3年半経った被災地の風景

ブルーこと森川真二です。今回は自身としては9回目の訪問になりました。継続して訪問していると、被災地の移り変わりも感じることができます。今回の訪問では教室や治療の後、被災地の復興状況などを、各現地の方に案内していただきました。そのあたりをご紹介していきたいと思います。 (治療についてや被災者の様子は次回に)

一日目 山元町

まずは、山元町。宮城県の東南端に位置する、農村地です。ここにあるNPO法人ささえ愛山元さんには、震災当初からお世話になり、度々こうしてそのまわりの様子を案内していただいています。
写真に写っているのは中浜小学校です。このまわりの町は全て津波で流され、今もこの校舎だけがぽつんと残っています。屋根の少し下に青い看板があるのがわかるでしょうか?ここまで津波が来たという印です。
この写真には写っていませんが、この2階建て校舎の屋上には、シェルターのようなものがあり、被災時に児童はそこへ避難し、全員助けられたようです。この校舎は、海に向かって縦長に作ることで、津波の濁流は校舎の中を通り抜け受け流すような状態になり、崩壊せずに済んだようです。もしマニュアル通り近くの中学校に避難していたら、間に合わなかったでしょうということです。そのときの先生方の判断により、生徒は救われたのです。

二日目 石巻市

続いて、石巻市。宮城県内第二の人口を擁する都市で、被害の大きかった街の一つです。写真は日和山公園という、高台から街を見下ろした風景です。左に見えるのは、旧北上川。右には緑が広がって見えますが、ここには街や田畑があり、全て流されてしまいました。案内していただいた職員さんのご自宅もここにあり、通りましたが何も残っていませんでした。支援の多く入っているであろう石巻でさえ3年半経ってもこのような状態です。

三日目 南三陸町

最後に案内していただいたのが、南三陸町志津川。ここも海に面した町で、漁業が栄えていました。ここのNPO団体(奏海の杜)さんにも、活動当初からお世話になっています。ずっと訪問しているので震災後の町の経過も見ていますが、前回訪問の3月からその風景が大きく変わりました。
写真に写っている手前の道路は前回訪問時は、ありませんでした。奥にある土が、新しい地面になります。このようないわば古墳のような土盛りが、いたるところに点在していました。その高さは10mにもなり、それらが何kmもつながり、地面となるようです。その外縁には、広い台形状の防潮堤もできようとしていました。自然豊かな風景が様変わりしてしまうことを、地元の方も懸念されていました。

ご覧の通り滞在中は晴天に恵まれました。空気もきれいで(工事現場付近は土埃が舞っていますが)、青空も、夜空もきれいでした。お彼岸の度に訪問しているので、ふるさとに帰っているかのようです。人もやさしく、料理もおいしく、自然豊かな東北、また訪れたくなります。次は、また来年春のお彼岸の予定です。

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