こんにちは。はり灸レンジャーイエローの清水です。
第8回目のはり灸レンジャー東北訪問に参加させていただきました。
今回もはり灸治療を通じて、たくさんの人とお会いすることが出来ました。
また、前回の訪問時に治療させていただいた方との再会もあり、前回治療後の体調の経過やその後の生活の変化のお話などを伺うことが出来ました。(これは継続して活動をしているからこそ、出来ることですね)
今回、2回目の訪問となる登米市 南方仮設住宅でも色々なお話を伺いました。
前回訪問時は昨年の9月。そのときは(仮設住宅で)始まった新しい生活についての悩みや不安などのお話を多く伺いました。
しかし今回は、「膝が痛くて散歩ができない」と嘆いているおばあちゃんや、「ゲートボールのやり過ぎで肩を痛めた」とぼやく男性、
はたまた「母がはり灸に興味があるが、どんな治療か試しに受けてきてと頼まれた」とやって来た息子さんなど…
お体の状態や治療を受けにきた理由は様々ですが、その内容は私の地元、岐阜の治療院にやってくる患者さんとそんなに変わらないものとなっていました。
仮設住宅の近くには病院や接骨院もあるそうで、そちらをかかりつけにして体調管理のできている方も以前より多くなっている様子でした(とても喜ばしいことです!)。
元のお住まいのある南三陸町では、宅地造成のための土地整備が(限られた場所で)始まったばかりと聞きます。
南方仮設に暮らす方々の生活が本当の意味で落ち着くまでにはまだまだ時間がかかるのでしょう。
それでも、「ちゃんと生活していかなきゃね」とおっしゃった女性の言葉が、今回の訪問で一番印象的でした。
はり灸レンジャーとして活動に関わり2年あまり。沢山の方から学ぶ事ばかりです。
この活動から得たものを患者さんに、そして次の訪問でお会いする方にお返しできるようにこれからも頑張っていきたいと思います。
はり灸レンジャーの第8回目の活動記録です。
今回もゴールデンウィークを利用して、4人の鍼灸師が参加しました。
初参加は岡本先生。
いま数えてみると、これまで「はり灸レンジャー」の枠で現地に同行したメンバーは10名を数えます!
【参加者】
清水真奈美 (サンリ治療院 勤務)
岡本悠馬 (南天はり灸院 院長)
森川真二 (SORA鍼灸院 院長)
舟橋寛延 (サンリ治療院 院長)
【活動日時と場所】
5/3(金)
4人のメンバーはそれぞれの仕事を工面して空路、あるいは夜行バスでまず仙台に集合。
今年の連休はどこも人出が多かったようで東北道も混んでいて夜行バスの場合、2時間遅れでした。
仙台駅にメンバー集合して、レンタカーにて、南三陸町まで北上します。
もうお馴染みになっている現地職員さんのご家庭を訪問して、鍼灸施術を実施しました。
こちらのお宅では、治療後にお茶っこ会でよもやま話に花が咲きます。
●施術数 4名(4名) 括弧内は2回目以上の治療になります。
5/4(土)
終日 登米市 南方仮設住宅にて施術。
この南方仮設は南三陸町で被災した方々が入居しています。
現地に足を運ぶとすぐ分かるのですが、南三陸町は海岸線が津波にやられ、もともと平地が少ないこともあり、仮設住宅を建設する土地が充分ではありません。そこで南三陸から西の方角にあたるお隣の登米市に350世帯という大規模仮設が建設されました。
南三陸町が管轄する仮設は全部で54か所あると聞きました。いままで閉鎖・解消もされていないのではないでしょうか。
大半は50戸以下の小規模仮設ですが、ここ南方仮設は350世帯と最大規模です。
大きな仮設ですから治療を受けるかたも比較的多人数になるため、レンジャーの数が多い時にお邪魔しています。
昨年の9月に続いて2回目の訪問では、一日かけてゆったりと治療できました。
●施術数 32人(17人)
(この日 夕方には森川さんは帰宅)
5/5(日)
午前中 南三陸町 入谷福祉型仮設住宅にて施術。
ここも訪問回数の多い仮設住宅です。様々な事情で家族と暮らせなかったり、単身の方で心身に障害のある人々がお住まいです。
職員さんも含め楽しみに待っていて下さるので、ありがたいことです。
なにしろ幹線道路から入った仮設住宅ですから、慰問やボランティア団体の訪問は皆無と聞きます。ますます我々の訪れる意義を感じる次第です。
●施術数 10人(7人)
以上で治療活動は終了し、午後からは気仙沼視察後、それぞれ用事のあるメンバーは残り、帰宅するメンバーは仙台へと別れ現地解散となりました。
今回の2泊3日の活動で46名の方々の治療を実施しました。
またあまり窮屈な日程ではなかったので、現地の方々ともじっくりお話しができ、レンジャー同士も宿舎で討論や治療練習を行なうなど有意義な活動になりました。
個々の参加者からの感想や報告は後日、また本ブログにアップしていきます。
(舟橋)
東北大震災直後のゴールデンウィークに、ボランティアへ行ったのが、はじまりでした。あれから2年、グループとしては8回目、また新たなメンバーを加えた「はり灸レンジャー」が参上します!
【予定期間】
2013年5月3日(金)~5月5日(日)
【参加者】
舟橋寛延 (サンリ治療院 院長)
清水真奈美 (サンリ治療院 勤務)
岡本悠馬 (南天はり灸院 院長)
森川真二 (SORA鍼灸院 院長)
【活動予定】
5/3(金)
仙台駅にメンバー集結
レンタカーにて、南三陸町まで北上
現地職員、関係者の施術
5/4(土)
終日 登米市 南方仮設住宅にて施術
5/5(日)
南三陸町 入谷福祉型仮設住宅にて施術
気仙沼視察後、仙台へ
活動内容はまた後日ご報告いたします。
3月の訪問で、治療の際に感じたことを書きます。
今までの訪問の積み重ねがものを言ってか、鍼灸治療をすんなり受け入れて下さる方が増えました。
また再診、再再診の方も多く、中には5回目の治療の方もいらっしゃいます。
南三陸町のある患者さん。
この方は、幸い自宅が高台にあったので自宅は無事です。
とはいえ庭のすぐ目の前まで水が上がってきて、停電などインフラはダウンしました。
震災・津波後の生活に無理があったのか、脳梗塞をおこし、もとからの持病もあり半ば寝たきりの生活を余儀なくされていました。
昨年(2012年)来、4回目の訪問・治療になります。
初めてお目にかかったころからマヒは強くなく、痛みのため歩けないということでした。
「痛みなら何とかなりますよ」
とお伝えし、鍼灸治療に加え、ローラー鍼の提供を行なってきました。
この方は、もともと年齢を感じさせない元気さ、好奇心、生活の意欲をお持ちでしたので、私としてもなんとか日常生活ができるようにと、祈るような気持ちでした。
投薬や訪問リハビリも相乗効果を出したようで、3月の訪問の際は、たいへんお元気で歩行器を使いながらですが屋内を動いていらっしゃいました。
自分の親戚が元気になったようで大変嬉しく感じた次第です。
こちらのお宅では、治療が終わった後、「お茶っこ会」の饗応を受けます。
お茶や漬物、ふかしたお芋などを前に話の花が咲くのです。
なんとも言えない、楽しいひと時でした。
(舟橋)
こんにちは。岐阜の吉村美陽子です。
今回、震災からほぼ2年が経った宮城へ行かせていただきました。
約半年ぶりの再会を果たしてきました。
前回ほどの緊張はなく、なじみの場所に来れたという感覚でした。
宮城が自分にとって、身近な場所であると感じられました。
しかし、私自身の心は、ギャップも感じていました。自分が普段送っている日々と、あまりにも目に見える光景が違っていました。岐阜での生活を送る私が普段目にしているものが当たり前になり、宮城を想像すること、思うことが少なくなっていたからでしょう。
初日、夜行バスで仙台駅に着いた私たちは、駅からレンタカーで南三陸町に向かいました。
南三陸町で山の下のほうの木が枯れているのが見えたとき、家のない海まで広がる土地を見たとき、
悲しい気持ちになりました。この気持ちが、心をひきつけ、心をよせるきっかけになると感じました。
自然に湧き上がる気持ちが、行動の動機づけになると感じました。
ギャップで自分の至らなさを感じましたが、だからこそ、改めて被災地に心が向きました。
私の目に映るものが、ただの一面にすぎないとしても、そこから感じたものが行動へのエネルギーになりますから、直接行かせていただけることは本当にありがたいことです。
実際に被災地が抱えている問題というのは、なかなか想像できません。
関心が向かなければなおさらです。
震災をどう生かすのかが本当に大切なことだと思います。
ただの出来事にしないこと。
そして、そこに生きる人々を思う心。感じる心がすごく大事だと思います。
もっと多くの目が向いたらなと思います。そしてそのためにはまず私が発信していきたいとおもいます。
身近な人に、少しずつどんどんと。
山内さんにお会いして、防潮堤や街づくりについてお話をを聞かせていただき、ものすごく関心がわいたので、現在調べている最中です。
今感じることは、「お金の使い方」を決める人々の視野の偏りです。
防潮堤建設に関しては、費用対効果の疑問、自然環境破壊、漁業や景観への影響などの問題があるようです。
防潮堤が「最善の策」であるから建設されるのでしょうか?なにの最善なのでしょうか。
様々な分野の人が防潮堤に関しての意見をもつことで、議論が成熟していきます。
いろいろな面からみることで、形が変わっていきます。
建設がなくなることがないとしても、建設に関して生じた様々な動きは、自然の中で人間が生きているということを感じる心を育てると思います。
コンクリートの壁をつくることから、自然との付き合い方、向き合い方を考えることにシフトできたらいいなと思います。
自然とともに生きているという事実を純粋に感じる人々の力がもう少し大きくなってくると、大きなものも動かせると思いますが、その難しさも防潮堤の問題を通じてよく勉強していきたいと思います。
話をもとに戻しますが、今回私は治療を受けられている方々にローラーをするという大役をいただきました。
何名かの方にローラーをしたことで、ローラーへの愛着が湧き、自分へのローラーも以前よりやるようになりました。
舟橋先生と吉村先生の施術の様子を見ながら、次に治療を受けられる方を案内するということも任せていただいたのですが、話に聴きこんでしまい、スムーズな治療を行うためのお役にたつことができなかった部分がありました。改めて、自分の性質を実感しました。どっぷりと話に入り込むのが好きなのですね。でもそれは視野の狭さを表すので、気を付けたいと思いました。話をきくことは、話す人が気持ちを整理できたり、心の安定にも貢献できると思うので、広い視野をもちながら、話を聞くことを楽しみたいと思います。
今回お会いすることができたある方から、「喪失や悲しみから、喜びや楽しさを生み出した」姿を見せていいただくことができ、大変感動いたしました。
出来事への向き合い方は人それぞれ違いますし時間とともに変化していきますが、出来事をどう生かすかに関して、その方の姿は心にぐっときました。私自身のありたい姿だと改めて感じました。
今回も多くのことを感じさせていただいた宮城への訪問、本当にありがとうございました。
はり灸レンジャー グリーンの吉村 早也香です。
私は、去年の9月に初めてはり灸レンジャーの活動に参加させていただき、今回は2回目の活動参加でした。
今回の活動でレンタカーの車両担当を任命していただき、初めて東北での運転を体験しました。
はり治療に関しては、今回は鍼灸師が舟橋先生と私吉村の二人だったこともあり、ゆったりとした治療が中心となりました。
やはり治療を楽しみにしてくださっている方がいることは率直に嬉しいことですし、被災地の方々の生の声を聞ける大変貴重な場だと再確認しました。
被災地は、風景の大きな変化はありませんでしたが、防潮堤の建設も始まっており去年同様、浜の近辺はトラックがよく行き来していました。
複雑な思いもありますが、その土地に住む人の思いが反映された街づくりが願われます。
改めて東北を訪れて、東北の方々の人柄に魅力を感じました。
また行きたいと思うのは、そこにいる人々と土地の豊かさなのかもしれません。
できる範囲ではありますが、積極的に今後も活動に参加していきたいと思える訪問となりました。
はり灸レンジャー、レッド舟橋です。
7回目となる東北への鍼灸ボランティアを実施しました。
まずは概要です。
参加者、吉村早也香、吉村美陽子(看護師)、舟橋寛延の3人。
(日程)
3/16(土)
夜行バスにて名古屋を出発
3/17(日)
朝 仙台着
レンタカーで南三陸町に移動
午後 被災者のお宅を訪問し鍼灸治療(5人)
夜は登米市にあるNPO「奏海の杜」宿舎に泊まる
3/18(月)
午前 南三陸町にて関係者の治療(8人)
午後 南三陸町 入谷福祉仮設にて治療(9人)
夕方 南三陸復興ステーションにて山内明美さんより復興状況のレクチャーを受ける
夜は引き続き登米市の宿舎に泊まる
3/19(火)
朝 南三陸町を出発
午後 宮城県南部の山元町の福祉施設にて治療(8人)
夕刻 亘理町の被災沿岸部を視察
治療総人数 30名
(今までの累計した総施術数は、283回)
今回は鍼灸師の参加が2名だったこともあり、比較的こじんまりとした活動になりました。
その分、被災された方々ともじっくりお話しができたというメリットもあります。
震災から3年目に入った被災地の状況は、なかなか一口で言うのが難しいのですが、たいへん厳しいと言わざるをえません。
まず、復興住宅建設の遅れが目立ちます。
それには色々な理由があるのですが、おいおいブログに投稿していくつもりです。
一方、明るい話題もあります。
今回わたしたちがお世話になったNPO「奏海の杜」さん(南三陸町)、NPO「ささえ愛山元」さん(山元町)ともに仮りの住まいから恒久的な拠点への移転が具体的な日程にあがっています。
どちらも今年中には移転が完了するでしょう。
地域で苦闘する皆さんに心からのエールを送りたいと思います。
はり灸ブルーの森川です。今回で5回目(グループとしては6回目)の被災地ボランティア。これだけくり返し行くと、距離は遠く離れていますが、とても身近に感じるようになります。
9/16(日) 芦屋→仙台
治療院でいつも通り終日治療を済ませて、大阪に。大阪⇒仙台の高速バスに飛び乗り、あとは運転手さん任せです。準備も手馴れたもので、仕事終わりに「ちょっと東北まで」という気分です。
9/17(月) 登米市
早朝に仙台着。去年は現地で長袖を買い足すほどだったのが、こちら関西と同じく、半袖1枚で過ごせました。東北地方も、記録的な残暑が続いているようです。
朝一でレンタカーを借りて、前日仙台入りしているメンバーとも合流。わきあいあいと南三陸町へ。お世話になる被災地障がい者センター南三陸の職員さんの先導で、今回はじめての南方仮設に向かいます。
南方仮設は、登米(とめ)市というやや内陸部にあって、約300世帯、南三陸町で家を失った被災者のかたが入居されています。南三陸町と言えば沿岸部にあり、よく聞く志津川など、壊滅的な被害を受けた地域です。入居者のほとんどの方が、大切なもの、大切な人を失っています。お話を伺いして、言葉が返せないこともしばしば。ただただ、お話に耳を傾け、鍼とお灸に手を動かします。気の利いた言葉をかけれなくとも、治療後の楽になった笑顔に、ほっとします。面と向かって話しを聞くことは難しいですが、身体を触れる内に、自然と言葉が出てきます。
よく心のケアといいますが、具体的に何ができるのか? それは人にどうこうされるものではなく、自ら乗り越えていくものだと思います。
では、私たちにできることは? まずは、そこにある痛みや身体の不調をとることでしょう。身体の不調が、精神に影響することは知られています。人の心を変えることは難しいかもしれませんが、身体を変えることは私たちの得意とするところです。鍼灸治療に即効性があるところも、利点の一つです。
その後、事務所に帰って、職員さんの治療。被災者を一番身近で支えられるのも、被災者です。意識して休むようにしても、中々休まらない、疲れがとれないとも言われます。本当に問題は山積みといった感じです。まだまだ支援が必要な段階だと思いました。
よくボランティアの引き時というのを聞きますが、まだまだでしょう。無償のボランティアが、現地の同業者の邪魔をしたり、自立を妨げたりとも言いますが、鍼灸治療にいたっては、元々現地で浸透していません。はじめて鍼灸治療を受けられる方がほとんどです(被災地に限らないでしょうが)。そして、無料というのもあるかもしれませんが、その良さに大変喜ばれます。ローラー鍼、簡易灸などのセルフケアを活用すれば、自分でも、つらさを和らげることはできます。もっと鍼灸治療が広まれば、救われる人も増えることでしょう。
9/18(火) 南三陸町
午前中の活動場所は、もう4度目の訪問になる入谷福祉仮設住宅です。名前の通り、一般の仮設住宅ではなく、介助の必要な入居者さんが暮らされています。そのため、身体的にも、より重度の方もおられます。一回の鍼灸治療では限界も感じ、もどかしいところもあります。
また、ここにも被災者を支える被災職員さんがおられます。お年寄りの方は私たちのことを忘れていることも多いのですが、職員さんは覚えて下さっていて、心待ちにしている方もおられ、嬉しい限りです。
その後、ここもおなじみ南三陸さんさん商店街で、南三陸復興ステーション研究員の山内明美さんとそのお仲間の方と昼食。わずかな時間でしたが、実際の現場の方が直面している問題や苦悩を垣間見させていただきました。それは、被災地に限らず、私たちの身の回りにも言えることでした。
午後は、南三陸町の保健医療の最前線で活躍されてきた方々を治療。比較的時間にも余裕があり、じっくり治療もできました。元々健康に対する意識も高く、鍼灸治療に対しても、好意的な方が多かったです。セルフケアのポイントにも力が入ります。これをきっかけに、この鍼灸治療が、南三陸町で広く伝わらないかなんて思いもわきました。これからは、外部から来たボランティアによるものではなく、被災した人たち自身により行なわれる復興にシフトしていかねばなりません。
9/19(水) 山元町
今回最後の活動も、もうなじみの場所で、山元町のデイサービスささえ愛山元です。今までの訪問も水曜日が多く、今回も水曜で同じ顔ぶれの利用者さんたちでした。また、この鍼灸治療を楽しみにして、近くの仮設住宅から来られた方もいました。ここでも、身近に鍼灸治療を提供する場がもっとあればなと、切に思います。
この場所は、海岸に近い農村地帯で、回りのものが全てといっても過言ではないほど流されています。頑丈な建物や、それに守られた看板だけがポツンとそびえ立っているのが、よりその津波の猛威を感じさせます。都市部に比べ元々人口は少ないため、被害もそれほど知られていないように思いますが、実際に現地に行くとその報道の偏りも感じます。
そして今回も治療の後に、周辺を見て回ったのですが、線路や、道路も変わらず、そのままといったところがほとんどでした。雑草だけが、成長しているといった感じです。1年半たっても、ここまでかという思いもありましたが、ただ今までになく、トラックが行き交ってはいました。次に来るときは、変わった風景が見られるのかなという思いで、今回の活動を終えました。
被災地に行くたびに、多くの出会いや、経験をして帰ってきます。このご縁を大切に、これからも自分達にできることをずっと続けていきたいと思います。
今回、はり灸レンジャーの活動に初めて同行させて頂きました木村智美と申します。
私は、9月17日(登米市)と18日(南三陸町)の活動に参加しました。
登米市では、被災地障がい者センター・南三陸の方々に大変お世話になりました。施術先へ向け車での移動中には、職員さんがご自身の体験を惜しみなく話して下さいました。被災された状況、避難所生活、自衛隊員への感謝…現仮設住宅での生活、今後の課題。
色々伺った中で、これはやっておこうと思った事があります。「もしもの場合を想定しての家族間の話し合いを、何も起きていない時から決めておいた方が良いです。」家族や親戚に、いざという時にはどこの避難所に行く…とか、その避難所が危なければこちらに行く…等、停電で連絡が途絶えてもあらかじめ把握できる為だそうです。私が住む飛騨高山では、平成16年には台風23号により一部に被害が出ました。身近に災害が発生してなお、自宅が巻き込まれる事を想定していませんでした。家族間の話し合いは難しくないと思うので、宜しければブログを読まれた方も参考にして下さい。
活動の感想ですが、ボランティアと聞くと、何だか人の役に立てるように思っていたのですが、実際に自分が活動して思ったのは、日頃の行いがそのまま出てしまうという事でした。当然だと思われるかもしれませんが、これは結構身にしみて感じました。テレビや新聞の報道と違い、施術を受けて下さる方の言葉は聞き流すことができません。自身の言動が軽率だったと反省する部分もあります。でも、実際に暮らす人々と言葉を交わせたからこそ、己の未熟さを知る事ができたのだと思います。
仮設住宅は狭く行動範囲は限られますが、地域で健康体操が実施されているようですし、個人的に近所を散歩したりと運動を心掛けている方もおり、健康への意識を垣間見る事ができました。むしろこちらの方が見習わなくては!と思う場面もありました。現地で関わらせて頂いた方々に深く御礼申し上げます。
施術は自分なりに精一杯頑張りましたが、内心、短時間で結果を出すのは難しいと思った場面では、先輩レンジャーがフォローして下さり、非常に心強かったです。有資格者として、まだまだ力不足だと痛感しました。気付いた事は今後、意識して改善に努めます。
集会所の隣にグラウンドが作られ、子供達が元気に遊ぶ姿に心が和みました。子供達の笑顔で、地域を明るく照らして欲しいと思います。
私は昨年度、反応点治療研究会の勉強会に参加していました。その時にご指導下さった舟橋寛延先生が、かつて阪神淡路大震災でボランティア活動をされたとの事でしたので、東日本大震災の直後は、活動経験のある舟橋先生に「私も何かしたい」と話していました。でも、いざはり灸レンジャーの活動が始まってみると、活動日が子供達の園行事や仕事の都合と重なり、参加を見送ってきました。
今年度は更に役が増え、反応点治療の勉強会にも行かなくなり、今更私に出番はないだろうと思っていたのですが、そんな私の気持ちを察したのでしょうか、今年7月に舟橋先生とお会いした際、どうすれば今回第6回目の活動に参加できるか、細かな助言まで頂きました。今回も子供の行事予定と重なっており、メールで情報を頂いた時は、スケジュール帳と照らし合わせて、半ば参加を諦めていたのですが、実際の会話での相手の言葉というのは背中を押してくれるものですね。その後、自分が本当にやりたい事を熱意を持って家族に打ち明け、今回ようやく家族が留守中の子供の世話を、行事も含めて引き受けてくれました。
家族を説得する際には、これまでに出会った多くの方々の言葉も私を支えてくれました。
震災から1年半が経つ中で、実際に現地に足を運んだ方から伺った被災地の現状、中にはボランティアへの心構えを説いて下さった方もいます。先輩レンジャーの活動記録も励みになりました。自分の行動を最終決定するのは自分ですが、自他共に認めるマイペースな私が動けたのは、皆様のお力添えのおかげです。本当にありがとうございました。
木村智美
はり灸レンジャ- イエロー清水です。
今回は震災からは1年半経過という節目の時期での訪問となりました。
また、個人的には初めてはり灸レンジャーに参加してから丸1年経っているという事もありいろんな変化を感じました。
ひとつはやはり被災地の皆さんの生活の変化。
一年前訪問時は仮設住宅に入居したばかりの方が多く、あまりにも変わってしまった生活に精一杯…という印象を受けました。
お体も、震災で負った怪我やその後の状況の変化によって生じた負調がまだまだ残っていた事を覚えています。
今回お会いした方たちは仮設住宅での生活にもある程度慣れてきたご様子でした。
それでも、今までと全く違う生活環境や人間関係の中にいることには変わりはなく
「動かなくなって、体が萎えてきた」
「お隣とあまりに(家が)近すぎて気疲れしてしまう」
など、現在の生活に対しての悩みや不調の訴えを多く伺いました。
また、慣れてきたからこそ「今まで意識が向かなかった体の変調や小さな疲れを感じるようになってきた」のではと思います。
まだまだ被災された方の帰還、生活の再建には時間がかかると言われています。これからも続く、仮設住宅での生活をどう乗りきっていくかが大変なのだと思います。
はり灸師は、人々の生活に密着した仕事です。
長丁場になるであろう現在の生活の中の不安や、体の不調への不安に少しでも寄り添い耳を傾けていくことが、私達はり灸レンジャーが、これからできる事ではないかと思いました。
嬉しい変化もありました。
今回はレンジャーとしては6回目の訪問。
いくつか再訪させて頂いた仮設住宅の皆様のお体を再び治療し、経過を伺うことが出来ました。
皆さん治療をスムーズに受けてくださり、「はり灸はこわくなかった」「前回受けたら体が楽だった」など
と治療後の感想を聞くことが出来ました。
また初訪問時には遠慮されていたスタッフの方達が「今回は治療楽しみにしていました」
と言って下さり、治療を行うことが出来たことも、嬉しい変化の一つです。
これも一度きりの活動ではなく、レンジャーの皆が活動を続け、今まで関係を築いてきたからこその変化ではと思っています。
『はり灸を知ってもらう、体のメンテナンスの一つとしてとして取り入れて頂くきっかけとする』
というレンジャーの活動結果を実感できた今回の訪問でした。