今回は4人の鍼灸師が参加しました。
竹原彩子(彩はり灸院 院長)
森川真二(SORA鍼灸院 院長)
佐藤由香里(学生時代、サンリ治療院のお手伝いをしていました)
舟橋寛延(サンリ治療院 院長)
5/2(水)~5/5(土)
訪問先は、宮城県の南部に位置する山元町と北部沿岸部の南三陸町です。
すべての場所は再訪、再再訪でなつかしいお顔に出会い和気あいあいと治療ができました。
震災から1年後の3月のころは報道も多かったのですが、徐々に新聞紙面からも減ってきます。
そんな今だからこそ、現地の声を届けて行きたいと思っています。
まずは治療記録の概要です。
【山元町】
被災地障がい者センターみやぎ県南支部 ささえ愛山元
計13人(9人)
内訳
スタッフ 5人(4人)
デイ利用者 6人(3人)
東田仮設入居者 2人(2人)
【南三陸町】
名足仮設
計9人(1人)
入谷福祉仮設
計11人(10人)
内訳
スタッフ 3人(3人)
入居者 8人(7人)
被災地障がい者センターみやぎ県北支部
計3人(0人)
内訳
スタッフ 2人(0人)
スタッフの家族 1人(0人)
まるカッコ内は再診、ないしは三回目の治療になります。
このGWの活動で36人の方に治療を実施しました。
そのうち、初めて出会った新患さんは、16人。再診が20人になります。
また石巻市の被災地障がい者センターみやぎ石巻支部も訪問し、
現在の活動と今後の協力体制に関する相談をしてまりました。
南三陸町と石巻市は近いので今後ともに活動日程に組み込んでいきたいと考えています。
以上が今回の概要で、治療で気づいたことなどを今後投稿してまいります。
(舟橋)

3/19(月・祝)
地元の商店街で揺れを感じた話。
ボランティアの最中、震度2~3の揺れに襲われることがしばしばあります。
2011年5月、最初に仙台市内に入った日、
避難所になっているコミュニティセンターで障がい児と遊んでいたら、
震度3ぐらいのそれもかなり長い揺れを感じました。
子どもたちは「こわい!」と叫びますし、こちらも真っ青になりました。
幸い何事もなかったのですが、しばらく避難所の雰囲気はザワザワしていました。
2011年9月の際も宮城県北部の登米市というところのボランティア宿舎で眠っていた早朝、
震度2ぐらい?の揺れがあり飛び起きました。
そして今回2012年3月です。
幸い活動中は震度2以上のものは無かったようですが、
先日レポートした山元町でちょっと買い物に立ち寄ったお店で地震がありました。
しかし、私は鈍感なのか気づきませんでした。
清水さんはなんだかユラユラしているな~と感じたそうです。
お店のおじさんが、「揺れているね~」と言うので気づきました。
地元の方々はかなり敏感になられています。
それはそうですね。
NHKスペシャルで地震の特番を見ると昨年3月以降の地震の多さに驚きます。
薄気味わるいものです。
実は今回も東北に行く直前に関東で震度5の地震がありました。
コンビニの監視カメラの映像が何度も流れていましたね。
店員さんが逃げまどい、ガラス瓶が倒れる様子。
間もなく6歳になる私の息子は、初めて私の東北行きを止めました・・・
家族の心中を考えるとやるせないです。
ところでその小さなスーパーは常磐線の駅「山下駅」で線路も含めて全壊です。
その駅前のスーパーでスーパーを営んでいらっしゃいます。
問題は今後のJRの線路のつけかえだそうです。
津波の被害を想定しより内陸側につけかえようという動きがあるそうです。
そのことは私も以前新聞記事で読みました。
しかし、そういった決定が地元の方々の合意のもとか、というとそうでもないようです。
JRや行政、地権者の方々など様々な思惑もあります。
思えば1995年の阪神淡路大震災の際も直後に行政が拙速に区画整理の計画を発表し
住民の大きな反発をくらったのでした。
民主主義とは元来時間や手間ひまのかかるものです。
地元の方々が自由に発言し、再び住みやすい町になるよう願っています。
(舟橋)

3/19(月・祝) 山元町
午後は「ささえ愛」の職員さんに治療しました。
おりから神戸の河村先生も飛行機で駆けつけて下さり、3人の鍼灸師による治療です。
職員さん自身も被災者でありますし、肉親や友人のどなたかを失っています。
ある職員さんが述懐されました。
「震災直後はなにもやる気になれなくて、同僚も亡くなっているし・・
仕事からもはなれていたんです。
でも理事長さんが、やろう、やろうってひっぱてくれて今日まで走ってきました。
いま考えるとこの「ささえ愛」の仕事があったから毎日を過ごせたのだと思います。」
そんな職員さん方がハードワークになるのは間違いありません。
私ももと福祉関連の仕事についていたのでいささか心当たりがあるのですが、
福祉職につく人は自分のことを後回しにして他人のために身をけずる、
という傾向が少なくありません。
それ自体はけっして悪いことではないのですが、度を過ぎるとからだを壊します。
現に施術中、不眠の訴えが目立ちました。
もう大震災から1年以上が経過しているのですが、
この1年の時間の流れとはすさまじいものだったにちがいありません。
特に地域のリーダー格の人々は仲間を鼓舞しつつ、ご自分にも鞭を打ってこられたはずです。
一種の躁状態でなければ走り続けられないのかもしれません。
鍼灸治療によって、ふみすぎたアクセルを少し緩和できるといいな、と思っています。
治療後は山元町の被害現場を車で案内いただきました。
これも前回に引き続き2回目です。
2011年9月、そして2012年3月にこの山元町のに立ちました。
ほんのわずか水が引いたようですが、地盤沈下したところはどうしようもありません。
海沿いの数百軒のお宅は住宅困難です。
代替地を行政が見つけてくれるのでしょうか?
おそらくまだ若い家族はお子さんの進学のことや、
ご自身の転勤もありこの地を離れるかもしれません。
後に残るのは生粋の地元の方々と生活再建がむずかしい方々ではないでしょうか。
次回、そんな町が直面する困難さに触れたことをレポートします。
(つづく 舟橋)

3月19日(月・祝) 山元町
宮城県の南部、福島県との県境に近い山元町を訪問しました。
2011年9月にはじめて訪れたのですが、
震災と津波で大きな被害をうけたNPO法人「ささえ愛 山元」さんの皆さんとの再会できました。
この日は職員さんの多くが出迎えて下さり、
まずこちらのデイサービスとおつきあいのある利用者さんのお宅に行きましょう、となりました。
そのお宅は仮設住宅です。
山元町は町の東側が太平洋に面していて、津波の大きな被害を受けました。
常磐線も駅舎、線路とも破壊されそのままの状態です。
家屋のうち全壊2200棟、半壊1000余。
これはさほど大きな町でない山元町にしてはすごい数です。
町のHPによると現在の世帯数は4,862です。
ちなみにお亡くなりになった方は600名をこえます。
「ささえ愛」さんを出て、町を西に向かうとゆるやかに高台になっています。
町の東側に甚大な被害が出たせいで、仮設住宅は西側の高台に点在しています。
そのうちの「東田仮設住宅」に到着。
「ささえ愛」の職員さんの案内のもと清水先生と舟橋が手分けしてお宅を訪問し治療しました。
舟橋が治療したAさんご夫婦は、がんらい障害もあった様子で、
しかもご高齢のため困難な生活をしいられている様子がうかがえました。
奥さんはもともと鍼灸治療の経験があったので喜んで受け入れてくださいました。
お話を聞くとその治療院もおそらく津波で流されたのではないか?とのこと。
このAさんは一代かけて稼ぎ立派なおうちを建てたそうですが、
津波で土台しか残らなかったそうです。
「おれは一生かけて何をしてきたんだろう、と思ったねえ」
とお話しされます。その無念たるや・・・
しかも住宅ローンはあと数年残っているそうです。
住む家はないのにローンだけは続くそのやりきれなさ。
そしてご高齢であるゆえに、再起をはかるのも容易ではありません。
清水・舟橋それぞれ3人ずつ治療し、仮設住宅にお住まいの方合計6人の方を拝見しました。
単純な腰痛や肩こりではなく、循環器など慢性疾患が目立ちました。
今後も関わりを持ちつつ、お付き合いしたいものです。
(つづく 舟橋)

ふと気づくと私が購読している朝日新聞から震災関連の記事が減りました。
3月11日の前後はずいぶん多かったのですが、それもメディアの定めかもしれません。
こういった時だからこそ、被災地の声を届けていかなければなりません。
ずいぶん遅くなってしまいましたが、3月の第3回目の訪問についてレポートします。
しばらく連載形式で現地の様子をお届けしたいと思います。
なんだかあわただしく日々をすごしていると、
3月下旬の被災地訪問も遠い夢の世界のような気がします。
こうして文章にまとめようと当時のカルテを見返したり、
自分のメモをあさっていると次々に思い出されます。
前回の訪問は宮城県のみでした。
車両で往復したので福島県の福祉拠点にも顔を出したかったのですが、
相手方との日程があわず残念でした。
しかし、数えてみると7か所もの仮設住宅や地域の拠点におじゃまでき、
治療はもちろんのこと、震災から1年たった現在の心境をじっくりうかがうことができ、
大きな成果を感じた訪問でした。
<参加者>
河村廣定 「神戸東洋医療学院」鍼灸学科・学科長、「かわむら鍼灸院」副院長
舟橋寛延 「サンリ治療院」院長
清水真奈美 「サンリ治療院」勤務
竹原彩子 「彩はり灸院」院長
森川真二 「SORA鍼灸院」院長
<活動記録>
3/17(土)
仙台市太白区長町のすばる接骨院を訪問、仙台泊 (舟橋)
今後の連携について相談し、被災時の状況、また現在の患者さんの様子をうかがう。
3/18(日)
午前 山元町東田(とうでん)仮設住宅にて治療 (舟橋・清水)
午後 河村先生合流後、ささえ愛山元にてスタッフ治療 (河村・舟橋・清水)
夜 北部の登米市に移動、ボランティアの拠点で宿泊
3/19(月)
午前 南三陸町 廻館(まわりだて)コミュニティセンターにて治療 (河村・舟橋・清水)
午後 南三陸町 入谷福祉型仮設住宅にて治療 (河村・舟橋・清水)
夜 仙台に移動、宿泊
3/20(火)
終日 仙台市長町仮設住宅にて治療 (河村・舟橋・清水・竹原・森川)
夜 被災地障がい者センターみやぎ事務所にてスタッフに治療 (竹原・森川)
3/21(水)
午前 ささえ愛山元にてデイサービス利用者、スタッフに治療 (竹原・森川)
以上が前回の概要です、
次回から現場のレポートを投稿します!
今回のボランティアで印象に残っていることは、治療を楽しみに待って下さっていたこと、ローラー鍼を使っていてくれたことです。こちらの一方的な支援ではなく、また、私たちの思いが通じているようでうれしかったです。
はり灸の効果は、一時的なものもあります。1回の治療だけでは、限界もあります。それが、セルフケアを行なうことによってその効果が持続し、自分でケアすることもできると考えています。
実際、「コロコロしていたら気持ちい」とか、「ローラー鍼で、ひざの調子がいい」とか、毎日ローラー鍼を使っている方もおられました。ただ、即効性のある痛みに関して使われている方も多かったのですが、内臓のケアをされている方は少なかったです(「飲みすぎたから肝臓をコロコロしています」といった方はおられましたが)。
しかし、阪神大震災の教訓としてもこれから心配なのは、慢性期疾患です。普段の生活が過ごせない上に、ストレス反応による心疾患、空気の悪さによる呼吸器疾患の増加が危惧されています。あまり実感のわかない臓器の不調ですが、大事なポイントです。
そして前回同様、もしくはそれ以上に心配になったのは、現地スタッフの方の疲労です。被災地の方々を支える、被災者の方。ほとんど休み無く働かれている方もおられます。もう口で多くを語らずとも、身体が悲鳴をあげていました。東北の人は、我慢強さで有名です。その我慢の限界を超えないかが不安です。
今回の訪問をふまえて、また次回の訪問を準備していきます。
はり灸レンジャー ブルー 森川
ご報告遅れましたが、3月の飛び石連休を利用して、3回目の被災地訪問を行ないました。前回訪問させていただいた仮設住宅や施設を中心に、震災から1年後の被災地の様子をお伺いしてきました。そして今回は、私たちのお師匠さんでもある、河村先生にもご同行していただきました。
<第三次訪問の実施期間>
2012年3月17日(土)~3月21日(水)
<参加者>
河村廣定 「神戸東洋医療学院」教員、「かわむら鍼灸院」副院長
舟橋寛延 「サンリ治療院」院長
清水真奈美 「サンリ治療院」勤務
竹原彩子 「彩はり灸院」院長
森川真二 「SORA鍼灸院」院長
<活動記録>
3/17(土)
仙台市太白区長町のすばる接骨院を訪問、仙台泊 (舟橋)
今後の連携について相談し、被災時の状況、また現在の患者さんの様子をうかがう。
3/18(日)
午前 山元町東田(とうでん)仮設住宅にて治療 (舟橋・清水)
午後 河村先生合流後、ささえ愛山元にてスタッフ治療 (河村・舟橋・清水)
夜 北部の登米市に移動、ボランティアの拠点で宿泊
3/19(月)
午前 南三陸町 廻館コミュニティセンターにて治療 (河村・舟橋・清水)
午後 南三陸町 入谷福祉型仮設住宅にて治療 (河村・舟橋・清水)
夜 仙台に移動、宿泊
3/20(火)
終日 仙台市長町仮設住宅にて治療 (河村・舟橋・清水・竹原・森川)
夜 被災地障がい者センターみやぎ事務所にてスタッフに治療 (竹原・森川)
3/21(水)
午前 ささえ愛山元にてデイサービス利用者、スタッフに治療 (竹原・森川)
<今回の活動の成果と反省 → 今後の課題 >
・治療を通して身体の不調だけでなく、面と向かっては話しにくいことも聴き出せた。
→ こちらから一方的に治療を提供するだけでなく、被災者の思いを聞く。
・被災者の生活の回復は、多くの現地職員やボランティアの方によって支えられている。
→ その被災者を支える現地職員、スタッフの方へのケアも重要である。
・被災者の訴えるつらさは腰痛、肩こりに限らない。
→ めまい・地震酔い、睡眠障害、内臓疾患などに注意が必要である。
(とりわけ仮設住宅での不慣れな生活が長期化することから、慢性疾患に注意)
・病気の自己管理を行なうためには、自己ケアが充分になされる必要がある。
→ ローラー鍼や簡易灸を配ってよしとするのではなく、その後のフォローアップが 大切。鍼灸師だけでは限界があるので、現地NPOとも協力する。
・慢性期疾患の発症や悪化を防ぐには一過性の治療では難しい
→ 日常生活のすごし方が重要。今後も継続した支援を行なう。
<計画>
(第3次訪問)
2012年3月に第3回目の訪問を計画中である。
○ 前回訪れた被災者や現地スタッフのその後の様子をうかがう(継続支援)。
○ 大震災から1年経過した現地での生活ぶり、健康状態を確認し、鍼灸支援の方法の
練り直しも行なう。
○ 訪問先が、宮城県の北東部(三陸町)から、福島県の郡山市まで広域であるため、チーム編成を行ない、地域ごとに鍼灸師グループで担当者を決めるのも一案。たとえ頻繁に訪問できなくとも、顔なじみのAさんが季節ごとに鍼灸治療に来てくれる、と受け止めていただけると嬉しい。細くとも長く支援が続くことが、被災者の方々を「いつまでも忘れずに見守っている」というメッセージを送ることにもなるだろう。
(中長期的な支援方法の模索)
仮設住宅の入居は2年が期限とされているが、被災地によっては、代替の土地が不足し、2年以内での仮設住宅の解消には至らないことが予想される。都市部に限らず、へき地の支援をも志向したい。
その場合、鍼灸ボランティア支援も長期化するだろう。しっかりと活動を継続するためには、私たちのグループも足腰を強くしなければならない。仲間を募り、資金や物品などの体制も整えていく必要もある。第3次訪問を契機に、中長期的な支援体制の構築に向けた努力を行なっていく。
今回、仙台市にある長町仮設と、南三陸町での鍼灸ボランティア活動に参加し、多くの方の施術を行うことができました。その中で、特に印象的だった方がいます。
その方は、鍼灸を受けたことがないため最初は治療を遠慮されていましたが、お仲間の勧めでしぶしぶベッドに上がりました。主訴は「右腕がうまく伸ばせない」。右上腕~前腕まで屈筋群の緊張が強く、腕を曲げているのが楽なため、日常的に曲げる姿勢ばかりをとっていたら伸ばせなくなったとのこと。反応は、上肢はもちろんのこと、大胸筋や僧帽筋などにも広く出ており、ローラー鍼を駆使しての施術となりました。
筋肉だけでなく、咽や気管支にも強い反応。また顔全体が浮腫み、眼瞼が赤く腫れていることが気になり、アレルギーか何かかと尋ねたところ、思いがけない答えが返ってきました。
「涙が止まらない。津波が来た直後は泣けなかったのに、最近になってふとした拍子に悲しみがこみ上げて止まらなくなる」と。
何度も泣いて。常に瞼をこすってしまうため腫れており、お顔も浮腫んでしまう。よく見れば、涙の乾いた跡がお顔に残っていました。
目、内耳、咽のリンパの反応点を、時間いっぱいかけて刺激しました。
治療後、ひとまず反応は解消。少しすっきりしたお顔になったことが、せめてもの救いでした。
震災から半年。
仮設とはいえ生活が落ち着きだした被災地の方々のなかには、地震酔いや めまいの症状に加え、精神不安定を訴える方が多くいます。(今回も愁訴として訴える方が多くいました。)そういう方たちの耳周りには、反応が顕著に表れています。様々な精神的な負担に加え、いまだ起こり続けている地震や地盤の歪みなどが内耳への悪影響に拍車をかけ、さらに心のバランスを乱しているのかもしれません。
喪われた方々への悲しみや今後の生活への不安などは、私たちにはどうすることもできません。けれど、それらを乗り越えるための体作りのお手伝いは、私たち鍼灸師にこそできることであり、反応点治療が得意とするところでもあると思います。
長丁場になるといわれている今回の被災地の復興。
微力ながら、今回お配りしたローラー鍼でのケアが被災者のみなさんの心と体の健康を支えてくれるよう、願ってやみません。
清水真奈美
被災者の健康を脅かす要因に、精神的な不安やストレス、衛生環境や栄養状態の悪化があります。これらは、身体の「免疫力の低下」を招き、どんな病気にでも罹りやすい状況を作ってしまいます。その中でも、実際に被災者の方の治療を通して、特に身体に現れ出ていた不調とそのケアについてまとめます。
【めまい・地震酔い】
多くの方に見られたのが、平衡感覚の不調です。未だ多くの余震があります。その余震の度に平衡感覚は、かき乱され、めまいを起こし、精神的にもまいります。また、被災地では、いたるところの建物や地面も未だ傾いたままです。何が真っ直ぐなのか、水平なのかわからず、視覚・深部知覚の情報も乱され、平衡感覚が補正されにくい状況も原因にあると考えられます。
治療としては、まずは心身を休められる状態に持っていくことです。全身状態が悪くても、めまいは起こりやすくなります。それに加え、平衡感覚に関わる内耳(三半規管・前庭)の環境を整えることが重要です。
【睡眠障害】
睡眠薬を服用されている方も、少なくありませんでした。不安や心配があるときに眠れないのは、誰もが経験したことがあると思います。被災者の方にとっては、「将来に対する不安」がいつまでも拭いきれません。さらに、仮設住宅での睡眠環境の悪さもあります。床が固い、雨音や隣人の物音が響いてうるさい、夏は暑く冬は寒いなど多くの訴えがありました。とてもリラックスできる睡眠環境とは言えません。また、身体的な原因として、先程の平衡感覚の不調も睡眠障害の一因に考えられます。
その対策としては、睡眠環境を整えます。治療としては、入力されてくる交感神経の活動を抑え(主に感覚器)、モルヒネ様物質の分泌を促す、いわゆるリラックスした状態に導きます。これは、鍼灸治療の得意とするところだと思います。
【呼吸器疾患】
震災直後に比べると良くなっていたように感じましたが、空気が悪いです。被災地には、がれきが積み上げられていて粉塵が舞い、津波の残した泥による砂埃もあります。仮設住宅では、布団や洗濯物が満足に干せないこともお聞きしました。室内では、カビや菌の温床とならないよう、換気するなどの対策は必要です。集団生活は、感染に要注意です。風邪の入口である呼吸器へのアプローチは、欠かせない治療ポイントであると思います。
また、この部分の炎症は、脊髄反射により、首から背中にかけての筋肉を緊張させます。首肩がパンパンの方を非常に多く見かけました。頭痛、肩こりなどの緩和もたいへん喜ばれます。
【心疾患】
阪神大震災時にも注目されました。地震の様な自然災害後や、戦争の様な人為的災害後に増加することは知られています。災害ストレスに対して、交感神経や視床下部、下垂体、副腎系などを介して、心疾患のリスク因子の憎悪を招くと考えられます。
対策は、睡眠障害と同じく、ストレスの除去で、いかにリラックスしてもらえるかでしょう。さらに、直接負担のかかる心臓へのアプローチです。
これらは、いわゆる慢性期疾患です。慢性期疾患は、日頃の生活の仕方が大きく関わってきます。震災前は、病気の自己管理、いわゆる生活の中でのセルフケアを行なっていました。それが、生活環境が一変することで、普通の生活ができなくなっています。それが、その人のセルフケア能力を低下させ、健康を悪化させることになります。これからいかに、手軽にできるローラー鍼やせんねん灸を用いたセルフケアがなされていくかがポイントだと思われます。
SORA鍼灸院 森川真二