今回の訪問を通じて学んだこと

はり灸レンジャー、イエローの中村です。

能登への訪問は3月、6月、そして今回9月で3回目。

たまたま3ヶ月に一回のペースで訪問しているからか、

『あの時寸断されてた道は補修されたんだな』

『あの場所は更地になったんだな』といった風景の変化を毎回少しずつ感じています。

 

(それでもまだまだ手付かずの瓦礫や、凸凹の道は多いです…。

今回訪問時のような強い雨の日や、夜は足下が危なくてとても歩けない、というお声を多く伺いました。)

 

今回の活動で嬉しかったことは、口コミで来てくださる方がとても多かったこと。

 

何度も訪問している河原田公民館の方や、活動をコーディネートしてくださるJOCAの皆様が、積極的に地域の方達にお声をかけてくださる(本当にありがたいです)はもちろんのこと、

前回訪問時に鍼灸を受けて下さった方が『良かったから』と、お友達を誘って一緒に受けに来て下さったり、

お嫁さんに勧められて〜とか、ご近所さんに勧められて〜とか、息子さんに行ってこいと言われて〜など。

 

おすすめしてくださることはもちろん、色んな人たちの繋がりが感じられて、こうした繋がりが震災で途切れなくて、良かったなぁ…と思いました。

 

その反面、失われた繋がりを思うと胸が痛みます。

自分は助かったけど、ご近所の方は亡くなってしまった。

仕事を失って、同業の仲間たちの多くが金沢へ異動になった。

自分の家は無事だったけど、周囲の家は倒壊、公費解体が決まってて誰も住んでいない…。

そんなお話も多く伺いました。

 

そんな中で一つ、印象的だったお話があります。

 

はり灸を受けに来て下さったその方は、大ベテランの海女さん。

仕事場にしていた土地の家屋は地震と津波の影響で一部損壊、水道などのインフラも改修が遅れていて、まだ仕事復帰の目処は立っていないそうなのですが。

 

自治体の要請で、海中の地震の影響を調べるために海に潜るたびに、地震直後は荒れていた海の中が豊かに戻ってきているのが分かるのだそうです。

 

『自然は強いよ。一番難儀なのは人間だね。』

という言葉をお聞きして、自然の回復力の凄さを知るのと同時に、

自然のようはいかなくても、人の土地も人のスピードで少しずつ変化している。

だから人は人の出来ることを、できる速度でやっていけばいいのかもな。とふと思いました(そしてそれは、はり灸レンジャーの活動も同じなのかも)。

 

はり灸レンジャーの活動を通して、本当に沢山のことを学ばせてもらってます。

今回も、ありがとうございました。

202409中村

第5回能登訪問(二日目)概要

<日時>
9月16日(月祝)10:00~14:30

< 場所>
河原田公民館(輪島市西脇町)

<参加者>
鍼灸マッサージ師 2名〔木村(岐阜県), 中村(岐阜県)〕
鍼灸師 2名〔森野(愛知県), 森川(兵庫県)〕

<受療者>
19名(内スタッフ 3名)

<対象>
仮設住宅入居者 、近隣の被災者(被災者支援)
現地職員(支援者支援)

<活動内容>
鍼灸施術
セルフケア用品の無償配布(希望者)
地元(輪島市内)鍼灸院の紹介

<日程>
8:15 輪島市内の民宿を出発後、被災地域を視察
9:00 輪島市 河原田公民館 到着
10:00~14:30 鍼灸施術・セルフケア指導
15:00 撤収後、金沢駅へ
17:00 レンタカー返却後、金沢駅で解散

<詳細>
こちらの公民館は能登で最多の4回目の訪問です。
前回7月に訪問したときには、避難されている方もおられました。
避難所としては8月で解消されたので、今回は、隣接する仮設団地や近隣に住まれる方が、施術を受けに来てくれました。

施術場所に、その避難者がおられた広いスペースを使わせて頂きました。
(卓球台を仕切りに使わせていただきました)
間隔も広くゆったりと施術を受けて頂けたのではないかと思います。

職員の方も含め、お馴染みの方も多く、再療の方も多かったです。
また、再療の方が、新しい方を誘ってくれたりと、良い循環も出来ていました。

前回の施術とローラー鍼によるセルフケアで、身体の不調が取れたことを伝えに、また受けに来てくださった方もおられました。

それでも、私たちの訪問は、数か月に1回です。
地元の石川県鍼灸師会の先生も被災地(輪島市)支援に入られていますが、それも限られています。
ましてや、ご自身も被災されている先生方も多いです。

私たちの施術を受けて、鍼灸の良さを知って貰って、地元の鍼灸院に行って下さることが、何より被災地の復興につながるのではないかと考え、近隣の地元鍼灸院も紹介させて貰っています。

輪島市内鍼灸院

訪問前に、「のと里山海道」が全面開通になったニュースを聞いていました。
帰りの時間が早くなるかと思われましたが、実際は…

道路はまだ凸凹があり、40キロ規制もあったり、片側通行で渋滞も起きたりしています。
また、建物の撤去作業で出た釘などが道路に落ちていることがありタイヤのパンクも増えていると、地元の方が教えてくれました。

実際に現地へ行ってみないと分からないことも多くあるのが、被災地支援です。

自分の足で行って、見て、聞いて、確かめることも大切だと感じます。

(森川 真二)

第5回能登訪問(一日目)概要

<日時>
9月15日(日)13:00~18:30

<場所>
宅田町第2仮設団地 集会所(輪島市宅田町)

<参加者>
鍼灸マッサージ師 2名〔木村(岐阜県), 中村(岐阜県)〕
鍼灸師 3名〔藤田(石川県), 森野(愛知県), 森川(兵庫県)〕

<受療者>
23名(内スタッフ 1名)

<対象>
仮設住宅入居者、近隣の被災者(被災者支援)
現地職員(支援者支援)

<活動内容>
鍼灸施術
セルフケア用品の無償配布(希望者)
地元(輪島市内)鍼灸院の紹介

<日程>
9:30 金沢駅 出発
12:00 輪島市 宅田町第2団地 集会所到着
13:00~18:30 鍼灸施術・セルフケア指導
19:00 撤収後、輪島市内で再開の飲食店で夕食
20:30 輪島市内の民宿に宿泊

<詳細>

宅田町第2仮設団地は、初めての訪問でした。
東北や熊本でよく目にした、回りに何もないような立地ではなく、食品スーパーやホームセンターが隣接する便利な場所にありました。
生活不活発病を防ぐ意味でも、仮設住宅の立地条件はとても重要です。

当日は大雨警報、土砂災害警戒情報も発令され、施術を受けに来て貰えるのか心配もありましたが…
今回も青年海外協力協会(JOCA)の協力で、事前にチラシ配りや告知もあり、多くの方に来て頂けました。

初めての活動場所でしたが、これまでに訪問した施設や避難所でお会いした方が、また施術を受けに来て下さることもありました。
前回の施術が良かったからと、今回のチラシを見て来られたり、ご家族を誘ってくださったりと、これまでの活動の成果やつながりを感じることもできました。

こちらの集会所は、床がカーペット、テーブルや椅子も揃っていて、立派でした。
が、まだあまり利用されていないのが残念でした。

仮設団地内には自治会が無く、コミュニティの形成も未だ不十分のようです。
車を停める場所も決まっていなかったり足りなかったり、不満の声も上がっているそうです。

避難所から仮設住宅に移ることで便利になり生活も落ち着いて来る一方で、また新たな課題や困難もやってきます。

施術中に、これからの不安や心配事も多く伺いました。
まだまだ支援が必要だと感じました。

(森川 真二)

 

第四回活動に参加

7/14・15日、はり灸レンジャーの活動に参加しました。

チームは4回目の活動ですが、私は地震後初めての能登だったので、空き家に貼られた危険を知らせる紙や、多くの家にブルーシートが掛かっているのを見て、改めて大変そうだと思いました。
ですが先日の活動を終えた仲間は『道が良くなっている』等の変化に気付いていたので、少しずつ復興は進んでいるようです。

活動場所に着いてみると、鍼灸施術を受けに来る方は仮設住宅での生活が始まっており、住み慣れた家から引っ越した疲れや暮らしの変化からか『眠りが浅い』という声も聞かれました。
家の片付けや今後の生活への不安は尽きないと思いますが、先ずはご自身の健康を第一に、落ち着いて立て直して欲しいです。

腰や膝の不調を訴える方の多くは、地震前から整形外科等に通院しているとの事でしたが、いつもと違う症状が続く時には『歳だから』と放置せず、専門家に相談して下さい。
私は少し話を聞いただけですが、住民の皆が環境の変化に気を取られてそうなのが気になります。
自分自身のからだの声に耳を傾けて下さいね。

限られた時間での対応でしたが、皆様が少しでも楽になっていれば何よりです。
施術の際にお渡ししたローラーが、セルフケアだけでなく家族や友人との話題作りにも一役買ってくれたらいいなと思いながら今回の活動を終えました。

活動を受け入れてくださる現地の皆様、私の脱線を軌道修正してくれる先輩方、活動を支援してくださる各会社・団体に厚く御礼申し上げます。

ラベンダー木村

202407木村先生

滅私奉公(第4回能登訪問)

今回はり灸レンジャー(以下レンジャー)の第4回能登訪問に参加した石川県の藤田です。今回は7/14(日)、15(月祝)の二日間参加させて頂きました。石川県はまだ梅雨明けをしていませんでしたが警報級の大雨という予報もなく、前回ほど天気や交通事情の心配はありませんでした。

また、レンジャーの良心であり看板エース!完璧に見えるけど何か抜けちゃうんだよね!の森川先生御夫妻(「中学受験がんばります!」の頼れる小さなナース華ちゃんも参戦!、ありがとう!)。そして、「小児鍼は俺に任せろ!輪島のちびっ子全員連れて来い!」と吠える三河の生ける伝説 森野先生方が前日に金沢入りをされました。また当日の朝は謎のベールに包まれたレンジャーの最終兵器、飛騨高山の至宝 木村先生が金沢駅で合流することになっており、「雨が降ろうが槍が降ろうが必ず車で駆けつけるわ!車を背負ってでも!あら、金沢ってどっちかしら?」と気合い十分。お蔭様で訪問前夜は安心して眠れました。

今回の活動も滞りなく無事終了しました。仮設住宅に入られた方々はこれまでの生活と違ってあまりやることもなく(体を動かすために頑張って畑仕事をされている方もいらっしゃいましたが)、体力低下、意欲低下、認知機能低下、それらに伴う医療介護問題など、今後の課題は山積みです。「ちゃんと報告書を書け!」という無言のプレッシャーもありますが、あまりにも私の活動内容が薄く、そのため詳細や感想は他の先生方の報告書をご参照願います。

協調性はなく団体行動は無理、我が道をひたすら突き進むだけ、それが鍼灸師です(もちろん数少ない例外の鍼灸師もおりますが)。この取扱注意の輩がチームとなって空中分解せず行動しているレンジャー。お金を配布するわけでも道路を補修するわけでもありませんし、美味しい食事を提供するわけでもありません。一人一人の出来ることは微々たるものです。しかし滅私奉公の精神を持ってチームとして同じ方向を進めば何か大きな力となるのではないでしょうか。鍼灸施術、セルフケア指導、地元鍼灸院の紹介など、レンジャーの活動が被災された方々の自立支援の一助になればうれしい限りです。

今回もJOCAさんによる安心安定のサポートのおかげで活動が円滑に行われました。本当にありがとうございました。

「地震のせいで人生が変わってしまった。」と言われた方がいらっしゃいました。地震前と同じ生活というわけにはいかないと思いますが、被災地の一刻も早い復旧復興、被災された方々の健康、そして明るい未来を祈っております。

202407藤田

皆さんの大変さを忘れない

はり灸レンジャーとして4回目、個人的には3回目の能登での活動を終えました。
3回目になると、馴染の方が増えて、お名前も浮かぶようになります。
また同じ顔に会えると嬉しくなりますし、あぁ良かったと感じます。
どこかで、ご無事じゃないかも、という思いがかすめます。

輪島の風景はなかなか変わらず、毎日壊れた家々や土地や山を目にされています。それだけでも厳しい。
なんとか負担が軽くなることを願います。

能登は遠く、活動を終えると放心状態になります。
それも能登の方々に寄り添うことになるのかもしれません。

ボランティアでの鍼灸は、「不調を見つける」「困り事を見つける」という役割があります。
近くで関われない分、見つけた不調や困り事に対策できるよう、現地の方に繋げる事が大切だと考えているからです。
でも根掘り葉掘り聞くことは配慮の無いことで、いつも悩みながらの施術になります。
また、少しの鍼灸が効果的になるように研鑽も必要です。
後からできたかもしれない事に気づいて、後悔もしています。

東北で鍼灸ボランティアを初めた頃、よりどころにしていた言葉があります。
「大切にすることならできるばず」
はり灸レンジャーのリーダーに言われた言葉です。

大切にするぞ!
まだ足りないけれど、進化しながらお役に立てればと思います。

20240714森川

はり灸レンジャーピンク 森川彩子

能登への想い

第4回能登訪問(私自身は3回目の能登訪問)に参加した愛知県の森のです。
7月14日、15日の活動に参加させていただきました。
14日の始発では、金沢駅に11時位の到着になってしまうので、今回も前日13日(土曜日)に金沢入りしました。

13日土曜日の金沢駅は、名古屋駅や東京駅より人が多いのではないかと思われるくらい人でごった返しており、駅の中で食事をしようにも2時間以上待つのが当たり前の状態でした。
すれ違う人々の顔を見て、みなさんは金沢からどこに行くのかな?
「出来れば、少し足を伸ばして能登へ行って欲しいなぁ」

今回も13日土曜日の診察時間を早めに切り上げるために、スタッフの方々に協力していただいたので、土産を購入しました。
金沢駅では購入せずに、能登にある素敵な御菓子屋さんで購入しました。
その御菓子屋さんは、今回の災害で大切なあんこを創る機械が被害に遭われて使えなくなってしまったそうですが、14日に伺った時にはたくさんの種類のお菓子が並べられていました。
詰め合わせを5セットお土産にさせていただき、スタッフに大変喜ばれました。
そして、店内のイートインスペースで石川県在住の藤田先生とお饅頭を食べながらお茶を嗜みました。
能登への訪問の際はぜひ訪れていただきたい、とても素敵なお店です。

お休処 あん庵(芦本菓子舗)
石川県七尾市中島町中島甲102-1
Tel:0767-66-2878
定休日:月曜日

 

14日、15日に私が施術させていただいた方々には、目の上に目隠しを置くことで安心感をもって貰いました。
「目隠しがあった方がいいですか?取った方がいいです?外しますか?」と全員にお聞きしたところ、全員の方が「そそまま置いておいてください」とのことで、目隠しをすることでリラックスできたと思われます。

また、今回は2人の子どもさんの施術をさせてもらえました。
ひとりのお子さんは初めての施術でしたが、もうひとりは前回も施術した子どもさんでした。
その子は、前回とはまったく表情も雰囲気も違っており、治療が終わって帰るまで私は前回施術したことに気づかず別人のようでした。
また、主訴も前回とは全く違う咳症状でした。
「前回の1回の施術ですっかり治ってしまったのか?」それとも、
「避難所の生活に慣れたのか?」分かりませんが、とにかくとても明るく、ニコニコと来られたのが印象的でした。

今回もベテランレンジャーの皆様の施術に近づけるように努力しましたが、私にはまだまだ未熟な点が多々あり被災地でお力になれるようにもっと精進しなければと痛感したしました。

その中でペンションから出発する際に、玄関先で腹ばいで苦しんでいたミヤマクワガタをペンションのオーナー様へ預け、森へと救助できたことが私の唯一の活躍です。(おそらく)

今回も集会所や避難所においての活動はJOCAさんやスタッフさんの宣伝、準備などのおかげで円滑にできとても感謝しております。

まだまだ時間はかかりそうですが、被災地の方々が一日も早く日常を取り戻せるようこころからお祈り申し上げます。

20240714森野

第4回能登訪問(二日目)概要

<時間>
7月15日(月)10:00~14:30

<場所>
河原田公民館(輪島市西脇町)

<参加者>
鍼灸師 5名〔藤田(石川県), 森野(愛知県), 木村(岐阜県), 森川×2(兵庫県)〕
調整員 1名

<受療者>
21名(内スタッフ3名)

<対象>
仮設住宅入居者 、近隣の被災者(被災者支援)
現地職員(支援者支援)

<活動内容>
鍼灸施術
セルフケア用品の無償配布(希望者)
地元(輪島市内)鍼灸院への挨拶、地元の方への紹介

<日程>
8:45 輪島市内ホテル出発
8:55 輪島朝市視察
9:10 輪島市 河原田公民館 到着
10:00~14:30 鍼灸施術・セルフケア指導
15:00 撤収後、金沢駅へ
18:00 レンタカー返却後、金沢駅で解散

<詳細>
宿泊先から活動場所への移動途中にあった、輪島朝市を立ち寄りました。
祝日で雨の中でしたが、解体作業も進められていました。

輪島朝市20240715

こちらでも青年海外協力協会(JOCA)の協力により事前にチラシ配りやアナウンス、活動中も声掛けをしてくださり、多くの方に施術を受けて頂けました。

こちらでは3回目の訪問なので、再療の方も多かったです。
以前、施術を受けたお子さんも来られました。
元々子どもが少ない(一学年5〜6人)地域で、仮設団地内にも子どもは少ないようです。

河原田公民館小児はり20240715

雨が続き、「体を動かす機会が更に減った」という声を良く聞きました。
また、4日前には大雨で周辺で避難指示が出て、河原田公民館に40人の方が避難されていたそうです。
幸い大きな被害はなかったようですが、地震で崩れた斜面も多く、警戒は続いていました。
職員によるまさに不眠不休の業務が続いていたことが、お身体からも伺えました。

河原田公民館施術の様子20240715

これからも鍼灸施術を受けたいとの要望も多く、昨日に引き続き、地元鍼灸院を紹介させて頂きました。
が、震災前から鍼灸院が少ない地域で、近隣で再開された鍼灸院も予約が埋まっていると伺いました。
外部からの支援がまだ必要だと感じます。

今回、輪島市内で営業を再開された鍼灸院へもご挨拶が出来ました。
ご自身が被災されながらも、明るい話題を作ろうと奮闘されています。

今後も地元につながる支援活動を続けたいと思います。

(森川 真二)

第4回能登訪問(一日目)概要

<日時>
7月14日(日)13:00~18:30

<場所>
三井第1仮設集会所(輪島市三井町長沢)

<参加者>
鍼灸師 5名〔藤田(石川県), 森野(愛知県), 木村(岐阜県), 森川×2(兵庫県)〕
調整員 1名

<受療者>
23名(内スタッフ3名)

<対象>
仮設住宅入居者、近隣の被災者(被災者支援)
現地職員(支援者支援)

<活動内容>
鍼灸施術
セルフケア用品の無償配布(希望者)

<日程>
9:30 金沢駅 出発
12:00 輪島市 三井第1仮設 集会所到着
13:00~18:30 鍼灸施術・セルフケア指導
19:00 撤収後、輪島市内で再開の飲食店で夕食、輪島KABULETで入浴
20:30 近隣スーパーで翌日食料を購入後、輪島市内ホテルに宿泊

<詳細>
今回も、青年海外協力協会(JOCA)の協力で事前にチラシ配りやアナウンスがあったので、多くの方に施術を受けて頂けました。

JOCA三井第一仮設20240714

今回の仮設団地は木造で恒久的に住めるよう建てられており、住居の間隔も広くプレハブの仮設に比べて見栄えが良かったです。現地の方にも人気の様子でした。

三井第一仮設20240714

集会所も新しく、まだ備品は揃っていなかったが、木製の畳ベンチを待合の椅子と施術道具置き場に使わせて頂いた。

JOCAさんが用意して下さったダンボールのパーテーションも、とても重宝しました。

三井第一仮設集会所20240714

あいにくの雨でしたが、前回訪問した三井公民館で施術を受けた方が再療されたり、良かったからと声掛けをして下さり家族や友人も多く来られたりしました。
少し離れた仮設の方、近隣のご自宅の方、遠方避難の方もおられ、地域の繋がりを感じました。

はじめて鍼灸を受けられる方も多かったです。
症状としては、肩こり、腰痛、膝痛などの疼痛が多く、不眠の悩みもよく聞かれました。
前回の公民館に続き、血圧が引き続き高めの方が多かったのも気になりました。

これからも鍼灸施術を受けたいとの要望も多くあり、輪島市内の鍼灸院で了承を得られたところをいくつか紹介させて頂きました。
被災鍼灸師を支援することは、これまでの東北や熊本では足りなかった反省点です。
(元々近くに鍼灸院が無かった地域もありましたが…)
コロナ禍に他の災害支援鍼灸団体と連携、つながりを持てたお陰です。


https://jlcdam.net/

 

今回、輪島市内の宿泊施設が営業を再開されていました。
そちらを利用できたので、活動時間も長く取れました。
その宿泊施設近くの海岸は1メートル隆起し、以前は海底にあった岩が見え、地震の規模の大きさを伺うこともできました。

輪島市海岸20240715

また、輪島市内の飲食店も営業を再開され始め、今回は温かい夕食を取ることも出来ました。
第1回能登訪問の支援先、輪島KABULETで入浴もさせて頂きました。
(塩泉で肌がスベスベになる)

輪島KABULET20240714

復旧復興が少しずつでも進み、地元の方の親切さを感じられたのが印象的でした。

(森川 真二)

鍼灸師だから出来る事、鍼灸師しかできない事

二回目の能登半島災害支援

4月28日から29日の二日間、能登半島方面への活動に参加させていただきありがとうございます。

今回二回目になる能登への訪問です。

日本財団より助成金を頂き活動できていることに誠に感謝いたします。

前回は初めての被災地での鍼灸治療ということで、とても戸惑いながらの治療でしたが、二回目もやはり戸惑いながらの治療で、被災者の方々と支援者の方々を治療させていただきました。

私の治療院には、自分の身体の不調があり、その不調を治して欲しくて患者様は来院されます。

その不調の症状別では、腰や肩の痛み等の運動器系の疾患で来院される患者様は1割もいません。ほとんどは、産婦人科系疾患、小児科系疾患、呼吸器系の疾患、皮膚疾患、神経系の愁訴、不定愁訴などで不調を治して欲しくて、来院されます。

しかし被災地においては、鍼灸治療を受けていただきたい為に、または知っていただきたい為に「鍼灸治療を受けませんか?」と案内をして治療させていただきました。

問診表でのつらい症状は、腰や肩の痛み、眠れないという主訴が多く、

治療後には、

「腰がまったく痛くない」

「肩がまったく痛くない」

「なぜ刺さないの治るの?」

と驚かれていましたが、運動器系の痛みを改善するのはもちろん大切だが、鍼灸師としての本来の診察、治療の目的はそこではなく、身体の奥にある「こころの傷、痛みを緩和させる」ことこそが、鍼灸師しかできない治療だとあらためて確信いたしました。

そして今回初めて小学生の男の子を治療させていただきました。

今まで私の治療院へ来院された子どもさんの中にも診たこともない病態で、まさしく「こころの傷、痛みを緩和させる」ことができたと感じ、鍼灸師として能登に来てほんとうに良かった。と感動しました。

被災地のみなさまは言葉では多くは話されませんが、前回に続き今回も、治療中、治療後に号泣されてマスクが、涙でビショ濡れになってしまった方が多くおり、みなさんほんとうに辛く大変な中、頑張っておられるのを脈診を含めた四診法からも読み取ることができて、改めて被災者の方々の心の痛みを痛感しました。

今回の治療に於いても、ドーゼオーバーにならぬように深く考慮して、病んでいる病態をできるだけ少ない刺激で痛みや辛さを無くす、もしくは軽減させることに気を付けて治療しました。

しかし今回もあまり多くの治療が出来なかったのですが、少しでも被災地の方々のお力になりたいです。

森野 弘高