけではなく、継続して訪問することで、その良さを知ってもらえることもあるようです。

そして、他の被災地と違って、特別ここで聞こえてくるのが、放射能の話です。
放射能については、様々な意見や考えがあるかと思います。
私の知る限りでは、身体に及ばす影響はまだ分かっていないことも多いように思います。
内部被曝のこと、数世代先に影響を及ばすかもしれない将来のこと、前例とは状況も異なり比較できないこと。(病気、身体について、わかってないことも多いので当然でしょう)
見えないものですし、すぐにその影響が表れないものもあるので、見過ごされたり、忘れられてしまうものかもしれません。
かといって、そこに暮らす人々にとって、また日本中に原子力発電所がある以上、誰にとっても無関心ではいられないことです。
福島県内には、未だ帰還困難区域があり、ホットスポットがあるのも事実です。
これから先も関心を持ち続けなければいけないと思います。

内部被曝については、食品に対する不安があります。
「福島県産」と言われると、つい敬遠したくなるかもしれません。
しかし、福島県産で流通に乗るものほど放射線量は厳しくチェックされています。
意外に、その他の産地のものに放射線量が高いということもあるのです。
間違った誤解が、被災地の人を苦しめることにもなります。
他者の為を思うなら、「知る」ということも大切に思います。

私は楽観的な方で、わからない不安なことには、目を背けるところがあります。
放射能被害についても、あまり考えないようにしたり、程度の問題によると思っています。
ただその考え方の違いに、軋轢が生じることもあります。
事実、家族が離れて暮らすこともありますし、そのまま戻らないこともあるのです。
それは、単純に肉体的にどう影響があるかないかでは済まされない問題です。
施術中に聞いた、
「精神的な影響が大きいですよ」
という被災者自身の言葉が、それを物語っていました。

活動終了後に、帰還困難区域の周辺を車で回りました。
福島第一原発のある大熊町と双葉町、そして富岡町、双葉町、南相馬町を、南北に走る国道6号線があります。
車両での通行は可能なのですが、そこから東西に入る道には許可書が必要だったり、建物にもバリケードがあり自由に入ることが許されていません。

帰還困難地域201709

今まで私たちがボランティアで訪れていた地域とは、随分違う風景が広がっていました。
この状況を見ると、私たちが住む環境がいかに恵まれているか、身につまされます。

私たちのすることは本当に微々たるものです。
けど健康であることが、その人の暮らしを支えてくれます。
ほんのわずかでも健康の役に立ってもらえればと思います。
そしてそこから何か良い方向へとつながって貰えればと願います。

(森川真二)

復興の差 (その一)

震災から6年半、はり灸レンジャーとしては16回目の東北訪問でした。
今回の訪問では、いくつか復興の差を感じました。

2017年 9/18(月・祝)
【訪問場所】 宮城県山元町

今回は私たちと現地団体の都合が合わず、活動は見送り、セルフケア用品のお灸などとお手紙を届けることになりました。
その道中、周辺の復興の様子を見て回りました。

山元町は、震災直後から訪問を続けています。
はじめて訪れたとき、建物から道路や線路まで、何もかもが流されてしまい、道路は冠水、瓦礫や遺留物が積み上げられた状態でした。
そこから、更地になり、土壌の入れ替えあり、新しいビニルハウス(東北一のいちご生産高でした)の建設があり、新しい道路や線路がつながっていく経過を見てきました。
そして前回訪問時(震災から5年の東北)には、内陸に移設されたJR常磐線新駅が建設途中でした。

それが、今回の訪問では、新しい駅、新しい街が完成していて、人々の営みを感じることができました。
新坂元駅に訪れたとき、ちょうど電車が入ってきたときには、感慨に耽りました。

新坂元駅201709

山元町は、この新坂元駅、新山下駅、宮城病院周辺に、新しい街づくりが行なわれています。
公営住宅も、私の知っている神戸のマンション群と違って、平地に一戸建ての住宅街が広がっているのは特徴的でした。
マンションよりは、その人の生活が見えていいように思いました。

その一方で、ボランティアのたびに毎回訪れているのが、旧山下駅。

旧山下駅201709

この駅前には、商店街がありました。
津波で流され、その面影はもうありませんし、戻ってきていません。
(山元町は平野になっていて、町一帯が広く大きな被害を受けました。)

旧山下駅線路201709

線路も流され、ホームの一部だけが残ったままなのがわかります。
ここ数年、そこには変わらぬままの風景が残っていました。
新しい街ができる一方で、再建が難しく、人が戻って来ない地域もあるのです。

その旧山下駅前には、慰霊碑が建てられていました。
被災時の様子や犠牲者の御芳名が刻まれています。

慰霊碑山元町201709

「津波浸水高は最大で十三メートルを超え、
海岸から三・五キロメートルの内陸まで達し、
浸水面積は約二十四キロ平方メートル、
町域の四割近くにも及んだ。」

その被害の大きさを改めて知らされます。

その後、震災直後に現地の方に案内してもらったように、中浜小学校を訪れました。

中浜小学校201709

津波が2階天井まで浸水したものの、その上のシェルターのような屋上に避難することで、児童や先生全員が助かりました。

宮城県公式HP
震災を乗り越えて
山元町立中浜小学校のケース

「2011.3.11
東日本大震災
津波浸水深ここまで」
という青い看板が、その脅威を表わしています。

中浜小学校浸水深201709

こちらは、震災遺構として保存が進められているようです。

地元のニュースでも「JR常磐線開通」などの、復興の知らせが耳に入ってきます。
そして、新しい街だけを見れば、街の概観といったハード面は、やっと復興してきているようにも感じました。(それも震災から6年半です。)

ただ、実際に現地を訪れてみると、復興が進んでいない地域も見えてきます。
さらに、阪神・淡路大震災でもそうだったように、人々の暮らしといったソフト面となると、いくつもの課題があることでしょう。

私たちも、復興のニュースを聞いてや、街ができたから終わりではなく、実際の人々の様子はどうなのか?という視点を持って、これからも活動を続けていきたいと思います。

(続く)

(森川真二)