防災の日に思うこと

9月1日は防災の日。
私が住んでいる町でも防災訓練がありました。
町内に響く防災用サイレンを聞きながら、
南三陸町の事を思い出しました。

はり灸レンジャーとして訪問して驚いたのは
訪問先の南三陸町にたくさん立てられていた津波浸水地域を示す立て看板でした。

海から何キロも離れた内陸地や、ある程度海より土地の高いところに
「津波到達ここまで」(うろ覚えな文なのですが)の看板があり
「こんな所まで津波が押し寄せたのか…!!」と驚愕した記憶があります。

3.11の震災以前は、1960年のチリ地震での津波の浸水域を示す看板があったそうです。
南三陸町は1960年のチリ地震での津波の被害を大きくうけている地域のため、
日頃から防災訓練にも特に力を入れており
「地震の後には津波が来る」という教訓が生きている土地だったのです。

それでも、チリ地震の際無事だった比較的高い土地に住んでいた方たちには
「この土地なら大丈夫」という思いがあったそうです。
「津波が来たのが夜だったら、サイレンを聞いても逃げずに命を落としていたかもしれない」
と話されていました。

被災された土地には今、新たに東海大震災での津波浸水地域を示す看板が立てられています。
また、看板だけではなく、大人たちが「ここまで水が来たんだよ」と子供たちに口伝えで教えていくのでしょう。
(話で教えられたことは、特に記憶に残るような気がします。)
これから南三陸町で生きていく人たちのために、新しい防災が始まっているのだと思いました。

私の住んでいる岐阜にも「地滑り注意」や「浸水注意地域」(海なし県なので川の氾濫を示す)
があります。日ごろからそういった看板に目を向けたり、
地元に昔から住む方の話に耳を傾けて、防災に取り入れていかなければと思います。

(はり灸レンジャーイエロー 清水)

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