被災地熊本、避難所での治療を終えて

はり灸レンジャー・レッドこと舟橋です。
2016年7月10日(日)~12日(火)、3日間という短い時間ですが、熊本県の益城町と御船町でのボランティア鍼灸治療を実施しました。

私たち「はり灸レンジャー」は、2011年3月11日に発生した東日本大震災を契機に結成されました。その後、5年以上にわたり宮城県と福島県への訪問治療を続けてきたのですが、今回の熊本地震を受けて、初めて東北以外の地への訪問となりました。

きっかけは、私が鍼灸師になる以前からの知り合いである「ゆめ風基金」の八幡理事からのメールでした。
「ゆめ風基金」は震災などで被害を受けた障害者の支援に特化した基金団体で、募金の提供だけではなく、被災した福祉団体の再建支援やボランティアの派遣など多様な活動を行なっています。
そもそも東北現地に初めてうかがった際も、この八幡さん経由でした。
そんな恩義のある八幡さんから、
「お~い、熊本には来ないの?
(鍼灸治療を提供したら)喜ばれると思うけど」
とメッセージを頂いたのでした。
もとより熊本の地震が発生してからは、頭のなかでシュミレーションをしていました。レンジャーメンバーでも現地訪問について相談していたところでしたので、
「よし、行こう!」
となったのです。

今回の3日間の活動内容は森川先生が詳細に書いて下さいました。また清水先生の指摘にあるように道筋に倒壊家屋が並ぶ風景には改めて驚かされました。すでに地震発生から3ヵ月が経とうとしていた時期ですが、まだこれほどの被害が残っているのか、という感想です。

また、今回のボランティア治療は避難所で実施したのですが、東北では震災から半年ほど経過してから治療訪問を始めたので主に仮設住宅や福祉施設での治療でしたから好対照です。
私は阪神淡路大震災から被災地支援の経験があります。(その頃はまだ鍼灸師になっていなくて。福祉関係の職員としてでしたが。)その後、東北を経て、今回の熊本県が3度目になりますが、改めて避難所のもっている独特の雰囲気には圧倒されます。
今回の地震は自治体の建物が被災したり、何度も余震があったり、その他いろいろな要因で復興の足取りがかなり遅いように感じます。
3ヵ月もの間、体育館で寝泊まりする生活は誰にとっても耐え難いものでしょう。
森川先生の報告にあるように、体調不安を訴える方々の多さが目立ちました。
私が治療した方のなかに幾人か夜勤の仕事をしている方がいました。夕方、避難所から職場に行き、夜通し働き、朝がたに帰宅。でも避難所は日中ですから、ざわざわと人々の動く気配があり、なかなか熟睡できない。そんな体調のまま、また夕方が来て出勤の繰り返し。プライバシーもなく、明日がどうなっていくかも分からない。そんな日々が100日近くです・・・。

また、避難所で活動していくと、お昼の時間にもでくわし、皆さんが支給されるお弁当が思わず目に入ってしまいます。
「まだ、食事をもらっているの?」
と感じるかも知れません。でも、もともと体育館です。炊事施設が無いのです!
ここで、ふと感じました。私たちレンジャーは、鍼灸治療を行なうと共に、ローラー鍼を配布して、できるだけご自身で健康面のケアができるよう提案してきました。
また、東北でもそうなのですが、関わる団体はその現地で粘り強く復興を担っていこうとしているグループです。
つまり被災した方々自身が元気になっていくためには、手厚い支援と共に、やがて自立していく道筋を共に考えなければいけないということです。
これは、理論としては当たり前ですが、その実践は難しい。
例えば、避難所での食事に関して、屋外調理の器具を大量に用意して、週に1回、2回でも被災者自身が楽しく調理できないのだろうか?と感じます。
人間、与えられだけの立場はつらいものです。自分自身が何かができる、という自信が明日へと向かう気力に繋がるのではないでしょうか。

アイデアはあっても、実施は難しいだろうことは予想されます。
衛生面の管理は?平等に食べ物は行きわたるか?お金、食材、人材の工面は?などなど・・・。行政は「平等」という発想に縛られがちです。
数百人規模の避難所では難しいかも知れません。もう少し小さい規模の避難所ならどうでしょう??
しかし、行政としては、時間の経過と共に避難所を統廃合しています。効率面からはそうなのでしょうが・・。

困難な状況ではありますが、それぞれの地域で人々がアイデアを出し、できることを実践していく。そういった創意工夫が無数に生まれてくることが大切だと感じた訪問でした。
私たち「はり灸レンジャー」の活動もささやかでも持続して関わっていきたいと願っています。

第一回熊本訪問舟橋

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